J-mail 00313 GPS進入方式


Prevention is better than cure.

「予防は治療にまさる」「薬より養生」「転ばぬ先の杖」


Engineer:n技師、vt画策する GPS進入方式



J-mail 00314 羽田空港の懇談会


Conscience is the voice of the soul.

羽田空港の懇談会→下記URL

http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha04/12/120217_.html



J-mail 00315 画策する


Engineer:n技師、vt画策する

GPSを補助的に使用する進入方式

http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha04/12/120218_2_.html
ご意見他info-mita@recycle-solution.jp



J-mail 00316 埒が明く


埒が明く。

物事がはかどるありさまを言う。「らち」とは馬場の柵のこと。春日大社の祭礼に御輿のまわりに「らち」を作り、翌朝今春大夫がそれをあけて祝詞を読むと、初めて一般人が祭りを見られる。


為替の大波や何処へ?
◆「為替の大波。」
米国は基軸通貨の特権をフルに生かし、過去100年、世界のマネーを仕切ってきた。
 現存する為替レートの記録を200年さかのぼると、米ドルのある流れがわかる。米国は『財政赤字が増大すると3〜5割ドル安』にする。財政赤字が増えたのは、1861年の南北戦争、1914年第一次世界大戦、1929年大恐慌、1939年第二次世界大戦、1960年代のベトナム戦争、1980年代レーガノミクス(双子の赤字)。赤字が膨らむ度に3〜5割通貨を切下げる法則に、この200年間例外はない。
赤字の米国に何故ドル安が都合がいいのか。ポイントは、物の売買も、借金も全て基軸通貨のドルで決済できる。ドル安となれば、米国内で輸入品価格が上昇、相対的に米国産製品が安くなるため、外国製品が敬遠され米国内産業が潤う。更に特筆すべきは、それまでの海外から借金を米国が目減りさせられること。
 現在米国は、ITバブル崩壊、イラク戦など過去最大の財政赤字が見込まれており、今回もその赤字削減のため『米国内製造業援助、借金踏み倒し』のドル切下げ政策に動くことは歴史が証明済み。実際2年程前からその波が顕著で、現在も大きなドル安という流れの真っ只中にある。
◆「米貿易赤字過去最大」
米貿易赤字が過去最大五千億ドルと更新中でGDPの5%を超えようしている。米財政の健全性への不安を増大させ、ドル市場の一段の下落圧力に発展する危惧が高まっている。
米国経済の回復を国内生産だけで賄いきれず、借金して国外から商品、サービスを購入続けている。欧州、日本の景気回復が遅れ米市場への依存度が高いことも赤字拡大の一因。 極大化した米国の双子の赤字の縮小に取り組まないとドル相場の暴落の引き金になるとの懸念は大きくなりつつあり、米国内投資に比べ貯蓄が慢性的に過小なのも大きな問題。
◆「中国、日本等アジアマネーの外貨準備高も過去最大」
中国の外貨準備高は四千億ドルで現在の厳格な外貨管理体制では、国内の通貨量の伸びを抑えることは不可能で、元の切り下げを含めて柔軟な為替相場の形成をしないと「中国経済の過熱」、「将来の相場上昇を見越した投機資金流入」などが危惧される。
日本の今年の外為特会の資金調達枠は百兆円と上限が設定されているが、日本の外貨準備高も昨年五千億ドルであったものが今年は七千億ドルと過去最高に達しよう。うちどれだけが米国国債かは不明だが今年は八兆円を超える評価損が発生しているという。勿論ドル介入によりドル安が進めば、日米の金利差が逆転し損失は拡大しよう。 
中国の元が引き上げられれば、日本や韓国、台湾などの市場介入してきたアジア通貨全体に上昇圧力が強まろう。介入により自国通貨高を押さえて来ただけに人民元上昇を契機に投機筋のアジア通貨買いを仕掛けられる懸念がある。
◆「IMF体制の維持」 
1945年、プレストンウッズ(IMF)体制がスタート、けっして順風満帆ではなかった。ヨーロッパ諸国はドル不足に悩み、為替管理をせずに固定相場での自由化は不可能なため、『ヨーロッパ支払同盟』を設立、取引レベルは同盟国通貨を使い、最終決済のみをドルで行い節約を図った。
1960年頃から、主要国は通貨の交換性を回復し、IMF体制は一応機能した。IMF体制にはトリフィン教授提唱の『トリフィンのジレンマ』と呼ばれる矛盾を内包。
基軸通貨であるためには、
1、アメリカがドルを使い、他国がドルを受け取り、世界中にドルが十分供給されること。
2、ドルの供給増はアメリカの国際収支の赤字を増大させるが、ドルが基軸通貨として信認されるには、米国の国際収支が黒字か、小額赤字の維持が不可欠。
しかしこの矛盾の解消は困難で、ドルは信用低下し、交換性の維持が困難になる宿命に 晒されている。
これは最近の、米国の双子の赤字によるドル売構図と同じで、ドル信認の不案定さは40年前も現在も同じ状態。
その後、当面のドルの危機に対して1、アメリカからの資本流出規制、2、IMFの強 化、3、金の上昇圧力抑制、4、為替市場でのドル売り圧力に対する操作等の対策が講じられた。これらの施策は一応の効果をあげ、ドルの信認は保たれIMF体制の崩壊は免れた。
◆「魂を共有システムか?」
IMF体制を教科書風に書けばすべてうまくことが運ばれているようだが、米国は日本の手を借りずとも、消費を抑制し、赤字を削減し「強いドル」を自分の手で確保する実力は十分ある。しかし、大統領選挙、イラク、イラン、北朝鮮さらにはパレスチナなどの雑音退治に相当のエネルギーが不可欠。現段階で金融の引き締め、経済成長の抑制政策はとれない。ドルの強弱にかかわらず流入する資金を受け入れ、帳尻あわせは別途対応すれば良いという立場。
 欧州は戦後一貫して米国に輸出して稼いだドルは、自国通貨にて交換回収する立場。ドル回避を目的に創出したユーロあるいは、統一通貨として位置つけているだけに、ユーロ高は誇り高く看過すべきと観念している。従って、ドルを本気で買い支える気持ちなど微塵だにない。
 日本は輸出代金のドルを円高を嫌って「ドルの買い支え」てそのまま米国に貸し置いたまま回収の意志もない。フランスのように外貨準備の20〜30%を金で保有しておけば良かったとその時思っても後の祭り。国民の汗と涙の結晶をどうしてくれる! 


