ボンタイ

社会、文化、若者論といった論評のブログ

無機質な地方がまた悲劇を生んだ

 また、である。

 宮城県の女子大学生が知人の老婆を殺害した事件。彼女のツイッターのアカウントはいまでも残っており、殺害願望がひたすら書き連ねられている。決して許されることではないが、「人を殺してみたかった」という動機による未成年の殺人事件は近年度々発生している。

 2000年に同じ愛知県で起きた豊川主婦殺人事件、2007年の会津若松母親殺害事件、昨年長崎県佐世保で起きた同級生殺害事件だってそうだ。同じ佐世保では2004年にも似た事件が起きている。

 

 みな地方都市なのだ。

 愛知の女子大生はいまでこそ名古屋と言う3大都市に住んでいるものの、宮城県で育ったそうだ。国道沿いにはチェーン店がきっとたくさん並んでいることだろう。

 

 ファスト風土化する地方都市の最大の問題は、想像力のないまま育ってしまうことにある。

 買い物をする時は親に連れられて車に乗ってドア・ツー・ドアである。国道の歩道には誰も歩いていない。自転車や路線バスで外の空気や人間のにおいを感じながら街に出て、昔ながらの地の利のある商店街を体験することはないのだ。それでも積極的な子どもであれば、同級生と野球をやったりして遊んだりして、人付き合いの濃さに恵まれるものの、こうした事件を起こすタイプは閉じこもりがちだ。家で一人きりでテレビを見たりゲームをやったり、2ちゃんねる的なネットのサイトに平気で染まったり、もっと危ないネット空間に没頭してしまうこともある。昔の伝統家屋と違い自室があてがわれているから、鍵をかければ親に見つかることもなく怪しいことがいくらでもできるのだ。

 

 都市部であれば人口密集地帯だけに人間のつながりがいやでもできてしまう。すると、殺人願望のような異常なことを抱えた人間でも理性がそれを制御するだろうし、人間の尊厳を感じる場面も多いだろう。

 だが、私が見る限り地方のファスト風土育ちのいとこは人付き合いが数人くらいしかなさそうだ。大人になればそれこそつながりが減ることはあっても、増えることはなさそうだ。いわゆるマイルドヤンキーにならなかった人間の生きる世界は恐ろしく小さい。自分の「暴走」に歯止めがかからなくなると、行きつくところまで行ってしまいそうだ。

 

 無機質な地方において社会のつながりが希薄で、極端に異常な癖をとことん突き詰めるような子は、事件を起こさないだけでいくらでもいるだろう。彼ら彼女らをまともに矯正させるためにも、子供会や自治会町内会、学校が積極的に地域の人と交流する機会を作り、必須参加をさせないとダメだと私は強く思う。今の地方は異常なのだ。