阪神・淡路大震災20年
こんばんは。
こんばんは。
私たちは今神戸・三宮に程近いNHK神戸放送局前に来ております。
ちょうど目の前に大きな道路があるんですけれどもやっぱり金曜日という事もあって玉木さん結構車の通りもあるみたいですね。
ほんまやね。
しかしですね20年前この辺りは多くの家屋やビルが全壊もしくは半壊して道もがれきで塞がれてたりしてましたね。
当時僕は大阪にいて自宅は大丈夫だったんですけど玉木さんは西宮で被災したんですよね。
そうなんですよ。
僕も当時は26歳やってアパートの1階に寝てたんやけどちょうど2階が僕の上にド〜ンって乗ってきて。
それで天井もここに乗ってた状態。
危機一髪な状況やったんやけど奇跡的にけがもなく2時間後に近所の人に掘り起こしてもらってっていう状況やってん。
近所の人っていうのがいいですね。
でも2時間でまだよかったですけどそれ以上だと命に危険が生じていたと思いますが。
さあ地震が発生した5時46分まであと9時間ほどです。
今日の「バリバラ」はここ神戸からこの20年を振り返ります。
1995年近畿圏に甚大な被害をもたらした阪神・淡路大震災。
多くの障害者たちも被災。
逃げる時また避難生活で大変な困難を強いられた。
その後も日本を襲った数々の災害。
障害者を取り巻く状況は改善されたのだろうか。
今全国で行われているさまざまな取り組みから災害時障害者は命を守るためにどう備えればいいのかを考える。
さあ皆さん今日はここ神戸放送局のスタジオからお送りしております。
それでは早速今日のゲストをご紹介したいと思います。
金田真須美さん。
災害支援団体チーム神戸の代表です。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
金田さんは僕らおかあさんって呼んでますからね。
いつもありがとうございます。
こちらこそ。
金田さんは神戸で被災したあとほとんどの被災地に災害直後から駆けつけて支援活動されてこられましたがこの20年で災害の時の障害者を取り巻く環境というのは変わりましたか?この20年間でそういう人たちがいるんだという理解は多少広がったように思います。
じゃあ抜本的にどういうふうに支援するか具体策はどこの誰が持っているのか。
そういうところはまだまだ見つかっていなくてあまり進展していないようにも思います。
いわゆる防災に対する意識はどうですか?徐々に浸透してると思うんですね。
私が逃げる事は私が考える。
だけど近所に住んでいる障害を持つ方の事をどういうふうに考えているかというところまではまだいけてませんね。
そうした中8年間本番を想定した避難訓練で本当に必要な支援を模索している地域があります。
VTRをご覧下さい。
どうぞ。
去年12月静岡市の小学校で1泊2日の避難訓練が行われた。
参加者は障害者13人を含めておよそ100人。
電気ガス水道を全て止めて行う本番さながらの訓練だ。
今回は地震発生後障害者は避難生活をどうすれば乗り切れるのかを検証する。
まずは要援護者名簿の検証。
障害者や高齢者など災害時に支援が必要な人たちのリストを使って安否確認を行う。
この地域では要援護者名簿は民生委員が持っていて緊急時には活用できるようになっている。
更に要援護者にそれぞれ障害の状態やどういう支援が必要なのかを聞く。
この男性はトイレに行く時の心配を訴えた。
今回の訓練では自宅避難も選択できる。
民生委員が安否確認に向かう。
訪問先の扉に黄色いタオル。
これは一体何?実はこの町内では災害時に無事であれば玄関先に黄色いタオルを結ぶ決まりになっている。
こうすれば何かあった家だけをすぐに捜し出せるという訳だ。
自宅避難をしていた藁科さん親子。
娘の桜子さんは重度の心身障害があり避難所での生活はほぼ不可能だという。
これまで避難所に行けなかった障害者は支援の手から切り離され孤立する事が多かった。
そのため今回民生委員が避難者の要望を聞き取る試みも加えられた。
一旦要望を持ち帰り対応する事になった。
一方避難所では参加者の手で居住スペースの設営が進んでいた。
誰がどこに寝るかはみんなで話し合って決めた。
受付でトイレの相談をしていた視覚障害者の菅さん。
トイレに一番近いテントが割り当てられた。
テントからトイレまでの距離は僅か4m。
誰かに迷惑をかけずに行けそうだ。
体温調整ができないため室温が低い体育館での泊まり込みは不可能と判断。
福祉スペースを利用する事になった。
福祉スペースは一般の避難所での生活が困難な人のために設置するよう自治体などのガイドラインで求められているものだ。
カセットボンベ式のストーブを2台使って体温が下がるのを防ぐ事に。
続いて寝床の設営。
床擦れが出来ないようにエアマットや毛布を使い柔らかい寝床を作る。
5人が2時間かけてようやく完成。
大きな震災とかあったりしたら物資も多分ないだろうしベッド作るだけでも1時間半2時間なんて言ってられないんじゃないかなと思いますんで何ができるんだろうというよりも本当に人手が必要だなと。
菅さんが起きてきた。
何か困った様子だが…。
結局トイレに1人で行く事はできなかった。
一方小久江さんは無事に1晩過ごせたのか?
