08/03/12
射日神話 HP
太陽信仰は太陽エネルギーの表す諸相と人間の心の共鳴の諸現象であるから、射日神話やアマタラス神話を学んでも太陽信仰を理解しえない。しかしながら、東アジア・モンゴロイドに特徴的な神話であるので十分の注意を持って勉強する必要がある。射日神話は新石器時代のかなり古くから存在したらしく、狩猟生活時代には高温な気候は好まれず、涼しい気候を希求する気持が射日神話を生み出したのであろう。時代が下り太陽信仰を持つ氏族間の統一の争いが起こると、射日神話は二つ三つではなく多数の太陽を射を落とす国家統一の過程を示すものに代わった。
★オビシャ神事[古田武彦]・・・太陽の中に「三本足の烏」を描いた的を射貫く祭である。「古代史の未来」によると、この神事はアムール川流域のウリチ族の「空の三つの太陽のうち二つを男女が一つずつ石を投げて落とした」という神話に関連していて、当時縄文文化の古層を形成していた関東地方、ことに北総を中心としてこの神事が行われている。その神事が中国に伝播して「春秋」や「馬王堆墓」の絵等に影響を与えた。
オビシャ神事 暘谷
関東地方は古東京湾を囲んで温泉と黒曜石の産地があり『<書経>帝尭は義仲に嵎夷(東方の九夷の住む土地)に宅するを命じて曰く、暘谷から昇る太陽を謹んで導き春の耕作を順序立てよ。<後漢書東夷伝>昔尭命義仲宅嵎夷、曰暘谷、蓋日之所出也』と記されている東方の暘谷(ヨウコク)に当たるという。暘谷は「日の出づる処」を意味するので、この考えに従うと千葉県銚子の地が太陽の昇る地となり、当研究会の思想とも一致する。・・・古田は千葉県八日市場市椿の星神社のオビシャ神事では矢で射貫くのではなく「子供が手で的を突く」ことや中国で発掘される黒曜石の産出地であること等から、この神事は弓矢の伝わる以前からの神事で縄文時代以前のものと見なしている。・・・ウリチ族になぜ三つの太陽のうち二つを打ち落とした神話が残っているのであろうか。縄文人と同様にウリチ族も狩猟採取で生計を立てていた。狩猟採取民にとっては夏季は狩猟の獲物が激減し伝染病や病虫害も多く良い季節ではなかった。彼等は気候の温暖化による気温の上昇を押さえることを祈願して二つの太陽を石で落とすことを夢見たのであろう。アイヌにこのような伝承があるか否かは不明だが、温暖化の阻止は北方狩猟民の共通の願いであったのであろう。・・・最近『隋書』倭国伝の「知ト筮 尤信巫覡 毎至正月一日必射戯飲酒」の射戯はオビシャ神事ではないかという人もある。
★世界の太陽信仰[大林太良]・・・アマテラスの岩戸隠れの神話はアッサムからカリフオルニアにまで分布していて、アマテラスのテラは「輝く・照らす」の意味のアウストリッシュ語で、父権的王侯文化(高天原)より古い母権的農耕文化に帰属する。太陽をカラスで表す観念は古代シナから東北アジア更にアメリカ大陸に及んでいる。インドには乳海攪拌神話があり、その影響でビルマ・タイでは太陽は男性である。しかし、長江流域から移動して来た苗族では太陽は女性で月が男性である。また、ポリネシャではマウイが男性の太陽神で妻の月ヒネ(ヒナ・シナ・チナ)がいる。朝鮮には新羅王子天之日矛・延烏郎(ヨンオラン)のように太陽は男性であるが、これはインド方面からの影響であろう。中国も太陽は男性で、月は女性である。
日輪図[享保5年4月28日]
