絶対的非暴力≠貫いて
 
                  トルストイ翻訳家・農業 北御門(きたみかど) 二 郎
一九一三年熊本県生まれ。旧制熊本中学から第五高等学校を経て、一九三三年東京大学英文科入学。その後退学。熊本県水上村で農業を営む。著書に『仮初めならば』、訳書に「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」「復活」「神の国は汝等の衷にあり」「イワンの馬鹿版画集」他多数。
                  東京外国語大学教授   亀 山  郁 夫(いくお)
一九四九年栃木県生まれ。一九七二年東京外国語大学卒。一九七七年東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。著書に「甦るフレーブニコフ」「終末と革命のロシア・ルネッサンス」「ドストエフスキー父殺しの文学」「磔のロシア」他。
 
 
ナレーター:  愛国心が家族への愛情と同じように、人間にとって自然な感情である。しかしそれは決して美徳ではない。愛国心ゆえに隣人を傷つけるとするなら、むしろ罪悪だと言わなければならない。
ロシアの文豪レフ・トルストイ(ロシアの小説家:1928-1910)の言葉です。日中戦争が激しさをましていた昭和十三年、トルストイの言葉を胸に兵役を拒否した日本人がいました。熊本県に住む北御門二郎さんです。戦争への協力を拒んだ北御門さんは、その後山間の村に移り住み、農業で暮らしを立ててきました。晴れた日には田畑を耕し、雨が降ればトルストイの著作に親しむ、まさに晴耕雨読の生活を続けてきたのです。北御門さんは忙しい農作業の合間をぬってトルストイの作品を次々に翻訳していきました。『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』。行間からトルストイへの敬愛が滲み出るような翻訳は、高い評価を得ています。「人々は人殺しという犯罪行為を戦争と呼びさえすれば、人殺しが人殺しでなくなり、犯罪が犯罪でなくなると思っている。戦争は人殺しである。人殺しをするために、人々がどんなにたくさん集まっても、自分たちのことをなんと呼ぼうとも、人殺しはやっぱり世界で一番悪質な罪である」。熊本県球磨郡(くまぐん)水上村湯山(みずかみむらゆやま)、一山越えればそこはもう宮崎県だという山間の村。斜面にそって棚田と段々畑が開かれた静かな山里です。北御門二郎さんはもう六十年この村で暮らしています。東京外国語大学教授でロシア文学者亀山郁夫さんは、農業を続けながらトルストイの大作を次々に翻訳した北御門さんに一度会ってみたいと考えていました。亀山さんは、北御門さんの翻訳はトルストイの精神を深く捉えていると考えています。北御門さんがどのような土地に暮らし、何を考えて生きてきたのか、を知りたいとこの村を訪れました。細くつづら折りの山道をしばらく歩きと、谷間に一軒の木造の住宅が見えてきます。北御門二郎さんの家は、水上村でもとりわけ山深いところにありました。
北御門二郎さんです。週二回通っているディーサービスから帰ってきました。二十代半ばからこの山里で暮らしてきた北御門さん。今年で八十七歳になりました。
 

北御門:  私は根本的には絶対非暴力ですね。暴力を絶対使わない。
 
亀山:  その絶対的暴力というのは、勿論人間に対するものだけでなくて、動物もそうでしょうし、ある意味では植物も入ってくるわけですよね。この静かな山奥の自然の中で、やはり自分の理想を貫くには、此処に来るということが絶対に先生にとって必要なことだったんですか?
 
