残業の過労死ラインは月に80時間→「俺らはすでに死んでいたのか」の声
「過労死ライン」が80時間であるという東京新聞の報道に、ネット上で「俺らはすでに死んでいたのか」と反響が広がっている。
東京新聞のブラック企業特集を見てたら「過労死ラインは月80時間」って書いてあって、チーム一同「俺らは既に死んでいたのか・・・」ってシックスセンスのブルースウィリスみたいな顔になってる pic.twitter.com/Mq9VVitkYQ
— ジェット・リョー (@ikazombie) 2015, 1月 25
へぇー…残業80時間が過労死ラインかぁ…(同じくシックスセンスのブルースウィリスみたいな顔で)
— キヨ (@kiy075) 2015, 1月 25
「過労死ラインは月80時間」だと、私はえろげ会社勤務時代に最大で一月に6回死んでる事になる件。>RT
— 石原ますみ@砲雷撃戦十四 B-10 (@masmichan) 2015, 1月 26
なんかいま過労死ライン月80時間って見えて、去年末それ越えてたわけですががが。
— モノラルP (@monaural_P) 2015, 1月 25
よくいわれますね。これだったら僕は何度死んでるかわからないけど・・RT 東京新聞のブラック企業特集を見てたら「過労死ラインは月80時間」って書いてあって、
— なべちゃん (@nabbychan) 2015, 1月 25
これゆる過ぎると思う。正直50時間で過労死ラインぐらいにしといていいのではと思う。つか心情的には月40時間でもキツイ。毎日2時間残業ですよ、ああた。>「過労死ラインは月80時間」
— NaGiSa_FuJiKI (@NaGiSa_FJ) 2015, 1月 25
厚生労働省は時間外労働削減を推奨しているが進んでいないのが現状のようだ。
月80時間の残業時間が過労死ライン
「過労死ライン」とは、それを超すと健康障害リスクが高まるといわれる時間外労働時間を指す。月80時間となっていて、1か月の労働日を20日とすると、1日4時間の時間外労働が続く状態となる。
厚生労働省によると「過労死」の労災認定は、「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準」に基づき行ってきた。
この認定基準の基本的な考え方は次の通り。
(1) 脳・心臓疾患は、血管病変等が長い年月の生活の営みの中で、形成、進行及び増悪するといった自然経過をたどり発症する。
(2) しかしながら、業務による明らかな過重負荷が加わることによって、血管病変等がその自然経過を超えて著しく増悪し、脳・心臓疾患が発症する場合がある。
(3) 脳・心臓疾患の発症に影響を及ぼす業務による明らかな過重負荷として、発症に近接した時期における負荷のほか、長期間にわたる疲労の蓄積も考慮することとした。
(4) また、業務の過重性の評価に当たっては、労働時間、勤務形態、作業環境、精神的緊張の状態等を具体的かつ客観的に把握、検討し、総合的に判断する必要がある。厚生労働省「脳・心臓疾患の認定基準の改正について」
2012年度の統計では、長時間労働や仕事上の強いストレスが原因で、死亡したり自殺を図ったり、また病気になって労災と認定された人は813人に上るという。
残業過多による過労死の例は多数
また過去には月80時間を超す残業による過労死の例が数多く確認されている。
- 2011年6月 41歳中学校教諭が脳内出血。公務外の「地域クラブ」の形で日曜日も部員を指導。発症前6か月の時間外労働が100時間超
- 2010年3月 41歳大手パン製造会社係長が喘息による心停止。時間外労働月88時間、深夜交替制等の過重労働
- 2009年2月 電化製品訪問修理メンテナンス社員が脳出血。発症前3か月の時間外労働を平均約130時間と認定
- 2008年4月 月100時間を超える残業と過酷なノルマに追われ、2か月後に自殺
- 2007年9月 新任フロア長だったAさん(仮名、当時23歳)が、昇進から約1か月後に過労自殺。死亡前1か月の残業時間は106時間21分に上った。
- 2002年2月 月に144時間を越える残業をしていた自動車メーカー社員(当時30歳)が職場で倒れ死亡
また、2014年に経団連役員企業など40社について調べた資料によると、そのうち78%近くの31社が月80時間を超える残業を認める協定を結んでいるという。
しんぶん赤旗
中には150時間に及ぶ残業を認めている企業もある。
前兆に気をつけて
過労死の前兆として考えられるのは、次のようなことが日常的に発症することだという。
- 全身の疲労感
- 胸痛
- 冷汗
- 息切れ
- 首や肩の凝り
- 手足のしびれ
- 頭痛
- 一時的に意識を喪失する
- 何でもないのに物を落としたりする
- 後頭部の激痛
過労死した人の同僚の中には「80時間残業するのが当たり前だという風潮があった」と話す人もいる。当たり前と思わず、気をつけて考えてみるべきかもしれない。