柴崎岳がUAE戦後にもらした“本音”。取材エリアを素通りしなかったわけ。
Number Web 1月26日(月)16時31分配信
|
|
| 柴崎岳、22歳。今大会中には本田圭佑からFKを譲られるなど、若手ながら一目置かれる存在である。 photograph by Takuya Sugiyama |
2015年1月23日。アジアカップ準々決勝、日本対UAE戦。
思い返しても、シュートを外した後の苦い表情や、眉間に皺を寄せる選手たちの顔ばかりがよみがえる。
だが、ただ一人颯爽とピッチに登場し、冷静にプレーし続けた選手がいた。
柴崎岳。年齢に似合わぬ冷静沈着さはこれまでも語られてきたが、日本がピンチに陥った場面でさえも、彼はその自分らしさを貫いていた。
昨年末から、関東で行なわれていた日本代表合宿。年が明けてオーストラリアに渡る直前に、柴崎はインフルエンザで一度チームを離脱した。それでも数日遅れで渡豪し、心配された体力面も回復。チームの練習にもすぐにフルメニューで参加できるようになり、万全の状態でアジアカップ開幕を迎えられた。
しかしコンディションの上昇とは裏腹に、出場機会は満足には得られなかった。
アギーレジャパン発足当初、柴崎は武藤嘉紀とともに新体制の看板選手のように扱われた。4-3-3のインサイドハーフの位置で、本田圭佑や岡崎慎司たちと連係を深め、9月のベネズエラ戦では代表初得点も奪ってみせた。
しかし11月の代表戦で、ハビエル・アギーレ監督は遠藤保仁や長谷部誠、香川真司ら、ザックジャパンで活躍した面々をチームに呼び戻した。そして彼らをMF3枚の主力に固定し、そのままチームはアジアカップに突入した。
大会が始まっても、MFの交代出場は代表復帰の清武弘嗣に先を越され、起用の序列も徐々に下降気味。存在感は、薄まりかけていた。
代表に選ばれて以来、柴崎は常に遠藤との比較の視線にさらされてきた。
いわゆるプレーメーカーとして、中盤中央からボールの配給役となる役割。キックの精度や高い基本技術、そしてサッカーセンス。それらを兼ね備えている選手にしか務まらないポジションを、柴崎は偉大な先輩と競うことになった。
昨年11月、大阪での練習後のことだった。
2日前に豊田スタジアムで行なわれたホンジュラス戦で、代表復帰した遠藤がハイパフォーマンスを披露した。柴崎も試合終盤に途中交代でピッチに登場したが、時間も短く大きなアピールには至らなかった。
連日問われる、遠藤との比較。この時、柴崎は少しだけうんざりしていたのかもしれない。「遠藤選手は参考になる?」という質問に対して、次のように答えたのが印象的だった。
「参考になるというよりも、自分も試合に出た立場なので、もっと周りと連係を上げていかないといけない。ヤットさんは経験豊富な選手。もちろん若手の自分にとっては勉強になりますが。どのあたり? 細かいところは、僕はメディアには言わないので」
日本屈指のMFの存在が、彼にいい刺激を与えていたのは間違いなかった。と同時に、クールに見えてその内面は、実は相当な負けず嫌いであるとも聞く。そんな性格が、垣間見えた瞬間だったかもしれない。
最終更新:1月26日(月)16時31分
記事提供社からのご案内(外部サイト)
|
二十歳のころ。 |