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神姫は戦場にて花開く 作者:花来れん

第一部 華王は戦場にて返り咲く

1-4 名目上の視察にて

 第二階層、南洲。
 そこは、第二階層において最も乾燥した土地だ。冬の寒さも厳しく、夏は暑い。そのため、食物が育ちにくいのが難点だった。
 精霊界は、四季によって寒さや暑さが異なり、またその土地における特徴が作用する。この辺りが天界とはまるで違う点であろう。その点において、精霊界は人間界に近い創りをしていると言える。

 そして南洲そのものが鉱山に囲まれているため、外部からの侵入も容易ではない。
 されど神力の詰まった鉱物との貿易を望み、多くの商人が軒を連ねる場でもあった。現に天界でも、食物との交換物として多く鉱物を売買している。

 そこで問題となるのが、第一階層から第二階層へと降りる方法だ。
 第一階層から第二階層に降りるには、正規の手続きを取り、中央の柱からそこに連なる下層へと降りるのが通例であった。

 そう。普通なら。

 しかし今回は、あくまで秘密裏の視察である。
 そのためふたりは、上空に身を投げ出しながら風の抵抗を受けていた。

「ルゥー! 南洲はあっちだから、あっちに向けて飛んでもらえる?」
「はい、分かりました」

 宙に投げ出された桜姫に恐怖の色はなく、むしろとても楽しそうに笑っている。
 それに気を良くしたルシフェルは、八枚もの翼を広げて桜姫を抱きかかえた。
 そのタイミングで彼女は、指先で何やら空をなぞる。刹那、術式が帯を描いて発動した。
 ふたりを囲うように描かれた文字の帯は、緋色の粒子を放ちながらきらめく。そして数瞬後、ふたりの姿が周りと同化した。

「透化の術式ですか。便利ですね」
「そうねー。ただこれ、使おうとすると二十くらいの術式言語を掛け合わせなくちゃならないのよ。使い勝手は最悪よね」
「二十ですか。凄まじいですね」

 この世にある全てを生み出すのは言語だ。

 桜姫はそう言う。
 しかし、言語はただあるだけでは始まらない。紡ぎ手、歌い手がいるからこそ、そこに旋律が生まれるのだ。

 そして彼女は、この世を形成する最も正しい韻律を知っていた。

 横抱きに抱えられたまま、桜姫は自身の手を見る。左手だ。先ほどルシフェルに握られたほうの手を。

(さっきのはなんだったのかしら)

 そして首を傾げた。先ほどの感覚は、初めてだったからだ。
 未だに手のひらに残る感覚は、温かく心地良かった。熱が移るとでも言えばいいか。初めての体験であったそれを、桜姫はなんなのか知らないのだ。
 そんな彼女を見て、ルシフェルは首を傾げる。

「どうかなさいましたか?」
「いいえ。なんでもないわ」
「左様ですか」

 少しだけ残る温かみを握り締めてから、桜姫はルシフェルに指示を飛ばした。

「ルゥ。南洲の地形を上から見たいから、少し上を回ってくれる?」
「了解しました」

 視察という名義は、嘘ではない。
 しかしそこにあるのは、桜姫個人の知的好奇心と遊び心だ。桜姫は、気になったことをそのままにはしておかない。
 それをよく知っているルシフェルは、ふと疑問を口にする。

「ところで、何が気になってこのようなことをしたのか、聞いても?」
「あら。ルゥ、気になるの?」
「ええ。天界内の揉め事に介入するならまだしも、こちらにまで降りてくるとなりますと、それ相応のものがあるかと」
「……そんな、大したことじゃないのだけど」

 桜姫は指先に髪を絡めながら、ぶつやいた。

「ほら。あとふた月くらいしたら、豊穣祭があるじゃない?」
「はい」
「そしてその前に、神界征服なんていう馬鹿みたいな話が持ち上がった。もしかしなくても、その火種がこちらにも来そうだと思ったのよ」
「……なるほど。そういえば推定される予想のひとつに『女神だから』などという哀れ極まりないものがありましたね」
「ああ、それね。というかむしろ、その理由があったからこそ、南洲を攻めようと思ったのだと思うわよ? あそこは女神という立場を、甘く捉えすぎてるから」
「……度し難いですね」

