10年間、馬鹿になって突っ走った

shosetu致知2015年2月号特集「未来をひらく」より
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“ハードボイルド小説の旗手”として数々のヒット作を生み出す作家・北方謙三さん

かつて新星のように現れ
人気作家街道を駆け上がってきたかのように思われる北方さんですが
実は不遇の時代も長かったといいます

その間も決してペンを手放さず
書き続けることで今日を築いてきました

そんな北方さんが語った
「逆境を乗り越える秘訣」とは…

※対談のお相手は、目も見えない耳も聞こえないという全盲ろうの身でありながら
世界で初めて常勤の大学教授になった
東京大学先端科学技術研究センター教授
福島智さんです


(福島)
北方先生は学生の頃からずっと
小説を書いてこられたんですよね

(北方)
はい最初は純文学といって、自分の心を
えぐり出すような小説を書いていたんですが
20歳の時に文芸誌に載りましてね

編集長から

「君は大江健三郎以来の学生作家だ
頑張れ」

と言われたんです

3作くらい活字になって
自分のことを天才だと思い込んでいました

ところが4作目ぐらいから
一切載せてもらえなくなったんです

書いても書いても突き返される

全部ボツです

5年くらい経つと
天才じゃないかもしれないと思うわけです

だけど俺には才能があるんだと
言い聞かせて書き続ける

さらに5年経つと、もうそのへんの
石っころにしか思えなくなってくる

こうなったら
石っころでも磨けば光るんだと
世間に知らしめるしかないな
と思いながら懸命に書いていましたね

(福島)
北方先生にもそんな時代があったんですね

(北方)
実は18歳の時に肺結核になりましてね

就職はできないだろうから、
小説家になるしかないと思ったんです

結核というのは
小説の世界ではエリートなんですよ

結核文学というのがあるくらいですからね
(笑)

ところが3年半で治ってしまって
文学的なエリートになる道からも
落ちこぼれてしまった

それで肉体労働を始めましてね

月のうち10日間くらい働くと
ひと月分の生活費が稼げるんですよ

ですから10日間肉体労働をして
あとの20日間は書くっていうことを
延々と繰り返してきたんです

(福島)
どんなお仕事をなさっていたのですか

(北方)
あの当時はまだコンテナ船が
あまり発達していなかったので
クレーンで船倉に運ばれた積み荷を
指示されたところに担いでいく仕事とかね

あとはごみ屋さんごみ収集車って
昔は荷台の縁の高いトラックでしてね

ごみの収集場所を回って
ポリバケツの中身をその荷台に積み込んで
夢の島に捨ててくるんです

そういう汚れ仕事は日給がよかったんです

(福島)
お話を伺っていて、いろんな登場人物が
頭に浮かんできました

彼らは先生のそういうご体験から
生み出されるんでしょうね

(北方)
体験というのは、たぶん小説を書く時の
10%ぐらいの核にはなっていると思います

あとはその体験に
いろんな願望や想像力が加わって
小説になっていくんだろうと思いますね

ですから私の20代の10年間というのは、
そういう肉体労働をしながら
ひたすら小説を書き続けたわけですが
その間のボツ原稿が
どのくらいあるかというと
400字詰めの原稿用紙を積み上げて
背丈を越えます

(福島)
はぁ、ものすごい枚数だ!

そういう不遇の時代があったから
その後の創作のエネルギーに
繋がっていったんでしょうね

(北方)
あの10年間はいったい何だったのかと
よく考えるんです

そしてあれは青春だったと思います

青春というのは意味のあることを
成し遂げることじゃないんです

どれだけ馬鹿になれたか
どれだけ純粋で一途になれたか

それがあの背丈を越えるボツ原稿だとしたら
捨てたもんじゃないと思いますね

青春時代に
すべてを完成させようと思っていると
チマチマと小さくまとまった生き方に
なってしまうだろうと思うんです

けれども私は
10年間馬鹿になって突っ走った

転がっては突っ走り、転がっては突っ走り
それの集積が背丈を越えるボツ原稿の山

これはなかなかのものだと思うんですよ

やってる最中はとんでもなかったですけど
(笑)



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