2015-01-24

男性差別」についての散らかった思考メモ

引用は『男性権力神話から

 

恋愛に受け身な側の理不尽さについて

デートイニシアティブを早くとらない男性を「情けない男」と呼び、デートイニシアティブがあまりにも早く行われれば「レイプ犯」とその男性を呼び、彼がうまく引っ張ってくれない場合「最低な男」と呼ぶ。

この文章が、恋愛について受け身な人の嫌な点を非常に的確に表現していると思った。

まどかさんのブログに出てくる「クラッシャられ男子」は、男子から情けなくて最低と評されるのであって、女子だったら許されているのが現状だ。そこそこ可愛い女子に生まれて愛想も良ければ、クラッシャられ男子レベルの受け身ぶりでも、口説かれて結婚して子供を産んで…と、ドロップアウトせずに人生王道を歩み続けることが出来る。

受け身で居ることが許されず、口説いた相手に拒否されるリスク男性けが一方的に負わされているのが、「男性性役割」であり、「男性差別」の一つなのだと思う。一方的リスクを負わされていることに気づき、不平等関係から降りたのが「草食男子」なのかもしれない。既得権は、得ている側は気づかないものなので、「草食男子」という降りた存在が現れたことで、女性既得権を失う可能性が初めて可視化されたのではないだろうか。

 

しかしこれからも、「待ちの姿勢で居る高嶺の花的な美貌の女性と、その女性を捨て身の献身でもって落とした男性」のストーリーは男女の恋愛における憧れの対象として語られ続けはすると思う。フィクションだけではなく、芸能人結婚話などで定期的に実話が投下されるとも思う。男性が「美貌の女性」に憧れる限り、女性が「捨て身の献身」に憧れる限り、そうしたストーリーの人気は続くだろう。しかし「美」も「献身」も希少であり、非常に高い価値を持ち、凡人には手が届かないものだ。簡単に手が届くという勘違いは、その人にとっての「世界」を「敵」に変える。凡庸な多くの人々にとっては、メジャーリーグセリエAオリンピックを観るような気持ちで、遠巻きに憧れの視線を送る程度がちょうど良いのだと思う。

 

異性をモノのように捉える理由について

個人的な拒絶を引き受けるよりもむしろ若い男性女性セックスのための物として見るように変えることを学ぶ───物に拒絶された方が彼はあまり傷つけられずにすむ。物として扱われることは彼女に疎外感を与え、拒絶されることは彼に痛みと怒りと弱さを感じさせる。

男性女性を物のように扱う加害者悪人」という一方的認識に一石を投じる解釈だと思う。

女性を物のように捉えることは、拒否されるリスク男性けが一方的に負わされ、そうした社会は変えられないという現状に対する、個人的適応なのだ。夫に傷つけられ失望しきった妻の心が麻痺し、夫がATMしか見えなくなるのも、一種の精神的な適応であると思う。非人間的な考え方の根源には、これ以上傷つくことを恐れるという人間的な理由がある。「だから女は肉便器、男はATMという考え方は正しい」と言いたいのではない。人間関係問題を解決に向かわせるためには、加害者批判に終始するのではなく、加害者理解必要なのだと言いたい。

 

男性女性性的拒否すべきではないという強い規範存在する。女性が幼い男性強姦するケースもあるが、笑い話やポルノ的消費で片付けられてしまいがちだ。女性ストーカーに怯える男性も「男らしくない」と罵倒される始末で、男性被害者こそセカンドレイプに晒され続けている。男性セカンドレイプに晒されることを当たり前と考えていると、女性セカンドレイプ晒すことも当たり前になる。セカンドレイプの悪質さに、被害者女性男性かということは、一切関係が無い。

 

優劣談義と集団への屈従を好む男性性質について

第二次世界大戦における日本人男性は、「武士道」の訓練をまだ受けていた。「武士道」は、屈従の方法であったので日本軍人は、進んで天皇および祖先のために死んだ。死以外に勝利への代替方法は許されないと考えるように彼は訓練を受けた。神風特攻隊は、「武士道」、すなわち「他者」への総合的な奴隷になる道の結果である

男性権力神話』には、これまで男性がいかに危険仕事従事し、いかに使い捨てにされ、いかに国家に殺されてきたかという話が繰り返し出てくる。若い男性労働力や命を、「名誉」を餌にして権力者が根こそぎ収奪して富を得ている構造がある。現在も「生活保護という不名誉から逃れるために過酷労働をしている男性が数多く居る。「他者」への総合的な奴隷、というのは上手い表現であると思う。

歴史を振り返るに、女性よりも男性の方が、よほど従属的だ。発言や態度が挑発的であったとしても、実際の行動が集団に従属的なのである最近男性が従属的で自尊心が低そうに「見える」女性を好むのは、支配欲というよりも共感なのではないだろうかと思う。男性向けの創作で、巨乳存在に萎縮する貧乳が描かれたりするが、「優れた同性」の存在にやたらと萎縮する傾向は、女性より男性の方が、実際には強いと思われる。身体的な特徴を優劣・上下関係単純化したがる傾向は男性によくみられる。強さ議論が好きであり、劣ったもの侮蔑することを好む。男性自殺が多い原因もここなのではないかと思っている。これが男女の器質的な違いによるものなのか、社会的な扱いの違いによるものなのか、あるいはその両方なのかは、専門家ではないのでわからない。しか男性は「男は強くあらねばならない」と考えているため、自分弱者被害者立場だったとしてもその事実を受け入れられず、強者収奪者の価値観内面化し、「収奪社会構造肯定する弱者」となってしまやすいのではないかと個人的に思う。その結果が「喜んで徴兵される」「経済的に失敗したので自殺する」などの、集団に屈従した行動ではないか。

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