 本当にね。
 小さくぼやき、桜姫は南洲を見下ろした。風にあおられる髪を押さえつけ、目を細める。

「……やっぱり、周りは硬いわね。鉱山に囲まれてるわ」
「そのようですね。飛行手段がないあちらとしては、ここを越えるのが第一関門となるでしょう」

 神の使い、それが天使。
 そう言われているが、それは真実ではない。
 神は、神界には三種族いるのだ。
 その中で背に翼を持つ者を従えるのは、華神のみである。そしてその手段を与えたのは、桜姫だ。
 翼は、桜姫しか扱えない術式そのものなのだ。

「仕方ないわ。飛行するための手段をどの世界でも通じて持てるのは、天使ルゥたちと華神わたしたちだけだもの。それが大母神エヴェリーゼが決めた、すべての世界に通じる法則ルールよ」

 世界とはそもそも数多あって、その星の数だけ法則があるものだ。その世界ごとの常識が、他の世界で通じないのと同じく。
 その中でも唯一、世界の法則全てを許容する世界。
 それが、天界という場所なのだ。

「空を飛ぶ手段を得た者は、その世界においての上位階級とされる。そしてこの世界においての上位階級は、精霊神たちよ。人神ではないわ」
「そうですね。その辺りが分からないからこそ、人神は愚かなのでしょう」
「だからこそ、すべての世界が欲しくなっちゃったのかもしれないわね。そんな単純な構造で、世界ができてるはずないのに」

 そこでふと、桜姫は口をつぐんだ。何か気になるものを見たためだ。

「……ルゥ。あそこに降りてくれない?」
「あそこ、ですか」

 目的地を指差した桜姫に、ルシフェルは首を傾げる。
 しかしそこを見ると、わずかに目を見開いて頷いた。

「分かりました、降りましょう」

 緩やかに下降するふたりは、鉱山の頂点を穿つ穴の上で停止する。

 覗き込んだ穴は、直径三十メートルはありそうな大穴だった。

 深さは目視だけなためなんとも言えないが、ふたりが判断できるだけでも五十メートル近く掘られている。
 ルシフェルに抱きかかえられたまま、桜姫は穴の先を見通すように目をすがめた。

「こんなところに穴なんて、なかったはずよね?」
「はい。隠密たちによる情報でも、そんなものはひとつたりともありませんでした」
「……そう」

 桜姫が所有する隠密部隊は、非常に優秀だ。たとえどれほど秘匿されている内容であろうが、一週間もあれば内情を知れてしまうのだ。それにも関わらず、このような大穴が知らされていないということはあり得ない。
 そう考えた桜姫は、ここがごくごく最近できたものであると判断した。

 鉱山は豊富な神力が眠る地だ。そして神力とは、神や神に通じる者が持つ、万物に作用する力のことを指し示す。
 つまり、この鉱山そのものが巨大な術式の媒体なのだ。術者は普通その媒体役を、自分自身に置き換えて展開させる。

 その瞬間、桜姫の脳裏に何かがきらめいた。

「なるほど。それなら作れるわね。人工的ならぬ、神工的な火山が」
「……火山? それは……もしや……」
「ええ、おそらく」

 先ほどとは一変、妖艶とも言える笑みを浮かべた桜姫は、唇を舐め取りつぶやく。

「ルゥ。市井に降りましょうか。現地で情報収集しましょう」

 無言で頷くルシフェルを一瞥し、桜姫は微笑んだ。


 ***


 市井は、そこの統治主である朱家の気質と同様に活気があった。
 外からの商人たちに売り込みをするためか、幾つもの露店が並んでいる。季節は春であるが、南洲はまだ寒かった。そのため、実に香ばしくスパイシーな香りがあたりに漂っている。

 そして驚くべきは、その人の数であろう。溢れんばかりの賑わいであった。少なくとも天界では、これほどまでの数が一斉に集まることはほぼないであろう。
 桜姫は旅人のふりをして着込んだ外套のフードを軽く持ち上げ、目を輝かせた。

