−−イラク戦争−−
イラク戦争−命懸けVJ列伝(1)
ジャパンプレス 山本美香さん(35)
 バケツ2杯の水で身体を洗った山本さん |
◇1秒3000円
イラク戦争の最前線バグクダッドで今、『ビデオジャーナリスト』(VJ)と呼ばれる戦士たちが連日、迫真のリポートを送り続けている。命を懸けた仕事への報酬は「1秒3000円」ともされるが、VJには、どんな素顔が隠されているのだろうか。
激しい空爆が続くバグダッドから数人のVJが決死のリポートを日本に伝えている。そんな歴戦の猛者に交じった紅一点が「ジャパンプレス」の山本美香さん(35)。
少女時代、「世界の国を見てみたい」と夢見た山本さん。アフガン戦争では「薪で沸かしたバケツ2杯の水で身体を洗った」という過酷な状況で仕事をこなし、今や危険な現場をいとわない女性ジャーナリストの第一人者となった。
イラクでは取材の制約こそあるが、「生活面の不自由はほとんど感じません」とたくましい。
67年、山梨県で生まれ、都留市で育った山本さんについて、中・高校の同級生は「昔から、物事を深く考えている人と思っていた。仕事に集中するため、今は独身と聞いています」と話す。
大手全国紙の記者だった父親の影響もあり、「報道の仕事をしたい」と思い始めた山本さんは、地元の都留文化大を卒業後、東京のCS放送局に記者兼ディレクターとして入社。雲仙普賢岳噴火の被災地など取材するほか、子供向けニュース番組やドキュメンタリー番組を制作していた。
◇自立心と負けん気と…
だが、折からの平成大不況。放送局が報道番組の自前製作を控えるようになったこともあり、山本さんは95年、安定した同局を飛び出し、フリージャーナリスト集団「アジアプレス」に所属するVJとして独立した。
アジアプレスの野中章弘代表は「フリーはすべてを自分でやらなければならないため、負けん気が強く、自立した人でなければやっていけない。彼女とは会社にいたころにも一緒に取材したが、きちんと仕事ができる自立心の強い人で、フリーでやれる資質は十分あった」と振り返る。
96年には、バグダッドでともに仕事をしている先輩VJの佐藤和孝氏らと、独立系通信社「ジャパンプレス」を設立。
チェチェンなど紛争地域の取材を続け、01年に佐藤氏とアフガンに滞在中、米軍による攻撃が始まった。そのまま、現地に踏みとどまり、日本のテレビに100回以上のリポートを送るなどし、一躍注目された。
今回のイラク戦争でも、開戦当初の生リポート中、滞在するホテルの近くが爆撃に遭遇。その瞬間だけは、さすがに「キャー」と悲鳴を上げる一幕もあったが、その後は冷静なリポートを送り続けている。
前出の野中氏は「そりゃあ、彼女も怖いでしょう。でも、以前から、生き方ややりたいことに迷いがなく一貫していた。女性の立場から、戦争や紛争を記録するという意義を十分に認識しているから、続けられるのでしょう」という。
山梨県の実家では、母親が「心配です。でも、自分で選んだ道ですから、私たちは見守るだけ。毎日、テレビのリポートで無事を確認し、活躍を願っています」と、娘の元気な声と画像を見つめる日々が続いている。
(伊藤猛)
|