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《「真説・古代史」拾遺編》(17)

「倭」と「日本」(1):和風諡号一覧


 「昭和の抵抗権・・・」はまだまだ続きますが、《「真説・古代史」拾遺編》との2本立てやっていこうと思います。

 さて、9月20日、ゴンベイさんから次の様なコメントをいただきました。(ゴンベイさん、度々のコメント、ありがとうございます。)

日本なのに倭の字を当てた国風諡号

国学院大学所属の研究者・野村朋弘氏による諡号解説を読んだ上で、真説・古代史シリーズを読み直すとさらに興味深いですね。

諡法解

「日本」という国号が定められた後の国風諡号であるのに、次の二帝は諡号中で「やまと」に対して「日本」ではなく「倭」の字を当てています。それは何故か?

持統帝:645-690-697-702
 大倭根子天之広野日女尊[おおやまとねこあめのひろのひめ]
文武帝:683-697-707-707
 倭根子豊祖父天皇[やまとねことよおほじのすめらみこと]



 この問題には私も関心があって、いずれ取り上げたいと思っていた。緊密に関わり合っているけれども、問題は大きく三点に分けられる。

①「倭」の問題
 「倭」を「ヤマト」と読むのはなぜか。これを「ヤマト」と読むのは正しい読みなのか。「ヤマト」と読まれている文字は「倭」「日本」のほかに「大和」「山跡」「山常」などいろいろあるが、それらはどういう関係があるのか。

②「日本」の問題
 国号としての「日本」(近畿ヤマト王権)が国際社会(東アジア)において初めて認知されたのは7世紀末~8世紀初めであった(『真説・古代史(82):ヤマト王朝の成立』 を参照してください)。しかし、「日本」を「ヤマト」と読むのはどうしてなのか。「日本」を「ヒノモト」とも読む場合があるが、「日下」も「クサカ」ではなく「ヒノモト」と読む例がある。これらの例との関係はないのだろうか。あるいは国号としての「日本」以前に「日本」という文字は使われていたのではないか。

③和風(国風)諡号の問題
 和風諡号からはどんな意味が読み取れるのだろうか。特に「倭」と「日本」が混在しているのはどうしてなのか。「倭国」と「日本国」の関係が反映されているのだろうか。

 ③の問題から入っていこう。

野村朋弘氏によると、殯宮儀礼の一部として国風諡号が献呈された最初の例は安閑だという。これは、いわば戒名のようなものだが、ここではこのような意味での諡号だけではなく、名前を美称した称号としての諡号も含めて考えることにする。

 そこで全ての和風諡号の一覧を知りたいとネット検索してみたが、なかった。自分で作ることにした。

漢風諡号(読み)
和風諡号の漢字表記
和風諡号の読み

というように列記している。古事記と日本書紀の両方に記載されているものについては、日本書紀での漢字表記を()で示した。なお、漢字は原則として新字体にした。(例によって、点検をしていません。間違いがあったら、教えてください。)