(取材者)何で寝れなかったの?本番を意識した真剣な避難訓練。
今回もさまざまな課題が浮き彫りになった。
うわ〜!これ何気ないビデオですけどあっそうか当然やんなって。
避難訓練ってただ訓練どうしようじゃなくていろんな課題が見つかってくるっていう事ではとても重要だなと改めて思いましたけどグレースはどう思いますか?私の場合は避難訓練っていうといつも野外に出る避難訓練しかしてこなかったのでこのVTRを見て自宅避難者になる可能性も高いなって思って。
実際医療機器のバッテリーがどれぐらいもつのかとかそういう現実的な自宅避難の訓練もしていかないといけないなと思いました。
不安になるよね。
練習せな。
金田さんいろいろねタオルとかいろんな工夫ありました。
名簿とか…。
でも福祉スペースっていうのはどのようにご覧になりましたか?実際に宮城で支援活動を行っている時にある障害者の行方知れずの方その方を救援するために私はそこに行き着いてそこでかなり規模の大きな避難所運営を始めたんですね。
避難所から福祉避難所というところに行く訳ですけど私はその前段階で福祉スペースっていうのはすごく重要だと思います。
まず重要ですか。
もちろん長期間ではありません。
そこから仮設に行けとかそういう意味ではありませんよ。
一時無理をせずそこにいてあと適切なそれぞれの障害内容病状に応じた行き先が見つかるまではそういったスペースを各避難所ごとに置くのがいいと思います。
それもすぐね。
そうですね。
医療従事者がそういったところをずっと巡回できるようなそのシステムの方が現実的だと思います。
これまで実際にそういうのを作られてきた事があるんですか?それを意図して作ったという訳ではないんですがうちの避難所では重度障害を持った女の子のお部屋が1階は全部津波で大破してますから各教室に避難をしてた訳です。
その教室はすごく穏やかな空間でした。
疲れた人たちがそこにいてちょっとほっとできるのんびりできるようなそういうコンパクトなお部屋で。
そういう考え方で福祉スペースもしくは福祉部屋というかそういうのがすごく現実的。
特に災害直後というのはみんな混乱してるから混乱してる中で私はこうですって言っていくのもなかなか言えなかったりするけどここ福祉スペースよっていうのがあるだけでとりあえずそこに行くんです。
そこにいた誰かがどうなさいましたかっていう事を聞く事ができるから一時的にはという意味合いが大事やと思う。
例えば学校における保健室的な役割ですよね。
そう思うと皆さん理解しやすいかもしれませんよね。
イメージ的に避難所の中の更に避難所っていうか…。
それは必要ですよね。
安心ですよね。
ツイッターも頂いております。
ちょっとご紹介していきましょうか。
字がちっちゃくてすいません本当にね。
そして…先ほども精神障害の方が書き込まれててね音に弱いと。
それが嫌だと言うとわがままに思われるんちゃうかいうのが不安やっていう。
考えれば考えるほど不安材料がありますがそういうスペースがあると…。
よりどころになりますよね。
なるほどね。
さあ障害者はもしもの時のために地域で顔の見える関係を持っておくのが大切大切といわれますけどもこれ簡単じゃないんですよね。
そうですね。
そうした中ここ神戸市である作業所が震災から20年かけて地域の人たちとのネットワークを作り上げてきました。
ご覧下さい。
去年11月。
神戸市長田区で一七市と呼ばれるバザーが開かれた。
いらっしゃいませ〜!パンや雑貨などの出店。
参加しているのは作業所やボランティアグループなど43団体。
小中学生もボランティアでお手伝い。
一七市は震災の年に始まり20年間欠かさず開かれてきた。
始めたのは障害のある子どもを持つ石倉さん夫妻だ。
長田区で作業所のパン屋さんを運営している。
20年前長田区は震災で壊滅的な被害を受けた。
石倉さんの作業所はこの山吉市場の中にあり辛うじて倒壊を免れた。
