Hatena::ブログ(Diary)

生きたくば、死を友にせよ

2008-08-22

死生観における、江戸時代と今

| 09:53

これを学業的な必要に迫られて読んでいる最中なのだが、レポートがどうこうよりも、純粋に興味を持ってしまってちっとも作業が進まない。

いつレポート書くんだ、一体。笑。

ある村の庄屋さんが、自分の身の回りや村の様子を淡々と書き綴った記録を、社会史、生活史の観点から検証している。実に(興味のある人には)意義深い書物である。

とにかく昔はよく人が死ぬことに驚いた。

奇しくも、先日、注目の中、産婦人科医が訴えられた帝王切開術での産婦死亡の一件を、「事件として」しまって、裁判になり、判決が出た。

「無罪」

これをこの庄屋さんに、説明してあげたい。

「はあ?なんでお白州に行ったとですか?」だろうと思う。

実に妊娠、出産に関連して女・子供がよく死んでしまう。

それが普通のことであった。

『母**男子出産ス。子は死ス』

たとえわが子であっても淡々と綴られている。

私も二人の子供を出産した。

医学の進歩によって、何の混乱もなく無事に終えることが出来、現在すくすくと親の背を越して成長している。

有難いことである。

しかし、今でも思い出す。

本能的に、1人の人間の体内にもう1人宿すことが怖かったことを。

10ヶ月もその命を預かって生きていくことが怖かったことを。

太古の昔から繰り返されてきた営みとは知りつつ、こんな狭いところに、もう1人の人間の素が入ってしまった。

毎日毎日少しずつ大きくなっていく。

こんなにでかいものを、いきんで、狭い産道から出さなきゃならない。

生きて帰れるかしら。そもそも産めるのかしら…。

不安の材料は、もっともなものから、馬鹿馬鹿しいものまで、数え始めれば枚挙にいとまがないほど。

あれは死への恐怖や覚悟だったかもしれない。

妊娠・出産というものは死ぬかもしれない大仕事なのだという人間としての本能が、心を騒がせていたのではなかろうか。

医学の進歩は有難いものだ。

出産時の産婦・胎児の死亡率は激減した。

しかしやはり出産とは危険を伴うものなのだ。

産褥期の母にも、生まれたばかりの赤子にも。

江戸時代では、産後、たとえ赤子が生まれてすぐに息を引き取ってしまっても、産婦が生きていることを7日目の夜に祝ったのだそうである。

「まあ赤ん坊は残念だったけど、お母さんだけでも命あってよかったね」という祝いだそうである。

これには本当に驚いた。

ありのままに、命を受け止めている。

ありのままに。

命ですら、ありのままに。

心の大きさ、大らかさを感じないだろうか。


残念ながら、今はそれができない時代だ。

誰かが死んだ。そんな馬鹿な「この時代に***で死ぬなんて」。誰のせいだ。

犯人探しを始める。医師は立場上標的になる。志気が下がる。医師が少なくなる。。。


先日開業医の先生と個人的に話をさせていただく機会に恵まれ、このような話を振ってみた。

「やる気をなくしてしまっているお医者さんが多いそうですね」

「そりゃそうですよ。勤務医なんか燃え尽きてますよ」

「先生、私、お医者さんは命を救うわけじゃないような気がしてるんですよ。快適に生きるために手助けをしてくれる有難い職業なんじゃないかと。だから、死ぬときは死ぬ。違いますかね。救うと思ってるから、死んでしまうと悪者になってしまうわけでしょう」

「そうなんだよね」

「このままじゃ医療は崩壊しますね。私心配してるんです」

と言ったら、この温和な開業医先生、何とおっしゃったと思います?

「いいんじゃない?医療なんて無くなったら無くなったで…」

「は?個人的には困ります(笑)快適に生きるためにお薬飲んでますもの、私…」

「だって、昔は薬草しかなかったんだからさ。それでも生きるときは生きて、死ぬときは死んだんだ」

本当にそんな時代がくるかもしれない、と思いながら、私はよく効く胃薬の行く末を心配していた。


モノが豊富になり、医学は進歩し、豊かになったかのように見える日本。

しかし、「死や運命の受容」に関していえば、心の豊かさはどうか、とつい考えてしまう。

もちろん、件の産婦さんのご冥福を祈らないものではない。

魂が平安であらんことを祈りつつ、意義ある論争への波紋投げかけになる、意義ある死であったと、神妙に手を合わせる気持ちで一杯である。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/metaphysica-0228/20080822/1219366395