https://twitter.com/obakemogura
なんでここまで岡田斗司夫にこだわるのかという不思議さが面白い。 http://t.co/8hE4VIg232
会った事も無くて、すべて妄想の域らしいのに、他人の人生の目的を語るとか、スゴイ。 もはや文芸やで。>直接逢って人柄をたしかめたわけではないので、あくまで以下に書くことはぼくの妄想という域を出るものではありません。「こういう人なんじゃないかなあ」という推測でしかない http://t.co/mDXjJtx25d
それ以前にも、無関係の話題で、岡田斗司夫の問題について特に言うべきことは無いみたいなことを書きつつ、書いていたりして。下世話な話題だと言いつつ、書きたくて仕方がない感じが伝わってきたんですが・・・しかし凄い情熱だなあ。
この辺の感覚はまったく理解できないが、上の世代にそんなに関心持つものなのか??>ぼくが岡田さんのことを興味深く追いかけて来たのは、かれが「上の世代のオタク」だからです。つまり岡田斗司夫はぼくにとって行動の規範となる人のひとりであったのです。
オタク世代論なんてのが話題になってたのなんて、えらく大昔だったよなあ…。
「オタク世代論」でググっても2007年頃だから、ネットでは大過去だよなあ。あんなのは、若者がおっさんを批判する典型的な世代論のオタク版にすぎない、と勝手に思ってたんだが、今なおそういう文脈に拘り続けている人もいるのか。
あのおじさんが今何してるかはよく知らないけど、TLとか、ネット上の視界に「あのおじさんに執着してる人」が含まれてて、そういう人がたまに騒いでるのが見てて面白い。ある種のオタクにとっての中年アイドルみたいなもんなんでしょうか?
以下に書くことは直接海燕さんに逢って人柄をたしかめたわけではないので、あくまで以下に書くことはぼくの妄想という域を出るものではありません。「こういう人なんじゃないかなあ」という推測でしかない。
「推測でしかありません」「妄想でしかありません」こう書けば海燕さん的には何を書いても許されることになっているらしいので私も上記の言い分を元に海燕さんの人生の目的を推測してみます。
あくまで推測です。海燕さんが岡田斗司夫さんにそうしたように、あくまで推測です。推測だから許されるのです。海燕さん的にはそういうことになっているのです。
でははじめます。
海燕さんが岡田斗司夫にここまで執着するのか、なぜここまで執拗に彼を貶めなければいけないのか。
大抵の場合、ろくに知りもしない他人の内心を邪推する時、その邪推の根拠は、その人本人ではなく、批判している人間の中に答えがあります。
つまり、海燕さんが岡田斗司夫さんについてその内心をおしはかるをする時、その推測のもとは、海燕さんがどういう人間であるか、にかかっています。
海燕さんにとって岡田斗司夫が、他人を笑いとばすことによって認めてもらいたがりの人間に見えるということは、海燕さん自身が、そういう人間なのです。
つまり、海燕さんが岡田斗司夫さんを苛烈に陥れようとする理由は、
彼がいままで岡田斗司夫の提唱するオタクのロールモデルにのっかかって他人に対してマウントポジションを取り続けてきたからです(断言)
何かを笑い飛ばすことによって、間接的にその存在より上に行く。そして「偉い」「賢い」「強い」「大人の」自己イメージを周囲から認めてもらう。それが目的だったのではないか。
こう書いた、海燕さんの人生の目的こそが、「偉い」「賢い」「強い」「大人の」自己イメージを周囲から認めてもらう、だったのではないか。 そう推測されます。
究極的には「だれよりも賢くて偉い自分」というセルフイメージを確立したかったのではないかと思うのだけれど、まあ、はっきりとはわかりません。
海燕さんは究極的には「だれよりも賢くて偉い自分」というセルフイメージを確立したかったのではないかと思うのだけれど、まあ、はっきりとはわかりません。
ただ、海燕さんが、岡田斗司夫ほど露骨ではないものの、たくさんたくさん言い訳や自己正当化をしつつもひとの悪口をいうのが大好きだったことはいくらでも証拠があります。
http://ch.nicovideo.jp/cayenne3030/blomaga/ar197249
「オタクにとっての「教養」は崩壊した。次は「常識」がなくなるだろう。」なる記事を無自覚に投げつけてみたり、
http://ukdata.blog38.fc2.com/blog-entry-2330.html
ラノベや文芸に詳しい自負があるからか、自分が理解できないなろうなどについては大して数も読んでないのにやたら上から目線で批評している記事が見受けられます。
自分はオタクであることにこだわりがないと自己申告は繰り返し行うものの、自分こそが正当なオタクであるという気持ちが駄々漏れになっているのではないかと推測されます。
上で岡本さんが言うように、いまさらオタク世代論なんか口にする人なんてほとんどいないのに、未だにその枠組を口に出さずにはおれないあたり、
自らがオタクの上流階級にいるという意識から逃れることが出来ていないと推測されます。
とにかく、海燕さんはオタクであることに今更特権意識を持っている化石種のような内面を持ち続けていると推測されます。
そして、それは、岡田斗司夫がひいたレールなのです。
にも関わらず、岡田斗司夫が無様な形で失脚してしまったことで破綻してしまった。
