イスラム国・邦人人質事件 安倍晋三・首相への緊急提言 by 藤原敏史・監督

イスラム国に拘束された日本人2名の人命こそ最優先だと安倍晋三首相が言うのなら、しかし「テロは許せない」から「身代金は払えない」のであれば、出来ることはある。日本政府はイスラム国側が提示した72時間という期限を本日午後2時50分と見ているそうだが、ならば本日14時に、日本人2人の命を救うために(安倍さん自身大好きな)首相直々の記者会見をやればいい。

そこでカイロで演説した、イスラム国と敵対する周辺国への2億ドルという資金供与をいったん凍結し、「あくまで人道支援」と言い張っているのだからより有効な、安倍自身の唱える「積極的平和主義」の理念にも合致した、たとえば医療団の派遣など、文字通り積極的な人道支援策を検討する、と表明すればいいのである。

これで湯川・後藤両氏はほぼ確実に解放されるか、少なくとも即座に殺害されることはないだろう。

その時中東にいた首相が、なぜか遠く離れた日本で「陣頭指揮」に

政府は懸命に「情報収集に当っている」と言うが、外務副大臣をわざわざヨルダンに置きながら、不思議なことにこの事件を理由に安倍氏は(現地により近いはずの)中東の歴訪を切り上げて帰国している。政府専用機には首相官邸に集まった情報はすぐに伝わるシステムになっているし、首相自らがことの解決に当るのなら、中東に留まった方が出来ることは多かったのではないか?

それこそヨルダン国王やアッバス・パレスティナ自治政府評議会議長にでも直に協力を要請してもよかったし、緊急にトルコに飛んで大統領と会談をしてもよかったはずだ。ところが帰国した安倍氏が懸命に連携を確認しているのは、なぜかオーストラリアだったり、イスラム国と敵対関係にある米国やイギリスだ。これでどうやってイスラム国との交渉の糸口が掴めると言うのか?

人質になっている湯川氏は昨年8月以前に、後藤氏も10月にはイスラム国に拘束されていたとされ、その情報を外務省も政府も把握していた。その数ヶ月に渡り、殺害予告の類いは出されていない。僅かに信憑性がかなり疑われる身代金要求のメールが後藤氏の家族に届いていただけだが、そんなものは後藤氏がイスラム国に入って消息が途絶えた時点で誰でも出せるし、アルカイーダでもイスラム国でも、実は携わってないテロ行為でも声明を出したり、逆にアルカイーダを名乗っても実態は不明というのは、もはやおなじみだ。こうしてインターネットの特性を徹底的に利用した情報操作と撹乱の心理戦こそ、アルカイーダがもっとも得意として来たことであり、それはそこから派生したイスラム国にも引き継がれている。

要するにこれまで殺す気がまったくなかったように見えるこの日本人二人が、このタイミングになぜ突然殺害予告となったのか、時系列を単純に追うだけであまりに自明なことを、なぜか日本のメディアははっきり言わない。

殺害予告は安倍中東歴訪への「報復」だ

言うまでもなく、誰が見ても、これは安倍首相の中東歴訪を狙ったものだし、それも事前から計画されていたこととは考えにくいのは、要求されていると報道される身代金(なお実際の犯行声明ビデオのニュアンスは異なる)の額を見れば当然だろう。要求額は2億ドル、安倍氏がこの犯行声明ビデオが出る前々日だったか、よりにもよってエジプトのカイロで、イスラム国と敵対する周辺諸国に供与すると演説した資金の総額とまったく同額だ。

なぜ湯川・後藤両氏は拘束から何ヶ月も殺害予告もなく、出所の怪しいメールが後藤氏の留守家族に届いただけだったのか?