J-mail 00317 建設株価


Better short and sweet, than long and lax.
長くて締まりがないのよりも、短くて気の利いたのが良い。


建設株価→添付jpg参照



J-mail 00318 新興工業地域を追い越した中国



「新興工業地域を追い越した中国」
中国経済は、非効率な国有企業の改革に取り組みながら、開放経済体制下に進出した周辺新興工業地域をはじめとする先進国の投資に支えられて発展してきたものである。ここでは、躍進する中国経済が、遂に先行する工業地域に追いつき、抜き去ろうとする実態を数字で追ってみた。
中国本土と中国に隣接する新興工業地域と呼ばれる韓国・台湾・香港との経済力の変化を1995年と2002年の数値で評価すると、中国本土と新興工業地域のGDPの比率は1995年に0.79であったものがその成長力の差により2002年には1.34と逆転してしまった。WTOや今回のG7で指摘されている中国の固定レートの不公平を是正するべく、外貨交換レートを1995年の値に固定したが、その比率は0.94となりほぼ肩を並べたことを示した。
2008年の北京オリンピックと2010年の上海万博に向けて国が総力を挙げて開発を進める中国本土は間違いなく、新興工業地域より高いペースで成長を続け、その差をあけていくことになるだろう。
GDPの比較
単位:ドルは百万米ドル/年度(レート)                                               地域(比較)
1995年のGDP
2002年のGDP
(ドル換算)
(ドル換算)
(1995年のドル換算)
(購買力平価)

中国本土(A)/700,218/ 1,237,139
中国本土(A')/ 1,226,118
中国本土(A'')/ 5,989,000
新興工業3地域(B)/ 888,780 / 921,282
(A/B)/ 0.79 / 1.34
新興工業3地域(B')/ 1,305,126
(A'/B')/: 0.94
新興工業3地域(B'')/ 1,546,000
(A''/B'')/ 3.87

