余白を見に行こう

「愛とは、誰かのおかげで自分を愛せるようになること」 芥川賞作家・平野啓一郎氏が説く"自己愛"の正体 | ログミー[o_O]
分人って考え方。複数のコミュニティに対してそれぞれのアイデンティティを持ち、各割合を調節することで幸福を目指す考え方、という認識でいる。自殺について、自分をすべて消し去りたいのではないと考えられるようにもなる。リンク先はインタビュー。
自殺願望はポジティブな意思から生まれる――平野啓一郎インタビュー前編|心の空白を満たす「分人」という薬|平野啓一郎|cakes(ケイクス)
詳しくは本を読むと、さらに理解が深まると思う*1

ただ、どうしても納得できない部分がある。複数アイデンティティを持つとしても、人生の重点はどうしても偏る。たとえば、仕事7割家庭2割その他1割のように。そこをうまく分散したり、調節できるのかどうか。それから、笑顔でいられる居場所を常にキープしていられるのかどうか、という点だ*2

ここらへんを埋めるのに、余白にあるアイデンティティを信じよう。この考えが自分に合うように思う。 端的に述べれば可能性があるというだけだが、強いて余白という言葉を使うのは、身体感覚として自分や相手のまだもたない空間を想像するのにもってこいだから。言語化しないでも済む感覚なら、それを保ちながら会話しやすい。

このたとえはよく使うけど、10000㎡の公園に入って、目の前の100㎡にハトが30羽いたとしても、その公園に3000羽のハトがいるとは断定できない。それは別の100㎡に行ってみなければわからない。
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つまり、関係あるもののアイデンティティだけでなくて、まだ関わりのないものでもし関わったなら生まれるアイデンティティや今ある関係の未来に生まれるアイデンティティを信じる、ということも大切なんだと思う。

これは他人に対してもそうだ。つきあいの中で不快だったり嫌気がさしたときに、この人はこうだなと勝手に規定して塗りつぶさない。自分のまだ見えていない相手の余白が存在するということ、どこかでそれを信じることが重要なのだと思う*3

*1:ひとつめは小説。

空白を満たしなさい

空白を満たしなさい

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

*2:読み落としや不理解があるだけかもしれないが。

*3:メンヘラのように際限のない人を想定した場合は、どこかで限度を設定してそれを越えたら一発アウトとするやり方が良いように思う。