湯川氏の場合はその理由すらはっきりしている。昨年、イスラム国から日本人の裁判があるのでイスラム教徒でイスラム法に詳しい日本人を招聘したい、との申し入れがあり、それに応じて入国したのが同志社大学客員教授の中田孝氏(ムスリムとしての名はハッサン)だった。中田氏はこうした事件になるまでは、日本人の裁判のためイスラム国に招聘されたことは語っていたが、その日本人が誰だったのかは今まで公表はしていなかった。それでもだいたい類推はつくことだし(他に裁判になる日本人が見当たらない)、現に殺害予告を受けた1月22日の記者会見で、それが湯川氏の裁判だったこと、イスラム国に入国したものの米軍の空爆が激しく、裁判を開くどころではなく帰国せざるを得なかったことを明かしている。

日本の報道では「テロ組織」「過激派」という枕詞で紹介される偏見で気づかない人も多いのかも知れないが、イスラム国はどの他国の承認も受けていないとはいえ、一定の支配領域を持ちそこを統治している意味ですでにひとつの「国家」の体裁になっているのが現実だ。

統治理念が時代錯誤過ぎるイスラム法の厳密な適用なのは我々いわゆる先進国の現代人には当然の違和感があるし、基本的人権などの理念が世界標準の現代にはおよそ受け入れ難いとしても、それでも国として現実のある地域を統治すること自体は、やっているのだ。もともとルーズな組織構成と思われ、末端までは行き届かないとしても、あれだけの広さの土地でそれなりに人口もある時に、ただ「テロの暴力」だけで支配し続けられるわけもあるまい。

我々にはどうしても違和感は禁じ得ず、コーランを実際に読めば首を傾げたくなる解釈も多々あるとはいえ、それでも彼らなりに統治を行う論理はあって当然であり、そして現にイスラム法に基づく裁判は行われているわけで、決して手当たり次第かつ(欧米メディアが示唆するように)恣意的に人殺しを楽しんでいるのではないし、だいたいそんなことをやっていてはあれだけの地域、あれだけの人口を支配できるわけもない。

既に明らかになっている事実から合理的に考えれば、湯川・後藤両氏はそのイスラム国で裁判を待つ身として身柄を拘束されていたと考えるのがもっとも自然で、だからこそ現に殺されてもいなかったし、殺害予告の類いもなかったのだろう。それが安倍首相の中東歴訪を受けて突然殺害予告、要求金額が安倍氏がカイロで言ったのと同じ額であれば、これで関連性がないと言い張る方に無理がある(その無理を、首相官邸は必死で言い張り、メディアにそう報道させている)。

イスラム国が殺害する外国人は基本、敵対国の人間

イスラム国側から見れば、とまでは言うまい。単純に客観的に言って、これまでイスラム国が処刑して映像等を公開している外国人は、すでにイスラム国と敵対関係にあるたとえばアメリカやイギリス等に限られる。フランスは拘束されたジャーナリストの身代金を払ったと噂されているが(公式には否定)、先日のシャルリ・エブド襲撃事件を見ても分かるように、フランスはイスラミズム武装集団にとっていつイスラムの敵になってもおかしくない国と言う認識だし(過去には北アフリカを植民地支配しアルジェリアの独立運動を暴虐な戦争で弾圧。最近ではシリア内戦にも、リビアのカダフィ体制崩壊にも派兵しているし、レバノンなど旧植民地への影響力も大きい)、それでも直接の空爆などに参加していない時点では、殺害はしていない。

まして日本人をいきなり殺害する理由が、時代錯誤で現代的な感覚では「暴虐」に見えるとしても、それでも曲がりなりにも「国」を運営している彼らには、犯罪でも立証されない限り、なかったはずだ。だからこそちゃんと裁判もやろうとしていたまま、アメリカ等の空襲でそれが出来ない状態だったのだろう。

だが安倍のカイロでの演説で事態は一変した。しかも演説をやった場所が悪過ぎる。

中近東情勢に疎過ぎた安倍政権の失敗

エジプトはアラブの春のあと普通選挙でムスリム同胞団が政権についたものの、イスラム教の宗教保守政党と呼ぶのが妥当なこの政治組織を原理主義のテロ組織ではと疑うアメリカの意向もあって、軍が強権的に政権を奪取し、現状は軍事独裁だ。ムバラク元大統領は釈放され、ムスリム同胞団も、アラブの春の原動力となった民主派も、激しい弾圧を受けている。そんな政権の大統領と昵懇になり(しかも昨年9月の会談で、イスラム国空襲を積極的に支持したのはむしろ安倍だった)、そこでイスラム国の周辺諸国を「敵対国」とみなす演説を行った、つまり言い換えればその諸国がこれからイスラム国と敵対することを前提に資金提供を言ったのだ。いまさら「人道援助だ」と言い逃れはできない。

