(洋子)我が家です。
下に見えます。
「厳しい寒さが続きます。
まだまだお気持ちの休まらない毎日をお過ごしの事と思います。
体調はいかがですか?」。
竹浦の人々に語りかけるのは…生まれ育ったのは宮城県女川町竹浦地区。
ふるさとなまりで「たげな」です。
東日本大震災で甚大な被害を受けた竹浦。
洋子さんは集落を離れて暮らす人々に向けて新聞で復興の様子を伝えています。
震災前の竹浦は住民の多くが漁業に携わるにぎやかな漁村でした。
今は仮設住宅から通いながら漁を再開しています。
うまいですよ。
ホヤ食べた事あります?
(取材者)ほとんどない。
食べた方がいいわ。
これはね。
ここ私んちです。
いらっしゃい。
根こそぎ奪われたふるさとの暮らし。
この辺が玄関入って茶の間キッチン…。
どうすれば取り戻す事ができるのか。
洋子さんの道しるべとなっているのは竹浦と同じく一度ふるさとを失ったある集落です。
(アナウンサー)「こちら住民の方の姿が見えます。
三差路になっている所に大きく『SOS』と書かれています」。
10年前新潟県を襲った中越地震。
孤立状態に置かれた十二平地区の人々は住み慣れた土地を後にします。
地域のつながりを守り抜きたい。
全世帯で山を下り新たな土地でふるさとを再建したのです。
宮城県女川町の仮設住宅です。
竹浦の人々は今30か所以上に分かれて暮らしています。
どうぞ。
家を出て仙台市で看護師として働く洋子さん。
月に2回ほど家族の住む仮設住宅を訪れています。
洋子さんの母…そして父の誠喜さん。
祖母のとよ子さん91歳。
顔なじみの少ない仮設暮らし。
孫の訪問が何よりの楽しみです。
(2人)えかったな〜。
震災後竹浦には自治体から内陸に移転するプランが示されました。
「もっと住民の気持ちを反映したい」。
父誠喜さんは新潟に向かいました。
訪ねたのは中越地震で被災後自ら集団移転を実現した十二平集落の人々です。
先行きの見えない誠喜さんたちを十二平の人々は笑顔で受け入れました。
どのように集団移転を進めたか移転先の家に泊めてもらい一晩中話をしました。
自分から行動を起こせば納得のいく復興計画は実現できる。
誠喜さんたちは竹浦の高台に集団移転するプランを独自に立案。
ふるさとの再建に踏み出しました。
新潟県小千谷市。
中越地震では人口のおよそ7割が避難を余儀なくされました。
十二平集落は12キロ離れた山の麓に移転しました。
竹浦で新聞を作る鈴木洋子さん。
集団移転に向け集落のつながりを保つヒントを得たいと訪ねてきました。
(俊郎)山から下りてきた人たちが10軒ここへ。
十二平の集団移転を取りまとめた…移転する際に気を配ったのは新しい家の配置です。
人通りの多い場所に高齢者の世帯を置き若い世代が通勤通学の際に様子を見られるようにしました。
移転先でも集落の結び付きを守る工夫です。
おはようございます。
地震直後から山深い十二平を出るか残るか話し合いが重ねられました。
最も大切にしたのは人と人とのつながり。
全員で山を下り第二のふるさとをつくる事を決めました。
移転から8年目。
十二平の人々は山里での暮らしも守り続けています。
野沢菜。
野沢菜?移転先でも山で日課だった野菜作りができるよう家のそばに集落で畑を借りました。
地震前農業と並ぶ産業だった錦鯉の養殖。
地震で鯉のほとんどを失いましたが元の生産量を目指し増やしてきました。
今では海外からも買い付けにやって来ます。
全部?全部。
まとめて。
この鯉はハワイとシカゴに送られます。
移転先から車で30分。
かつて暮らした…集団移転後は危険区域に指定されもう住む事はできません。
しかし住民たちはこの土地から遠ざかった訳ではありません。
