憧れは憧れにとどめよ
先日ちくさあの海さんに行った時の事でした
ちくさあの海で
ある想念さんに
こんなことを教えてもらいました
「
憧れは 憧れにとどめよ 」
(・・;)?
「
憧れてる者は
決して 中心点にしてはならない 」
(・・;)?
「
憧れてる存在と
なりたい存在は違う 」
?(・・;)?・
「
人の目から見ると
憧れてる者
と
なりたい者は
似た存在に見えるかもしれぬ
だが両者は
想いの観点で
厳然とした差がある 」
厳然とした差・
(・・;)・
「
中心は
中心になりたい者しかなってはいけない
中心に憧れてる者を中心にしたのが
おおきなひづみのはじまり 」
(・・;)・
「
憧れてただけの者を中心にした
ひづみがあったが故に
付け入るスキを与え
搾取 貧困 戦乱 支配が起こった
」
私は
この島の古代史の流れのイメージを見せられました
藤原や仏教が
この島にとりつくことができたのは
それよりももっと前の歴史
古代大和(ジャバト)の頃に起った
ひづみにその原因があったことを見せられました
ひづみとは
古代大和において
中心点に憧れていた存在が
中心点として崇められたこと
それが後の時代
藤原や仏教集団につけいる隙を与え
この島の人達に
荘園制度の搾取や
戦国時代などの悲劇をたくさん味わわせることとなった
そんなイメージでした
そして私に
それを見せてくれた想念は
なおもこう続けました
「
なりたい存在は
憧れてる存在は違う
なりたい存在は それになる為に 引力を発してる存在
憧れてる存在は なりたい存在の引力に巻き込まれている存在
何かに憧れてる時点で
すでにその者は
引力に巻き込まれてるということ 」
(・・;)!
「
引力あるものではなく
引力に巻き込まれてる存在を中心にすれば
その集団
集合体は 引力 つながりを維持できず
バラバラになる
想いの観点では
引力という視点では
なりたい者と
憧れる者の間には
厳然とした差があるのだ 」
(・・;)
「
そして古代よりももっともっと大昔に
憧れてる者とは
ただ引力に巻き込まれてる存在
そのことを知りながら
中心に憧れてた者達を
たきつけそそのかし
中心でいたかった者達と
すげかえた存在がいる 」
(・・;)
「
それが妬みだ
だから妬みは この星から排除されるのだ 」(ちくさあの海さんの想念の言葉)
その後も
ちくさあの海さんの想念に
色々なイメージを見せてもらいました
中心に憧れてる存在は
本当に中心になりたいわけではなく
中心のまわりを楽しく生きたかった存在
でもそんなまわりで楽しく生きたい存在を
中心につければ
まわりをまわる集合体すべてが
バラバラになり 滅んでいく
それは星で言いかえるならば
月が夜空を照らすぐらい明るいからと言って
地球に
月のまわりを回らせるような行為にも等しく
もしも地球が
太陽のまわりではなく
月のまわりを回るようになったら
地球と言う星はあっというまに死に瀕してしまう
それぐらい妬みは
残酷な行為を
人類に対して行ってきたということでした
そして
昔々の大昔の人達は
憧れてる存在と なりたい存在の違いを知っているようでした
でもいつの間にか
多くの人間がその違いを忘れさせられて
今
多くの人達が
憧れてる存在と
中心になりたい存在を錯覚しているイメージも見えました
古代に
憧れてた存在が中心につけられたことで
それにより人の想念 自然とのつながりが分断され
つながりがバラバラにされていった
昔々の王様達も
中心になりたかったわけではなく
元は中心に憧れていた存在だったということもわかりました
中心に憧れてるだけの存在を
中心点にすることの恐ろしさ
引力の無い者を
座にすることの残酷さ
それをさせていた者たちは
本当にひどいことをしていたんだということがわかりました
そして近未来の人類も見えました
近未来では
それになりたい存在と
それに憧れてる存在は
明確に区分けされ
中心点になりたい存在は
今よりも
意志をもっと問われ
精査されている様子でした
ちくさあの海さんにはたくさんの想念がいます
これからもたくさんの想念さんに
もっとたくさん教えて欲しいとおもいました
追伸
☆主役 脇役 名脇役☆
かたりて ガオガオ
ガオガオちゃんが
上の記事にも
ちょっと似ているニュアンスの
こんなお話をしてくれました
(>ω<)/
「
存在感あるスター
本当にいなくなったね 」
(・・;)
「
ドラマや映画の
主役は演技はできなくていいんだ
演技
うまかったら主役じゃないんだ 」
(・・;)?
「
演技とはマネっこ
マネをすることだ
マネが上手かったら
主役の資質じゃない
主役には引力が欠かせないんだ
引力=存在感と
マネをすることが上手いとは
まったく違う資質なんだ 」
(・・;)・
「
存在感とは引力だ
だから主役は
自分が自分であることが大切で
役になりきる必要はないんだ 」
(・・;)
「
演技上手は脇役の資質だ
主役を支える名脇役だ
主役の資質は存在感だ
主役とは
どれだけ心に残る印象を残せるか
それが作品の存在感につながるんだ 」
(・・;)
「
往年の大スターの中にはな
存在感が演技よりだいじ
その事を知っていた者達も多かったんだ
だから演技上手と言われたり
セリフを覚えるのが上手いと言われるよりも
立っているだけで絵になるような雰囲気
存在感みたいなものを求めていたんだ 」
(・・;)
「
それとな
誤解してる奴も多いんだけどな
存在感と威圧感は違うぞ
勘違いしてるのはDQNにおおいけどな
DQNとアイドルは資質が違うんだ 」
(・・;)・
「
威圧感はな
その時脅かされても
後になったら
あんな奴 忘れたいとおもうだろ
威圧感は
いじめればいじめるほどつくけど
いずれ消えゆくもの
人に不快な現実を与え続けたことで
逆に影が薄くなり
存在感は消えるんだ
」
(・・;)・
「
いじめられっ子は
おどおどしてるようで
本当の意味で存在感はついていくんだ
何故なら
存在を感じない者は人はいじめないからな
いじめられると
逆に存在感が認識されていくんだ 」
(・・;)
「
つまりな
いじめらた経験が多い者ほど
存在としては強くなっているんだ
奪われた者達ほど
その存在は強くなる
これがエネルギーなんだ 」(ガオガオちゃんの言葉)