 2002年のGDPを評価する時に、外貨交換レートの代わりに購買力平価を用いて同じく中国本土と周辺新興工業地域を比較すると、中国本土は3.87倍という圧倒的な経済力を有していることがわかる。この数値は、同じく日本を(1.64倍)上回っており、米国の57%に達する経済力に相当する。かって、低賃金労働力による競争力で外国貿易を伸ばした生産力は国内の大きな購買力にも的をしぼっている。このような国際的な経済力の推移が、太平洋をはさんだ国際貿易構造にも変化をもたらすことになった。

購買力平価による中国・日本・米国のGDP

国名/ 2002年のGDP

中国/ 5.989 兆ドル
日本/ 3.651 兆ドル
米国/ 10.45 兆ドル
出典:CIA

注:基本的な経済統計はアジア開発銀行の資料に準拠したが、購買力平価の統計は米国中央情報局(CIA)の資料を参照した。
地域通貨による国(地域)別のGDP     (単位:10億地域通貨)
国(地域)名と通貨

1995年  2002年

年平均伸び率(%)
中国 − 元/ 5,848 / 10,240 / 8.3%
韓国 − ウオン/ 377,350 / 596,381 / 6.8%
台湾 − 台湾ドル/ 7,018 / 9,734 / 4.8%
香港 − 香港ドル/ 1,041 / 1,272 / 2.9%

出典:アジア開発銀行

購買力平価による国(地域)別のGDP        (単位:10億米ドル)
国(地域)名と通貨
2002年
中国 / 5,989.0
韓国 / 941.5
台湾 / 406.0
香港 / 198.5
出典:CIA

米ドル換算レート      (期間平均値)

国(地域)名と通貨
1995年 
2002年

中国 − 元/ 8.351 / 8.277
韓国 − ウオン/ 771.300 / 1,251.100
台湾 − 台湾ドル/ 26.486 / 34.575
香港 − 香港ドル/ 7.736 / 7.799

出典:アジア開発銀行



J-mail 00319 利用のあり方に関する懇談会


Two heads are better than one.

三人寄れば文殊の知恵

Two is company, three is none (or a crowd).

二人なら仲間、三人は仲間割れ(または人ごみ)


第1回当面の羽田空港の望ましい利用のあり方に関する懇談会

http://www.mlit.go.jp/koku/04_outline/08_shingikai/09_surokon/h160220.html

http://www.mlit.go.jp/koku/04_outline/08_shingikai/09_surokon/h160220/shiryou2.pdf



J-mail 00320 貝殻で海を量る


貝殻で海を量る。
(出典;漢書)狭い視野、見聞をもとに、大きな問題を議論したり推量したりすることのたとえ。小さな貝殻で海水を汲み大海の量を量ることから。出典には「管(かん)を持って天を(うかがい)窺い、蠡(れい)をもって海を量り、莚(てい)をもって鐘を叩く」とある。



友人からおもしろいメルマガが送られてきましたので配信させて頂きます。海を活性化しましょう!
海のめるまが   2004年3月号 (第71号)
 日本は「海洋国」だとよく言われますが、海運、造船そして漁業という中での意味合いでなくウォータースポーツの普及を通じて、国民が身近な海に親しむ「海洋国日本」になって欲しいという願いも多いことと思います。
琵琶湖の事故を契機に、ライフジャケットの議論がおきています。滋賀県では条例を改正して着用義務とされる議案を出されました。外国では学校の授業で、プールを使ってライフジャケットの役割や正しい着用について子供に教育をしています。ニュージーランドのウォターセイフティのホームページは次のとおりです。いかに国を挙げて水難から子供を守ることに取り組まれているかが窺い知れます

http://www.watersafety.org.nz/ 

自然を体験し、自然の仕組みを理解して、初めて自然との共生が可能で、それが安全の第一歩だと思います。国土交通省の河川局では、いろいろな取り組みがされているようです。子どもたちの遊びやすい川をつくろう