集落の中心で咲くアサガオ。
(俊郎)この裏もきれいだぞ。
そっち側から見たのは…。
十二平の空と同じ青。
移転後にみんなで相談して植えました。
毎年地震の起きた10月に満開を迎えます。
今も残る地震の跡。
家を失った夫婦は屋敷跡に庭を造り1日置きに通っています。
春は桜。
秋はコスモス。
季節の花を咲かせます。
4メートルも…?4メートルぐらい降る。
(笑い声)雪が覆い尽くす冬。
ごく細い枝まで冬囲いをして守ります。
住民たちは年に2度全世帯が十二平に集まる日を作りました。
集落の中心に咲いたアサガオ。
秋には花の片づけ。
春には再び苗を植えます。
それ駄目。
駄目んが?本当はこれくらいになった方がいいんだけどね。
真っ黒…。
移転先では少なくなった共同作業。
アサガオは厳しい山の暮らしで育んだつながりを守り続ける決意の証しです。
住民全員で咲かせてきたアサガオの種。
洋子さんたち竹浦の人々にも贈っています。
震災翌年十二平の人々は竹浦を元気づけたいと種を持って訪問しました。
交流の様子を伝える「じょんでぇら通信」。
洋子さんが作る「たげな新聞」のモデルになった新聞です。
じょんでぇらとは十二平のふるさとなまり。
地震後どのように暮らしを取り戻したのか十二平の貴重な記録です。
少しずつ復興が進む竹浦。
その姿をちりぢりに暮らす人々に伝える事でふるさとへの思いをつなぎ止めたいと洋子さんは新聞を作り始めました。
はい。
大体。
そう。
それがすごく…
(俊郎)こんにちは。
いたかい?お邪魔します。
洋子さんが招かれたのは俊郎さんの幼なじみの家です。
とんでもないです。
どうぞどうぞお待ちしてました。
大根2本買うてきたばっかり…。
お邪魔します。
(俊郎)俺大根昨日買ってきたや。
な〜んで買わんたっていいがね。
いやおらんちがちと小さすぎてさ。
大根ならおらったらいっぺえあったがな。
いつもの仲間でのお茶会。
震災前ふるさと竹浦でも毎日目にしていた光景です。
おはようございます。
野菜の出来具合に孫の自慢話。
生まれ育った土地を離れる決断をし守り抜いたつながりです。
私らはほら…何かあった時はまとまって…。
どうでもいい話。
ああそうだね。
(笑い声)1/3ぐらいね。
取り戻したい日常が目の前にありました。
若え人は若え人でまた考えもまたね新たな考えが…。
そう思うよ。
十二平から導くふるさと竹浦の未来。
津波をしのいだコンクリートの壁。
ここに十二平のアサガオを植えました。
水やりに花の手入れ。
仮設住まいの人も手伝いに加わりました。
ふるさとの海の青。
アサガオは竹浦でも集落をつなぎ始めています。
豊かな漁場に64世帯が身を寄せ合った竹浦。
津波で家も船も流されました。
人々は高台を切り開き集団移転する事を決めました。
34世帯が移転を目指します。
神社です。
新聞の取材で訪れたのは人々が集った神社。
失われるふるさと。
失ってはならないふるさと。
竹浦を離れて暮らす一人一人の心をつないでいきます。
これ持ってきたの。
だから…えっ?折んの手伝ってまた。
入れんの。
ああ入れるの。
入れんの手伝って。
いいよ。
新聞を発行して3年。
封筒詰めは祖母とよ子さんが手伝います。
少しずつやんないと。
すごいの。
頑張って一気にやっちゃうから。
竹浦で生まれ育ったとよ子さん。
船乗りの妻そして母として生きてきました。
浜で海の恵みを手にしてきたとよ子さん。
今は新聞作りを手伝いながら竹浦に戻る日を心待ちにしています。
疲れたね。
いや休み休みやんの。
一気にどっとやるがら駄目なんだ。
すごいね頑張り屋さんなんですよ。
一気にこうガ〜ッとやってくれるから。
休み休み〜。