北御門:  そういってもいいでしょうね。理想は菜食主義ですもんね。菜食、玄米、そして少食・・と言ってもいいでしょうね。
 

 
ナレーター:  裕福な地主の息子として生まれた北御門さんは、人は自分の手で食べ物を生み出すべきだと考え、農民として生きてきました。
 

 
北御門:  農業が一番人間にとって必要で、ある意味で、平和で、しかも戦争となんの関係もない。一番平和な仕事だし、みんなに必要な仕事だし・・・ということですね。
 
亀山:  ということは、農業を営むということは、先生の非暴力の思想と結び付いていたわけですね。
 
北御門:  農業しながら人に暴力を奮(ふる)う必要ないですね。土に生きるということは楽しいですよ。土に触れるということは楽しいことですから、決してそのために後悔するということにはならない。
 

 
ナレーター:  北御門さんが、トルストイと出会ったのは旧制高校の一年生、十七歳の時でした。友人の家で偶然手に取った「人はなにで生きるか」を読み、人間が生きる意味を模索して止まないトルストイに強く惹き付けられたのです。その後『アンナ・カレーニナ』を読むに至って、北御門さんはトルストイのすべての作品を原書で読むという誓いを立てました。独学でロシア語の勉強を始めたのです。昭和八年、東京帝国大学英文科入学。しかし、「人は如何に生きるべきか」を教えようとしない大学教育に、北御門さんは次第に絶望していきます。英文科に在籍しながらも、ロシア語を学び、トルストイを読み耽(ふけ)る毎日でした。その頃、日本は戦争への道を突き進んでいました。昭和十二年七月には、日中戦争が始まっています。北御門さんは、当時知り合いに見せられた一枚の写真を記憶しています。日本兵が捕らえた中国人の首を切り落とそうとしているものでした。戦争が人間性を歪めていくことに、北御門さんは強い衝撃を受けました。北御門さんの家には、青年時代から付けていた日記が今も残されています。色褪せた大学ノートには、当時の北御門さんの思いが克明に記されています。昭和十三年三月、日中戦争が始まった翌年の日記には、自分の心の中にある道徳律に従って兵役を拒否する決意が述べられています。たとい銃殺されても戦場には行かない覚悟でした。四月二十二日、北御門さんは母親に伴われて徴兵検査に赴きます。その場で兵役拒否を宣言し、「戦争を止め、日本は中国人に詫びるべきだ」と持論を述べるつもりでした。しかし、徴兵官は北御門さんに発言させようとはしませんでした。心を病んでいるとして、兵隊には行かなくても良いと告げたのです。
 
四月二十五日(一九三八年)の日記
「兵役には無関係にしておくから」と言われた時、「私は初めから貴方なしでも兵役には無関係です。なぜなら爪の垢でも兵役と関係させられるよりも、むしろ死を選ぶでしょうから」と昂奮(こうふん)して答うべきであったろうか。・・・私はあの時、あれ以外の態度を取ることはできなかった。私自身出来れば苦(にが)い爵(さかずき)を飲みたくないという臆病な気持、事件があまりに芝居がかることを恥ずる気持、この上母を苦しめたくないという気持、徴兵官の好意に満ちた優しそうな眼眸(ひとみ)や態度、それらが一緒になって私の反逆の鼻柱を挫(くじ)いてしまった。自分の怯懦に対しては、自ら恥ずることを知らない私ではない。でもあの時は、ああするより以外何も出来なかった。・・・でも私の義務は以上のすべてにも拘らず依然として残っているはずだ。私が生を終うる最後の日まで、人類から軍隊を駆逐し、いっさいの暴力や欺瞞(ぎまん)と闘うために心を尽し霊を尽し力を尽し意を尽すという・・・。
 

 
北御門:  徴兵検査で徴兵司令官がかわいそうに思ったんですかね。気が狂っているんだということにして、「徴兵とは無関係です」と帰してくれました。僕はビックリしました。徴兵と無関係。「お母さんと一緒に帰りなさい」と。それで泣きながら帰ったんですけど。人殺しになりたくない、と。人から殺される人間になっても、殺す人間にはなれない、と。兵役を拒否した時の根本的な考えだった。
 
亀山:  戦争は、言ってみれば国家が認めた人殺しですが、それもやっぱり許せない、という。
 
北御門:  勿論そうです。だから国家なんていうものは怪しいですよね。だから今の政治家なんか見てごらんなさい。出鱈目だ。
 
亀山:  暴力は何故いけないのでしょうか? 人を殺すことは、何故いけないのでしょうか?
 
