『Gのレコンギスタ』(Gレコ)をより楽しむための極めて簡易なテクスト② 『Gレコ』の男女関係は、原則さえ分かればスッキリ見える [富野関係]
はい、お久しぶりです。さっそく講座を始めましょう。わずか10分もかからずに読み終えて、よりGレコを楽しめる話です。
Gレコには、何組かの男女ペアが登場しますね。
その中で、クリムとミック。マスクとバララ。さらに最近出てきたマッシュナーとロックパイ。
このペアは、「女が男をおだてて動かす」という点では、共通しています。
参考文献としては、こちらの「女いろいろ万華鏡」をお読み下さい。
さて、ここでですね。
彼・彼女らの関係性を、「恋愛」という視点で見ると、ちょっとややこしくなる場合があります。
えー、バララはマスクのことが好きなのか? とか、マッシュナーは単にロックパイをたらしこんでいるだけではないか? とか、男はバカだから鼻の下を伸ばしているけれど、女性の心情が良く分からない、という点もあるわけです。
もちろん、キャラのここら辺の心情を忖度するのも、ファンの楽しみの1つです。
しかしですね、中には「コイツラはカップルなのか?」「関係性がよく分からねーよ」と不満に思う方もいらっしゃるかもしれません。
そんな方々に、女性キャラの行動の意味がスッキリと把握できる、「原則」をお伝えいたします。
これは映像全般の原則ではありません、「富野監督が考える男女関係の原則」です。
キャラの恋愛感情は取りあえず横に置いておき、この原則をメガネにして男女ペアを見ると、理解しやすいかと思います。
では、答えを伝えましょう。ちょっと長いですが、答え部分を富野監督の著書『「ガンダム」の家族論』87-88ページから引用します。
(熱帯雨林地方の民俗・集落のドキュメンタリー番組を見て)
番組を見てまず印象に残ったのは、とにかく村の男たちが働かないということ。ほんとうにどうしようもないときだけ最低限働いて、あとはごろごろと時間を過ごしている。
原始時代も、きっとこのようなかたちで人間は暮らしていたのだろう。
原始時代、人間のグループが女中心となっていたのは容易に想像がつく。人間のような子育てに手間のかかる動物の場合、母子の関係が深いから当然といえる。そこは母性だけでできた世界だ。
その場合、男はどこにいたのだろうか。
きっと女が種付け用に自分たちの近くで放し飼いしている存在だったのだろう。村を維持するために子供が必要になった時にだけ、「ちょっと手伝って」と呼ばれて、子供を産むために協力させられていたのではないだろうか。ドキュメンタリーで男たちがいざというときまでなかなか働かなかったように。それが男の最も原始的な姿であったろう。
そして、そんなある時、女たちは男をもっと有効に使うことを考えた。
なにしろ男たちはたまに働くか、種付けの時しか役になっていないのだ。そこで女たちが子育てで忙しい代わりに、となりの集落との交渉事などを任せるようにしたのだ。
男はバカな生き物だ。女たちのおだてに乗せられて、しっかりととなりの集落に行って、とにもかくにも交渉事をまとめたのだろう。もしかすると中には、交渉ついでにとなりの集落の女に手を出す男もいたかもしれない。
やがて女どもは「そうか、政治・外交を男どもにやらせれば、私たちは一番大事な子育てに集中できる」と考えるようになった。そこでさらに、女たちは男たちが守るものとして「血統」や「家系」というような概念を創作してあてがい、白黒をつけてルールを守らせる役目を男たちに任せていった。そこで生まれたのが父性なのだ。
以上です。これが、富野監督が考える母性・父性であり、その上でかつて生まれた男女関係の考察です。
この考えを先の男女ペアに当てはめると、スッキリと捉えられませんか。
女性は恋愛感情より先に、
いやその人物が「自分の男になるかもしれない」候補であるほど働かせたいし、「仲間・部下として役にたってほしい」と思っても、やっぱり働かせるんですよ。
富野監督の中では、それが「当たり前」の女性の役割なんです。
唯一違うのは、Gレコの女性キャラは子育てせずに、自分達も戦っているところですが。
でも、自分がおだてて動かないような男では、将来その男と子どもを設けることもできない、と考えるのが今回の富野監督が描く女性キャラなんです。また、部下や同僚としても、男はそそのかして働かせる存在なんです。
バララやミックがパートナーを愛してようがいまいが、結論は同じです。
「そそのかして働かせる」んです。
もう1つ、この「見方」を適用すると、違う意味が生じる場面を紹介しましょう。
第14話の「宇宙、モビルスーツ戦」で、アイーダがベルリをおだてて、戦わせようとするシーンがあるでしょう?
ベルリはそのアイーダの言葉に、「おだてには乗りません…!」と拒否するそぶりを見せます。
しかし同席していたノレドが、「男をやれって言われてんだろ、 嬉しがってやりな!」とダメ押しします。
ノレドの恋心を考慮すると、ちょっと複雑になりかねないシーンです。
が、上記の「原則」で見ると、ノレドの行動は非常に分かりやすくなりませんか?
ノレドがそれこそベルリを自分の男だと考えているなら、女に尻を叩かれているのに拒否するような男は、父性が育っていない・「使えない男」なんですよ。
だからストレートに、「男をやれって言われてんだろ、 嬉しがってやりな!」と言うわけです。
このセリフは、Gレコ世界における男女関係を明確に示しています。
女におだてられているのに、動かないのは「男じゃない」んですよ。男はまんまと調子に乗って、働いてこそ「ナンボ」なのです。
ここで気になることが1つ。
じゃあ、「男をやる気にさせる立場を得られない女性」はどうするか、どうなるか?