(笑い声)おばあさん連れてきたんだ?うん。
竹浦の港です。
この日とよ子さんが赤ん坊の頃からかわいがってきた漁師が新しく造った船をお披露目すると聞き駆けつけました。
(女性)大丈夫大丈夫。
迷惑かけねえようにと思って来てんだけど。
(女性)かかってないから大丈夫大丈夫。
(男性)どうもどうもお久しぶり。
来た〜!仮設住宅から2時間近くかけてきた人もいます。
あの船だよね?持ち主の漁師はほかの船を手伝いながらようやく自分の船を手に入れました。
・「大正昭和の三代を」・「あらゆる苦難を乗り越えて」・「たどり着いたよたどり着いたよ今の世に」・「女川町の人」震災で3艘まで減った船。
4年かけ30艘がふるさとの海に帰ってきました。
(とよ子)・「何にもいらない」・「若者たちの孫からひとつ」・「強く生きましょ」ふるさとを離れて10年。
それは突然の地震から人々がつながりを糧にどう立ち上がったかという10年でした。
山の神を祀る…地震で埋まった社を集落皆で掘り出しました。
(祝詞をあげる声)人と人の結び付きを選びふるさと十二平を離れた人々。
それでも山が芽吹く頃には再び皆でここに集まり春の祭りをするつもりです。
去年12月。
十二平の集団移転を取りまとめた鈴木俊郎さんが1年ぶりに竹浦を訪れました。
いろいろお世話になりました。
いやいやいろいろとどうも。
洋子さんの父誠喜さんに案内されたのは竹浦の人々が移り住む高台です。
そこへ住んでる時よりこっちの方がいいね。
ものすごくいいです。
家々からは竹浦の海が見渡せます。
地元の建築士が仮設で暮らす住民から要望を聞き計画を立てました。
景色がいいな。
家が建つまでおよそ2年。
第二のふるさとづくりが始まりました。
仮設住宅に新聞を届ける洋子さん。
移転の完了まで続けます。
ばっぱ!いつもの持ってきました〜!すいませんすいません。
いつもすみません。
元気でしょ?
(取材者)お元気ですね。
あそこさ行くまでは元気でね。
そうよそうよ。
そうだそうだ。
本当だよね。
大好きなの。
「今年も一年ありがとうございました。
2015年も変わりゆく竹浦の今を伝え離れていても心がつながる新聞になれたらと思っています」。
多分竹浦ベストビューです。
竹浦の人が思うベストビュー。
ここはもう絶対…絶対のポイントです。
(シャッター音)竹浦の人はお正月はここでも拝むっていうね金比羅様に向かって。
(シャッター音)
(テーマ音楽)2015/01/21(水) 13:05〜13:35
NHKEテレ1大阪
ハートネットTV「ふるさと〜中越地震10年 “東日本”に寄り添って〜」[字][再]
10年前の新潟県中越地震後に集団移転した集落と、4年前の東日本大震災から集団移転を進める宮城県女川町の集落。移転をきっかけに交流を深める両地区の人々を描きます。
詳細情報
番組内容
平成16年の新潟県中越地震から10年。当時全戸でまとまって新たな土地に移転した新潟県小千谷市十二平地区。その経験を東日本大震災後に同じく集団移転への準備を進める宮城県女川町竹浦地区に伝えようと交流が続いています。竹浦の鈴木洋子さんは十二平地区での体験や今は住めなくなった竹浦の様子を新聞にまとめ、仮設住宅で暮らす竹浦の人々に配っています。鈴木さんの視点からふるさとの再建を目指す両地区の姿を描きます。
出演者
【語り】池間昌人
ジャンル :
福祉 – その他
福祉 – 高齢者
福祉 – 障害者
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
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