2015-01-28
■[書籍][歴史]『帝国の慰安婦』(朴裕河)を読んでいて引っかかった点
- 作者: 朴裕河
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2014/11/07
- メディア: 単行本
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まだ読了していないので全体に対する感想は別にエントリを立てて述べるとして、読み進めている内にいくつか引っかかった記述の一つを取り急ぎ取り上げたい。
p.94〜p.95
将校や憲兵たちは、兵士の暴力や軽蔑から慰安婦を守る役割をもしていた。慰安所の「規範」でお酒や暴行を禁じていることもその一つだであろう(『政府調査』2ほか)。もちろんそれは次のように、外出を管理する「権力」を持っていたことも示す。しかし、たとえ「二、三ヵ月に一度」程度のものだったとしても(慰安所によってその規定は異なっていたようで慰安婦たちはさまざまに話している)、それは外出や廃業の自由がなかったとするこれまでの考えを翻すものだ。
ここに来てからは時々外出もしました。いつでもできるわけではなくて、位の高い軍人が許可をしてくれると、外に出ることが可能でした。二、三ヵ月に一度出かけたかな。将校たちが行くとき、いっしょに行きました。私たちだけではだめです。軍人といっしょに車に乗って行くのです。(『強制』3、131〜132頁)
外出に許可が必要だった、当人達だけで外出することができなかったという証言がなぜ、外出の自由がなかったとするこれまでの考えを翻す根拠になるのかが(控えめに言っても)よく分からない。朴裕河氏は、本書で元慰安婦たちの証言や千田夏光の著作などを引用しながら「同志的関係」などのレトリックを用いて「慰安婦」像を独自に描写しようと試みている。しかし、その描写は氏のこのような「自由」観をベースにしているのかもしれない。
参考記事:魂を自ら鎖で繋いだ人間には、鎖で繋がれていない程度のことが「自由」に思えるのだろう
他にも気になる点はいくつかあるのだが、後日に別途エントリを立てて取り上げる予定。