北御門:  「何故いけないか?」―いけないからいけないんです。ほんとの理由ないですね。ほんとうの真実には理由がない。真実はなぜ真実になるか。真実だから真実という以外にないでしょう。暴力というものはいけないからいけないんですよ。人間のなかに書いてあると思います。
 
亀山:  その書いてあるというのはどこに?
 
北御門:  それは書いてあるというのは、
 
亀山:  心の中にですか?
 
北御門:  そうです。それを感じるんですね。いけないと。
 
亀山:  そう感じていた、というのは主にトルストイとの出会いによって学んだことですか?
 
北御門:  それもある。自分の心の中にあって、トルストイと出会って、トルストイと絶対的非暴力の理念。どんなことがあっても暴力はふるわないという理念と一つになった。トルストイばかりじゃないですね。老子なんていうのも、古今の偉い人たちはみんな同じことを考えていますね。人間はどうせいつかは死ぬのに、人殺しまでして生きる必要はない。人を殺すことは精神的に死ぬことだ。
 

 
ナレーター:  兵役を拒否した北御門さんは、大学を中退。生まれ故郷から十キロあまり離れた現在の場所で農業を始めました。農業がもっとも平和な職業であると考えたのです。しかし、山深い土地も戦争に無縁ではありませんでした。
 
五月二十六日(一九三八年)
上等兵の従軍談! 殺人、強盗、放火、強姦、罪として犯さざるなき戦争の楽屋話しだった。悪しき種族どもよ、汚らわしき人類よ、私は私がその一員であることを思うと、赤面せずにはいられない。
 
中国大陸では日本軍の進撃が続いていました。上海(しゃんはい)、南京(なんきん)、徐州(じょしゅう)、主要都市を次々に占領していきます。
 
十月二十七日
どこからか万歳万歳の声が聞こえてくる。武漢三鎮(ぶかんさんちん)の完全占領が発表されたのだ。そらそら、また愛国行進曲の放送が始まった。どこかで誰かが鐘を鳴らし始めた。武漢陥落祝賀のつもりであろう。何たる無恥と無反省の世。官学と愚鈍の世。日本よ日本よ、どこまで増長すればいい。平家物語以来の普遍の理がお前を待っているのだ。驕れる者久しからずひとえに風の前の塵の如し。
 
昭和十六年に太平洋戦争が始まると、徹底的な総動員態勢が推進されていきます。北御門さんが暮らす山間の村も、戦時体制に組み込まれていきました。昭和二十年、水上村に飛行場を建設する計画が持ち上がり、北御門さんも勤労奉仕に出るよう命令されました。
 
一月十六日(一九四五年)
木上(きのえ)に勤労奉仕出動命令。私は左記の書状を村長に寄せて拒絶のつもり。
木上○○工事出動の件について書状拝受。然し乍ら、左記の理由により、出動命令に従う訳には参りません。小生は精神病患者です。そして、小生の同病相憐れむかのインドのガンジーと同様、左記の如く信ずる者であります。
一、戦争は如何なる美名を持って粉飾しようとも、罪悪たるを免れざること。
二、従って戦争に荷担乃至協力することは、極力避けざる可からざること。
三、人から殺されることは罪悪にあらざるも、人を殺すことは罪悪であること等々。
 

 
亀山:  トルストイは、死の直前に、「神というのは無限の全体だ。そして人間というのはその中の一部分に過ぎないんだ。存在するのは神のみだ」というふうに引用の中で言っていますけれども、先生はその死というものはに対して、どんなふうなお考えを持たれていますか?
 