多くの人が厳しい避難生活を強いられる中メンバーたちはパン作りを再開。
パンの炊き出しで同じ被災者の力になろうと考えた。
当時焼く事ができたのはバターパンだけ。
それを道行く人に振る舞った。
自分たちはこんな事ができるんやっていうね。
震災から10か月後石倉さんは作業所仲間に呼びかけ一七市を始めた。
毎月17日バザーを催すうち市場のほかの店も加わり一七市は地元の人たちに喜ばれるイベントになっていった。
そこからやっぱり市場の人たちの見る目が…ところが震災から3年。
お互い助け合える関係を作ってきた山吉市場が区画整理のため無くなる事になった。
作業所の移転先は住宅街の真ん中。
全く初めての場所で石倉さんとメンバーたちは再出発を図った。
再び地域とつながるため最初にした事は…地元のお店に通う事。
常連客になって自分たちの事を知ってもらうという作戦だ。
今日ランチは豚のショウガ焼きかコロッケ載せカレー。
コロッケカレー!コロッケカレー。
こうちゃんは?僕はええわ。
コ…コ…コロッケカレーでええわ。
コロッケカレーでな。
は〜い。
お店に通い続けて10年以上。
今ではほかのお客さんともすっかり顔なじみだ。
ここでねチョコチョコ…。
ほいでうちお寺と保育園してましてね。
パン屋さん…ねっ?パン売りに私のとこの保育園に。
このごろ何で来てくれてないの?すいません。
また行っていいですか?いやいやうちはいつでも!こうした日頃のつきあいがもしもの時の安心にもつながるのだ。
地域との絆作りは子どもたちにも広がっている。
作業所では17年前から地元の小学生の体験学習を行ってきた。
よう見とってよ。
10回ぐらいか。
それぐらいでいい。
一緒にパンを作る中で障害者も地域の一員である事を子どもたちに知ってもらうのがねらいだ。
体験学習は今では大学生や企業人にまで及ぶ。
その中で新しいつながりも生まれた。
災害ボランティアを行っている大学生のグループだ。
震災以来全国の被災地の支援を行いたいと願ってきた石倉さんはこれまでつながってきた人たちと一緒に災害支援に乗り出した。
地震や台風などの災害がある度に作業所が基地となり被災地へ仲間と支援物資を送り出している。
12月14日作業所では毎年恒例の餅つきが行われた。
仲間の作業所近所に住む子どもたち大学生会社員など100人以上が集まった。
石倉さんは誰もが集まって楽しめる場作りを大切にしてきた。
細く長くつながっていたいなって気持ちはずっとあって…。
今日も2時間近くこうやって電車乗り継いで来たんですけど子どもと…。
あそこに行ったら何かいいな。
何かあそこやったら何かありそうやなとか雰囲気がいいなとか。
何かそういうふうに思える場所がくららべーかりーなんですね。
なのでそれがここまでの大きな…たくさんの人の集まり場所になるんでしょうねきっとね。
顔と顔とを突き合わせた地域の絆作り。
震災から20年。
長田でのネットワーク作りは着実に実を結んでいる。
うわ〜温かいビデオやな。
玉木さんどうでした?今日ねこの番組は震災20年で防災の事とか考えるはずの番組やったんやけどこのくららの取り組みは一切防災とかそんな事は出てなくて。
要は日常のつながりっていうかどうやって双方向っていうかお互いの事を知っていくかっていうような取り組みをしてるっていうのがすごい感動したな。
感動ビデオになってたな。
もう何回もうなずいてウルウルしてるやん。
そうなんよ。
なるほどね。
さあ今日はくららべーかりーの皆さんに来て頂きました。
こんばんは。
石倉さんありがとうございます。
熱いビデオになってました。
うさじいみたいな顔してはりますけど。
石倉さん。
是非ポイントを教えてほしいですね。
地域作りの。
ポイントですか。
そうですね。
やはり作業所を多くの方に知って頂きたいのでパンですからパンの営業を飛び込みで行く。
自分から飛び込んでいくんですか?はい。
それからまた逆にね作業所の方に来て頂いて大勢の方に知って頂くと。
