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R18魔王の始め方 作者:笑うヤカン

本編

プロローグ

 暗く深い、日の光など射しようもない地の底で、男はつるはしを振るっていた。
 それは狭く暗い地下道に相応しい、みすぼらしい男だった。

 齢は相当な高齢らしく、顔はしわに覆われていない箇所はなく、背は曲がりに曲がっている。身に着けているのもボロボロの灰色のローブで、それも狭い地下道の埃と土にまみれ、その惨めな様相をいっそうみすぼらしくしている。腰につけたランタンもかなりの年代物で、辛うじて男とその周囲を照らしている。

 全身は汗にまみれ、つるはしを振るう腕にはもはや力は無い。
 息も絶え絶えで、いつ絶命してもおかしくないほど男は疲弊しきっていた。

 見た目も中身も疲れきり、磨耗しきったその男の中で、目だけがぎらぎらと強い光を放っていた。

 男は何かに取り憑かれたかのように、必死につるはしを振るう。振るう。振るう。

 そして、ついに。

 不意にごとりと音がして、土壁の一部が崩れた。
 男は目を見開き、その向こうを見る。

「ふ……ハハッ、アハハハハハ!」

 そして、今までにも勝る熱心さで腕を振るい始めた。
 土壁は見る見るその亀裂を増していき、やがて人が通れるほどの大きさになる。
 男はつるはしを放り投げると、哄笑と共にその中に踊りこんだ。

「ハハハハハ! やった、ついにやったぞ!
 この、味わいさえ感じるほどの芳醇な魔力の香り!
 ついに見つけ出したのだ!」

 男は自身の胸元を探ると、首にかけていた首飾りを強引に引きちぎった。乞食よりもみすぼらしい男が身に着けていた唯一の装飾品であるそれには、小指の先ほどの大きさのガラスで出来た瓶がつながれていた。

 その瓶を男は地下道の先にあった空洞の中心に掲げる。すると辺りの空気が渦巻き、ゆっくりと瓶に集中していく。それと同時に、瓶の中には琥珀色の液体が湧き出てきた。

「視認さえ出来る高濃度の魔力の結晶……!
 素晴らしい、これだけあれば!」

 男は瓶を地面に置くと、低い声で呪文を唱え始める。半刻(1時間)ほどもそうしていただろうか。
 長い長い呪文は徐々に熱を帯び、弱弱しく呟くように紡がれていたそれはいつの間にか朗々と、力強い声によって唱えられる。
 最後には半ば叫ぶようにして呪文は終わりを告げ、それと同時に男の身体は強い光に包まれた。

「力が、溢れてくる……これが若い肉体と言う物か!」

 光が消えた後には、若く逞しい青年が立っていた。
 腰が曲がり、皺に覆われた老人の面影は微塵もない。真っ直ぐ剣の様に伸びた長身に端正な顔立ち。四肢は力に溢れ、肌は絹の様に滑らか。ただ一つ、ぎらぎらと光る双眸だけが元の老人と共通していた。

「おっと、もう一杯になるか」

 瓶になみなみと湧き出てきた液体は、早くも瓶の9割ほどを満たしていた。
 男が若返ったときに僅かにその量を減じさせたものの、溜まる速度の方が圧倒的に早い。

 男は呪文を紡ぎながら腕を振るう。その指先から琥珀色の魔力が溢れ、瓶を貫く。
 瓶は見る間に大きく膨れ上がり、ひと一人が入れるほどの大きさになった。

「これで当分は持つだろう。さて……」

 男は短く呪文を呟き魔法の光を灯し、次いで少し長めの呪文を唱えた。男の指先が放った光を浴びて、天然の空洞だった洞窟は見る間に煉瓦で造られた殺風景な地下の一室へと姿を変える。

