かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

「江戸前寿司といえばマグロ」と言う人とは食事に同席したくない…



 僕はテレビなどで和食・お寿司のドキュメンタリーで寿司の職人がマグロの塊と一緒に映っている所に「やはり、江戸前といえばマグロ!」と言うナレーションを聞くと頭に来る。しかも、そんな番組に限って「伝統的な江戸前寿司こそ日本文化だ!伝統こそ素晴らしい。そして、江戸前といえばマグロ!」というからイラつきを通り越して頭痛がする。

 

しかも、ストーリーづけに便乗してタレントが「アメリカ人は寿司の味がわからないが、俺にはわかる」という顔で語りだした日にはもう胸やけする。

 

だが、悲しいことに無教養な料理ドキュメンタリーは多く、それを信じてるバカも多いため、僭越ながら僕ごときがグルメな話を書くことにした。

 

江戸前寿司と言うからには…

そもそも、江戸前と言うようにもともとは「江戸の前の海で調達できる魚を使った郷土料理」江戸前寿司だ。

だから、100歩譲って「にぎり寿司といえばマグロ」なら許すが、「江戸前といえばマグロ!」とか言われたら許す訳にはいかない。

 

言い換えると、江戸前寿司の中で職人技が光るとされる寿司ネタにはコハダとか、ハマグリとか、穴子があるが、アレらは調達しやすかったからこそそれらのネタが江戸前寿司のシンボル的な位置づけになった。

そして、「江戸前寿司は一仕事する」と言われてるが、あれは美味しく食べる以外に「保存できる時間を長くする」ためでもある。

 

元々は屋台で食べるようなファーストフードの位置づけだったので、提供する際に劣化させないための「仕事」がされた。その「仕事」が文化的側面としての江戸前寿司が確立された。

 言い換えれば、保存ができなかったなものは「伝統的な江戸前寿司」ではなく、一仕事加えなくても寿司ネタは「職人文化としての江戸前寿司」ではない。

 

マグロの…とりわけ、トロと呼ばれる部位が広く食べられるようになったのは技術が進歩してからの話で、江戸時代の寿司で出てきたものは出てきても赤身のヅケぐらいだった。

それどころか、当時はマグロのことをシビと呼ばれてたから偉い人は「シビから死日

を連想する」と縁起が悪さから口にしなかった。まして、トロとなれば油っこすぎて動物さえ口にしなかったこともあって「死日な上に猫も食べないのだから」と散々な扱いだった。

 

江戸前といえばマグロ!」に加え「特に大トロが…」という人は当時の庶民から見たらゲテモノ食いか、漁村の独特の食文化で生きてる人として扱われることを本人は知っているのだろうか?

江戸前といえばマグロ!」「寿司といえばサーモン」と言って金だけ持って高級店に入っていくふらちな人間にはなりたくないよ!サーモンは高級寿司店になると、伝統的なネタでもないし、力量の差を出しにくいこともあって出ないよ!

 

そして、自分達が寿司が何たるかを知らないくせに「アメリカ人は寿司の味を知らない」とかカリフォルニア巻きや、揚げた寿司を見て言い出す。

なんでそうなったか考えるのも面白いと思うのだが…。

食べ物の歴史はニーズと調達の歴史!

食文化とは調達力とニーズだ!食材が調達できないならその国・その地域で根付かない。ニーズもまた大事で、ニーズに応じて食べ物は臨機応変に形を変える。

同じ食文化を紹介してもその国で受け入れられる形に変化するのは食材の調達方法や、その国でのニーズが本場とはまた違うからだ!

 

最近ほど寿司がブームすれば、醤油や酢も外国で生産されてるかもしれないが、それが来る前に日本の寿司屋が使いたくなるような食材がお求めやすい価格で購入できると思うか?よしんば購入して、それを客に値段として上乗せして採算取れるか?