「来て」って言うんですか今度は。
「作業所に来て」って…。
はい逆です。
それから来て頂いた方にですねこの方はどんな事が得意なんやろうかと。
どんな事を知ってるのかそういう探り出してですね作業所の方に応援してもらうような助けてもらうような…。
それがうまいのが僕よりも家内の方なんです。
きょうだいや思たら奥さんでした。
例えばどんな事ですか?例えば歌が上手とかギターも弾いてね歌歌えるって聞いたら「今度イベントするから是非コンサートに来て下さい」とか料理が上手って聞いたら「みんなのお昼作りに来て下さい」とか。
「ついでにちょっと晩ごはんも作って」とか…。
あ〜いいですね。
ちょっと補足すると料理が上手っていう訳ではなくて料理ができると言っただけで包丁を握ってまな板の前に立ってるんですよ。
経験者ですけどね。
親戚みたいですけど金田さんはどうご覧になってました?すごく和やかで自然とおうちの中に溶け込めるような居心地のよさがありますね。
それがどんどん広がっていっているように思いますね。
またそういう関係作っていく上でイベントとか一七市とかねそういうのも大切ですよね。
そうね。
こうしてね人とつながっている事ってもしもの時に本当に安心だなと思いますよね。
どうですかショウちゃん安心ですか?あ…安心です!すいませんいきなり振ってね。
タクヤ君安心ですか?安心です!本当に?本当に安心ね。
でもすごい彼も活躍してましたもんね。
そうですよね本当に。
さあ金田さんこの20年を振り返って今改めて何が求められると思ってらっしゃいますか?今のくららべーかりーさんのVTRなんか拝見してると特に自然だなって…。
等身大なので無理がなく続くっていうところですよね。
どんどんどんどんそれに周りの人が巻き込まれていく。
そういった形で広がっていくっていうのが支援される側からする側にっていうところ。
もっと広がっていくといいなと思います。
それとさっきの喫茶店での事。
お客さんですよねただの喫茶店の。
常連客同士ですよね。
そういった方々が障害を持った方が外へ出る事で関わっていく事が大事ですね。
これ通してずっと言ってんのはやっぱり障害のある人も日頃からちゃんと自分が思ってる事を言えるようになっていかないといけないと思うね。
なるほどね。
まあでも本当にご覧になった方もいろいろ気付いた点があったと思いますけれども何よりもふだんの絆作り一緒にやっていきましょう。
お願いします!それじゃあまた「バリバラ」で。
2015/01/21(水) 00:25〜00:56
NHKEテレ1大阪
バリバラ〜障害者情報バラエティー〜「災害時 障害者はどう備えるか?」[解][字][再]
阪神淡路大震災から20年。大災害で障害者の命を守るには?地域住民と本気で行った一泊避難所生活訓練、20年かけて作った地域ネットワークなど先進的取り組みを紹介。
詳細情報
番組内容
阪神淡路大震災から20年。大災害の時に障害者が直面する数々の課題に、今、全国の障害者たちが向き合っている。静岡ではライフラインを全て止めて体育館で一泊する避難所生活訓練を実行。神戸では20年かけて小規模作業所が障害者と地域が強くつながり合うネットワークを作り上げた。先駆的な取り組みをヒントに、障害者の命を本当に守るために、どう備えればいいのか考える。【ゲスト】金田真須美
出演者
【ゲスト】災害救援団体チーム神戸代表…金田真須美,【出演】大橋グレース,【司会】山本シュウ,【コメンテーター】玉木幸則,【リポーター】大西瞳,【語り】神戸浩
ジャンル :
福祉 – 障害者
情報/ワイドショー – 健康・医療
バラエティ – トークバラエティ
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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