「イスラム国」による日本人人質事件で思ったこと
「イスラム国」による日本人人質事件について思ったことをとりあえずブログに記しておきたい。
ツイッターのほうではすでに前もってコメントしたが、72時間の期限でのリアクションはないだろうと私は見ていた。理由は、どちらかというと「イスラム国」に対して欧米ほど危機感ももたず、脅威にも感じていない日本国民を、期限通りの処刑によって激怒させ、その結果いっそう欧米側に付かせることにすれば「イスラム国」にとって利益にはならないだろうと思われたからだ。
「イスラム国」としては国際世界が一致するよりは、割れていたほうがよい。この手法は北朝鮮の外交戦略と同じである。ついでにいえば、西側諸国としても中東の利害は割れていたほうが、ローマによる分割統治的な意味合いで、利益にはなる。ただしシリアに端を発した今回の事態は三すくみのような複雑な分割にはなり、誰が利益かという構図は崩れてしまった。
「イスラム国」側の思惑だが、安倍首相による17日のエジプトのカイロでの声明のタイミングが重要だろう。そこから考えれば、「イスラム国」側としてはこの声明をもって日本が西側に付いた表明と見なして、日本国民を恐怖に陥れ、自国政府への批判を高めさせることで、西側の結束を崩す狙いがあったのだろう。
だが結果、「イスラム国」の情報戦略はしくじったと見てよいだろう。一つは安倍首相の声明は人道支援やインフラ整備など非軍事分野での平和国家日本の戦略の一環であり、直接西側に付くという表明ではない。当然そこを衆知している日本国民は「イスラム国」の無理解に違和感を覚え、他の西側諸国なら期待される「イスラム国」への共感は得られなかった。
もう一つの失態は、これは他の西側諸国も驚いたことだが、日本人が今回の脅しに想定されたほどパニックにもならず、恐怖もしなかったことだ。
フランスの場合は、仰々しく大まじめに反テロのデモが実施されたが、日本人では反テロデモはない。人質救出のためのデモといったものも見られない。むしろそうした動向は日本国内のイスラム組織がその代理をしてくれた。
さらに「イスラム国」はツイッターなどSNSを使った独自の広報で西側の反政府共感者を誘導してきたのだが、日本の場合、多数のネット利用者が、逆にツイッターなどでクソコラと呼ばれる不真面目な画像を「イスラム国」に送りつける事態となった。
日本は江戸時代の黄表紙などもそうだが、体制を洒落のめすふざけた批判文化を持っていたのに、明治時代以降、真面目な展開が多くなってきたものだが、戦後の平和期間が延びたことで、江戸時代的なふざけた国民性に回帰してきたのかもしれない。あるいは、そうはいっても、同胞が殺害されるかもしれない状況でふざけるというのは、同胞への同情という感性がそもそも薄いのか、薄れてきたということかもしれない。
いずれにせよ、日本が、同種の恐怖を突きつけられた西側諸国とは異なる、奇妙な反応を示したことは事実であり、それは「イスラム国」が想定したものではなかった。
こうした「イスラム国」側の失態から、日本国に恐怖を与えるという戦略は変更されることになり、ヨルダンに拘束されているサジダ・リシャウィ死刑囚の釈放という無理難題に切り替えられた。ヨルダン側としてはいくら金満日本からの懇願があってものめるような話ではない。「イスラム国」としては、日本を困らせるというよりはヨルダンを困惑させるということが意図である。実質的には対日本への情報工作は失敗に終わったと見てよい。もちろん日本政府としては、人質の解放に尽力しなければならないのは当然だが、こうした政治的な構図のなかで対応していくしかないだろう。
今回の事件について、「イスラム国」の情報戦略の失態もだが、その前提にいくつか奇妙な点も感じられた。人質を脅す映像やその後の映像が、西側での同種の事件と違っていたからである。
最初に公開された人質を脅す映像だが、合成されたものと見てよいだろう。ネットでは合成ではないといったネタも上がっていたが、背景の石の影向きなど不自然であり、そもそも他国向けにこの手の映像が上がったときは、偽映像ではないかという懸念を織り込んで、ジハード・ジョンは人質に触れているのだが、今回はなかった。
また、人質の殺害映像についても疑われないようにスティルを避けて動画にしていたのだが、日本向けは異なっていた。
とはいえ、日本政府側は、どのような情報をもとにしてかは公開していないが、人質の一人、湯川さんは殺害されたと見ている。日本政府側がどのような情報を持っているかは不明だが、その様子からすると、すでに湯川さんが殺害されてから、あの合成映像が作成された可能性は高いように思われる。
