歴史秘話ヒストリア「あの日から世界は変わった〜リスボン巨大地震の衝撃〜」 2015.01.21


死者は6,000人を超え人々の心に大きな爪痕を残しました。
あの日から今年で20年を迎えます。
現在地震は地球の表面を覆う岩盤のずれが引き起こすものだという事が分かっています。
ところが260年前のヨーロッパでは地震は全く別の原因で起きると考えられていました。
それは…。
今から260年前のヨーロッパ。
ポルトガルの首都を巨大災害が襲いました。
建物を跡形もなく破壊する激震。
襲いかかる大津波。
直後に発生した火災に町は焼き尽くされます。
死者は4万人とも言われヨーロッパの歴史でも最大級の被害を引き起こしました。
傷つき飢えに苦しむ被災者たち。
なぜこのような大災害が起きてしまったのか。
当時の人々は地震を神の罰だと考えました。
神に赦しを請うべくただ祈る事しかできなかった市民の前に救世主が現れます。
時の大臣ポンバル侯爵です。
ポンバルは全く新しい方法でリスボンの再建に取り組みます。
それは科学。
突如町に出現した幅10mを超える大通り。
そして地震対策の切り札は鳥かご?神の罰から科学へ。
人類に一大転換をもたらしたリスボン地震の衝撃と世界最初の耐震都市誕生の物語です。
ようこそ「歴史秘話ヒストリア」へ。
今日は日本を飛び出してポルトガルに来ております。
私の後ろに見えますのが首都・リスボンの町並みです。
赤茶色の屋根が大変かわいらしい家々が続いております。
町の始まりは紀元前にまで遡るとも言われておりまして大層古い歴史を持つ都市です。
とはいえ日本人になじみのないリスボン。
一体どんな町なのか。
まずはリスボンのご紹介から始めましょう。
日本からおよそ1万1,000km。
ヨーロッパの西の端にある港町がポルトガルの首都リスボンです。
「七つの丘の町」と呼ばれるほど起伏に富んだ町並みが広がります。
急な坂道も珍しくありません。
そこで市民の足として欠かせないのがケーブルカー。
これさえあれば楽々です。
こちらは市内のカフェー。
皆さんおいしそうに頬張っているのは…リスボン名物エッグタルト。
元はキリスト教の修道士が作ったお菓子と言われています。
粉砂糖やシナモンをたっぷりかけて頂くのがリスボン流なんだそうです。
目の前に広がる海を通じて世界中から莫大な富がリスボンにもたらされました。
うわ〜大きいですよこれすごい!これは「発見のモニュメント」。
高さ52m。
昔の帆船がモチーフになっています。
大航海時代ポルトガルは世界各地へと船を送り出しました。
モニュメントには当時活躍した航海士たちの像がずらり。
インド航路を発見した…日本にやって来た宣教師…観光客が必ず立ち止まる所があります。
それがこちら。
ほら見て下さい。
世界地図になってますよ。
こちらの世界地図大航海時代にポルトガルの船が到達した場所が到達した年と共に記されています。
ヴァスコ・ダ・ガマがたどりついたインド。
そして中国。
日本はこちらです。
ほら1541年。
これ戦国時代の真っただ中ですよ。
海を制したポルトガル。
その首都リスボンには世界中の貴重な産物が集まりました。
インドからは香辛料。
特にこしょうは大変高価なものとされていました。
そしてブラジルからは金やダイヤモンドなどがもたらされます。
ポルトガルの黄金時代を象徴するのがこちらの建物。
16世紀大航海時代にもたらされた巨万の富で建てられました。
壁や柱を彫刻が埋め尽くす過剰なまでの装飾。
時の国王の名前から「マヌエル様式」と呼ばれています。
ひときわ目を引くのが航海に使われた船や異国で出会った珍しい生き物たち。
こちらはポルトガルの富の源だったこしょうの実。
回廊も南国のヤシの木をイメージしたものだと言われます。
柱ごとにデザインが異なる凝った造り。
まさに海洋帝国ポルトガルの栄華が刻まれた建築物です。
しかしこの修道院を除いて当時のリスボンの繁栄を今に伝えるものはほとんど残されていません。
巨大地震によって破壊されてしまったからです。
(鐘の音)この日はキリスト教の祭日で町じゅうの人が教会に集まり祈りを捧げていました。
(祈る声)
(揺れる音)
(割れる音)次々と崩れ落ちる建物。
町は大混乱に陥ります。
これまでヨーロッパの人たちが経験した事のない大きな揺れでした。
「多くの人々ががれきの下敷きとなって亡くなり逃げ惑う者は神の慈悲を求めた」。
