帰ってきたジョーカーが振りまく悪夢のような日々。深いアメコミの闇『バットマン:喪われた絆』

posted by Book News 編集:ナガタ / Category: 新刊情報 / Tags: マンガ,

今回は、バットマン:喪われた絆をご紹介します。

いやー、今回の作品の紹介は躊躇します。そもそもアメコミって紹介してもほとんど売れないんですよ。まあそれはさておき。今回ご紹介するこの「喪われた絆」三部作ですが、バットマン最強最凶最狂の悪役ジョーカーが大活躍します。これね、映画『ダークナイト』でジョーカーのファンになった人ならば大喜びだと思うんですよ。でもね、ジョーカーが大活躍するということはどういうことかというと、つまるところ狂気と恐怖がフルスロットルの、サイコパス大爆発の内容になるということです。「悪人であれど、殺しはしない」というバットマンが正気を保って正義のヒーローで在り続けるための挟持に対して挑戦し嘲笑い、必死になってそれを蹂躙しようとするジョーカーの歪みきった「愛」がこれでもかと描かれるわけです。正直、読んでてツラい。

でも正直言ってそれがイイわけですよ。この歪みきった感覚がトコトンまで描かれること、よくそこまで描いた!と喝采を送りたくなる、悪徳の数々。最終的にはハッピーエンドになるのですが、途中から「こんなハッピーエンドはありえない。だってジョーカーはもっと酷いことが出来たはずだから」と合理的に考え始めてしまうと、徐々に描かれている物語が嘘のように思えてきてしまう。辻褄を合わせようと思えば思うほど、ジョーカーの悪辣な行為が、描かれているようなハッピーエンドの余地を残す筈がないとしか考えられなくなる。ジョーカーの魅力というのは、その存在自体がバットマンの、つまるところシリーズの根幹にある正義の脆さ、正義を担う人間の弱さを暴き立てるところにあるのですから。

ちなみに、下に掲載している書影で大写しになってる、包帯でぐるぐる巻きになってるみたいに見えるジョーカーの顔ですが、これ、一度「顔面から顔の皮を剥いで、それを自分で顔に巻きつけてる」という顔です。この表紙だけ見ると、マンガらしくディフォルメされてるのでそんなにグロテスクじゃないんですが、実際にこんなことやってるヤツがいたら心底気持ち悪いと思います。しかもなんでそんなことやってるのか、作中に説明はないし、合理的な理由を考えたところで相手がジョーカーなので普通に考えて分かるはずがないんですよ。普通に考えてもわからないグロテスクなことをよりによって自分の顔に実行してしまう。ジョーカーの顔が作品に登場する度に、「なんでこんな気味の悪いことをしてるのか」「いや、普通に考えたらダメだ」「ジョーカーの狂気をトレースしてみよう」という思考を誘発し、結果的に読者まで狂気に誘われてしまう。ただそこにジョーカーが居るだけなのに、ですよ。ほんとに恐ろしい作品だと思います。

   


バットマンは、ニューヨークをモデルにした犯罪都市ゴッサム・シティの平和を守るために、「バットファミリー」と呼ばれる仲間たちと日夜奮闘しています。バットマンの真の姿であるブルース・ウェインの執事であり幼い頃に父を亡くしたブルースを父代わりに育ててくれたアルフレッド、バットマンのいわば弟子で現在三代目まで代替わりしているロビン、元初代ロビンでいまでは名前を変え独立して戦っている「ナイトウィング」、かつてジョーカーたちによって半身不随にされながらも立ち直って活躍しているバットガールたち。

ジョーカーはそのバットファミリーたちが気に食わない。正義と悪、正気と狂気、というバットマンとジョーカーという美しい二項対立の緊張が、バットファミリーの存在によって乱されているとジョーカーは言います。バットマンは孤独に悪と直面し続けることで、狂気すれすれの研ぎ澄まされた存在だったのに、バットファミリーの形成によって、なんか優しさとか人情みたいな生ぬるい感情に浸っている。つまんない。

これね、実はハードなバットマン読者なら何となく感じてしまう不満でもあるんじゃないかと僕は思うんです。バットマンにはダークヒーローで居て欲しい。彼は孤独であって欲しい。バットファミリーが描かれると、なんか作品世界が生ぬるい感じになってしまう。つまんない、と。ジョーカーは、いわばそんな読者の薄汚れた「感想」を糧に蘇ってしまったのだ、とも読める気がするんです。

今回の「喪われた絆」三部作の第1巻では、バットマンは孤立へと追い立てられます。金と精神力と知性でもって万全を期していた筈のバットマンは、彼の財力と恵まれた環境を象徴するアルフレッドをジョーカーに誘拐されてしまいます。