ましてエジプトの次の訪問国はイスラエルで、昨年のネタニヤフ大統領来日で武器輸出入の協定まで取り交わしている間柄だし、この大統領はイスラエル国内の政治文脈でも極右の反アラブ政権だ。そのネタニヤフとアッバス議長のパレスティナ自治政府の仲介を、というのが安倍の今回の中東歴訪の売りどころのひとつだったが、ヨルダン川西岸をイスラエルの占領に甘んじつつ統治する世俗主義の自治政府は、ガザを支配するイスラミズム組織のハマスと敵対関係にある。イスラム国から見ればこれも、日本がいわば「イスラムの敵」になったとみなす大きな理由になりかねない。

安倍のカイロでの演説を機に、日本はイスラム国を敵とみなすことを表明したことにしかならないし、それをイスラエル訪問でダメ押しした格好になる。ならばイスラム国から見て湯川・後藤両氏は「敵国の人間」になってしまったことになるし、実際の犯行声明ビデオもそうなっている。呼びかけ先は日本政府ではなく日本国民で、2億ドルを拠出という判断を政府に撤回させる猶予が72時間、が実際の内容なのだ。

むろん現在の国際法では、敵国民だからといって殺していい、とはならない。だがそれでイスラム国を非難しようものの、ではその欧米主導で決まっている国際法が中近東のアラブ諸国に公正に適用されたことが、どれだけあっただろう?

イスラエルがヨルダン川西岸を占領し続けているのは国際法にも国際合意にも反するはずだし、アメリカのイラク戦争も国際法に違犯している。昨年のイスラエルのガザ攻撃は「自衛目的」という国際法の抜け道を使いつつ、「コラテラル・ダメージ」つまりやむを得ぬ巻き添えのフリをして一般市民の殺傷も目的としていたと疑われて仕方がないし、イラク戦争でアメリカ軍に殺傷されたイラクの一般市民についても国際法的には「誤爆」ないし「コラテラル・ダメージ」扱いで責任を問われていない。これでイスラム国に「国際法違犯だ許せない」を言うのには、かなり無理がある。

国内向けには「人命を最優先」と言い、情報収集に務めているとだけ繰り返す安倍政権のやっていることは、そもそもイスラム国支配地域内のどのような情報を収集する能力が今の日本政府にあるのか怪しいだけでなく、相手に対してはおろかか、イスラム国自体には反感が多い他のイスラム諸国にとってさえ、なんの説得力もない。

周辺諸国も人質2名の人命が懸かっているのと、日本の経済援助などがあるから、二枚舌のリップサービスをしているだけなのに、それをいかにもヨルダン国王であるとかが日本を支援しているかのように報じさせているのも欺瞞としか言いようがない。その欺瞞はすべて「そりゃ日本がああ言った以上は敵国扱いになるのはやむを得ない」という当然の理屈を誤摩化す、つまりは安倍がよせばいいのに「2億ドル出して日本もテロとの戦争に」と自慢してしまった軽率さを、日本の世論相手に誤摩化すためでしかないのでは、と疑われても、反論はまず出来ないだろう。

戦争を戦う覚悟の意味が分かっていない安倍政権

テロが現代の世界平和を脅かしている、だから妥協はできない、断固戦うという主張にも、一定の正当性は無論ある。だが「戦う」「テロとの戦争」を言うのなら、それなりの覚悟が必要なはずだ。たとえば「戦争」であるのなら、「断固戦う」のであれば、自国民の命を危険に晒すことは覚悟しなければならないし、国民にもそうはっきり言うべきだ。