 そして指の先に歯を突きたて、石畳の床に血で魔法陣を書き始める。
 書きあがった魔法陣を軽く撫でてその出来を確かめると、男は更に呪文を唱え始めた。

 若返ったときよりも更に長く、複雑な呪文だ。
 男の額には珠のような汗が噴出し、苦痛に顔が歪んだ。

 空気が震え、部屋の外に置いてあったままのランタンの炎がふっと掻き消えた。
 それまで静寂を保っていた空間に、弓の弦を絞るような音がギリギリと音が鳴る。

 炎の消えた空間を支配していた闇が、まるで意思を持つかのように蠢き、ゆっくりと形をとり始める。
 その影は明かり一つ無い暗闇の中でなお暗く、はっきりとした輪郭をとり……

 そして、鈴の音の様な声をあげた。

「……わたしを呼んだのは、あなた?」

 男の前に現れたのは、申し訳程度の衣服に身を包んだ妖艶な美女だった。
 黒々とした髪は長く艶やかで、白い肌を包むように伸びている。
 ほっそりとした手足はすらりと伸び、しかし出る所はしっかりとその存在を主張していた。

「そうだ」

 女の問いに、男は頷く。

「そう……じゃあ、呼んでくれた御礼にとびきりの夢を見せてあげる。
 この魔法陣を消してもらえる? このままじゃ、その素敵な唇に
 キスする事もできないわ」

 すがるような弱弱しさで、女は甘い声を出した。それを男は冷笑する。

「それはできないな。その魔法陣を消してしまえば、お前は自由に
 行動することができる。お前はすぐさま俺の魂を奪って魔界に戻るだろう。
 魔法陣を消すのは、契約を結んでからだ」

 男がそういった瞬間、女の表情が一変する。
 哀れみを誘う弱弱しい少女のものから、ふてぶてしく経験豊富な娼婦のそれへと。

「つまんないの、ちょっとした冗談じゃない。
 これだけの魔力を用意できる魔術師がそんな初歩的な失敗を
 するわけがないんだから」

 女悪魔は空中に椅子でもあるかのように虚空に腰掛け、足を組む。
 意識するとしないとに関わらず、その動作は扇情的で艶かしい。

「で? 私は何をすればいいわけ? 愚かな男達から精を吸い上げる?
 それとも、あなたの敵に無限の悪夢を見せてやる?
 あなた自身に最高の夜を見せてあげるのもいいけど」

「うむ。お前にはダンジョンを作ってもらいたい」

「はあ!?」

 男の言葉に、思わず女悪魔は見えない椅子から転げ落ちた。

「殆ど下着みたいな格好をしてるんだから、そんな事をしても嬉しく無いぞ。
 仮にも夢魔ならパンチラに重要な事くらい……」

「そんな事はどうでもいいっ!
 今、なんかダンジョンを作れって聞こえた気がしたんだけど?」

「ああ、そう言った」

 男は頷き、両腕を一杯に広げ地下室をぐるりと見渡す。

「いまだかつて誰も見た事の無いような、深く、広く、凶悪な迷宮を。
 無数の罠と、怪物どもと、財宝が待ち受ける大迷宮を。
 地下の世界を統べるかのような、途方も無いダンジョンを作って欲しい」

 女悪魔は思わず頭を抑えた。病気などとは無縁の身だ。
 直接的な打撃以外で頭痛を覚えることなど初めてのことだった。

「あのね……百歩譲って、そのダンジョンの守衛として召喚されるなら
 まだわかる。そういう条件で呼ばれた事もなくは無いしね。
 でも、ダンジョンを作れってどういう事よ!?
 そんな事はゴブリンかゴーレムにでも任せなさいよ!」

「無論、穴を掘る作業はそういったものどもに任せる。
 だがそれ以外の膨大な作業を手伝う者がいるのだ。

 ダンジョンの通路は、部屋はどのように配する?
 罠と怪物どもは? 守衛となる魔物も生き物なら、餌がいる。
 その調達は如何にする? 我が迷宮が大きくなれば、それを脅かそうとする
 不届き者も出るだろう。そのような輩への対処は?