http://www.mlit.go.jp/river/kankyou/kodomo/index.html

水辺の学校プロジェクト〜子供たちの身近な自然体験の場〜

http://www.mlit.go.jp/river/kankyou/gakkou/index.html  

川で学ぼう「川を総合学習の時間に生かすために」川を「総合的な学習

http://www.kawamanabi.jp/

それでは3月号のはじまり はじまり です。

内容は
1.NPO法人いわてマリンフィールドのニュージーランド視察
2.B&G財団の新しい取り組みなど
3.二度目の世界一周を目指す豪州ヨットが酒田で座礁。支援活動が始まる。
4.沖縄県中城沖でボードセーリング中の事故
5.セイラビリティジャパンからのお知らせです。
6.NHKクローズアップ現代
7.滋賀県は水上安全条例の改正案を議会に提出。
8.日本ウミガメ協議会からのお知らせ。
9.ジェトロのニュース。
10.社団法人日本マリーナ・ビーチ協会創立30周年を記念して論文募集

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1.NPO法人いわてマリンフィールドのニュージーランド視察(岩手日報)

 岩手県立ヨットハーバーの管理運営を受託されているNPO法人岩手マリンフィールド(橋本久夫理事長)がニュージーランドの名門ヨットクラブ「バックランドビーチヨットクラブ」との青少年交流事業を実施。中屋定基宮古市教育長を団長に、宮古市の小・中・高生8人も参加。岩手日報宮古支局の熊谷さんが同行、取材.4部に分けて紹介.
・都市活動の中心  「子供の生きる力養成」
http://www.iwate-np.co.jp/2004kikaku/yotto/yotto1.htm
・変化に富む自然  「レース重ね判断力を養う」
http://www.iwate-np.co.jp/2004kikaku/yotto/yotto2.htm
・異文化と出会う   「伝統尊び心のつながり」

http://www.iwate-np.co.jp/2004kikaku/yotto/yotto3.htm
・挑戦するNPO   「期待乗せ新たな船出」
http://www.iwate-np.co.jp/2004kikaku/yotto/yotto4.htm

NPO法人の理事長橋本さんのお話です。
・・・オークランドは想像していた以上に素晴らしい所。BBYC(バックランドビーチヨットクラブ)の方々から大歓迎を受け、充実した研修を実施。BBYCはニュージーランド国内でもベスト3に入る名門クラブ。現地では6家族がホームスティを受け入れてくれ、子どもたちも特に不自由なく、言葉が分からなくても頑張って、コミュニケーションをとっていました。18日の日曜日には周辺ジュニアクラブが合同で行うレースにも参加。初めてのPクラス、スターリングに中学生、高校生が挑戦し、地元選手達と交流を深めた。子どもたちにとって素晴らしい研修となったようです。
 また私たちは、ウオーターワイズの最高責任者との面会をセットしてもらい、岩手日報の記者とともに取材。・・
2.B&G財団の新しい取り組みなど
 B&G財団では、今年度新規事業の「水に賢いこどもを育む年間活動型プログラム」の一環として、5海洋クラブ(小樽・瀬棚・金沢・伊丹・津屋崎)の代表者・指導者の方たちと2月12日〜18日の日程でニュージーランドを視察。「ウォーターワイズスクール」、「ウォーターセイフティ」そして「ジュニアのセーリングプログラム」などが中心の視察だったとお聞きしています。
 毎年春休みに開催されている客船ふじ丸をチャーターし、小学5年生〜中学生までを対象にした小笠原父島までの5泊6日のクルーズに500名の参加を募集、少し空きがあるとの事です。昨年小生も参加させていただきましたが、子供たちへのケアも充分で楽しいプログラムが満載でした。今回は昨年より父島滞在が1日増えるとも聞いていますので、参加者には素晴らしい思い出が残ることでしょう。クルーズの概要は下記へ。3月10日まで受け付け中。
http://www.bgf.or.jp/about_us/2003/taiken/031125.html

マリンジャーナリスト会議で「MJCマリン賞2004」が決定され、東京国際ボートショーで表彰された中のお一人である、独立行政法人国立室戸少年自然の家の谷健二さんも現在ニュージランドで長期研修中。

