わたしはとにかく句点が嫌いだ
あれを文中に用いることは、文章を作り上げることに対する怠惰だと思っている
一つのことを表現したければ潔く一つの文章を作り上げるべきであり、それを疎かにするようにすました顔で現れる句点をみていると本文の内容にかかわらずそれだけで筆者の底が知れてしまうような気になってしまう
長い文章を、それでいて読みづらくなくすとんと頭に入ってくるようにリズムよくつむぎ出せることが文章力なのではないか
当然表現方法の一つとして否定するわけではなく、ここぞという時に今までの流れの一切を断ち切るようにあらわれる句点の使い方には頭が下がる
わたしが言いたいことは、終わりもしない、変化もしない文章のつながりにあらわれる句点がどうしても許せないということだ
大げさな話をすれば、句点を打つということはその文章の流れに死を与えるものと同意なのだ
その覚悟なく、水気とコシのないそばのようにぶつぶつと途切れ途切れにあらわれる句点を見ていると、ストレスで気が狂いそうになってしまう
自身の文章力に諦めるのではなく、難しいからこそ挑み、そしてその長文を紡ぎきった時の達成感を噛み締めて欲しい
視認性、可読性なんて言葉に躍らされては句点改行の濫立する文章を垂れ流すことを今すぐ省みて、日本語の流暢な美しさが響く文章をつむぐ楽しみを見つめなおして欲しい
そんな怠惰な存在である句点のくせに、ブコメであと一文字足りない時にも一丁前に一文字分カウントされてやがるのだ
わたしにはそれがどうしても許せない