そう言わない安倍政権は不正直だ、と言い切るのにもいささか躊躇するのは、それ以前に「実はよく分かっていないんじゃないか?」という疑いが拭い切れないからだ。

なにしろ安倍氏にはとんだ“前科”がある。二度目の首相就任からまもなく、アルジェリアで日揮の参画するプラントが武装集団に占拠され、日揮およびその関連会社の社員が人質になった事件があった時も、安倍氏は東南アジア外遊を急遽切り上げ、自ら指揮に当るかのように振る舞った。だがさっそくのアルジェリア大統領との電話会談で「テロと妥協せず断固戦う」で合意したはずの安倍氏は、その舌の根も乾かぬうちに「日本人の人命を第一に」と要請してしまったのだ。この矛盾した言い草にアルジェリア側はさぞ困惑しただろうが、後者の要請は無視して強行突入で鎮圧、多くの日本人の死者が出たことはご記憶の読者も多いだろう。しかも安倍氏は性懲りもなくその後にはこうしたテロ事件に対処するために自衛隊の派遣を検討すべきだと言い出している。明らかな国際法違犯で、他国の施政権下で自国民保護の名目で軍事力を動かすことは基本、侵略とみなされるという当たり前の常識すら、安倍氏は分かっていなかったのだ。なおこれは結果、防衛省が省益にうまく利用し、在外公館の駐在武官制度が拡充されることになった。

自分が自慢げにやった演説が敵対宣言、実質上の宣戦布告になってしまっていたことにすら無自覚で、指摘されたとたん慌てて後付けで通用しそうにもない言い訳を繰り返しているほどに無邪気で子どもっぽくては、戦争なぞ戦えない。本気で戦うなら、その敵こそまず理解し、その動機や目的を見抜き、行動パターンを読み解かなければ、負け戦になるのは当然である。アルカイーダやイスラム国は我々のいわば「文明国」の側を恐ろしく熟知して、インターネットを駆使した情報戦や心理戦を仕掛けて来る。それに対して「テロとの戦い」を言う側は、ただ「テロ」とレッテル貼りして悪魔視するだけで、敵を理解する気もない。

いったい「戦争」とはどう言うことなのか、戦争が大好きなわりにはさっぱり理解していないのが安倍首相ではないのか、と言わざるを得ない。はっきり言えば「重度な平和ボケ」なのである。

だがこの「重度な平和ボケ」は、安倍氏に限ったことでもあるまい。

不可解に過ぎる二人の入国・拘束の経緯

今回の被害者である人質二名のうち湯川氏は、民間軍事会社の経営を夢見て、その調査でイスラム国に入ったらしい。つまりイスラム国からみれば、「これからあなた達と戦うことを商売にしますから、そのためにお宅の国の事情を調べに来ました」という驚くべき無邪気さだ。しかも氏はMTFのトランスジェンダー、性同一性障害で身体的には男だが人格は女性という概念は先進国でこそ理解されるだろうが、これを言ってしまえば「差別だ」と怒られることを覚悟で言えば、イスラム国とその支配地域から見れば「女装した変な男」にしか見えず、コーランの解釈にもよるがイスラム国のような解釈では同性愛は禁止されている。そんなイスラム国支配地域に湯川氏がのこのことやって来て、どう考えても動機はスパイなのだから捕まえてみたところで、そのあまりの無邪気さというか、支離滅裂というか、その浮世離れっぷりに、イスラム国の側が困惑したのではないか?

強引過ぎるイスラム法支配とはいえ国ではあるのだから、では宗教法とはいえきちんと裁判をやろうと言うことになって先述の中田孝氏が招聘された理由がまた凄い。なにを言っているのか分からない、言葉が通じない、そこで日本語でコミュニケーションが出来てイスラム法に詳しい人間が必要だったから、というのだ。アラビア語が出来なかったのか、とまでは言わないが、イスラム国のメンバーには英語が出来る者が多いはずなのに、である。

フリージャーナストの後藤氏は、紛争地帯の子どもたちを取材して来た良心的なジャーナリストだと報道されている。なるほど純真で善良な人なのは分かるが、十数年以上中近東などを取材しているはずが、湯川氏が友人だとはいえその安否が心配というだけでイスラム国に潜入する、というのも理解しがたい。テレビではしきりに直前の、携帯電話で撮られた覚悟の動画が流されるが、どう編集で演出しようが「ことの重大さが分かっているのだろうか?」とは率直に思わざるを得ない。

氏の入国当時に日本はまだイスラム国に敵視されていないとはいえ、アメリカ等の空爆が続き混乱を極め、住民も末端組織も決して冷静ではいられない状況だ。イスラム教に改宗しているわけでもない後藤氏がシリア人のガイドが止めるのも聴かずに、とはあまりに無謀で決死だったのかと思わざるを得ないわりには、湯川氏を探すついでにイスラム国の子どもたちを取材したいと言っていたとか、まったくどこに行くのか具体的な宛もなさそうなのに滞在日程が一週間にも満たないなど、どうにも不自然だ。

いや紛争地帯の取材を続けながらここまで純真でナイーヴでいられるのは本当に素晴らしい人なのかも知れないが、逆に言えばナイーヴ過ぎる、自分が取材している対象や状況の抱える政治的複雑さも理解できていなかったのではないか、あるいは感覚が麻痺していたのだろうか?

