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 昏睡状態は意識障害の中で最も重いもので、外部からどのような刺激が加えられても反応がない状態とされている。昏睡状態に陥った人は時間がたつ程その回復の見込みがなくなってしまうと言われている。

 だが、「昏睡状態に陥った」人々の体験談には、驚くべきストーリーが幾つかある。ここではそんな10人の話を見ていくことにしよう。
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10.ローリングストーンズの曲で昏睡状態から目覚めた男性

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2008年、定年を迎えた元パン屋のサム・カーターは、貧血とヘモグロビン低下・赤血球減少により昏睡状態に陥った。イングランド・スタッフォードシャーの病院に入院する事となったサムは、3日間昏睡状態のまま、残された家族には医師から「回復の見込みは約30%未満だ」と告げられた。

 サムの妻は、医師から「音楽を聴かせるとよい」と告げられていた為、横たわっているサムの耳にヘッドフォンをつけ、ローリングストーンズの名曲「(I can’t Get No) Satisfaction」(和名:サティスファクション)をかけた。なんとびっくり、カーターさんは突然目を覚ましたという

 昏睡状態から起き上がったサムは、この時の出来事を「音楽が聞こえ、身体の奥からエネルギーがあふれだしてくるのを感じたんだ」と語った。彼は昏睡状態の時の事は全く覚えていないが、起き上がる瞬間に聞こえたローリングストーンズの曲はよく覚えているという。ち

 なみにこの曲は彼が17歳の時に初めて買った曲で、サムは、「この曲は僕が起き上がるのに必要な最後のエネルギーを与えてくれたんだ」と語っている。


9. 14年前にタイムスリップしてしまった女性

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 2012年の初め、32歳のサラ・トムソンは脳へと血液を運ぶ動脈の閉鎖によって脳虚血を引き起こし、10日間も昏睡状態が続いていた。そしてやっと目覚めることができた。彼女は起き上がった瞬間、そこが1998年だと思ったそうだ。彼女に質問を続けると、起き上がった彼女の知識は1998年以前の時点で泊まっており、彼女は自分が大好きだったスパイス・ガールズが解散していた事も、マイケル・ジャクソンが他界しているという事も忘れていた。また、彼女は自分の旦那や子供達の事もすっかり忘れてしまっていたのだ。

 1998年、サラ・トムソンは19歳で、その頃彼女は最初の子供を産み、以前の彼氏と交際中であった。その為、彼女が起きた時にやってきた14歳へと成長した子供の姿に驚愕したという。そして、やってきた今の旦那とその間に出来た子供二人の事は全く覚えておらず、当初彼女は旦那の事を「病院で働いている人」だと思ったそうだ。

 退院した彼女の当初の言動はまるで思春期真っ盛りのティーンエージャーだったという。高圧的で、反発的だったそうだ。好きな音楽はロックで、髪を染めたという。今の彼女はというと、記憶は戻らないものの、少しずつ今の生活になじみ始め、旦那さんともう一度恋に落ちたそうだ。


8. 母国語を忘れ、少しだけ知っている別の言語を話すようになったケース

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 オーストラリアで育ったベン・マクマホンは、かつてフランス語と中国語(官話)を習っていたそうだが、ペラペラと喋れるほどではなかった。2012年、突然の交通事故で数週間に及ぶ昏睡状態へと陥ったベン。しかし奇跡的に意識を回復した。不思議なことに目が覚めたベンは、なぜか中国語だけを覚えていて、母国語である英語はおろか、他の言語をすべて忘れてしまっていたという。

 彼は時間をかけて徐々に英語の知識を戻して行ったが、考え事をするのも夢を見るのも中国語だそうである。それがきっかけとなり、2014年9月からベンは上海で暮らしている。彼の中国語は現地の人々を驚かせる程で、現在彼は上海で、テレビ番組のアナウンサーもしているそうだ。

 驚くべき話だが、こういった体験談は他にもある。クロアチアに住む13歳のサンドラ・ラリックはドイツ語が好きで、ドイツ語の本を読み始めたり、テレビ番組を見始めたりしていたところ、ある事故がきっかけで24時間の昏睡状態へと陥った。彼女もベンと同様、起き上がった時にはドイツ語以外の言語を全て忘れていたそうだ。

