文章を書くのに、たぶんあんまりコツとかない - (チェコ好き)の日記
ここ数日、「文章」の話を各所で読んで面白かったので、遅ればせながら乗っかってみる。
過去の記事では、「文章力」について自分はこんな分類をしておりました。
- 作文力:「ことば」を組み合わせて意味を持つ文章にする
- 語彙・表現力:言葉あるいは文体の多様性、幅広さ
- 構成・編集力:読者目線のわかりやすさ、コンテンツ化
世に出ているハウツー本などで語られているのは、主にこの辺りの要素なんじゃないかと思ってる。多くの人が口を揃えて「読みやすい!」と話すような、共通項としての「文章力」。
けれど、よく耳にする「文章がうまくなりたい!」という欲求に関わってくる「文章力」は、そのような型通りのテンプレートとは異なるものなんじゃないかと思う。しかも、その“うまい”文章というのもどうにも曖昧で、具体的にどういった方向性を目指してのことなのかわからない。
その辺の「文章」に関わる視点について、ちょいと思いついたことをつらつらと。テーマの割には“文章”がガッタガタですが、ご容赦ください。
「巧い」文章と、「美味い」文章
「文章がうまくなりたい!」という欲求がどこかふわふわしていて要領を得ないのは、この“うまい”が何を指しているかが人によってさまざまであるからだと思う。それどころか、言っている本人ですら“うまい文章”が何なのかわかっていないことも少なくないのではないかしら。
この「うまい」という言い回しに関しては、大雑把に分類するなら「巧い」と「美味い」があると僕は考えていて、それぞれ性質は異なるものだと思う。技巧的かつ、わかりやすく読みやすい構成で整えられた「巧さ」と、好き嫌いは分かれるものの、読む人を惹き込み魅了する「美味さ」。
食べ物に統一して考えるなら、前者は誰でも食べられる主食とか、水のようなもの。ちょっと淡白で刺激は足りないけれど、自然にごくごく飲み込めて、喉を通りやすい。
一方で後者は、辛いとか甘いとか酸っぱいとかいろいろあって、それぞれ嫌いな人は寄せ付けないけれど、刺激を持って味わうことのできるもの。硬すぎたり、柔らかすぎたり、そもそも噛みきれなかったりなんてことも。でも、噛めば噛むほど味の出る、楽しむことのできるグルメ感。
自分で“うまい文章”を書こうとするのなら、まずはその「うまさ」の何たるかを説明できないと、にっちもさっちも行かないんじゃないだろうか。明確に「これや!」と語る必要はない――というか語れるなら既にそれを身に付けているのだろう――けれど、なんとなしに方向性を決めておいた方が良いと思う。具体例として「自分の好きな文章」を挙げられれば、参考にしやすいでしょうし。
「巧い文章」が「美味い文章」とはけっして限らない。どれほどわかりやすく素直な文章であっても、書き手の真意が書き手の意図したように読み手に伝わるとは限らない。いや、むしろ「伝わらない」という前提に立って「伝えよう」とする努力こそが、文章のさまざまなテクニックを生み出したのだとさえいえるくらいだ。ぼくたちはあらゆるメッセージを、自分が受け容れたいようにしか受け容れない傾向がある。
「経済的仕事」と「文化的仕事」
少し前から話題になっていた、こちらのQ&A。
村上春樹さんの回答がざっくりし過ぎていたことも手伝って、件の「文章力」の話が盛り上がっていたような印象。でも、この「Q」と「A」がまさに、人それぞれの考える「文章力」の違いによる、意味の噛み合わなさを示しているように感じました。個人の勝手な解釈です。念のため。
私は現在大学院生で、レポートやら、発表する際の原稿やら、教授へのメールや手紙やらなんやらで、とにかくたくさん文章を書かなくてはいけないのですが、なにぶん文章を書くのがとても苦手です。しかしながら書かなければ卒業も出来ず困りますので、仕方なしにうんうんうなりながら書いております。
こちらの学生さんが問題としている「文章」は、“レポートやら、発表する際の原稿やら、教授へのメールや手紙やらなんやら”のこと、どれも割と決められた「型」を持った文章の話であるように読めます。
文章を書くというのは、女の人を口説くのと一緒で、ある程度は練習でうまくなりますが、基本的にはもって生まれたもので決まります。
対する村上さんの回答は、“基本的にはもって生まれたもので決まる”と、ばっさり。このQ&Aを読んだ人が、思わず学生さんに同情したくなる気持ちもわかります。つらい。
村上さんが小説家としての「文章」を念頭に置いてこの問いに答えたのだと仮定すれば、賛否はともかくとして納得できます。「小説」というフォーマットとしての形はあるかもしれないけれど、それは物語にせよ、文体にせよ、表現手法にせよ、基本的には個性を発揮して描き出されるもの。そこに決められた型はないのだろうし、“もって生まれたもの”という側面もあるんだろうな、と。