いずれにせよイスラム国支配地域にイスラム教徒でもない外国人ジャーナリストがこっそり潜入すれば当然警戒されるし、末端組織は「スパイらしい外国人を捕まえた」だけでも手柄になる。だが捕まえてみたらそもそも潜入取材の必要がない、むしろ最初に「子どもたちに会いたい」と申し入れていればまだ敵対国になっているわけでもなく、中近東アラブ諸国では人気がある日本人で、どうもスパイをやるには純粋で無邪気過ぎる、イスラム国を貶める目的にも見えないのであれば、これまた拘束した側のイスラム国がなにがなんだか分からないまま、困惑してしまったことも十分にあり得る。

平和ボケの産んだ悲(喜)劇とメディアの茶番

だが湯川氏のことが(氏がMTFの性同一性障害であることも含め)報道しにくい、安倍政権の失態に触れられないタブーと、視聴者の感情に訴える演出の都合もあって、徹底的に「いい人」として報じられる後藤氏の、いわば美化の「やり過ぎ」の結果、テレビはとんだボロまで見せてくれている。「危険な紛争地帯で子どもたちを思って取材した後藤さんの映像」として流されるものの多くは、以前にそのテレビ局が後藤氏の名前も出さずにニュースで使って来たものだ。そして今、後藤氏の危機を報道する同じテレビ局の、こちらは正社員の記者は、トルコとシリアの国境までしか行かない。

この奇妙な構図の裏事情に気づく視聴者も少なくないだろう。正社員に命の危険が及ぶ取材をさせたくないテレビ局が、紛争地帯の報道に重宝して来たのが後藤氏のようなフリーランスであり、危険も省みなさそうな(あるいは気づかなそうな)善良な後藤さんをいわばいいようにこき使って、報道する素材を得て来たのだ。確かにとびきり善良な人だったのだろう、その後藤氏が文句も言わずに熱心に撮って来るものが子どもたちであり、紛争の複雑な政治的な事情や解決の困難な入り組んだ対立図式のことなどよりもセンチメンタリズムを求めるテレビの商業主義にも合っていた、というミもフタもなく冷酷な搾取の構図が、そこには浮かび上がる。

そうやって後藤氏の取材した子どもたちの姿をただ視聴者を涙させるだけで消費しては忘れて来た末に、平然とその後藤氏自身の危機をセンチメンタリズムに堕した商業主義と政権の過失の隠蔽に利用してしまえる報道があり、そこに喜んで涙しつつ「後藤さんの安全を」と言うだけで自己満足している視聴者・大衆がいるのだとすれば、そこにこそ「重度な平和ボケ」の核心がある。

「可哀想」「気の毒」で解決するのなら、イスラム国は産まれていない

なるほど、紛争地帯の子どもたちが可哀想であることに異論の余地はない。今、命の危険に晒されている後藤氏が気の毒なのもまったくその通りだ。だが「可哀想」「気の毒」で紛争が解決するのなら、イスラム国のようなものはそもそも産まれていない。

今、日本中が湯川氏、後藤氏が無事生き延びることを願っていることに、面とむかってとやかく言う人は中近東にも世界中にもほとんどいないだろう。二人は「気の毒」だし「無事であって欲しい」のは当然で、人の命は尊いということが、どれだけ紛争の絶えない場所でさえ、だからこそほとんどの人間が信じている、あるいは信じたいと思っている絶対普遍の価値なのだ。

だが後藤氏たちの安否を気遣ってくれる、たとえばシリアやトルコの人たちにとって尊いのは、ただ日本人二人の命だけではない。あらゆる人間の命が尊くなければならないはずなのに、今この二人の命を「最優先」と言い合っている日本政府や日本国中の人々は、ではその背後には何年も内戦の混乱が続くシリアやイラクの無数の人たちの生と死があることを、少しでも考えたことがあるのだろうか? 後藤氏が取材した子どもたちの映像に「可哀想」と涙するのはいいが、なぜそのような悲劇があるのかに、思いが至らないのだろうか? 疑問は持たないのだろうか?