 考えるべきこと、すべき事は無数にある。
 それを、貴様に手伝ってもらいたい」

「……それは分かったけど、何で私なわけ?」

 ようやく体勢を直し問い掛ける女悪魔に、男は指を三本突き出してみせる。

「理由は三つだ。
 まず第一に、俺は人間を信じておらん。人は必ず裏切る。
 妖魔や亜人の類もそれは同じだ。お前たち悪魔は隙あらば人を
 陥れようとするが、契約を破る事は絶対に出来ない。
 だから、人間ではなく、悪魔を選んだ。

 第二に、通常悪魔は高位になればなるほど高い力と知恵を持つが、
 その分だけ契約や維持に大量の魔力が必要となる。
 お前達夢魔は人間の欲望に密接にかかわり、精を吸い取る事を生業と
 している変り種だ。さほど強くは無い代わりに、必要な魔力に対して
 賢く、人間の感情の機微にも聡い。
 だから、夢魔を選んだ。

 第三に……」

 男はそこで言葉を切り、女悪魔の身体を眺めてニヤリと笑みを見せた。

「どうせ傍に置くなら、見てくれだけでも美しく若い女が良い。
 だからお前を選んだ」

 女悪魔は、一瞬ぽかんとして男を見た後、くすりと笑った。

「……なるほどね。いいわ、その仕事、手伝ってあげる」

「では、この契約に名を持って同意してくれ」

 男は懐から紙を取り出し、女悪魔に見せる。相も変らぬ暗闇の中だが、
 闇の眷属たる悪魔にそんな事は関係あるはずも無い。

「契約内容を用意してあるの? 準備がいいのね……
 って細かっ!? 一体何条あるのよコレ!?」

 魔法陣越しに提示された羊皮紙には、細かい字でびっしりと条文が書かれていた。

「言っただろう、お前達悪魔は隙あらば人間を陥れようとする、と。
 それを防ぐ為の条文だ。極端にお前の不利になるような不平等な
 条文は無いから安心しろ……と言っても信用はできんだろうからな。
 好きなだけ読むがいい」

「そんなことしなくったって裏切ったりしないって、もう……
 あーもう字が細かすぎるのよ……」

 ぶつぶつと文句を言いながら目を細めつつ、条文に目を走らせる。

「ん、とりあえずはいいわ……
 これ、目に見えないくらい細かい文字とか、特殊なインクで
 普通には見えない文字とかで書いた条文が隠されたりしてないでしょうね。
 あったら契約自体無効だからね」

 疑いの眼差しを向ける女悪魔に、男は心外そうに眉をひそめる。

「そちらの不利になるような文は無いと言っているだろうが。
 疑い深い奴だな」

「お前が言うなっ!
 ……まあいいわ。じゃあ、契約するよ」

「ああ。汝、サキュバスよ。この契約に従い、名を持って我が力となるか?」

 名前は、魔術師や悪魔といった魔に関わる者たちにとって重大な意味を持つ。
 ある程度以上の力を持つものであれば、相手の名前を知るだけで呪いをかけ、その魂を支配することさえ出来る。

 悪魔との契約はそれを利用したものであり、名前を持って結んだ契約はお互いにいかなる事があっても破る事は出来ない。

「我が名、リルシャーナにかけて誓う。
 契約に従い、あなたに力を貸しましょう」

「ならば、我が名アイン・ソフ・オウルにおいて、この契約を守る事を誓おう」

 宣誓の言葉に応じ、契約書が光り輝く。そして、炎に包まれると一瞬にして燃え尽きた。

 契約内容は二人の魂に刻み込まれ、追記も改変もけして出来ない存在となったのだ。

「では、これからよろしく頼むぞ。……俺の事はオウルと呼べ」

「はいはい。私はリルでいいわ……よろしくね、オウル」

 変なのと関わっちゃった気もするけど。
 その言葉を、リルは辛うじて飲み込んだ。

 魔法陣を越えて、互いの手が握られる。

 こうして、二人の迷宮作りの日々が始まった。
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