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【芸能・社会】

「波乱万丈の三冠王ですわ」 権藤博さん山口洋子さんをしのぶ

2015年1月29日 紙面から

白い花々で飾られた山口洋子さんの祭壇。手前は、弔辞を読む権藤博さん=東京・虎ノ門で(代表撮影)

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 昨年9月6日に呼吸不全のため77歳で亡くなった直木賞作家で作詞家の山口洋子さんをしのぶ「お別れの会」が28日、東京・港区のホテルオークラ東京で行われ、芸能界やプロ野球関係者ら約300人が出席した。

 コチョウランやバラなど約1200本の白い花で覆われた祭壇中央には、2000年2月19日に東京・駒沢公園近くのカフェで撮影された山口さんの遺影。同年発売の著書「生きていてよかった」の表紙にも使われた写真で、お気に入りの一枚だったという。

 1971年に山口さんが作詞、平尾昌晃さん(77)が作曲した「よこはま・たそがれ」でブレークした歌手の五木ひろし(66)は「『五木ひろし』という名前もつけていただいた生みの親で大恩人。オリコンチャートで1位になったとき、お互いに電話口で涙、涙で、生涯忘れられない思い出です」と振り返った。

 会場では78年に五木が作曲、山口さんが作詞した唯一のコンビ曲「渚の女」(2月25日に再発売)を熱唱。「天国へ行かれても山口先生の作品はずっと歌い続ける」と誓っていた。

 山口さんが経営していた東京・銀座のクラブ「姫」には多くの野球関係者も通った。山口さんと50年以上の付き合いで中日ドラゴンズの選手・コーチも務めた権藤博さん(76)は、弔辞で「クラブ、作家、作詞でトップに立った波瀾(はらん)万丈の三冠王ですわ」と称賛。「『よこはま−』を聴いたとき『モデルはオレか?』と聞いたら、『バカ』と言われた」と懐かしんだ。

 山口さんとの名コンビで数々のヒット曲を送り出した平尾さんは、体調不良のため欠席。歌手の中条きよし(68)が弔辞を代読し「洋子ちゃんは僕の心のどこかにずっといてくれる」と心情をつづった。

山口洋子さんとのエピソードを披露する坂本冬美=東京都内のホテルで

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◆「冬美は化けたね」最高の褒め言葉

 演歌歌手の坂本冬美(47)は、作曲家の猪俣公章さんの内弟子時代から山口さんと親交があったという。1993年に猪俣さんが死去後、追悼アルバムに収録された「流れ星」は、猪俣さんがのこした音源に山口さんが歌詞を付け、坂本が歌った楽曲。「和歌山から出てきた田舎者の私を見て、山口先生は猪俣先生に『この子、大丈夫!?』みたいな会話をされていたと思います。でも、(音楽賞で)新人賞をいただき、『いのちゃん、冬美は化けたね』と最高の褒め言葉をいただきました」と振り返った。

◆星野さん「姉貴のよう」 田淵さん「人生の師」

楽天の星野仙一シニアアドバイザー(68)と、野球解説者の田淵幸一さん(68)が、取材陣に山口さんとの思い出を語った。山口さんが東京・銀座に構えていたクラブ「姫」は、プロ野球選手も御用達だった。田淵さんは「ダイエットしてやせたら、『あんた、魅力ないよ』って言われたり…。人生の師だね。いろんなことを教えてくれた」としみじみ。

故人をしのぶ星野仙一さん田淵幸一さん=東京都内のホテルで

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 星野さんも「ユニホームのまま女性とハグしたのは先生だけ。毎年(キャンプに)来るのが楽しみだった。姉貴のような存在。ずいぶん甘えてましたね」と振り返りながらも「今日はジャイアンツ(のOBが)来てねーな。あれだけ(山口さんに)世話になったのに!」と、“直球”をビシッと決めていた。

 【主な参列者】 五木ひろし、中条きよし、伊集院静、坂本冬美、カルーセル麻紀、林家ペー、デヴィ夫人、林真理子、江夏豊、星野仙一、田淵幸一、山本浩二、権藤博、衣笠祥雄、木戸克彦、川淵三郎 (敬称略、順不同)

 

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