★太陽を射る話[岡正雄]・・・熊本にはモグラが暑さに耐え兼ねて弓で太陽を射ようとしたがガマに告げ口されて土の中で暮らすようになった話、岡山にはアマンジャクが七つの太陽のうち六つまで射落とした話、三重にはゲーター祭でグミの木で作った二つに太陽のうち一つを竹槍で突き落とす話、垂仁天皇の時九つの太陽のうち烏が化けた八つを射落とした話がある。高砂族には親子で蜜柑を植えながら太陽を射落とす話、タイには天帝が鶏に太陽を突つき落とすことを命じたが泳げないので鴨に代わった話がある。キリギーズ族・ブルヤート族・モンゴル族・ツングース族には太陽を射損ねてモルモットになった話がある。カルフォルニア・アイダホには野ウサギに太陽を射させた話がある。このように射日神話はインドネシア・タイ・中国・トルコ・モンゴル・日本・西部インディアンに分布している。メラネシア・ミクロネシア・ポリネシアには存在しない。
★民族点描[中山太郎]・・・井沢長秀『広益俗説弁』に、垂仁天皇の時九つの太陽が現れたので、天文博士に占ってもらうと北の端の太陽が本物で残りの八つは烏が化けた太陽であることが判った。上空八町に居るので八人の射手で射落とすように宣下があった。武蔵国入間郡に高台を作り、射たところ八つの太陽に当たって約5mの烏が筑紫日向国宮崎郡に落ちたので難波京の天皇に献上した。『神島村郷土史』にはゲーター祭でグミの木で作った直径3尺位の二つに太陽のうち一つを竹槍で突き落とす話のいわれが書かれているが眉唾な説である。・・・射日神話は異なった氏族の太陽神を統一して行った過程を示している。例えば、対馬の阿麻氐留、丹波の天照玉命、攝津の新屋坐天照御魂、大和鏡作坐天照御魂はいづれも祭神はアマテラスではなく、アマテラスより古い天照国照大神とされている。なお、他田日奉氏のゆかりの神も他田坐天照御魂である。
★オロチ族[アムール下流域とサハリン]の伝承・・・三つの太陽があり、人間は暑いので空を歩き暮らしていたが、この暮らしに飽きた人間は太陽を二つ射落とした。大地は森林に囲まれて、人間は地上で生活するようになった。
★アムール流域の射日神話[小川真子]・・・中国の扶桑の木伝説と山東の狩猟民の羿(ゲイ)伝説が結びついたのは漢代である。韓国・セレベス・ウデヘ族・ネギダル族・ニヴィヒ族に射日神話がある。ニヴィヒ族にはギリシャ・スキタイの影響を受けたトナカイの角伝説がある。ウリチ族は弓の利用が新石器時代だが、それ以前と思われる石を投げて二つの太陽を落とした伝説がある。ナナイ族には射日により人口が増えたために、老人があの世への扉を開いたという伝説がある。
★アマンジャクが日を落とした話[南方熊楠]・・・前漢代の『淮南子』に晹谷の扶桑の木や羿(ゲイ)や三足の烏が出ている。インドの古銭に扶桑の木に似た絵が描かれている。仏教にも末世に多くの太陽が出る話がある。ボルネオのズスン族には月とミミズクの結婚話がある。インディアンには樹脂で作られた父が暑さで溶けてしまったので、二人の兄弟は太陽を射落として自分が太陽に弟が月になった話がある。『古事記』の天佐具売や『日本紀』の天探女をアマンジャクといい、天稚彦をそそのかして雉名鳴女を射殺した。
★射日と鍛冶[百田弥栄子]・・・スキタイの影響を受けた古代羌人の彝(イ)族は紀元前に雲南に移住して鍛冶の神を祭り、天を銅・金・銀・銀の4本の柱で支える神話を残した。貴州の苗族には銅匠が金で八個の太陽を、鉄匠が銀で八個の月を作り、オンドリが招日招月する能力があるために鍛冶神はオンドリに化けたという神話がある。広西自治区の壮(チワン)族は天神が太陽と月を鋳造し、射日する神話を残した。この他に雲南の怒族や貴州の布依族にも射日神話がある。