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<防災庁舎県有化>町長「複雑な思いだ」吐露

防災対策庁舎の県有化を検討する姿勢を示した佐藤町長=28日午前9時ごろ、宮城県南三陸町役場

 宮城県の村井嘉浩知事は28日、南三陸町防災対策庁舎の20年間県有化を申し入れた。「原爆ドームも20年かかった」と時間を置く必要性を訴える村井知事の提案を、既に解体方針を打ち出している佐藤仁町長はどう受け止めるのか。被災記憶のシンボルでもある防災庁舎の行く末は、大きな岐路を迎えた。
 会談は町役場で行われた。村井知事は佐藤町長に対し「町だけで解決するのは難しい。(県震災遺構有識者会議が例に挙げた)原爆ドームの保存にも20年かかり、いまは人類の宝となっている」と強調した。
 原爆ドームは保存と解体の両論がある中、1953年に広島県から広島市に譲与された。終戦から21年の66年、広島市議会が保存を要望する決議を行い、保存に向けた工事が始まった。
 報道各社の取材に村井知事は「震災遺構が次々と解体される現状を危ぐしている。後で『なくさなければよかった』とならないよう、今回の提案に至った」と説明した。
 「知事の提案を拒否はしない」。佐藤町長はこう語った上で「複雑な思いだ。防災庁舎で助かったうちの1人が私。この4年間、葛藤の中で過ごしてきた」と吐露した。
 佐藤町長は巨大津波の襲来時、庁舎屋上に避難した。庁舎では43人が犠牲になった。13年9月に解体方針を表明したが、有識者会議の検討対象となることを受け入れ、解体を望む遺族の反発を受けた。
 村井知事の直々の要請にも「悲しみを年数で区切ることはできない」と慎重姿勢を終始崩さなかった。一方で「1960年のチリ地震津波から続けてきた避難訓練だけでは、命を守れなかった現実に突き当たった」と苦しい胸の内を明かした。
 被災記憶を伝える震災遺構をめぐっては、当初国は保存に関与しない考えだったが、1自治体につき1カ所の初期費用負担へ方針を転換した経緯がある。
 佐藤町長は「(解体方針を打ち出した大きな理由の)財政の問題は様変わりしている。段階を踏まえ、最終的に私が決断したい」と話した。


2015年01月29日木曜日

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