 アメリカ人のマイケル・ボートライトもカリフォルニアの病院で昏睡状態から起き上がった時、突如としてスウェーデン語をしゃべり始めた。自分はマイケル・ボートライトではなく「ヨハン・エク」だと言う。ちなみにマイケルは、過去にスウェーデンに滞在しており、そこでスウェーデン人の彼女もいたそうだ。

 医学的にこういった現象は解明できていないが、昏睡状態から起きあがった人が主言語を失い、その代りに習っていた別の言語を保持し続ける事は稀にある事だという。この場合、主に使っていた方の言語を完全に忘れている為、別の言語を覚えやすくなるのだという。


7. 昏睡状態中に見た夢を覚えていたピアニスト

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 フレッド・ハーシュは1977年に、21歳という若さで多くの人々にその才能を認められたジャズピアニストだ。1990年代、彼は自身がAIDSであることを公表した。

 2008年、彼はHIV関連認知障害を患ったが、徐々に回復に向かう中、また悲劇が起きた。同年7月、血中酸素濃度の低下による敗血症ショックになり、体内の多くの臓器が機能を停止してしまったのだ。そのまま昏睡状態へと陥ったフレッド。彼が再び目を覚ましたのは2か月後だった。その後8か月もの間、食事は管を通して行われた。

 10か月にも及ぶ長い入院生活は彼の身体と運動能力を激しく低下させた。だが彼は、セラピストの指導のもと、徐々にピアノを弾くことで自身の機能を取り戻していった。2010年には彼はピアニストとして復帰できる程回復していた。当時の医師は彼の体験を「非常に珍しい物だ」と語っている。彼は昏睡状態で見た夢を覚えているのだそうだ。

 フレッドはその後、各地で90分の「昏睡状態の夢」というコンサートを開いた。そこで演奏されたのは、彼が覚えている八つの夢をモチーフにした曲で、彼自身が譜面に起こしたものだ。

 コロンビア大学のリタ・シャーロン博士によると、昏睡状態の夢というのは言葉ではとても表現出来ないものだという。しかし、音楽ならば、言葉の壁を越え、昏睡状態の夢の真実に迫れるかも知れない、と語っている。


6. カントリーミュージックで植物状態から目覚めた少年

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 2009年8月16日、17歳のジャレット・カールランドとその親友は交通事故にあった。親友は亡くなり、カールランドは遷延性意識障害(植物状態)となった。残された家族には医師から「目覚める可能性は非常に薄い」と告げられていた。

 カールランドは病院で「音楽を聴く」というセラピー治療を受けていた。多くの患者が穏やかで静かな音楽を聴いている中、ジャレットの両親は彼にカントリーミュージックの定番「チャーリー・ダニエルズ」を聴かせようと考えた。特に「The devil went down to georgia(デビル・ウェント・ダウン・トゥー・ジョージア)」は効果的で、約4ヶ月の植物状態にあったジャレットさんを目覚めさせることに成功した。

 6か月後、テネシー州チャタヌーガのリバーバンド・ミュージック・フェスティバルでジャネットは、チャーリー・ダニエルズと対面を果たしたという。


5.

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 1988年、線路で列車の連結作業を行っていたジャン・グレブスキーは事故により頭部を打撲し昏睡状態に陥った。ポーランドのジャウドボにいる彼の家族によると、彼は19年もの間昏睡状態にいたそうだ。彼の奥さんは彼が床ずれを起こさないように、毎日数時間ごとに彼の身体を動かしたりしていたそうだが、ある日突然、ッジャンは19年の眠りから目覚めた。

 そして起き上がった彼はカルチャーショックを受けた。ポーランドは共産主義では無くなっており、彼には11人の孫が居たからだ。この話は世界中のマスメディアの注目を集め、大手テレビも彼を取り上げた。

 しかし、後に話した彼の言葉にも度肝を抜いた。彼が昏睡状態に陥っていたのは19年ではなく、4年だったというのだ。実は昏睡状態に陥ってから4年後には、周りで起きている事を理解していたという。体はまったく動かなかったものの、意識は戻っていたというのだ。