そこで海燕さんは彼から距離を取ることを余儀なくされてしまった。早急に別のモデルを打ちたて、自分は岡田斗司夫とは違う路線の存在だとアピールする必要が出てきた。
以下は海燕さんが岡田斗司夫を貶めるためにこしらえたロジックです。
ロジックはあきらかにおかしいわけですが、とにかくこういう発言は「クリエイターの人格的奇妙さ、未熟さ」を強調するところに目的があったんじゃないかとぼくは思います。
クリエイティヴな才能では勝てないから相手の人格的問題を標的にするわけですね。この場合は、ほとんど捏造といっていいんじゃないかと思うわけなんですけれど。
海燕さんの記事の後半のロジックはあきらかにおかしいわけですが、とにかくこの記事は「岡田斗司夫の人格的奇妙さ、未熟さ」を強調するところに目的があったんじゃないかとぼくは思います。
クリエイティブな才能では岡田斗司夫には勝てないから岡田斗司夫の人格的問題を標的にするわけですね。この場合はほとんど捏造と言っていいんじゃないかと思うわけなんですけれど。
よく読んでみると、庵野さん本人が「自分は菜食主義者だ」といっているわけではなく、
岡田さんが「それは菜食主義者でしょ」と決めて、その上で「ぜんぜん菜食主義とちゃう」と否定していることがわかります。
そして、なぜか「一番ひどい」ことになってしまう。
よく読んでみると、岡田斗司夫さん自身が人生の目的は「他人の上に立つことだ」といっているわけではなく、
海燕さんが「それは他人の上にたつことが人生の目的だったんでしょ」と勝手に決めつけて、その上で「そんなん全然いいひと戦略とちゃう」と否定していることがわかります。
そして、なぜか「一番ひどい」ことになってしまう。
で、特に強烈なオリジナリティを持っていない岡田さんがそういう人たちより上に立とうとする時に必要になるのが、「成熟した大人」という虚像だったのではないかな
で、特に強烈なオリジナリティを持っていない海燕さんが岡田斗司夫より上にたとうとするときに必要になるのが、……提示されていませんね。
岡田斗司夫と違って、それを提示できてないから、ただ岡田斗司夫を貶めるだけにとどまっている当たり、才能の差が存在するのではないかと推測できます。これは私の妄想に過ぎません。
…………みたいな?
書きながら、我ながらよくもまぁこんなにムセキニンなことを書けるなとツッコミたい。
私はいま本人の事を良くも知らずに適当な書いてることを自覚していますが、海燕さんが書いてるのってこういうムセキニンで適当な話にすぎないですよね。
そして、私なんかは、今、海燕さんにとても失礼なことを書いていると感じています。
一方、海燕さんは、そういうムセキニンなことを「妄想にすぎない」「推測です」っていいわけさえすればそれで済むと考えているのではないかと文面から推測できます。
それどころか、そもそも自分の行為がとてつもなく失礼で下衆の極みであるという認識すら持っていないのかもしれないとも推測できます。
これはもちろん妄想にすぎないことは言うまでもありません。
そしてこれはあくまで推測にすぎませんが、心底気持ち悪いと感じます。"うみねこのなく頃に"における古戸エリカを思い出す行為です。
物語の人物ならともかく実在の人物がこういう古戸ヱリカ的思考を実在の人物に向けていると考えているだけでも気持ち悪いのにそれをなんのためらいもなく提示してくる海燕さん。
人の心を傷つける刃物を持った人間が、その刃物の恐ろしさを知らずに振り回しながらまちなかを歩いているようです。
私ははてなブックマークやtwitterでよく見る罵声より、こういう他人の内心を勝手に妄想して勝手に決めつけて文章として発表してくるような人のほうがはるかに心を傷つけられるとかんじるのですが
海燕さん的には自分の記事は全く問題ないとでも思っているのではないかと推測できます。 それって怖いなぁ。本当に怖い。
それにしても、海燕さんはどうしてこういう気持ち悪いことができるのかも妄想してみたいと思います。もちろん推測に過ぎません。
さて以下は私の妄想にすぎないのですが、海燕さんは対人距離感が致命的に破綻していると推測できます。
物語の登場人物と実際の人間の区別がつかないのではないでしょうか。
普通の人間だったら、物語の登場人物ならともかく、実在の人物にそれやったら失礼だろうってことを平気で言うのは、なぜなのでしょう。
ブロマガを読むと、現実においては海燕さんは家族と、自分のシンパくらいしかまともに人間と接していないそうです。
自分と意見が異なる、自分の思い通りにならない人間と接する機会が無いということかもしれません。
だから、今まで彼は他人を他人として認識することすら学ぶことが出来なかったのではないかと推測できます。
…あーもう無理。限界。 書いてる自分が心底胸糞悪い。 とてもじゃないけど海燕さんのような熱量と全能感に満たされたまま書ききるのは私には無理でした。
こんな気持ち悪い記事を堂々と胸を張って書ける海燕さんは天才だと推測できます。これは私の妄想に過ぎません。
http://ch.nicovideo.jp/cayenne3030/blomaga/ar715283
http://ch.nicovideo.jp/cayenne3030/blomaga/ar716381
こんなに人間の気持ち悪さが凝縮された記事はめったに見れるものではないので、ぜひみなさんも課金して読んでみましょう(宣伝)