北御門:   その考え方は正しいと思うんですね。死は人間を全体的に無に帰するものではない、と。絶対に人間の中には、無に帰すことがありえないものがある。それには兵役拒否した時は本能的にそれに従った。それで今があると。パンと銃殺されればそれでいいんだから、と思ったんですよ。後で子や孫たちが、「あの時、天に昇っていたら自分たちは存在しない。ほんとに存在する権利はあるぞ。そして同時に、トルストイの絶対平和思想を自分たちも一緒に協力して、みんなに伝いたいと思うから、そういう意味でも、あなたに生きてもらわんと困るよ」と言われた。そういう意味で、苦しいけど、生かされたんだな、と思いました。 
亀山:  死というものに対する恐れというものはないんですか。
 
北御門:  いや、ないともいいないですね。ないともいいんけど、死よりも怖いものがあったんですね。
 
亀山:  それは?
 
北御門:  悪です。人は愛によって生きると。
 
亀山:  その無限の全体の中の一部だというふうに、先生も今お感じになりますか?自分の存在を。
 
北御門:  そうです。そう思います。無限の中の一部です。来世のことは認識できないんですね。だから現世で何が正しいかを思うかの問題だ。正しいと思うことに従って行動する。それでいいんだという考え方ですね。
 

 
ナレーター:  北御門さんが耕してきた山の田畑は、およそ八反、0・8ヘクタール。農業だけで暮らしていくには狭い土地です。北御門さん一家は自分で作った米や野菜を食べ、半ば自給自足の暮らしを続けてきました。二十年ほど前、農薬や化学肥料はいっさい使わないことにしました。今はサラリーマンを辞めて帰って来た長男のすすぐさん夫婦が耕作をしています。畑では何十種類もの野菜や果物、お茶、キノコなどを作っています。作物はあくまで家族で食べるのが基本。余れば出荷をしています。
 

 
亀山:  仕事中お邪魔します。
 
すすぐ:  台風でよく倒れるんですよ、これが。倒れないようにしっかり頑張らないと。
 
たえ子:  また後で手がかかるもんですから・・・コンニャクとこれがキュウリですね。
 
亀山:  こっちがキュウリ、
 
たえ子:  こちらがキュウリで、向こうまだ草取りかけですけど・・それが山芋です。それから後ろののがゴボウです。この大きな葉っぱですね。ゴボウは一年中食べられます。
 
亀山:  手前はキャベツですね。
 
たえ子:  そうですね。キャベツ、ちょっと調子が悪くてわき芽がやたらと出て、奇麗に巻かないんですよね。蝶々が食べても青虫が食べても私たち食べれる分たくさんありますから、もう自然にまかせています。中のほうは奇麗ですよ。
 

 
ナレーター:  大地と太陽の恵みを受けて、自然の摂理に従って暮らす。北御門さんがこの土地で農業を始めてから六十年。理想としていた暮らしが漸く根付こうとしています。
 

 
たえ子:  実がなるのは早いんですけど、植えるまで凄く時間がかかって。だからこれも食べれるのは七月じゃないでしょうか、来月半ばぐらいでしょうね。三十五個から四十個ぐらい採れます、一本で。順調に育ったらですね。これグミですよ。美味しいですよ。
 
亀山:  けっこういけますね。ちょっと渋みがありますけどね、まだね。でもかなり甘いですね。
 
たえ子:  作物は私たちが引き継いでからグンと増えたと思うんですけれども、でもやっぱり基本的なものはやっぱり父母がやっていた頃から作っていましたから、それを頂いていましたから、それを私たち引き継いだという形ですよね。父は決して手先が器用で奇麗な仕事ができる人じゃないんですけど、きつい仕事でも厭わない人というんですか、重労働でも別に厭わずにやっていましたから、楽しく私たちも農業を一緒にやって来れたと思います。
 

 
ナレーター:  北御門さん一家の毎日の献立は、畑で採れた新鮮な野菜が中心です。町で買ってくるのは調味料とわずかな肉だけ。できるだけ現金に頼らない生活をしています。味噌も畑で採れた大豆と米麹を使って作っています。
自分で作った野菜や果実の素朴な味わいと山から引いてきた水の美味しさがささやかな贅沢という暮らし。毎晩の食事は家族が揃ってとることにしています。北御門さんは十年ほど前から肉を食べなくなりました。年老いた自分が生きていくのに動物の命を犠牲にする必要はないと考えたからです。戦争を拒否し、山深い村に移り住んで農業を始めた北御門さん。昭和十六年に結婚すると、家族を養う責任が重くのし掛かってきました。貧しさ、慣れない農作業の辛さ、息抜きのタバコや酒が止められず、性の欲望を克服できない自分の弱さも痛感していました。戦争が終わっても、北御門さんが待ち望んでいたような本当の平和はきませんでした。北御門さんの日記には、当時のさまざま苦悩の跡が記されています。
 