 その後実に11年、ついに体の麻痺状態がとけたというジャン。そんな長い間、ずっと看病し続けた家族の愛情のたまものであろう。


4. 頭を銃弾で撃ちぬかれた警察官、家族が集まったその日だけ突如意識を取り戻す。

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 テネシー州ウォールデンで警察官をしていたギャリー・ドックリーは、1988年9月17日、家庭内暴力のいざこざに巻き込まれ、頭部に銃弾が撃ち込まれた。病院へ担ぎ込まれたギャリーは、医師の判断により、脳の20%を取り除くという大がかりな手術を行うこととなった。しかし、脳から弾丸を抜き取ったり、頭蓋骨に残った破片を取り除いたりといった手術には危険がともなった。その結果、ドックリーは7年間の長い昏睡状態へと陥った。

 1996年2月11日、ドックリーの家族は勢ぞろいして、病室で横たわるギャリーの周りに集まった。彼の肺にたまった水分を抜くべきか、そのままにしておくかの話し合いをしていた。話し合いの最中に、突然ギャリーは目覚めた。そして話に加わったという。

 その後18時間、彼は家族と対話する事が可能だった。彼は自身の家族の顔を7年経っても覚えており、過去の記憶も完全な状態で残っていた。唯一忘れていた事といえば、銃撃された瞬間である。

しかし18時間後彼は徐々に喋れなくなり、車いすを動かす事しかできなくなってしまった。ギャリ―はその翌年1997年4月15日に肺に出来た凝血により他界した。


3. 16年後に言葉を取り戻した女性

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 1984年、当時18歳だったサラ・スカントリンは、友人も多く、学校のダンスグループのリーダーをしていた明るく活発な少女だったという。ところがこの年の9月21日、彼女は車にはねられた。運転手は泥酔しており、そのまま逃げ去っていった。路上に倒れた彼女に更なる悲劇が襲う。後続車にまたひかれてしまったのだ。

 2回目にひかれた衝撃で、頭蓋骨が粉砕されてしまったが、その時点ではまだ生きていた。だが、ほとんど息をしているというレベルで、彼女は昏睡状態に陥った。医師から「二度と目覚める事は無いかも知れない」と告げられた家族だったが、それでも彼女の延命治療を望んだ。その1か月後、サラは目覚めることとなるが、外的な刺激にまったく反応することはなかった。翌年の1985年4月、サラは長期介護が可能な施設へと移動された。

 その介護施設ではまず、自分でものを飲み込む為の訓練が行われた。また、言葉で答える代りにまばたきでYES、NOを伝える訓練が行われた。時折成功することもあったが、日によってまちまちだったという。

 サラが介護施設に入ってから16年が過ぎようとしていた。新しくこの介護施設に勤める事となったパット・リンコンという人物は、なんとか彼女と会話をしようと試みた。パットは4年間、毎日必ずサラのもとへと向かい、会話を行った。特にサラが何らかの反応を示した時は会話を多くしたそうだ。

 バットがサラと会話を始めて1年後、サラは「ぎゃー」と、叫ぶ事ができるようになったのだ。そこで「叫ぶ事」をコミュニケーションツールとして使用できるようにバットは根気よく指導した。その結果、サラの両親が彼女の施設から帰る時、テレビのチャンネルが変えられてしまう時など、彼女が寂しくなる時、彼女は叫ぶようになった。

 そしてついに奇跡が起きる。2005年1月12日、パットがサラに本を読んであげている時のことだ。他の患者に呼ばれたパットは、サラに「直ぐ戻ってくるからね」と告げ、部屋を出ていこうとすると、サラはこういったのだ、「オッケー」と。これが事故後始めてサラが発した言葉である。彼女は繰り返すように「オッケー」と言ったという。20年もの長い時間、夢と現実を行き来していた彼女が遂に目覚めたのだ。

 その後1か月間で、どんどん言葉を覚えていったサラ。ついに両親と言葉を交わすことができるようになったという。今では彼女は40歳になってしまったが、彼女はまだ自身が19歳であると信じているのだという。

2. 19年後に起き上がる事ができた男性

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 1984年7月、19歳のテリー・ウォリスは同乗している友人と一緒に車ごと川に落ちてしまうという事故を起こした。彼等が発見されたのはその翌日だったが、テリー以外は全員死亡してしまい、自身も昏睡状態に陥ってしまった。彼は既に結婚しており、彼の妻がその後の彼の面倒を見続けた。