「大地の激震に人々はあらがえず次々と倒れた」。
地震の被害を物語るものが残されています。
こちらの教会上を見上げると…。
あぁ…天井がなくなっていて青空が見えますよ。
激しい揺れに耐えられず屋根が崩れ落ちてしまったのです。
リスボンを襲った巨大地震。
マグニチュードは8.5から9の間だったと考えられています。
東日本大震災とほぼ同じ規模です。
揺れは西ヨーロッパ中に広がりました。
この地震によって発生したのが巨大津波です。
大西洋を横断しはるかカリブ海にまで到達。
各地で大きな被害をもたらしました。
地震によって大混乱に陥ったリスボン。
住民たちは安全な場所を求めて逃げ惑います。
人々が向かった先は河川敷。
そこで人々は不思議な光景を目の当たりにします。
一斉に引いていく川の水。
その直後でした。
(悲鳴)大津波が町を襲ったのです。
「海が来る。
皆さらわれる。
人も船も巨大な渦に皆のみ込まれた」。
人々の苦難はこれだけで終わりませんでした。
こちらの教会天井がところどころ黒く変色しています。
地震の直後教会のろうそくや暖炉から燃え移った火が瞬く間に広がりリスボンの町は火の海と化します。
なぜ火災が短時間で広がったのか?それは町の構造に原因がありました。
こちらの地区は奇跡的に地震の被害を免れ当時の町並みを今に残しています。
通りが狭いですね。
建物が密集している感じです。
すれ違うのも難しい狭い路地。
幅1mほどしかない所も。
人口増加に伴って…激しい揺れ大津波そして火災が重なったリスボン地震。
ヨーロッパの歴史でも最悪の災害になってしまったのです。
やあ諸君お初にお目にかかる。
我が輩はポンバル。
18世紀のポルトガルの宰相今で言う総理大臣であ〜る。
さて恐ろしい地震であるがその仕組みが分かってきたのはつい最近。
それまで世界の人々は地震の原因を実にさまざまに考えていた。
古代インドでは世界は大亀の甲羅に乗ったゾウが支えておりこのゾウが動くと地震が起きると信じられておった。
一方古代のメキシコでは大地を支えるのは大きな柱だ。
そこにゾウ…ではなくてジャガーが来て体をこすりつけた時柱が揺れる。
それが地震だと考えていた。
体がかゆいのかのう。
その方たちの国日本で地震を起こすのはナマズだな。
この絵では江戸の住民が地震の元凶であるナマズを懲らしめておる。
では我が輩の国ポルトガル・リスボンにおける地震の原因は何だったのか…。
次のエピソードをご覧頂こう。
リスボン地震が起きた11月1日は「諸聖人の日」。
カトリックの聖人をたたえる祭日でした。
今もこの日には多くの人が教会に出向きミサに参加します。
皆が神の恩恵に感謝を捧げ神の祝福を受けるはずの日。
その祈りのさなかに起きた大地震を当時の人たちはどう受け止めたのでしょうか。
カトリック修道会イエズス会の聖職者が著した本。
神は怒っておられる。
ひざまずき祈りを捧げよ。
彼らは地震を神による罰だとする「神罰論」を唱え神に赦しを請うため何よりもまず一心不乱に祈りを捧げるよう呼びかけました。
荒廃した家々けが人すらも放置され町は危機的な状態に陥ります。
そんな中一人の人物が立ち上がります。
あ〜!うわっこれは…。
大きい絵ですねえ。
この人物は…壊滅したリスボンの町を救うため不眠不休で対策を講じるポンバルの姿を描いた絵。
当時のイギリスは既に議会制度が整いヨーロッパ屈指の先進国でした。
ここで合理的な考え方を身につけた…地震の当日リスボン市内にいたポンバル。
自らも被災し命を落としかけます。
からくも難を逃れましたが目の前の光景に愕然とします。
心の声神にすがるだけでは助けは得られない。
誰かが立ち上がらなければ…。
しかし肝心の国王や他の大臣の多くはショックのあまり茫然自失の状態でした。
そうした中ポンバルは一人行動を起こします。
日付は11月4日。
地震の僅か3日後。
一体どのような命令を出したのでしょうか。
更にものの値段をつり上げる…これによってようやく市民にパンが出回り当座をしのぐ事ができました。
しかし対策は一向に進みません。
ポンバルは苦渋の決断を下します。
なんと遺体を海に流すよう命じたのです。
建物が倒壊し無人となった住宅街。
この隙を狙って…ここでもポンバルは思い切った方法に出ます。
町の目立つ場所に処刑台を作り罪人を罰したのです。
処罰を恐れた人たちは盗みを働かなくなり治安は守られました。
なんとか急場をしのいだポンバルですがどうにもならない問題を抱えていました。