五月十三日
朝から雨。おかげでこうしてゆっくりペンを取ったり、書物の頁と繰ったりすることができる。そうでなければ、どうしてどうしてそんな閑など、つまり雨が反省と思索と自由とを私に奪い返してくれるのである。生存の苦役に疲れた身に、それは何ものとも交換できない楽しい憩いである。
 
八月五日
己と己の家族の生物学的生存を支えるためのありとあらゆる煩労。纏まった思索も纏まった読書もしない。日記に向かう気力もなく、危うく一ヶ月にならんとするブランク。それはそのまま私の精神生活のブランクであったのか。まったく恐ろしいこと。
 
一九四八年一月三十一日
ガンジー暗殺さる。三発のピストルが花火のような音を立てて、ガンジーの胸を貫いたとか。この写真を見て、ブッダの涅槃を偲ばないでいることは困難である。彼の死に顔は己を殺害した相手を許すというにとどまらず、自分を肉体の絆から解放してくれたことを感謝すると語っている。
 
十一月十五日
極東軍事裁判の歴史的判決の報道。東條ら七名に絞首刑。私にわかっているのは、何人と雖も人の子であり、同じく人の子から首を絞めらるるには決して値しないということである。
 
十二月二十三日
今朝のラジオニュース。七戦犯の絞首刑の執行が終了したとの発表。寝床の中で聞いていた私の胸がジーンと痛んだ。主はきませり、主はきませり、と人々が喜び迎えるクリスマスを前に、同じ人類の手によって虐殺されて散っていく彼らに泪を注いでやりたい。
 
三月二十一日
彼岸のお中日。小雨。山羊がめいめいと鳴く。寂しいのは人間ばかりではないらしい。何一つ思うことの叶わぬ一生。これが私の人生かも知れない。女、酒、タバコ、肉、物質、金銭に対する執着、空虚な名誉心、どの一つをとってみても、私がそれを克服したもの、否克服への途上にあると思われるものすらない。力よ力よ、お前はどこにいる。
 

 
亀山:  トルストイは最後に国家や資本と言ったものをすべて否定していきますね。それで最後は結婚という制度も否定して終いますよね。先生はいわゆる性愛といいましょうか、若い人たちに非常に大事な問題だろうと思うんですが、性愛というものを否定するという、そういうお考えはありますか?
 
北御門:  そうですね。性愛なしに生きることが人間の理想に近いと思います。
 
亀山:  ということは、性愛というのが悪であるという、或いは悪の一部であるという考えは先生の中にございますか?
 
北御門:  そうですね。人間完全になるためにはそういうものを卒業しなくてはならないものだと思いますね。
 
亀山:  否定と卒業とどう違いますか? つまり卒業ということは学んで学習して、一応そこからいつかは離れていかなければならない。否定はそうしたものをすべて、前提をこう否定してしまうということでありますけれども、
 
北御門:   否定は前提で、
 
亀山:  否定が前提で卒業する。
 
北御門:  否定に向かって進んでいきなさい、と。そこは結果として神に任せるしかない。自分の力の限界というのが、どこまで続くかということ、
 
亀山:  先生は性愛というものを否定したいという、そういう強い思いがおありですよね。一応若い頃を思い出しながら性愛を否定するという、そういう思いというのはずっと基本的に一貫して持ってこられたものですか?
 