 19年後の2003年6月11日、テリーは突如として目を覚ました。始めて口にした言葉は、母親を見た瞬間に口にした「母さん」という言葉だったという。その後「ペプシ」、「ミルク」と単語ごとに発声することができるようになり、徐々に文章で話せるようになっていった。彼は自身がどれほど長い眠りについていたかは理解しておらず、ロナルド・レーガンが大統領だと思っていた。

 テリーは事故の後遺症で麻痺状態にあったが、意識はあったようだ。医師によると、19年という長い年月をかけて、彼の脳神経が再結合していったのではないかと考えている。そして脳の神経が起き上がる為に必要なエネルギーを獲得した為、起き上がることができたようだ。

1. 義理の両親に虐待され昏睡状態に陥った少女

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 ハーレー・ポトは4歳の頃、マサチューセッツに住むホリーという叔母のもとへと預けられた。近所ではハーレーが虐待をされているという噂が絶えなかったが、少女ハーレーはホリーの養子となった。幾度かの調査がなされたようだが、ホリーはその度に「ハーレーはただ転んだだけだ」と言い逃れていたという。

 2005年9月11日、ハーレーが11歳の時、意識不明の重体となり病院へと運ばれた。医師が彼女の脳を調べてみたところ、それはひどいもので、まるで高速車両に衝突したのではないかと思われるほどの損傷だったという。医師は彼女を昏睡状態であるとし、当分の間目覚める事は無いだろうと告げた。

 9月20日、ホリーと夫であるジェイソン・ストリックランドは暴行罪で逮捕された。ホリーは脱獄し、すぐさま自分の母親のもとへと向かったが、そこで待ち受けたのは拳銃を持った母親だった。母親はホリーを射殺した後に自殺した。

 母親が死亡し、ハーレーは生命維持装置が外されようとしていた。しかし、法律上の「叔父」であるストリックランドの一存でハーレーは延命されることとなった。この時なぜストリックランドが彼女を助けようとしたのか?その理由はあまりにもひどいもので、彼女が死んでしまうと「傷害致死」になってしまうからだという。

 しかし2008年1月18日、ハーレーは奇跡的に回復した。生命維持装置も不要となった。ハーレーは自らの意志で呼吸が出来るようになり、意志疎通も可能となった。時間がたつと彼女の顔には笑顔が戻り、手を振ったり、数少ない言葉を喋ったりと機能を取り戻していったが、依然として車いす生活は余儀なくされた。

 彼女はその後、車いすに備え付けられたホワイトボードで会話を行い、2年後、ストリックランドの公判に被害者として証言した。ホリーが主犯だと思われていたが、ハーレーの証言によってストリックランドが主犯であることが判明した。ストリックランドに12年から15年の実刑判決が下された。2008年11月の事だった。

 ハーレーの一件はその後のマサチューセッツ州の児童虐待に対する社会福祉等の姿勢を大きく変える事となった。2010年9月、16歳となった彼女は心優しい夫婦の養子となっていった。

via:listverse.・原文翻訳:riki7119


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コメント

1

1. 匿名処理班

  • 2015年01月27日 21:07
  • ID:YhwSW.NW0 #

目覚めた時点で奇跡だよね

2

2. 匿名処理班

  • 2015年01月27日 21:09
  • ID:bsA.ikYf0 #

>少しずつ今の生活になじみ始め、旦那さんともう一度恋に落ちたそうだ。

せめてもの救いだな

3

3. 匿名処理班

  • 2015年01月27日 21:22
  • ID:8ZJm0oRw0 #

ッジャン!

4

4. 炎蹄

  • 2015年01月27日 21:24
  • ID:eIs7fMd60 #

自分の場合も寝ぼけた時とか、咄嗟のときには英語になるよ。これぞ母国語ってやつか。

5

5. 匿名処理班

  • 2015年01月27日 21:26
  • ID:FVvokWxK0 #

覚醒して体が動かせないのがホントに怖い

6

6.

  • 2015年01月27日 22:10
  • ID:4eYYOiY60 #
7

7.

  • 2015年01月27日 22:19
  • ID:azhipWfL0 #
8

8.

  • 2015年01月27日 22:35
  • ID:UbSP1EW60 #
9

9.

  • 2015年01月27日 22:36
  • ID:x7ydtpDQ0 #
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  • 2015年01月27日 22:49
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  • 2015年01月27日 22:53
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  • 2015年01月27日 23:48
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