『ルゥ、ルゥ! すごいわ、こんなにもたくさんいるなんて、びっくりよ!』
『はいはい、落ち着いてくださいね。そんなにはしゃがなくとも、大丈夫ですから』

 念話でやり取りをする桜姫に、ルシフェルも念話で返す。彼も目深にフードをかぶっていた。その翼は今はない。術式そのものである翼は、いつでも消すことができるからだ。しかし大半の天使は天界にいる際、それを隠さずに誇張する。それが彼らの誇りそのものであるためだ。特にルシフェルは、自身が桜姫の神代である、ということへの自尊が強かった。
 するとルシフェルは、フードを持ち上げようとする桜姫の頭を押さえる。

『フードを外すのだけはやめてくださいね。あと、絶対にしゃべらないでください』
『はいはい分かってるわよ、そんなこと。あんまり時間をかけると政務が滞るし、ちゃっちゃとしちゃいましょう』
『ですね』

 なんだかんだ言いつつも視察ということを忘れていない桜姫は、興味深そうに周りを見回した。

『……ふうん。数年前からなんだか排他的になってきたという報告があったけど、本当だったのね。ルゥとしてはどうかしら?』
『そうですね……商人たちが殺気立っているような気がします。商業が盛んな地で、喧嘩を売るような商人がいるとは考えにくいかと』
『そうね。そうなると、まるで売る気がないみたいに見えるものね』

 桜姫としては十二分な数だが、定期的に報告を寄越してくる隠密からの情報と照らし合わせてみると、いかんせん不自然だ。『露店の数が年を追うごとに減っている』『物品におけるやり取りが減少傾向にある』などのいささか不自然な報告ももらっている。

 面白くなってきた、とくすくすと笑う桜姫に、ルシフェルは曖昧な頷きを返す。
 しかし再度無表情になると、彼女は露店のひとつへと足を運んだ。

「おいでやす、嬢ちゃん」

 店主は穏やかそうな男だった。人間の外観年齢で言うなら三十後半、神界の外観年齢で言うなら三百から四百と言ったところか。桜姫が来たことを知ると、店主はにかっと笑顔を浮かべた。曲者が多い南洲でも、珍しいほど純粋な人種だと桜姫は感嘆する。彼女は、嘘というものを音で察する。

 その露店は、食べ物を売っている店だった。串焼きの肉が香ばしい匂いを道中に撒き散らしている。
 桜姫はちょいちょいとルシフェルを引っ張ると、指をひとつ立てた。
 頷いたルシフェルは、愛想の良い笑みを浮かべて串焼きを頼む。

「すみません、串焼きを一本」
「おおきにい、にいちゃん。そちらの嬢ちゃんはお連れさんかい?」
「ええ。彼女、声が出せないので。食べ物を頼むだけでも一苦労なんです」
「せやったんか……若そうなのに大変そうやなあ。でもこんな逞しいあんちゃんがおるんや。その点は安心やな! ところでお二人さん、ここには旅行なんか?」
「はい。旅行に行くなら南洲がいいと、知り合いが教えてくれたものでして」

 串焼きにタレをつけ、店主は気前良く炙り直してくれる。しかもおまけと言い、二本分の串を渡してくれた。
 それを受け取りながら、ルシフェルは金を出す。しかも、二本分など目ではない金をだ。
 それを見た店主は、苦笑しつつも声をひそめた。

「で、あんちゃん。あんた何が知りたいん?」
「ええ。南洲にしばらく滞在するつもりなのですが、ここ最近物騒ではないですか。ですから、出るならどのくらいがいいか、ということを聞きたいのです」

 ルシフェルは串の片方を桜姫に差し出すと、店主と向き直る。それを端のほうで眺めつつ、桜姫は串焼きを頬張った。香辛料がたくさん使われたタレはピリ辛く、美味しい。肉が少し焦げたところも香ばしかった。

