社説:白鵬優勝33回 「大鵬超え」を祝福する

毎日新聞 2015年01月24日 02時30分

 大相撲初場所で横綱・白鵬が「昭和の大横綱」と呼ばれた大鵬の記録を抜いた。史上最多となる33回目の幕内優勝だ。モンゴルから来日して15年で果たした偉業をたたえたい。

 強さの一つに「柔らかさ」が挙げられる。相手の力を吸収するゴムのような体、自在の攻めは「角界の父」と慕った大鵬とも共通している。際どい勝負が続いた今場所の前半でも、その持ち味を生かして星を落とさなかった。

 2000年10月、15歳で来日した当時、身長は174センチで、体重は70キロに満たなかった。相撲部のある大阪の物流会社に仲間と身を寄せたが、入門先が決まらず、観光ビザが切れる直前、今の宮城野親方から声がかかった。番付に名前が初めて載った01年夏場所は負け越しだった。体重を増やすため、ちゃんこを吐いては食べ、を繰り返した。100キロを超えてからは体重の増加と比例するように番付は上がっていった。

 順風だったわけではない。

 同郷の先輩横綱・朝青龍が10年2月に突然引退した後、暴力団関係者への便宜供与や野球賭博事件など相撲界の根幹を揺るがす問題が相次いだ。翌年、八百長問題が発覚した際は「力士代表として頭を下げたい」と謝罪した。角界の存続も危ぶまれた状況で「国技」の看板を一人で背負っている感があった。幾多の試練に向き合い乗り越えてつかんだ栄誉であることを付記しておきたい。

 26歳の誕生日に発生した東日本大震災の際、被災地に出向き、大地を鎮めるとされる四股を踏んだのは綱を張る責任感からでもある。

 白鵬ほど角界を支えた先人たちに敬意の念を抱き、大相撲の歴史を学んでいる力士も珍しい。

 横綱・双葉山の連勝記録「69」に迫っていた10年九州場所の直前、大分県宇佐市の生家に足を運び、恩返しを誓った。昨年の九州場所の優勝インタビューでは明治の元勲・大久保利通が明治天皇とともに、まげを結う大相撲の伝統文化を守ったことに触れた。ファンも知らない逸話を異国出身の横綱が披露したことに多くの人が驚き、感銘を受けた。出身国を問う意味はもはやない。

 春場所中の3月、30歳を迎える。大きなけがもなく、強力なライバルが見当たらない状況を見れば、優勝回数の更新は間違いない。だが、「独り勝ち」の状態が続くことは白鵬にとって好ましくない。

 ライバルの登場は白鵬の闘争心をかき立てるばかりではない。大鵬の後、輪島、北の湖、千代の富士、曙、貴乃花、武蔵丸、朝青龍ら個性豊かな力士が現れ、土俵をわかせたように、人気を取り戻しつつある大相撲の活性化にもつながるだろう。

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