中でも深刻だったのが建築資材です。
数万の住民が家を失っているのに仮の住まいを建てる事もできないのです。
心の声もうすぐ厳しい冬が来る。
一刻も早く対策を講じなければ…。
その時思わぬ知らせが…。
閣下一大事です!何を慌てている?船が…支援物資を満載した外国船が次々とリスボンに入港しております。
なんと!本当か!突如国外から送られてきた支援物資。
一体何が起きたのか。
それを知る手がかりが残されています。
リスボン地震で被災したフランス人が祖国の家族に宛てた手紙です。
「母さん友達の家も火事ですべて焼けてしまいました。
他からの助けはまったくありません。
けれども僕らは神を信じて待っています」。
一大貿易都市だったリスボンにはイギリスやフランスなどヨーロッパ中から商人や外交官が集まっていました。
彼らが一斉に祖国へ手紙を送り町の惨状を伝えたのです。
こうした手紙に記された地震のニュースは各国の新聞や雑誌に大きく取り上げられます。
ポルトガルの一番の貿易相手国だったイギリスは即座に支援を決定。
食料や靴など生活必需品を届けます。
スペインからは金貨。
ドイツの都市からは仮設テントのための布や木材などが次々と送られてきました。
地震によって一つになった世界。
こうしてポンバルは最大の危機を乗り越える事ができたのです。
さあ当面の問題はなんとかなった。
まずは一安心であ〜る。
ところで我が輩ポンバルは日本での知名度はいまひとつのようだがポルトガルでは大ヒーローだぞ。
町なかには我が輩の堂々たる銅像も建てられてお〜る。
横に従えているのは百獣の王ライオンだ。
強い権力とリーダーシップを表している。
エッヘン!もっとも中には我が輩が独裁的すぎると悪く言う者もおるようだがな。
あっそうそうこの広場も我が輩にちなんで「ポンバル侯爵広場」という。
いつか見物に来るがよかろう。
我が輩はリスボンを地震から立ち直らせるためにさまざまな事に取り組んだ。
その一つがこちら!「ポートワイン」。
普通のワインとはちと違う。
ぶどうの果汁が発酵する途中でブランデーを入れ発酵をストップ。
すると甘くコクのあるワインが出来る。
これがポートワインだ。
見よルビーのごときこの赤。
「ポルトガルの宝石」と呼ばれ18世紀のヨーロッパでは誰もが欲しがる逸品だったのだぞ。
我が輩は地震の明くる年ワイン会社をつくりポートワインの品質向上に取り組んだ。
これでポートワインの名声はますます上がりポルトガルを代表する輸出品の一つにまでなったのだ。
う〜んフルーティな香りと力強い渋味がたまらんのう。
おっといつまでもこうしてはいられん。
リスボンの復興がまだ残っておるでな。
では日本の諸君失礼!地震の翌月…検討された復興プランは主に3つ。
これに当てはまるのはロンドンです。
これを実施したのが中米のパナマです。
そこで住民は…手間も費用もかかるためこれまで大都市では試みられた事がありません。
この3つの中からどれを選ぶべきか。
ポンバルは悩みます。
まずは町を再建する場所。
リスボンは天然の良港でこの場所だったからこそ大航海時代の栄華ももたらされたようなもの。
移転は考えられません。
次に町の形。
そこで残ったのは第3のプランです。
ポンバルは震災前と同じ場所にこれまでとは異なる町つまり災害に対する備えを施した防災都市を建設する道を選びます。
ポンバルが考えた防災の町とはどのようなものだったのか。
都市計画の図面が残されています。
この縦の道横の道がまっすぐ直角に交わっていてこれは京都の町並みのようですよね。
碁盤の目のように整然と区画整理された町の中心部。
古いリスボンの町と比べるとその違いは一目瞭然。
このねらいはいかに火災を防ぐかにありました。
火事が起きた時大通りが火の広がりを断ち切る役割を果たします。
更にポンバルは津波対策にもぬかりありません。
壊れた建物のがれきを利用して土地の高さをかさ上げしました。
現代でも有効な津波への対処法です。
次にポンバルが取り組んだのが個々の建物の建築方法です。
今回の地震では頑丈と考えられていた…どんな構造なら揺れに耐えられるのか徹底的な調査が始まります。
軍隊に非常招集をかけ一斉に足踏みさせます。
その横には建物の模型。
厳しい検証実験の末採用された建物のモデルが市内の大学に残っています。
これは「鳥かご」と呼ばれる建築構造です。
木の骨組みが縦横そして斜めに組まれまさにかごのよう。