 

まして、寿司となると魚介類以外にも「調味料」と「和わさび」という調達する上で安くなりにくいものがあるため、根付き方は変わる。(あえて「和のわさび」と書くのは西洋わさびことホースラディッシュと区別するため)

特に和のわさびが外国で栽培され始めたのは2009年で、はじめて商業ベースに乗ったのは2012年…しかも、これはアメリカじゃなくてイギリスだそうだ。そのぐらい、調達しにくいものだ。

 

よしんば、調達自体に問題がなかったとしても、 ニーズが違うことはある。食べたことがないものは求めようがないのだから、最初には「○○みたいだが、ちょっとだけ違う新しいもの」から始まるのは当然のことだ。

 

別にアメリカの寿司屋は日本の味がわからないのではなく、そもそもニーズとして拾い上げようがないだけ。

 

また、気候が違えばニーズが違うことや流行った街の事情などが食べ物を左右する。気候だと酢ではなく柑橘系の酸味と合わせて食べることが好まれたり、街の事情から日本の寿司よりも見た目が派手なものが好まれたり…。

 

これは日本国内でも例があり、ご当地ラーメンが顕著になる。

例えば、博多とんこつラーメンが細麺・替え玉制なのは市場の近くで急ぎのお客が多かったから、より早い提供にニーズがあったため。

たとえば、北海道の味噌ラーメンが分厚い油膜に覆われてて名店と呼ばれてるお店のものでさえ、油のせいで食べにくく感じるのは気候と言うニーズがちがうから。

そこらのスーパーのフードコートで食べるのと雪道歩いて駆け込むのと同じワケがない!

 

ご当地ラーメンやご当地グルメはかっこいいからやってると思ったら大間違いだ!

物によっては誕生のそれ自体がニーズの発掘…つまり地元の声があってこそ生まれたものだ!

 

また、国民的な味覚の違いも大事。例えば、緑茶を海外に輸出すると砂糖を入れて飲む国も多いそうな…。

日本だとパン自体は普及してるけど、日本のパンのほうがもちもちしてたり、菓子パンとして甘めに普及してるのは欧米人と唾液の量も違うし、味覚だって当然異なるからだ。

 

パンもそうだが、位置づけの違いで言えば餃子が極端に違う!

中国では餃子は完全食であるため、ぶ厚めの皮に入ったご飯とおかずを兼ね揃えたものとして扱われ、肉まんやしゅうまいと同じカテゴリに入るか、水餃子にしてスープも一緒に兼ねて完全な一食にしてしまう。

 

だけど、日本の場合はご飯ありきだから皮が薄めの焼き餃子が主流。ご飯がすすむように油多め。

肉まんでご飯がすすむかと言われるとNoだから、点心の中でも餃子や春巻きなどおかずになるものと肉まんは別のカテゴリー。

 

このようなものは多様性であり、食文化だ。しかし、日本人は寿司の話になった時には「日本人の江戸前寿司はわかり、アメリカ人の寿司はわかってない」とわかる、分からないで言い出す!

自分達のうまいマズいでしか判断しないで食べ物のできあがる背景やストーリー、相手の食文化に馴染んだ結果を認めようとしない。

 

そんな奴と一緒に同席する食事の席などお断りだ!そして、代わりに言い放つ!

「お前がアメリカ人の寿司文化を笑った数だけ、日本人のパン食文化をあざ笑うフランス人と日本の餃子文化を小バカにする中国人がいると思え!そして、彼らもお前も祖国じゃ教養のない恥さらしだ!」

と。人の食文化を頭ごなしに否定するだけでも無教養なのに、そいつがわかる方に勝手に自分も入れると思い込み寿司は日本のホコリなどとほざく。

 

そんなおちゃらけた寿司ブームなら、犬の餌にでもくれてやればいいのに…。いや、ここは魚だから猫のほうがいいのかな?マグロは食べなそうだけど。

 

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 敢えて美味しんぼは貼らない。本当はこういう飯の話が好きで、一度深夜食堂っぽい記事を書きたいんだよ!僕は。

 

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