神武(じんむ)
神倭伊波禮毘古
(神日本磐余彦)
かんやまといわれびこ

綏靖(すいぜい)
神沼河耳
(神淳名川耳)
かんぬなかわみみ

安寧(あんねい)
師木津日子玉手見
(磯城津彦玉手看)
しきつひこたまでみ

懿徳(いとく)
大倭日子鉏友
(大日本彦耜友)
おおやまとひこすきとも

孝昭(こうしょう)
御真津日子訶恵志泥
(観松彦香殖稲)
みまつひこかえしね

孝安(こうあん)
大倭帯日子国押人
(日本足彦国押人)
やまとたらしひこくにおしひと

孝霊(こうれい)
大倭根子賦斗邇
(大日本根子彦太瓊)
おおやまとねこひこふとに

孝元(こうげん)
大倭根子日子国玖琉
(大日本根子彦国牽)
おおやまとねこひこくにくる

開化(かいか)
若倭根子日子大毘毘
(稚日本根子彦大日日)
わかやまとねこひこおおひひ

崇神(すじん)
御真木入日子印恵
(御間城入彦五十瓊殖)
みまきいりひこいにえ

垂仁(すいにん)
伊久米伊理毘子伊佐知
(活目入彦五十狭茅)
いくめいりひこいさち

景行(けいこう)
大帯日子淤斯呂和気
(大足彦忍代別)
おおたらしひこおしろわけ

成務(せいむ)
若帯日子
(椎足彦)
わかたらしひこ

仲哀(ちゅうあい)
帯中日子
(足仲彦)
たらしなかつひこ

応神(おうじん)
品陀和気
(誉田)
ほんたわけ

仁徳(にんとく)
大雀
(大鷦鷯)
おおさざき

履中(りちゅう)
伊邪本和気
(去来穂別)
いざほわけ

反正(はんぜい)
水歯別
(端歯別)
みずはわけ

允恭(いんぎょう)
男浅津間若子宿禰
(雄朝津間稚子宿禰)
をあさづまわくごのすくね

安康(あんこう)
穴穂
(穴穂)
あなほ

雄略(ゆうりゃく)
大長谷若建
(大泊瀬幼武)
おおはつせわかたけ

清寧(せいねい)
白髪大倭根子
(白髪武広国押稚日本根子)
しらがのたけひろくにおしわかやまとねこ

顕宗(けんぞう)
袁祁
(弘計)
おけ

仁賢(にんけん)
意祁
(億計)
おけ

武烈(ぶれつ)
小長谷若雀
(小泊瀬稚鷦鷯)
おはつせわかさざき

継体(けいたい)
袁本杼
(男大迹)
をほど

安閑(あんかん)
広国押建金日
(広国押武金日)
ひろくにおしたけかなひ

宣化(せんか)
建小広国押楯
(武小広国押盾)
たけおひろくにおしたて

欽明(きんめい)
天国押波流岐広庭
(天国排開広庭)
あめくにおしひらきひろにわ

敏達(びたつ)
沼名倉太玉敷
(淳中倉太珠敷)
ぬなくらふとたましき

用明(ようめい)
橘豊日
(橘豊日)
たちばなのとよひ

崇峻(すしゅん)
長谷部若雀
(泊瀬部)
はつせべ

推古(すいこ)
豊御食炊屋比売
(豊御食炊屋姫)
とよみけかしきやひめ


(ここまで「古事記」
「日本書紀」)

(これより「日本書紀」)


舒明(じょめい)
息長足日広額
おきながたらしひひろぬか

皇極(こうぎょく)
天豊財重日足姫
あめとよたからいかしひたらしひめ

孝徳(こうとく)
天万豊日
あめよろずとよひ

斉明(さいめい 皇極天皇重詐)

天智(てんち)
天命開別
あめのみことひらかすわけ

天武(てんむ)
天淳中原瀛真人
あまのぬなはらおきのまひと

持統
高天原広野姫
かたまのはらのひろのひめ
または
大倭根子天之広野日女
おおやまとねこあめのひろのひめ


(ここまで「日本書紀」)

(以下は「続日本紀」)


文武
倭根子豊祖父
やまとねことよおおじ
または
天之真宗豊祖父
あまのまむねのとよおおじ

元明
日本根子天津御代豊国成姫
やまとねこあまつみしろとよくになりひめ

元正
日本根子高瑞浄足姫
やまとねこたかみずきよたらしひめ

聖武
天璽国押開豊桜彦
あめしるしくにおしはらきとよさくらひこ

光仁
天宗高紹
あめむねたかつぎ

桓武
日本根子皇統弥照
やまとねこみすまるいよよてらす

平城
日本根子天推国高彦
やまとねこあめおしくにたかひこ

淳和
日本根子天高譲弥遠
やまとねこあめたかゆづるいやとほし



 コメント
この記事へのコメント
稲作 漢字 日本
稲作を持って来た人々はかなりの人数と聞きます。長江辺りからボート人としてきたのか。弥生の主流はその人人と聞きます。その時は漢字ではなく何でしょうか。漢字は漢に追われた秦の人々が伝えたのでしょうか。そして漢に金印を貰うまでに文明化した。その後に倭から日本には唐の朝鮮侵攻からなのでしょうか。
2009/08/06(木) 20:25 | URL | 石山みずか #-[ 編集]
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