3.二度目の世界一周を目指す豪州ヨットが酒田で座礁。支援活動が始まる。

1月24日(土)の早朝、山形県酒田市宮之浦海岸に、デキア・ヘルミ・アーサーさん(オーストラリア国籍・52歳・男性)の自作鉄製ヨット「カムラス(全長9.6m、8トン)が航海中に暴風雪に遭遇し、操船不良の事態に陥り、漂着。彼は平成14年8月にオーストラリアのダーウィンを出港、二度目の世界一周に挑戦中。彼の所持金が極めて小額な事や就労制限があることから、「ヘルミ・アーサーの出航を支援する会」が結成され、資金カンパが開始、福島県セーリング連盟が加盟会員に、一口3000円でのカンパをメールで呼びかけられています。
 ヘルミ・アーサーの出航を支援する会(敬称略)
 会長 齋藤好正 (山形県セーリング連盟会長・酒田市ヨット連盟会長) 
 事務局長 長谷山一郎
 発起人  鈴木高明、阿部敏昭、田賀 弘、大滝利勝、高橋幸雄、田越 誠、草深夏哉、佐藤幸一、菊池 太、
本間 博、進藤 稔、齋藤和久、後藤憲二、大場昭一
 事務局住所 998-0034 酒田市中央西町3−12 長谷山一郎 
 TEL・FAX、0234-26-7323  
 Eメール、 hase-pin@lapis.plala.or.jp
 支援金振り込み先 
 山形しあわせ銀行 酒田支店
 口座名義 アーサーを支援する会 長谷山一郎
 口座番号 040−268647(普通)
4.沖縄県中城沖でボードセーリング中の事故がおきました。
2月22日、琉大生3人が流され、1人が死亡した事故で、亡くなった琉大医学部3年の藤倉久太郎さん(34)=宜野湾市志真志=が、いったん海から上がった後、戻るのが遅れた仲間2人を助けようと、再び海に出て、救命胴衣などを渡した後に自らが事故に遭われたと伝えられています。ご冥福をお祈り申し上げます。
5.セイラビリティジャパンからのお知らせです。
 この団体は健常者でも障害者でも気軽に乗れるユニバーサルデザインとして注目を集めているアクセスディンギーの普及活動に取り組まれています。
「Get your bum wet again」(みんなで仲良くヨットに乗ろうよ!)という小冊子が東京国際ボートショーのアクセスディンギー体験コーナーで配られました。アクセスディンギーの設計者や実際このディンンギーに出会った体験などが掲載されています。この本は山口紀子さん(故小沢吉太郎氏のお嬢様)が翻訳をされ、B&G財団の協力で出版されたものです。イラストは高橋唯美さんです。編集には多門信さんや松本富士也さんが協力されています。セイラビリティジャパンのご好意により「海のめるまが」愛読者に150冊を限度にプレゼントされます。ご希望の方は、180円切手を同封して、下記へお申し込みください。

〒151-0062 東京都渋谷区元代々木町30−8−408
NPOセイラビリティジャパン
西井伸嘉さま 宛て    TEL(03)3481-9788

6.NHKクローズアップ現代
 昨年起きた琵琶湖でのヨット事故の検証がNHKのクローズアップ現代で関西版と全国版の2回放映されたのはご存知のとおりです。全国版で登場された金沢工業大学の増山教授は,現在このような事故を防ぐ為の目安つくりをされておられるそうで、結果がまとまったら、このめるまがに投稿していただけるそうです。
7.滋賀県は昨年琵琶湖で起きたヨットの事故を受け、水上安全条例の改正案を議会に提出。改正案では、プレジャーボートに乗る人への救命胴衣着用の義務化や、酒酔い状態で船を動かすことが禁止されるほか、水上バイク安全講習の5年後の再受講などが柱となっています。違反すると懲役や罰金などが課せられます。改正案には、利用者から「厳しすぎる」との声があったものの、原案のまま議会に提案。滋賀県では7月1日からの施行を目指しています。
8.日本ウミガメ協議会からのお知らせです。
 第15回日本ウミガメ会議は11月12日から14日まで、福岡県・津屋崎町で行なわれます。15回目で初めて日本海側での開催となりました。津屋崎はウミガメの上陸・産卵数は少ないですが、地元のウミガメ団体「恋の浦ウミガメ会」と津屋崎町(全国で初めて自然保護業務のセクションに『ウミガメ課』と命名した)から大変熱心に誘致していただいたことで、津屋崎開催が決まったそうです。
 日本ウミガメ協議会のホームページ
 http://www4.osk.3web.ne.jp/~umigame/
 琉球・サンゴ礁の生物博物館のホームページをご紹介いたします。テーマは海と人とのつながりだそうです。          http://www010.upp.so-net.ne.jp/sanpaku/
9.ジェトロのニュースが伝わってきました。
 上海インターナショナルボートショーのお知らせです。中国から目が離せないということで、皆さんもいかがですか。
 見本市名:China International Boat Show
 会期:2004年3月24日 - 2004年3月27日
 開催地:中国 上海
 出展者数:102