バツの形に組まれた木材が耐震性の要となる部分です。
四角形は揺れに弱く変形しやすい形ですが三角形だと極めて安定し形は変わりにくくなります。
四角形の中のバツがさまざまな場所に三角形を作り出し建物の強度を大幅にアップ。
ポンバルは火災への備えも工夫しました。
屋根の上に突き出た白い壁。
これは防火壁です。
燃えにくい材質の壁を仕切りのように建物に通し火が隣に燃え移るのを食い止めます。
ポルトガルだけでなく世界中から技術者や資材を集め新しいリスボンの町づくりが進められました。
こうして生まれ変わったリスボン。
その姿をご覧下さい。
まっすぐに伸びたメインストリート。
幅10mを超える広い通りが火災の拡大を防ぎます。
続いて建物を見てみましょう。
あれを見て下さい。
屋根の上に見える白い出っ張り。
防火壁です。
ポンバルが採用した防火壁は町の至る所で取り入れられ現在も家々を火事から守っています。
建物をよく見ると窓や屋根などデザインがどれも似ている事に気付きます。
実はこれもポンバルが行った工夫の一つ。
石材や柱金具に至るまで…建物の中はどうでしょう。
ああもしやこれが地震対策の鳥かごですかねえ。
こちらはポンバルが初めて大都市の建築に導入した耐震構造。
260年たった今も使われ続けています。
リスボンの再建はうれしい副産物ももたらしました。
それは町のにぎわいです。
大通りには商店が建ち並び商業の中心地として活気にあふれています。
町のあちこちに整備された広場。
緊急時には避難場所として使われますがふだんは市民が集う憩いの場です。
防災と美しさの両方を兼ね備えたこの地区はポンバルをたたえ「バイシャ・ポンバリーナ」ポンバルの下町と名付けられました。
リスボン地震から20年がたった1775年。
式典のあとポンバルが残した言葉です。
世界初の耐震都市としてよみがえったリスボン。
地震に屈しないという強い信念が新たな歴史を切り開いたのです。
今宵の「歴史秘話ヒストリア」。
最後は…そんなお話でお別れです。
リスボン地震の翌年ポンバルはポルトガル中の教会に手紙を送りました。
地震に関する質問状です。
揺れはどれほど続いたのか。
地面に亀裂は入らなかったか。
更に潮位の変化など質問項目は13に上ります。
リスボン地震はヨーロッパの思想にも大きな影響を与えます。
被災したリスボンの様子を知ったフランスの思想家ヴォルテールは地震は神の罰だという主張を否定します。
ドイツの哲学者カントは……と唱えました。
こうした動きはやがて科学の力で地震の予知や防災に取り組む現代の地震学へとつながっていくのです。
建築や科学はもちろん…リスボンの災いから260年。
私たちは再び巨大地震と向き合わなければならない事態に直面しています。
去年11月。
阪神・淡路大震災の研究グループがポルトガルを訪れました。
リスボンの人たちがどのように地震から復興を成し遂げたのか。
当時の人たちの取り組みをもう一度見つめ直す事で私たちが突きつけられている課題への答えを見つけようというのです。
それをほんとにやったんだなと。
世界を大きく変えたリスボン地震。
今震災からの復興を進めようとしている私たちに大きなヒントを投げかけているのかもしれません。
2015/01/21(水) 02:30〜03:13
NHK総合1・神戸
歴史秘話ヒストリア「あの日から世界は変わった〜リスボン巨大地震の衝撃〜」[解][字][再]

古来、地震は「神の罰」だと信じられてきた。その概念を180度変えたのが、260年前のリスボン大地震だ。揺れ・津波・火災で壊滅状態の町で、一人の男が立ち上がった。

詳細情報
番組内容
今から260年前、ポルトガルの首都リスボンを巨大地震が襲った。揺れ、津波、火災が重なり、4万人もの死者を出した。人々が地震を「神の罰」と信じて祈り続ける中、一人の人物が復興のために立ち上がる。ときの大臣ポンバル侯爵だ。ポンバルは「科学」の力で、リスボンを世界初の耐震都市へとよみがえらせる。「神の罰」から「科学」へ!人類の思想に一大転換をもたらしたリスボン地震の衝撃に迫り、「復興」の真の意味を問う。
出演者
【キャスター】渡邊あゆみ

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

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