 今夜はピリ辛い料理を作ってもらおうかしら、と物思いにふける彼女を置いて、ルシフェルと店主は話を続けている。

「確かに、そこんとこは気になるわな。なら、悪いことは言わん。今直ぐ出て行ったほうがええ」
「……そうですか。訳を聞いても?」

 金ならまだ出しますよ、とでも言うように、ルシフェルは通貨の入った袋を鳴らす。それを見て、店主は困ったような顔をした。しかし気前が良いらしく、頭を掻きながらも答えてくれる。

「そろそろ閉鎖するんよ、南洲」
「それは、南洲そのものが外部との交流を断つ、ということですか?」
「せや。なんや、うちの頭おるやろ? あんかたが決めたそうや。最近貿易が減ってきとるのもそのせいや。まぁ、わしらも麗鸞さんには何かと世話になっとるしな。言うこと聞いといたほうが安全なんよ」
「なるほど。女神にして、この南洲をまとめ上げているだけありますね」
「せやろ? べっぴんさんなんやで。まぁ、あんちゃんは嬢ちゃんいるから、んなもん目に入らんか」
「ええ、そうですね。彼女さえいれば、俺は何もいりませんよ」

 それを聞いた桜姫は、困ったように首を傾けた。何やら話があらぬ方へと向かっているらしい。
 それに気付いたルシフェルは、少しだけ笑った。
 その台詞を聞き、店主はカラカラと笑う。

「なんや、ええ男やなあ、自分。なら悪いことは言わん。あんちゃん、嬢ちゃんがほんまに大事やったら、こっから早めに出たほうがええ。出れんくなったら困るやろ?」
「そうですね、気をつけます。良い情報ありがとうございました」

 串焼きを頬張りつつ、ルシフェルは軽い会釈をした。
 すると店主は「まいど、おおきにい」と手を振ってくれた。
 それを背に、ふたりははぐれないようにと手を繋ぎ歩く。はたから見たらそれは、恋人のそれだった。
 しかしそれに気付かなかった桜姫は、ルシフェルからの問いかけに笑顔を浮かべる。

『……どうですか、サキ。満足いく情報は得られました?』
『ええ、ばっちり。さすがルゥよ、良い方法選ぶわね』

 食べ終えた串をくるりくるりと回す桜姫は、ルシフェルの手腕に微笑んだ。

 まず第一に良かった点は、桜姫の設定を上手く活用した点だ。彼女であり、しかもその子は声が出せない。そうくれば、誰であっても多少同情するであろう。
 そして串とともに金を渡したのも強みだ。

 南洲は商人の集まりだ。そしてその商売には、物品だけでなく情報なども含まれている。情報単体を欲したのなら、店主としても渋るだろう。しかしルシフェルは、串焼き代とともにカモフラージュする形で情報料を支払ったのだ。

 何より効いたのは、桜姫が実に美味しそうに串焼きを食べていた点かもしれない。

『それにしても……一万年前に終わったと思ったのに、彼らはまた同じことを繰り返そうとするのね』

 桜姫は町並みを眺めながら呟いた。それは、二千年戦争時にも同様に領土侵略に乗り出した、人神らに向けられた言葉だ。
 平和な世の中を壊そうとするその行動が、桜姫は理解できなかったからだ。
 するとルシフェルは、少し考えるようなそぶりを見せた後、目線を上げる。

『人の多くは、争いごとを繰り返すと聞きます。彼らはおそらく、何度でも忘れて繰り返す種族なのでしょう。何が得策かなんて、関係ないのではないかと』
『そう。争いがあるからこそ、成り立っているのかもしれないわね』

 しかしそれとこれとは話が別だ。桜姫はこれから起こるであろうことを思い浮かべ、嫌そうな顔をする。それと同時に握られていた手が強くなったことを、ルシフェルは疑問に思った。

『どちらにしても……こちらに火の粉が降りかかってこないと良いのだけれど』

 ぽつりとこぼした桜姫だったが、その言葉には諦めのようなものが滲んでいた。
 ふと見上げた空は、目が痛くなるほどの青色に染まっている。
 人ごみに押しつぶされながら、桜姫は小さく吐息を漏らした。
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