「世界は、舞台裏をのぞいたことのない人間には全く想像もできない人物によって支配されている。」
..........ベンジャミン・ディズレーリ............
「大室寅之祐の子が昭和天皇であっても大正天皇の父は多分、田中光顕であろう。」
..........「高松宮発言」(昭和58年)............
「...この国では戦国時代や江戸時代や宮家などの家系が尊重され、それに反逆し改革を志す者は滅亡する一方、今の野田貧民上がり宰相のように八方平身低頭する体制順応人間だけが生き残りを許されている」
..........小沢一郎(日刊ゲンダイのインタビューで、).......
最近いろいろな検索ワードで検索して、クリックしたところを、拾い読みしているのです。
なんかね、最近いろいろと、湧いているじゃぁないですか...「陰謀論」を提唱する輩と、それに群がる無知な蟲ドモが...。
アレ、本当に厄介なんです。情報を精査するという基本的な姿勢が欠如しているのです。
色々な情報が、net内って溢れていて...。スゴく便利なんですけど...。(私も、騙されたり、惑わされたりシテいるンですが...)
でもね、最終的には、自分自身で、確めたり、考察したり、いろいろな可能性を考慮しなければならないワケですね。
...絶対にシテはいけない事は、特定の人達が提唱している事を妄信したり、鵜呑みにする事なんですね。
私たちは、一応、頭脳と言うものを持っているのですから...
少なくとも、疑うことは必要なことなのです。
...だって、netという便利なツールがあるワケですから....色々な情報を自由に検索出来るのですから.....
実は、この日本国憲法というのは、昭和天皇の戦争責任を回避させる性格があったみたいなんですね。
色々調べると、太平洋戦争は明らかなヤラセなんです。なんで、日本国土を無差別爆撃していたのに、奈良、京都は爆撃を免れたのでしょうか...?
どう考えたって、敵国の協力者がいたからでしょう...?!
天皇の戦争責任の追求を回避させて、皇室を如何に存続させるか?の苦肉の策が、日本国憲法のように思われるのです。
何てったって、実際は、単なる国民の搾取者が、明治以来の天皇の実態ですから...
ホント、この西部進って、何言ってんだか、ワケわからないですョね。
あのね...所詮、偽物の天皇ですから....
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...っで、その偽物が皇位を簒奪する前の本当の天皇が如何に暗殺されたか...?の証言についてです。
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「鹿島昇」は、弁護士から歴史家に転じた人物。1997年に『裏切られた三人の天皇』を出版し、翌1998年には『明治維新の生贄』が出版されました。
しかし明治維新に隠された秘密を暴いた「鹿島史学」は、大きな力によって歴史の闇に葬られようとしました。なぜなら、それは日本史のタブーの核心に迫るものだったからです。
孝明天皇が暗殺されたものだったことは、徳川慶喜にはっきり分かっていました。そこで慶喜はその真相を渡辺平左衛門に命じて調査させたのでしたが、その結果平左衛門は、岩倉具視と伊藤博文が暗殺を実行した事実をつきとめ、それを徳川慶喜に報告しています。そして鹿島昇は平左衛門の子・宮崎鉄雄から、その様子を詳しく伝え聞いています。それはそれは、あまりにも無惨な殺し方だったのです。
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戦国時代に重宝された「忍」に、下忍という暗殺ばかりを専門とする連中がいたのですが...有名なのが...「はちや」部族の出身の「軒猿」と呼ばれた木下藤吉郎秀吉。後の豊臣秀吉。
相手の寝首を掻くワケですから、卑劣な手段で...けして尊敬もされなかったのですね。本当に下衆な身分の人達として扱われました。
戦国時代が終わると、彼等、忍の活動も下火になるのですが、コレが、江戸時代でも綿々と続いていたのが長州だったらしいのです。
伊藤俊輔も、そんな下忍の出身です。後の伊藤博文のこと。我が国の初代の総理大臣です。
話は変わるのですが、インドで洪水が起きて、沢山の溺死者が出ると、死体を速く回収しないと...トラ等の猛獣が、遺体を荒らします。人間の身体にはほかの動物よりもナトリュウムが多く含まれているため、人肉の味を覚えた肉食動物は、ナトリュウムの摂取のために、人間を襲うらしいのです。「血潮」というくらい塩分は動物にとって必要なモノのよーです。
軟鉄と鋼のラミネート構造の日本刀は、塩分の多い人間の肉を切った場合、特殊なクスミが出るそーです。
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平成9年(1997)9月2日、博文の遺品や直筆の手紙などを集めた「伊藤公資料館」が、山口県熊毛郡大和町束荷の伊藤公記念公園内にオープンした。同町が公の生誕150年記念事業の一つとして新築整備したものであるが、あらかじめ公の遺族、親族のほか一般へも広く呼びかけて資料の収集に努めた。