それはマニィの行動がいずれ、教えてくれることでしょう。
いかがでしたか。理解の一助になれば幸いです。
今日の講義はここまでです。ご清聴ありがとうございました。
富野を知るにはこれを買え
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Gレコには、何組かの男女ペアが登場しますね。
その中で、クリムとミック。マスクとバララ。さらに最近出てきたマッシュナーとロックパイ。
このペアは、「女が男をおだてて動かす」という点では、共通しています。
参考文献としては、こちらの「女いろいろ万華鏡」をお読み下さい。
さて、ここでですね。
彼・彼女らの関係性を、「恋愛」という視点で見ると、ちょっとややこしくなる場合があります。
えー、バララはマスクのことが好きなのか? とか、マッシュナーは単にロックパイをたらしこんでいるだけではないか? とか、男はバカだから鼻の下を伸ばしているけれど、女性の心情が良く分からない、という点もあるわけです。
もちろん、キャラのここら辺の心情を忖度するのも、ファンの楽しみの1つです。
しかしですね、中には「コイツラはカップルなのか?」「関係性がよく分からねーよ」と不満に思う方もいらっしゃるかもしれません。
そんな方々に、女性キャラの行動の意味がスッキリと把握できる、「原則」をお伝えいたします。
これは映像全般の原則ではありません、「富野監督が考える男女関係の原則」です。
キャラの恋愛感情は取りあえず横に置いておき、この原則をメガネにして男女ペアを見ると、理解しやすいかと思います。
では、答えを伝えましょう。ちょっと長いですが、答え部分を富野監督の著書『「ガンダム」の家族論』87-88ページから引用します。
(熱帯雨林地方の民俗・集落のドキュメンタリー番組を見て)
番組を見てまず印象に残ったのは、とにかく村の男たちが働かないということ。ほんとうにどうしようもないときだけ最低限働いて、あとはごろごろと時間を過ごしている。
原始時代も、きっとこのようなかたちで人間は暮らしていたのだろう。
原始時代、人間のグループが女中心となっていたのは容易に想像がつく。人間のような子育てに手間のかかる動物の場合、母子の関係が深いから当然といえる。そこは母性だけでできた世界だ。
その場合、男はどこにいたのだろうか。
きっと女が種付け用に自分たちの近くで放し飼いしている存在だったのだろう。村を維持するために子供が必要になった時にだけ、「ちょっと手伝って」と呼ばれて、子供を産むために協力させられていたのではないだろうか。ドキュメンタリーで男たちがいざというときまでなかなか働かなかったように。それが男の最も原始的な姿であったろう。
そして、そんなある時、女たちは男をもっと有効に使うことを考えた。
なにしろ男たちはたまに働くか、種付けの時しか役になっていないのだ。そこで女たちが子育てで忙しい代わりに、となりの集落との交渉事などを任せるようにしたのだ。
男はバカな生き物だ。女たちのおだてに乗せられて、しっかりととなりの集落に行って、とにもかくにも交渉事をまとめたのだろう。もしかすると中には、交渉ついでにとなりの集落の女に手を出す男もいたかもしれない。
やがて女どもは「そうか、政治・外交を男どもにやらせれば、私たちは一番大事な子育てに集中できる」と考えるようになった。そこでさらに、女たちは男たちが守るものとして「血統」や「家系」というような概念を創作してあてがい、白黒をつけてルールを守らせる役目を男たちに任せていった。そこで生まれたのが父性なのだ。
以上です。これが、富野監督が考える母性・父性であり、その上でかつて生まれた男女関係の考察です。
この考えを先の男女ペアに当てはめると、スッキリと捉えられませんか。
女性は恋愛感情より先に、
いやその人物が「自分の男になるかもしれない」候補であるほど働かせたいし、「仲間・部下として役にたってほしい」と思っても、やっぱり働かせるんですよ。
富野監督の中では、それが「当たり前」の女性の役割なんです。
唯一違うのは、Gレコの女性キャラは子育てせずに、自分達も戦っているところですが。
でも、自分がおだてて動かないような男では、将来その男と子どもを設けることもできない、と考えるのが今回の富野監督が描く女性キャラなんです。また、部下や同僚としても、男はそそのかして働かせる存在なんです。
バララやミックがパートナーを愛してようがいまいが、結論は同じです。
「そそのかして働かせる」んです。
もう1つ、この「見方」を適用すると、違う意味が生じる場面を紹介しましょう。
第14話の「宇宙、モビルスーツ戦」で、アイーダがベルリをおだてて、戦わせようとするシーンがあるでしょう?
ベルリはそのアイーダの言葉に、「おだてには乗りません…!」と拒否するそぶりを見せます。
しかし同席していたノレドが、「男をやれって言われてんだろ、 嬉しがってやりな!」とダメ押しします。
ノレドの恋心を考慮すると、ちょっと複雑になりかねないシーンです。
が、上記の「原則」で見ると、ノレドの行動は非常に分かりやすくなりませんか?
ノレドがそれこそベルリを自分の男だと考えているなら、女に尻を叩かれているのに拒否するような男は、父性が育っていない・「使えない男」なんですよ。
だからストレートに、「男をやれって言われてんだろ、 嬉しがってやりな!」と言うわけです。
このセリフは、Gレコ世界における男女関係を明確に示しています。
女におだてられているのに、動かないのは「男じゃない」んですよ。男はまんまと調子に乗って、働いてこそ「ナンボ」なのです。
ここで気になることが1つ。
じゃあ、「男をやる気にさせる立場を得られない女性」はどうするか、どうなるか?
それはマニィの行動がいずれ、教えてくれることでしょう。
いかがでしたか。理解の一助になれば幸いです。
今日の講義はここまでです。ご清聴ありがとうございました。
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