お‐びしゃ【御歩射】
正月に徒歩(かち)で弓を射て、その結果で1年の豊凶を占う神事。関東地方東部では、祭りの共同飲食だけになったところが多い。→百手(ももて)祭り
大辞泉
ついでに「百手(ももて)祭り」を引くと
神前で行う的射(まとい)の祭り。中国・四国地方に広く見られる。百手神事。
以下は神社で貰った由緒書より。
中丸子神明大神のオビシャ(神奈川県川崎市中原区中丸子四九二)
中原区中丸子の鎮守、神明大神には、オビシャと呼ばれる行事が伝えられている。オビシャといっても、ここでは的を矢で射ることはせず、「シメヨリ」とも呼ばれるように、藁で「雄シメ」「雌シメ」という一対の大きなしめ縄を作り、神社に奉納する行事がおこなわれている。
中丸子は多摩川対岸の下丸子(東京都大田区)とかつては陸続きで、同じ丸子庄に属していた。『大田区史(資料編)民俗』(一九八三年)によると、下丸子の六所神社では、「昭和四十一年まで毎年一月七日に「弓射り」「弓引き」と呼ばれる子どもの歩射行事あり、これをオビシャともいっていた」という。さらに、六所神社には、的に輪を描く際に使用していた割竹が残っており、下丸子村の名主と中丸子村の名主、両名の名前がしるされている。これらのことからも、中丸子のオビシャと下丸子のオビシャがかつては一連の行事であった可能性が指摘されている。
氏子中が昭和四十九年に作成した「お毘沙祭(〆縄寄り祭)〆縄の由来」には、次のようにしるされている。
中丸子鎮守社神明大神の前身である羽黒権現宮は明暦二丙申年二月(一六五六)に領主本郷勝右衛門尉源重泰を大旦那として造立された。社殿建立の瑞祥として境内の神木に白大蛇来り遊ぶという。〆縄は男〆と女〆あり、撰り藁百六十把を材料とし男〆は径瓦そ一尺長さ五間余で目方二十五貫位であり、女〆はやや小さく十五貫位、何れも大蛇に似て四本の足がある。毎年正月七日に宮当番によってよられ二間梯子に括りつけ村中を担ぎ廻った後に男〆は表門、女〆は裏門の〆木に飾る。この行事は「おびしゃ」と呼ばれ、悪疫退散、五穀豊穣を祈願する村の重要な催であり、今日まで引き継がれているが、形式には変化がある。一種の信仰的要素をもつ〆縄であるが三百十余年の長い歴史と村人の心に焼きついたものであるだけにそれなりの意義がある。
昭和四十九年正月吉辰日
宗教法人神明大神氏子中
シメヨリがおこなわれるのは一月七日と決まっていたが、近年では人の集まりやすい日のほうが良いということで、原則として一月七日に一番近い日曜日をオビシャの祭りの日としている。以前は、中丸子の三地区、南・中・西で順番に当番を回し、当番の中でも庭の広い農家を選んで、その庭先でしめ縄を作っていた。昭和五十四年、オビシャの保存会「シメヨリ会」が結成され、それ以後は神社の境内でしめ縄作りをおこなうようになった。現在、保存会には中丸子の七十数軒が参加しており、地区全体で行事の保存伝承につとめている。また、近年、藁の入手が困難になっているので、氏子の親せきである寒川の農家に頼んで分けてもらっているという。
平成一六年は、一月十日・土曜日にオビシャがおこなわれた。この日は早朝から六十人以上が神社に集まった。まず、神主による神事がおこなわれ、浄めをしたあと分担して雄シメ・雌シメ作りに取りかかる。半日でシメ縄は縒りあがる。できあがったしめ縄は若い衆が担いで境内を三周し、雄シメは拝殿の軒下に取り付けられ、雌シメはご神木に巻き付けられる。このご神木は、かつてはオシャモジさまと呼ばれていた。雄シメ・雌シメの奉納が終わると直会となって参加者の労をねぎらい、行事を皆で守っていくことを確認する。中丸子のオビシャは三百五十年という長い歴史を持つといわれている。現在まで絶えることなく続けられてきた中で、いくつかの変化はあった。以前は、できあがったしめ縄を梯子にくくりつけて村中を練り歩くカツギ道中がおこなわれていた。カツギ道中では、途中で雄シメを一気に地面に落としたり、神社に帰ってきて一暴れさせて地面に落とす、といった習わしがあった。また、雄シメは表参道の表大門に、雌シメは裏参道の裏大門に取り付けられていた。さらに、シメヨリの翌日、一月八日に当番の受け渡しの儀式がおこなわれていた。これらの行事のうちいくつかは、昭和六十一年に川崎市で映像記録『中丸子のオビシャーシメヨリ行事ー』(カラー三二分)を制作したおりに再現されている。
(高橋典子)
我々が見学させて戴いたのは平成20年1月6日(日曜日)でした。
拝殿前に集まった保存会の人達。 |
これで今年は少ないそうです。 | 短いのや、ゴミを取り払っています。 |
藁打ち。柔らかくなった藁は縄になります。 | |
我が愚妻も挑戦しましたが、全くダメ!熟練の技がいるようです。 | |
聞けば皆さんサラリーマン。昔は皆農家でこんな作業は日常茶飯事だったようですが、一年一回だけなのでもう後が大変!手は痛いし腰も痛い・・・・。昔の稲はもっと長くて楽だったのだが・・・・・今は品種改良されて稲も短くなってしまったのでしょっちゅう継ぎたさければならないし〜(^。^;)
同時に別の会員が注連縄を外し始めました。 | 解かれます。 |
一本はお手本としておかれます。 | 残りの二本は燃やされます。 |
左手に見えるダンボールの箱はさつま芋。後で灰の中に埋められ焼き芋となります。
束ねられた稲藁。これが注連縄の本体となります。
去年の物を見乍ら最初の太さを決めます。 | その中に藁の束を突っ込んで行きます。 |
藁束を継ぎ足しては縛り、継ぎ足しては縛る。 | 雄シメ・雌シメ用計六本作ります。 |
去年のを隣に並べて、最後に長さを確認します。
藁束を縛る紐は化繊を使っています。昔はこれも藁で縛っていたのだが・・・。稲藁が短くなって・・・・化繊になったようです。
細い雌シメは縒り始めました。最初は二本を縒り、それに最後の一本を巻き付けるように縒って行きます。したがって最後の一本は少しだけ長めに作っておきます。
先の二本と残りの一本を縒り合わせて完成です。
いよいよ雄シメを縒り始めました。太いのでとても大変そうです。
末がぴったと揃うように若干の微調整をして縒り終わりました。
足を付けると言っています。前後四つの足を付けます。大蛇には足があるようです。
完成した雄シメ・雌シメを梯子に括りつけ、神主による祝詞の奏上。その後お神酒がかけられます。
以前は、できあがったしめ縄を梯子にくくりつけて村中を練り歩くカツギ道中がおこなわれていたようですが、「現在は若い衆が担いで境内を三周し・・・・」と書かれている。今日も保存会の若い衆が「よいしょ」の掛け声と共に境内を練り歩きます。
雄シメは拝殿の軒下に取り付けられます。
普通は左末右本と言って太い方を右に吊るす所が一般的ですが、この神社は太い方を頭と言って左に吊るします。
雌シメはオシャモジさまに巻き付けられます。
雄シメ・雌シメの奉納が終わると直会となって参加者の労をねぎらい、お開きとなるようです。保存会の皆様、お疲れ様でした。