業種:輸送・物流・包装 / 海運、造船、港湾関連機器/輸送・物流・包装 / ボート、ボート用品、各種小型船舶/趣味・教育 / スポーツ(用品・施設)

出展物:ボート,航行用機器,ウインド・サーフィン用具,ダイビング用具,ウェア,エンジン,ジェット・スキー,帆船,マリーナ開発等。
上記見本市の詳細は下記を参照。
http://www5.jetro.go.jp/cgi-bin/mw_mihon_search_jp/onedocument?ArchiveId=1&DocumentNo=1665&UserName=webuser1

10.社団法人日本マリーナ・ビーチ協会創立30周年を記念して論文募集
応募テーマ
『海と地域の新たな文化創造 −マリーナ・ビーチへの期待−』
A.マリーナ部門 :マリーナ文化の発信、利用を通じた地域社会への貢献
B.ビーチ部門  :ビーチ文化の創成、発信、利用を通じた地域社会への貢献
応募締切 平成16年3月31日(当日消印有効).詳細は次をご覧ください。
http://www.mlit.go.jp/kowan/index.html

「海のめるまが」毎月1回発行です。ヨット、カヌー、ライフセービングなどのウォータースポーツに、ウミガメ、クジラ、いるかなどの動物、そして環境などについてのメールマガジンです。ニュースをお持ちの方はご提供ください。

編集人  松田任弘
〒572-0019大阪府寝屋川市三井南町30−5−710
TEL/FAX(072)832-0093 mobile 090-9099-6279
E/Mail t-matsuda@arion.ocn.ne.jp



J-mail 00321 ローマは一日にしてならず


Rome was not built in a day.

ローマは一日にしてならず

第5回航空に関する懇談会2月25日速報

http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha04/12/120226_.html



J-mail 00322 進入表面(再掲)


An expert is a man who has made all the mistakes that can be made, in very narrow field.

専門家とは、非常に狭い分野で、ありとあらゆる失敗を重ねてきた人間のことである。


羽田D滑走路の進入表面(再掲)→添付



J-mail 00323 マリ−ナビ−チ協会論文募集


Saying is one thing and doing another.

言うことと行うこととは別


マリ−ナビ−チ協会論文募集のお知らせ
http://www.jmba.or.jp/
http://www.jmba.or.jp/RONBUN/



J-mail 00324 国旗を掲揚


彼岸がくれば団子を思う。;大事なことをおっ放り出し、気楽なことばかりをこと
のたとえの喩。彼岸がくると、先祖の墓参りや供養のことより、
団子のことばかりが、気になることから。


