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2015年01月24日

英国流、「女に車を運転させないのがいかにナンセンスか、おわかりになって?」(アブドゥラ国王死去にあたり、エリザベス女王の逸話)

というわけで、サウジアラビアのアブドゥラ国王の死去により、88歳(1926年生まれ)の英エリザベス女王が世界最高例の国家元首となられた。このおふたりの珍エピソードがTwitterで回ってきた。






このツイートが大反響なので、少し詳しく書いておこうと思う。

亡くなったアブドゥラ国王がまだ「王太子」だったころ(彼の即位は2005年だが、その10年前にお父さんが倒れたので摂政として統治にあたってきた)、英国を公式に訪問したことがあるようだ。スコットランドの英王室のお城に招かれた彼は、エリザベス女王からお城の見学はいかがと声をかけられ、何だか気乗りしないまま応じた。そしてアブドゥラさんは言われるがままランドローバーの助手席に乗り込んだのだが、続いてやって来た女王は運転席に。

サウジアラビアでは女性の車の運転は禁止されている。

一方でエリザベス女王は、第二次大戦中に後方支援の任務につき、軍用トラックを運転していたような方である。

アブドゥラさんはおたおたしていたかもしれないが、エリザベスさんはおかまいなしにイグニションを回して車を発進させる。スコットランドのお城の敷地内の狭い道を、猛烈にぶっとばす。(エリザベス女王の妹さんが飛ばし屋で有名ですね。。。)しかもそうしながらのべつまくなしにおしゃべりしている。

すっかり肝を冷やしたアブドゥラさんは、通訳者を通じて、「もう少しスピードを落として、運転に集中してください」。

…… (・_・) So very British.

こういう逸話を読んでみんなでにやにやしているのもBritish.

アメリカ的、イギリス的 (河出ブックス)アメリカ的、イギリス的 (河出ブックス)
テリー イーグルトン 大橋 洋一

Across the Pond: An Englishman's View of Ameica 文学理論講義: 新しいスタンダード 学びのエクササイズ文学理論 シェイクスピア: 言語・欲望・貨幣 (平凡社ライブラリー)

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※英国女子をキャピらせる5人組。ザイン・マリクはほんとに完璧だと私も思います(←女子のきゃぴきゃぴツイートを見てるうちにとりこまれた私)。戦隊ものだと「青」のキャラ。「赤」はもちろんハリー・スタイルズ。サッカー小僧が「緑」。etc etc



















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144473895XGin O'clock
The Queen (Of Twitter)
Hodder & Stoughton 2011-10

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1468309404Still Reigning: Thoughts of a Queen
The Queen [of Twitter]
Overlook TP 2014-10-07

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posted by nofrills at 01:31 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war
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個別のご挨拶は控えさせていただいておりますが、
おひとりおひとりに感謝申し上げます。


【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む

EXPOSING WAR CRIMES IS NOT A CRIME!


詳細はてなダイアリでも少し。