イスラム国は確かに、世界を震撼とさせたアルカイーダから派生したテロ組織ないしイスラミズム過激派の作った「国」であり、その支配の中身はおよそ評価できるものではない。女性の地位、ヤジディ教徒やクルド人など少数民族の虐殺や虐待、湯川氏もそうであるような性的マイノリティの扱いなど、批判されるべきことはいくらでもあるし、強硬なイスラム法の厳格なのに妙に恣意的な解釈もおよそ評価できるものではなく、他者の信仰は尊重すべきだとしても、イスラムに関してど素人の筆者個人が見てもコーランをちゃんと読んだらこんな解釈にはなるまい、と思うところが多々ある。

だがそれでも、実態は「国」なのである。その統治下には大勢の、普通の人たちがいるのだ。「イスラム国を空爆」と言う時には、ただ「悪のテロ組織」だか「危険な過激派」だけを攻撃目標にするわけにはいかないのが現実であり、いかに「テロとの戦争」の正義を謳おうが、その空爆は確実に、イスラム国支配下にたまたま住んでいる、ずっと住んで来た土地が今はその支配下になった人たちの上にも、降り注いでいるのだ。

「テロは世界の平和への脅威」だから「イスラム国を空爆すべき」という、ではその「世界」に、その人たちは含まれないのだろうか? 「やむを得ない犠牲」だとしても、そこで犠牲になるのは湯川氏や後藤氏と等しく尊い、人間の生命ではないのか?

なぜイスラム国のようなものが産まれてしまったのか? その背景にはイラクやシリアを始め、むろんガザやパレスティナ自治区もそうだし、アラブ圏、イスラム圏の人たちの生命が、決して日本人やフランス人(シャルリ・エブド襲撃事件は「許されない」かも知れない。だが、それでも犠牲者12人、立て篭り事件を含めて20人前後の死者だ)や、アメリカ人(9.11の死者は3000人強、一方でイラク戦争だけで死者は10万以上)と「等しく尊い、なぜなら人間はみな平等だからだ」とは決して扱われて来なかった20世紀の現実と、その延長としての21世紀がある。

あるいはヨーロッパのユダヤ人の第二次大戦前の推計約1000万のうち600万を殺したホロコーストを見ても、人間の命も、人間の権利も、西欧やアメリカが理念と掲げるはずの民主主義や平等主義が、その西洋と、西洋が支配的な地位を保って来ている世界で守られて来たとは言えない、決して平等に扱われて来ていない。ホロコーストはただナチの犯罪だけで済むものでもなく、ヨーロッパに蔓延して来た反ユダヤ主義と度重なるポグロム(ユダヤ人迫害・虐殺)の歴史の「最終的解決策」であったことは、多くの歴史家が指摘することだ。

イスラム国がなぜ産まれたのか? 「テロリストだ」「世界平和の脅威だ」とだけ言っていれば楽だが、それで済むと思ってしまっていることにこそ、恐るべき「重度の平和ボケ」がある。なにもこれは理想主義の平和願望で言っていることではない。我々の世界はそれだけの不満と怒りを産み出してしまい、それが今我々の安全を脅かしていることは忘れてしまっては、早晩我々自身もまた命の危機に晒されることを覚悟せねばなるまい。

だからこそ、安倍晋三首相は今日正午、記者会見をすべきだと、筆者は本気で言いたい。問題は日本人二人の生命だけではない。「人道支援だ」と言うのなら、今もっとも支援が実は必要なのはイスラム国支配地域の普通の人たちではないのか? 2億ドルという金で片付けるのではなく、日本からイスラム国支配地域内に医療団を派遣するから受け入れて欲しい、とでも言えば、その「積極的平和主義」は、世界を変えられるかも知れない。

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