春分の日には、国旗を掲揚しよう。
今日は、日の丸、君が代の成り立ちと意味について考えてみよう。
<成り立ち>
・701年(大宝元年)の文武天皇の時代に元旦の朝賀(お祝い)に「太陽をかたどっ
た幢と して続日本紀」に記録あり。
・その後、南洋貿易のため朱印船、ご用船に使用される。
・幕末1854年(安政元年)には、日本の総船印として使用される。
・1859年(安政6年)「総船印」から「御国総標」になり、ここでほぼ正式に日本国
旗になったと考えられる
・1870年(明治3年)明治新政府が太政官布告により日本国旗として定め、各国に通
知。
 日の丸」は、平安時代末期から戦国時代に至るまでは、武門の誉れ、正義の印と
して使 われてきた。
・平家物語には屋島合戦で、源氏の武将那須与一が「皆紅(みなくれない)に日出だ
したる 扇」を射る場面が出てくる。
・また、南北朝時代に、後醍醐天皇が笠置山に行幸されたとき、「日の丸」の幟を
使った ことが「太平記」に描かれている。
・幕末、日本の近海には、欧米列強の船が次々と出没してきたころ、薩摩藩主島津
斉彬は 幕府に、外国の船と間違えないように、日本の船の印に「日の丸」をつけた
いと申し出 ており、水戸藩主徳川斉昭もその意見に賛同した。
・しかし、幕府は、源氏の旗であった中黒の旗を使用しましたが、それに対して斉
昭は、 断固として反対し、日本の総印として日の丸が決まった。
・その後日本の正式な旗となり、1859年日米修好通商条約批准交換のため米国に
渡った遣米使節団を歓迎するためにアメリカの街角に日本国の国旗として揚げられ
た。
・このときに、外国でも日の丸が、日本の国旗であることが認識され、更に翌年の
咸臨丸 が太平洋を渡ったときも日の丸を揚げました。
こうして日の丸は内外から日本の旗であるという認識をされるようになった。

<日の丸の意味>
・「日の丸」は、朝日(昇る太陽)を象徴し、円満を意味している。
稲作を中心として国が成り立ち、太陽の恵みに感謝してきた現れと思われる。

エピソード
パラオ共和国という国が、太平洋にあります。ここは、1920年に日本の南洋委任領
統治を承認されてから、太平洋戦争でアメリカに占領されるまで日本の統治下にあ
りま した。
そこでは、ドイツに支配されていた1920年以前とは違い、1922年に南洋庁を日本が
設置してから、日本本土と同一の教育システムを行い、商社や様々な業種の企業が
入り、付近の島々とは断然違う文化水準を持つようになりました。
1989年になりクニオ・ナカムラ大統領の下独立したとき、日本の支配があり 現在が
あると考え、国旗を日の丸に似たデザインを使用しようということになり、青色を
バックとして黄色の円をその中にいれることで南洋の海と太陽をイメージしてつく
られました。
日本の教育を受けた現地の人々は口々にこう言います。
「日本の教育によって、働く喜びを心の中に植え付けることが出来た。しかし、今
のアメリカの教育を受けた人達は、働かず如何に楽に暮らすかしか思ってない。独
立したことは良いが今後どうなるのか心配である。」
ちなみにナカムラ大統領は、新しい歴史教科書をつくる会の会員でもあります。

<君が代の成り立ちと意味>

・「古今和歌集」の賀歌の中の一番にある「読み人知らず」の歌が始まり。
・1869年(明治2年)に、イギリス公使館護衛歩兵隊の軍楽長フェントンが国歌制作
を提案。その後、林広守に作曲し、ドイツ人のエッケルトが編曲。
・1880年(明治13年)の天長節に、明治天皇の前で披露。ここで国歌が誕生
・1888年(明治21年)に総譜が欧米の条約国へ送付公示される。
・1893年(明治26年)に文部省から各学校へ儀式の一番最初に斉唱するよう通達
意味と経緯
”君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで  ”
「君が代」は、天皇の世が続くと言う意味だけでなく、国の繁栄であり、国民の幸
福であるという意味が込められる。
「千代に八千代」は、永遠であり、「さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」は、物の例えとして石に苔がはえるほどの日までということ。

*薩摩藩の大山巌は、新しくつくるよりも、古い歌から選ぶべきと思い、薩摩琵琶
「蓬莱山」の一節にある「君が代」を歌詞にしようと思っていた。その提案が国歌
となった。
「君が代」は、明治前までお祝いの歌として広く歌われており、宴会や舟歌、盆踊
り、村の祭礼など武士、農民、町人を問わず、江戸、京都や南海の離島まで歌われ
る範囲も広いものでありました。


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