北御門:  根本的には性愛を否定することが人間の理想だと思っています。
 
亀山:  否定することが、
 
北御門:  卒業することが。逆に言えば、精神だけになれば性欲なんかあり得ないわけだ。人間が肉体を卒業すれば性欲も卒業する。肉体的な煩悩から解放されることが、人間の生きる意味ですね。「神は愛なり」という。愛と一つにならなくちゃならない。愛ということを考えればみんな平等だという考えに自然となると思う。
 

 
ナレーター:  北御門さんにとって、トルストイは光の射し込んでくる窓でした。苦しみの時には光を求め、またその窓を通して世の中を見つめてきたのです。北御門さんはトルストイの信奉者と知られた作家や翻訳家が、戦争中に戦争を賛美する文章を発表したことが許せませんでした。トルストイの心を伝えるためには、自分で翻訳するしかないと考えるようになったのです。出版のあてがあったわけではありません。止むに止まれぬ気持でした。忙しい農作業の合間をぬって、大学ノートにコツコツと訳文を書きつける毎日が始まりました。真に必要な唯一の学問は、人間如何に生くべきかについての学問である。そしてそれは万人の手に届く学問である。真の生活とは、日々、より良き人となり、精神的によって肉体に勝ち、神に近付くことである。そのためには努力が必要である。そしてその努力が喜びを与える。『イワンの馬鹿』―民話に題材をとったこの作品にトルストイの思想がもっとも分かり易く描かれていると、北御門さんは考えています。
 
昔あるところに三人の兄弟がいました。軍人のセミヨンは戦が好き。布袋腹(ほていばら)のタラスは金儲けが上手でした。一番下のイワンは馬鹿で、鍬をふるって畑を耕すことしか知りません。ひょんなことから、三人はそれぞれ国王として国を治めることになります。しかし、悪魔が三人を滅ぼそうと考えていました。悪魔はまずセミヨンの国を訪れ、国が栄える方法を説きました。徴兵制度を敷き、軍備を増強するようにというのです。強大な軍事国家となったセミヨンの国は、もっと強い国との戦争に敗れ、滅んでしまいます。悪魔は続いて布袋腹のタラスに税金を高くして金を貯め込むことを勧めます。有り余る金に囲まれたタラスの国は、もっと金を持った者との競争に敗れて滅びてしまいます。悪魔は最後にイワンの国にやってきました。この国にはイワンのような馬鹿ばかりが住んでいます。まず徴兵制度をしこうとしましたが、殺されるのは嫌だと誰もいうことを聞きません。他の国が攻めて来ても、黙って家畜や食べ物を差し出すので、攻め込んだほうが嫌になってしまいます。悪魔は今度は金貨を与えて誘惑しようとしました。しかし、馬鹿たちは金貨を髪飾りや子どものおもちゃにするなど、まるで欲というものがありません。イワンの国には軍隊もなく、貨幣もなく、みんなが土を耕し生きています。業を煮やした悪魔は、櫓に上って馬鹿たちを集め、これからは頭で働く時代だと教え込むことにしました。馬鹿たちは悪魔が手を使わず、頭で食べ物を生み出すのだと考えて集まってきました。しかし悪魔はどうしたら働かずに生きていけるかをいうばかりです。馬鹿たちは呆れて帰ってしまいました。喋り続けて腹を空かせた悪魔は、とうとう櫓から転がり落ちてしまいます。イワンの国では、頼ってくるものがあれば、誰でも受け入れ、食べ物を分かち合います。しかしこの国には習慣があって、食卓につくことができるのは、手にタコがある者だけ。手が奇麗な者は、残り物を食べなければならないのです。
 

