日本の国民的なゲームは、ドラクエ、モンハン、パズドラだと思う。僕は任天堂が好きだけど、マリオやゼルダは海外でも人気があるし、グローバルスタンダードの方向に傾きつつある。その点、ドラクエやモンハンや日本人にしか人気がない、と言うと失礼だし、実際そんなことはないのかもしれないけれど、日本人のメンタリティに合ったゲームは、「ドラゴンクエスト」、「モンスターモンスター」、「パズル&ドラゴンズ(をはじめとするソーシャルゲーム)」だよ。
リンクは貼らないけど、以前、モンハンとパズドラは難しすぎるし、ややこしいし、チュートリアルも不親切だと書いて炎上した記事があった。なんでそんなことで炎上するんだとも思ったけど、これも記事で扱ったゲームの特徴に起因しているのだろう。
僕の意見では、モンハンやパズドラは普通にわかりにくい、というより、わかりにくいと感じる人がいても無理はないゲームだと思う。まあ、ゲームのルールや動かし方というのはやってる内にわかってくるもので、例えばボードゲームのルールを文章で読んでも全然ピンとこない。実際にプレイヤーになってプレイしてみると、何をするゲームなのかが段々わかってくる。
ただ、それを実際にやってみて慣れるまでのハードルが高いということはあるだろう。ドラクエ、モンハン、パズドラは海外では人気がないが、外人からするとよくわからないし取っ付きにくいんじゃないかな。採取して調合したり肉焼いたり、装備の切れ味が落ちたり、必要な素材を出すために何度も同じことを繰り返したり、もちろん、「だからこそいいんだ!」ということは好んでそれをプレイする僕たちは知ってるんだけど。「何が面白いの?」と聞かれたら説明するのは難しい。
外人が、「JRPGはなんでそんなに退屈なんだい? HAHAHAHA バキューン!バキューン!(銃をぶっ放す)」と言うのも無理はない。日本のRPGのあり方がちょっと特殊なのであって、それは善し悪しの問題でもない。
ドラクエ、モンハン、パズドラには、ある「コード」があって、それは一見わかりにくいんだけど、一度理解して馴染んでしまえばすごく心地がいい、という種類のものだ。わりと複雑だったり高度なことを知らない間にやっていたりもするんだけど、ただ、自慢できるようなことでもない。ゲーム実況のコメントなんかを見ていて、初見のユーザー(実況者)が戸惑っていると、「チンパン」なんて言葉がたくさん書き込まれたり、イラつく厨がいて動画が荒れたりするというのも、いかにも日本的だなあ、としみじみ感じる。自分がその内側にいると、外にいる人に対して意地悪になってくる。
日本人の中にも二次元文化がわからない人はたくさんいるし、日本はガラパゴスだとよく指摘されるように、外国人からするとドラクエとかモンハンというのはますます理解しにくいんだよね。RPGというのは国民の大多数がやるようなゲームじゃなくて、もともとは一部の層がやるマニアックなものだから。
ぽちぽちボタン押してレベル上げたりたくさんテキスト読んだり、面倒くさい合成とか強化を繰り返したりするのは少数派であって、大多数にウケるのは、銃の撃ち合いとかカーレースとかスポーツとか、もっと直接的でわかりやすいものだ。
そういう和ゲー独特のあり方を、誇るわけでも貶すわけでもなく、自覚することは、それなりに必要なことだと思う。少なくとも、それに馴染めない人を攻撃するべきではないだろう。
僕の考えを言うなら、コツコツレベル上げをしたり、スキルとか運とか名声というステータスを上げるためにクエストを周回して同じモンスターを合成したり、良い個体が出るまでタマゴを何度も孵化させたり、同じアプリを何度もインストールしてレアキャラが出るまで粘ったり、こういうことを多くのユーザーがやっているのは、皮肉ではなく、日本人の「美徳」だと個人的には思っている。
普通に考えたら苦役でしかないことを好んでやってるというのはすごいし、何かもっと別の生産的なことに活かせないだろうか、とも思ったりしてしまう。
国民的ゲームとしてドラクエ、モンスト、パズドラを挙げたけど、メーカーは違えど、これらのゲームは全部同じ流れにあると思う。
ドラゴンクエストは、ほとんどボタンを押しているだけでレベルが上がるしクリアできる。モンスターハンターは、狩猟を打ち出していて、アクション性が高くストーリーもない。だから一見ドラクエとは対峙しているようにも見えるが、大衆的なゲームになっていくにつれて、ドラクエが持っていた「ぬるさ」を、おそらく他のどのゲームよりも理想的な形で引き継いでいる。そしてパズドラは、モンハンに比べてできることは極端に少ないが、その核になっている部分をしっかり押さえている。
これらのゲームに共通しているのは、「ぬるま湯に浸かっているような努力」だ。
レベル上げや素材集めに勤しむプレイヤーは、怠けているのか、それとも努力しているのか…。廃人にとって、ゲームは遊びではないのかもしれないが、だが、ゲームというものが安易な努力の形を提供してくれることは否定できないだろう。
手間や試行回数が自分の努力を保証してくれる。勤勉さは求められるが、シビアではない。
例えば、LoL(league of legends)なんかは、和ゲーのいいところをしっかり吸収しているし、非常に優れた作品なんだけど、日本人にはあまり馴染まないと思う。なぜなら、ゲームの発想が、「俺TUEEE」でも「ぬるま湯に浸かっているような努力」でもなく、対人を前提としたスポーツだから。
日本の国民的ゲームとはいえ、ドラクエ、モンスト、パズドラを理解できない人がいてもまったくおかしくはないし、そういうコードに馴染めない人を非難するべきではない。むしろ、自分たちのほうが少し変なことをしているくらいに思ったほうがいい。
ただ、コツコツレベル上げをしたりリセマラができるというのは、和ゲーのエートスと言ってもよく、グローバル・スタンダードに多くの文化が脅かされている中、こういった独特の文化や志向を持っているというのはどう考えても喜ばしいことだと僕は思う。
「ぬるま湯に浸かっているような努力」に、「英語・IT・グローバル」を打ち破る可能性を見いだせるだろうか…。それはともかく、一週間くらい部屋に引きこもってニコ動見ながらモンハンやりてえ。
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