ただ、それが学生さんの“レポートやら〜”にも当てはまるのかと考えると、疑問が出てくる。確かに、「読んでもらう相手がいる」という点ではいずれも共通するものなので、そういった観点では、学生さんの質問も村上さんの回答も、全く的外れではない筋の通ったやり取りであるようにも見えます。レポートやメールの文章は、言わば相手である「教授を口説く」ようなもの。――でもやっぱり、この両者の比較する文章を“レポート”と“小説”と仮定すると、どうも性質が同じものだとは思えないんですよね……。
そんなことを考えていて思い出したのが、ライターの上阪徹さんの話。「ライターはビジネスライクであるべき」として、どのような思いを持って文章を書いているのかを話しておりました。
「自分が書きたいものを書きたいなら、作家になればいい」と。相手に求められることを理解し、それをそのまま文章として落とし込み、報酬をもらう。作家のような、個性が重要視される「文化的仕事」ではなく、ライターは「経済的仕事」だと考えた方がいい、と勧めておりました。
この話しから先ほどの「文章」について考えると、金銭は発生しないものの、相手とのやり取りで単位などの報酬をもらう学生さんのレポートは、“経済的”な文章であるように見える。自分の書きたいように書くのではなく、相手ありきの言葉を綴り、文章化する作業。
他方、村上さんは言わずもがな。仕事である以上は金銭が発生するけれど、不特定多数を相手にして、個性が重要視される作家さんが書くのは“文化的”な文章ですね。そのまんま。
これらの視点から、一口に「文章」を考えるにしても、文章を書く主体である「自分」の心持ちの違いと、それを読んでもらう「相手」の存在の差異によって、全く性質が変わってくるのが見て取れるんじゃないかと思う。
前者は、特定の「相手」ありきで、その対象から求められるものを文章として落とし込むということから、「自分」という個性は最小限に抑えられる。
後者は、先に「自分」という個性ありきで、不特定多数のさまざまな「相手」に対して文章を届けるために、「自分」が最大限に発揮される。
……うまくまとめられずごちゃごちゃしてしまったけれど、「自分の書く『文章』は基本的に誰かに読まれることが前提となるのだから、その視点を抜きに文章の『うまい』を語ることはできないよね!」という当たり前の話でした、はい。もっかい、再整理。
書いている途中に、「そもそもこれって、まさしく村上さんの書いていた“文化的雪かき*1”の話だけで完結してるんじゃね!?」って思い当たったけど、まいっかー!
「日記」か「メディア」か
僕自身はこうしてブログなんぞを書いている身でありますゆえに、「文章」について考えて行き当たるのもまた、「ブログ」の話なのですが。
「書きたい!」が先にあるブログは「個人の日記」
「伝えたい!」が先にあるブログは「個人メディア」
ブログを大別すると2種類に分けられると個人的には考えていて、「個人」の「書きたい!」がありきの「日記」的なものか、それとも「相手」に「伝えたい!」がありきの「メディア」的なものなのか、という分類でございます。
自分が書きたいこと、話したいことがある。大勢に読んでもらう必要はなくて、関心のある一部の層にでも届けばいい。そのような思いが強いのなら、どちらかと言えば「個性」を重視する「日記」寄りに。
できるだけたくさんの人に伝えたいことがある。積極的に役立つ情報を発信したい。そのためには、個性よりもまず読みやすさやわかりやすさを重視したい。そう考えるのであれば、「読者」を重視する「メディア」寄りに。
もし個人でブログを運営している人が自分に必要な「文章力」を考えようとするのであれば、こういう考え方も良いんじゃないかな、と思います。もちろん、どちらかに振り切る必要はなくて、どの程度のバランスで「文章」と付き合っていくか、というひとつの基準。
自分の場合は、この記事を書きながら、ふと「歯と歯の隙間に挟まる文章を書きたい」と思いました。他のブロガーさんの文章を読むにしても、やたらと個性やらエゴやらが大爆発している「噛めば噛むほどうめえww」という癖のある文体が好きなので、「巧さ」よりは「美味さ」。
けれど、学があるわけでなく、語彙が豊富なわけでもなく、特別な経験もない自分には、あまり「噛めば噛むほど〜」は期待できそうにもない。だから、素直に読んで「美味い!\テーレッテレー/」となる文章よりは、「なんぞこれ?」と引っかかるものを提供できればいいな、と。
基本的に、文章はもぐもぐしていたい。うめえうめえと消費するのも良いけれど、わからない部分や不可解な部分、ツッコミどころのある“隙”のようなものもあって欲しい。そこを自分なりにどう咀嚼し、斟酌するかという作業は楽しいものなので。
欲を言えば、「なんかよくわからないもんが歯に挟まった!」→「もぐもぐ……やっと食えた!まあぼちぼちうまいんじゃないの?」→「……うっ!急に胃が……!>>突然の死<<」くらいの劇物を調理できるようになりたいけれど、それは一流の料理人に限られた技術なのでしょう。後でじわじわと効いてくる、毒のような文章って素敵やねん。
久しぶりに書きたいことを書き連ねてみたら、ごちゃごちゃになってきたので、この辺りで。いろいろな文章、たくさん食べて、もぐもぐしよう。
関連記事:
「文章力」の基本と「表現」を考える(『危険な文章講座』を読んで)