林家の妻ヤスの孫娘・静子(祐美子)の夫・村上靖男君も、それを機会に義父の遺品を調べることにして、蔵の中の遺物箱を開けてみると、その底に一本の刀があった。この刀は未登録であったので、早速平生警察署を通じて県に連絡したところ、文化庁の係官が来て鑑定してくれることになった。
平成7年(1995)2月、県庁の一室に持参して、まず刀の銘を見ようとして柄を抜いてみると、普通の刀の根元を切って短くつくり直しているために銘の部分が消えていた。刀身の長さは普通の刀と脇差の中間ぐらいになっており、室内や樹林の中などでも自由に使えるように工夫されていた。
刀身をじっと見ていた文化庁所属の鑑定人が、「この刀は人を斬った刀で、刀全体に脂がべっとりとついていますね」という。脂には塩気があるから、人を斬ったあと拭わずに鞘に納めると中が汚れる。そのまま10日も放っておくと刀に錆が出て、次の斬り合いのとき折れることもあるという。
だから、人を斬ったあとには必ず鹿のなめし革で刀を磨くようにして拭わねばならない。鹿革は5回も使うと汚れてしまうので、心得のある武士は常に3枚の鹿革を懐中にしていたといわれている。俊輔もそのことは十分に知っていて、この刀も鹿革でよく拭ったのち鞘に収めていたようで、鞘から出すときはすんなり抜けた。
しかし、長年の間にジワリと脂が浮き出して刀身全体がどす黒くなり、所々に泡のような錆状のものが付着している。この刀はそれほど多くの人の血を吸っているもので、やはり維新動乱の時代に幾度となく使いこなされた「忍者刀」に違いない。
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...おそらく、孝明天皇の血も吸っている刀と思われるのです。
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...「糞蟲」という暗殺方法だったらしいですね。昔は、トイレを「厠(かわや)」と呼びました。もちろん水洗ではないです。
ポットン便所というのですか...?糞まみれ、汚物まみれになりながら、其処でジッと待って、ターゲットが、その場にしゃがんだら、刃を突き刺すわけです。
トイレは、警備が手薄ですし、愛人宅だったので、油断でしょうね...。
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宮崎鉄雄さんの証言から...
(渡辺平左衛門は)一部始終を目撃していた老女にも会ったというのである。天皇は厠の床下にひそんでいた伊藤博文に、下から突き刺されたという。殺害現場は堀河紀子の家(堀川紀子は岩倉具視の妹)。
1866年12月25日孝明天皇暗殺はまぎれもない事実であり、北朝という一つの王朝の消滅であった。
孝明天皇弑殺は12月24日深夜というが本当は25日の早朝であった。暗殺の立会人となる人物は中山と岩倉の関係者となる。将軍家茂が慶喜と慶永によって毒殺されたあと、孝明天皇は妾の堀川紀子の屋敷の便所で、床下にかくれていた長州の下忍伊藤博聞の忍者刀によって高貴なるお尻をえぐって殺され、その子の睦仁は御所に潜入した長州忍者の猿廻の猿によって手を傷つけられ、岩倉が買収した医者がその手に毒を塗って暗殺した。今やこのことを知る国民は一人もいない。
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しかし、豚みたいな顔の「ドジョウ」総理で、驚いてはいけなかったのですね...
なんてったって、初代の総理大臣は、「糞蟲」という卑劣な暗殺者でしたから....
実はね...、
何故、伊藤博文と岩倉具視が、天皇暗殺と言う大罪を遂行出来たのか?それを、今まで、知られる事なくいられたのか?について、不思議に思うかもしれませんが...
当時としては、十分可能だったのです。
現在の日本では、すべての日本人が天皇を知っていますが...当時は、一般には殆ど知られていない存在だったのです。
天皇を一般に知らしめたのは、明治時代の政府のキャンペーンによるモノだったのです。
あのね、当初、「天皇」という呼び名が、インドの下級仏神の「天王」と間違われて、かなりの誤解をよんだそーです。「牛頭天王」とか...国体明徴論で、現人神(あらひとがみ)と宣伝していましたから...笑い話でなくて、コレ、本当の話なんです。
すり替えを行って、そして、平然と、偽物を「万世一系」と呼ばせていたのです。
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注)...牛頭天王(ごずてんのう)とは、日本の神仏習合における神である。京都東山祇園や播磨国広峰山に鎮座する神であり、蘇民将来説話の武塔天神と同一視された。インドの釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされ、祇園神という祇園信仰の神である