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【プロ野球】古田さんが殿堂入り ノムさんの元でヤクルト黄金時代2015年1月24日 紙面から
今年の野球殿堂入りが23日、東京ドーム内の野球殿堂博物館で発表され、競技者表彰のプレーヤー部門で、大学卒で社会人を経てプロ入りした選手で初めて2000安打を放った元ヤクルトの古田敦也さん(49)が選ばれた。有資格3年目での選出。1500試合以上出場した捕手としては1989年の野村克也さん、2005年の森祇晶さんに続き3人目、五輪で活躍した選手としては昨年の野茂英雄さんに続き2人目となる。エキスパート部門は該当者がなかった。特別表彰では日本リトルリーグ創設に尽力した林和男さん(故人)、朝日新聞社長として全国中等学校優勝野球大会(現全国高校野球選手権大会)を創設した村山龍平さん(故人)が選ばれた。 「メガネの捕手は活躍できない」というプロ野球の定説を覆した古田さん。プロ入り当時は裸眼視力が0・1程度。乱視が強いため、ソフトコンタクトレンズも使えなかった。「僕にはメガネしかなかった。反骨心ですかね」と原動力となった思いを語った。 大学4年時は会見場を設定してドラフト中継を眺めていたが、指名されず。「今は笑って話せるけど、恥ずかしいできごと、つらい思い出だった」。味わった悔しさをプロ入り後に晴らした。 ヤクルトでは監督だった野村克也さんの薫陶を受けた。「最高のキャッチャーにイロハのイから厳しく指導してもらった。毎日のように怒られて立たされていたが、今となっては本当にありがたかった」。野村さんの掲げるID野球をグラウンド上で体現し、ヤクルトの黄金時代を築き上げた。 大卒の社会人経験者としては初の2000安打を達成。会見でゲストスピーチした野茂さんが「アマチュア時代、金属バットでセーフティーバントしかしなかった人が…」と冗談交じりに振り返るほど、プロ入り前は守備に比べて打撃の評価が低かった。しかし、捕手としての読みを生かして2年目に首位打者を獲得。バットでも輝かしい実績を残した。 1998〜2005年には労組「日本プロ野球選手会」会長の重責も担った。04年には日本プロ野球初のストライキを決行。「1リーグ10球団などの縮少案があったが、12球団が続いている。署名活動などを含め、ファンの皆さんと勝ち取った」。そのときの球界再編で生まれた楽天が13年に日本一に輝き、「東北でね。うれしかった」と喜んだ。 現在は野球解説者。現場復帰については「もちろんチャンスがあれば、力を必要としていただければ頑張りたい。野球、得意なんで」と笑いながら意欲を見せた。 (小林孝一郎) PR情報
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