また、人質の一人、後藤さんへの「イスラム国」からの身代金請求は以前からあったらしく、それをなぜ今回おもてに出したのかも疑問が残る。
「イスラム国」にとって身代金獲得は組織化されたビジネスであり、ゆえに効率よく行わなければならない。現実に金銭を得るなら、トルコ側のルートを使わざるをえないし、そのルートなら日本政府側でも対応できただろう。だが、どこかで、そのビジネスの見込みが途絶えたのだろう。印象では、この部門の担当者ジハード・ジョンと「イスラム国」の外交政策はそう整合していない結果なのではないだろうか。
今回の事件の報道に関連してもいろいろ思うことはあったが、特に同種の事件が起きた昨年9月のAFPの対応は、日本のジャーナリズムの参考なるだろう。「【AFP記者コラム】「イスラム国」の斬首動画が報道機関に突きつけた課題」(参照)より。
私たちに突き付けられた課題は、報道する義務と、記者たちの安全を担保することのバランスをどう取るか。さらには暴力のプロパガンダに利用されないように、そして犠牲になった人の威厳も守りながら、過激派が公開する写真や動画をどこまで報じるかという問題だ。
ただ昨年の8月以来、私たちは、反体制派が支配している地域に記者を送ることはやめた。危険すぎるためだ。外国のジャーナリストがそうした無法地帯に飛び込めば、誘拐や殺害されるリスクが高い。AFPに定期的に動画などを提供していた米国人ジャーナリストのジェームズ・フォーリー(James Foley)氏が8月に、ISに殺害されたような悲劇が起こり得るのだ。反体制派が支配する地域では、外国人ジャーナリストはもはや地元住民の苦しみを外部に伝える目撃者としては歓迎されておらず、攻撃のターゲット、あるいは身代金のための「商品」として見られている。
すでにジャーナリストが身代金ビジネスの「商品」になっていた。
そのため、AFPはフリーのジャーナリストが、私たちが足を踏み入れない地域で取材してきた素材を受けつけないことにした。これは明確な決定であり、周知するためにもここで念を押しておきたい。フリーの記者がシリアに行って取材してきた情報も写真も映像も、私たちは使わない。
フリーランスはシリア内戦で大きな犠牲を払ってきた。大きすぎる犠牲だ。そのようなリスクを背負おうとする彼らの背中を、私たちは押したくはない。
この点は日本のメディアも再確認することになるだろう。
「イスラム国」が使う残酷な動画について、どうジャーナリズムは対応するべきか?
同時に、数々の編集倫理の問題も突きつけられることになる。人質が首を切断された動画を見たとき、最初に私たちが思うのは、ISのプロパガンダ戦略に手を貸さないためにも契約メディアに送るべきではないということだ。だがそのイメージに情報がある限り、私たち通信社にはそれを伝える責務がある。
そのため、私たちはこうしたイメージを報じる際には、慎重に行っている。まず、その動画の情報源を特定し、どうやって入手したかを説明する。次に、プロパガンダのための暴力シーンは報じない。これが、先月から相次いで公開された人質の斬首場面をAFPが流さなかった理由だ。
恐怖映像そのものがプロパガンダなので、それに同調しないほうがよい。
また、彼らの主張をそのまま流すことはしないのも同様の指針になる。
殺害場面を編集なしにすべて公開し、人質がバラク・オバマ(Barack Obama)米大統領の中東政策を非難している場面まで流したメディアもある。だがAFPはそのように強制的に言わされている動画は公開しない。
今回の事例では、「イスラム国」側では、「安倍首相」を名指している。
この点、ハフィントンポストでは動画そのままではないが、「後藤健二さんとみられる男性の声明全文」として論評もなく全文を掲載した。
メディアでその全文を伝えるということはジャーナリズムの判断としてはありうることだ。しかし、テロリストの声明をなんの明瞭な論評もないままベタに掲載したという点は、ハフィントンポストはジャーナリズムとして恥ずかしいことであると、私は思う。
追記(同日)
その後、読売新聞サイトでも「後藤健二さんとみられる男性のメッセージの和訳」を見かけた。ハフィントンポストだけの対応ではなかった。
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