またジョーカーはほぼ最初からバットファミリーを的にかけることを公言していたため、彼らの安全のためにバットマンはファミリーに身を隠すように指示します。ファミリーはとうぜんバットマンを守りたいから、自分たちも戦いたいと言いますが「これは自分の戦いだ」と言ってバットマンは彼らを遠ざけてしまう。ファミリーはバットマンに対して不満を持つし、何か隠し事をしているのではないかと疑います。この時点で、バットマンをファミリーから遠ざけようというジョーカー(と読者の暗い欲望)の目論見はほぼ実現されてしまう。

こんな物語の構造を読み解いてるだけでは退屈でしょう。ジョーカーの悪行ももっと紹介したほうがいいかも知れません。ジョーカーはバットマンの最大の支持者のひとりで共に悪と戦うゴードン本部長を襲います。まずは彼のオフィス(つまり警察署)に侵入し、ゴードンの部下たちをゴードンの目前で次々と殺害します。ゴードン自身もジョーカーの毒牙にかかる。

バットマンとの因縁の対決を、わざとらしく再演し、最後にはゴッサム・シティの、「バットマン」シリーズ最悪の場所アーカム・アサイラム(精神病院)へとバットマンを「招待」します。おぞましいパーティがそこには用意されていたのです。高圧電流が流れるように仕掛けを施された水のうえで、バットマンとジョーカーの扮装をさせられて数日間踊り続けるように強制された看守たち、暗闇の奥から突如として駆けてくる火を放たれた馬、それらの障害をクリアしたバットマンが到達するのは、ゴッサムの玉座(電気椅子)を取り巻くペンギン、リドラー、トゥーフェイスたち。電気椅子に座らされて電撃を喰らわされたバットマンが目を覚ますと、そこは晩餐会。同席しているのは、顔に血染めの包帯を巻かれたファミリーたち

やー、ほんとうに酷い。晩餐の特別メニューは、ファミリーたちのそれぞれが生きながらにして剥がれた顔の皮なんです。酷い、酷すぎる、狂ってる。最高。最後にはご都合主義でハッピーエンドになるとは言え、ジョーカーさんは明らかにやりすぎです。どこの世界に、ヒーローチームの顔の皮を剥いで料理にして本人たちに喰わせようとする悪役がいるでしょうか。ジョーカーはそういうことをやるヤツなんです。人間の想像力ってほんとに怖い。でもこういうバットマンを読みたかった。

ちなみに三部作の第2巻と第3巻(ジョーカー:喪われた絆 上下)では、キャットウーマン、バットガール、そしてハーレイ・クインといったヒロインたちがジョーカーと対峙します。歴代ロビンその他も活躍します。要は第1巻と平行して展開していたストーリーが描かれているわけです。バットマンの視点とは別のところでジョーカーがどんな悪の活躍をしていたのか。個人的にはゴードンの妻でバットガールの母親を拉致してバットガールに結婚を迫るジョーカーがローラースケートで楽しく走り回るエピソードや、ジョーカーの狂気に魅せられて彼に恋焦がれるハーレイ・クインが直面する可哀想すぎるエピソードが好きです。好きなんですけど、こんなエピソードが好きな自分がちょっとイヤになりました。

なお、ジョーカーが活躍する他のシリーズに、やっぱりアーカム・アサイラムが舞台になり、バットマンが狂気の淵に限りなく近づく(というかほぼ狂気の側に堕ちる)バットマン:アーカム・アサイラムがあります。これは本人もオカルトにどっぷりハマったグラント・モリソンが、アメコミ界のダークサイドの帝王とも言うべきアラン・ムーアの向こうを張って大いに闇の世界を描こうとした傑作のひとつなので是非お手にとってみてほしい魔書。



また、バットマン:キリングジョークも是非。のちのバットガールになるゴードンの娘を襲うエピソードも、毒薬のタンクに落ちてジョーカーが誕生するエピソードも収録されています。そして何より、原作がアラン・ムーアです。表紙もやっぱりジョーカーが大写し。



なお、「バットマン死す!」という衝撃の設定で、彼の葬式を描いたバットマン:ザ・ラスト・エピソードでは、ジョーカーのとんでもない正体が描かれています(ジョーカーの正体には複数の説が混在しており、『ラスト・エピソード』のものはほぼ黙殺されています)。僕はこのエピソードの説がいちばん好きです。





   





【ナガタのプロフィール】

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アメリカ合衆国コネチカット州生まれ。
その後、札幌・千葉・マニラ・東京・京都を転々。現在は関東某県在住。
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