 
北御門:  人は愛によって生きるということを言っています。愛によって生きるということは、愛が人間の存在の根本ですよね。愛によって生きなくちゃならない。「神は愛なり」というのは、それとともに安らぐわけです。この本にはそのことが書いてある。人間が愛によって生きないで、頭で生きようとしたのが大悪魔なんです。イワンの国の人たちは人間が善いから、頭で働くというから食べ物は自分で作るだろうと。そうしたら落ちたという。トルストイは根本的に正しいものを追求して一生を終えた人だと思いますね。私も同じようにできるだけ追求して、その結果あの世でどこにいくかわかりませんけど、死ぬまで追求していこうと思いますよ。人から悪を行われても、許せということを言いますよ。七たびを七十倍にして許せ、と。(弟子がイエスに)七度まで許すべきかと聞くと、(イエスは)七度を七十倍せよと答えた。そのようにして許しあう。人間不完全ですからね、どうせ。僕が偉そうなことをいうけど不完全ですよ。だけど不完全ながら、天の命令に反することなく、合致するように、と私はそう思っています。非暴力―暴力を絶対ふるわない。自分が殺されていいから、人に暴力をふるわない。そこまでいかなくちゃならない。僕も人を殺してまで生き残ろうとは思わない。人を殺さないで、生きながらえて生きて最大限のことをやれるんじゃないかと思います。
 
亀山:  今日、先生のお住いになっているこの水上村にやって来まして、先生のこれまでなさってきたお仕事の意味とか、その背景ということが凄くよく理解できました。またこの場所が何か先生の人生の全体を集約する非常に大事な空間だなあということもよくわかりました。今日は先生は何度か「絶対的非暴力」という言葉を口にされましたけれども、先生はこのトルストイに導かれて、この理想を実現していくためには、どうしてもこの土地に帰ってきて、そして農業を営むことが大事だったんだなあということが、ほんとに思いがけなく、僕の心に伝わってきて感動しています。また先生がトルストイを翻訳する傍ら、有機農業と言いましょうか、そういう農業に勤しまれたことが、実はその試みがトルストイの思想によって導かれたものだ、ということも知って、実はほんとに驚いた次第です。僕の先生に対する一番の大事な印象というのは、先生の中には、生命というものに対するとても素晴らしい研ぎ澄まされた感覚というものがあって、それがずっと幼い時から、現在まで一つの動物のような生き生きとした手触りの持てる、手触りのある、そういうものとして実感されているんだなあということを、僕は都会に住んで、都会で仕事をしていますけれども、僕らもそういうものは常に忘れがちであるということをやっぱり反省しなければいけないと、そんなふうに思いました。ほんとに先生にお会いできて嬉しく思っています。
 
北御門:  ありがとうございます。トルストイを読んで頂いて、都会で生きようと田舎で生きようと一緒ですから、人間の生きる意味を考える、ということですね。
 
 
ナレーター:  六月半ば、山の田圃では田植えが終わり、草取りが始まっていました。除草剤を使わないため、雑草が芽を出す前に、こうして丹念に取り除いてやるのです。農業こそが平和で人間らしい暮らしだと信じ、北御門二郎さんが耕してきた田圃。今はすすぐさん夫婦が受け継いで大切に育てています。もう何十年も続いている土と語り合う暮らしです。
 

 
すすぐ:  芽ですよ。根のほうが先に出るから根のほうが長いんだけど、もう準備万端ですね。ほっといたらこれがしつこく大地にからんでしますから、もう取れなくなるんで、今取っておかないと。これが「草を見ないで草を取る」というんだそうです。上農のやりかたです。「上農」「中農」「下農」がある。要するに良い農家というのは草がまだ目立たないうちに取るんだ。中農は草を見て草を取る。下農は草を見ても草を取らないという。上農になっていかないとやっていけないんで、草が目立たないうちに取っちゃうということですよ。
家族としては苦労しましたね。大体父親と息子というのは、そういう宿縁みたいですけどね。一つ一つがまったく同じということはあり得ないから、ただ父の母、要するに祖母なんですが、祖母が、「ああいうだらしないというかな、不器用で仕事もあまりまともにできないようなものだが、二郎さんはやさしいとこあるでな。そこをしっかり見守っていってくれ」って、私の母に頼んだらしいんです。だから要するにある意味素晴らしい一面を持っているけれども、やっぱり家族も周りもお騒がせするところも多々あってですね、一々話していたら切りがないけども、だから悩みの種になってみたり、まあ心の支えになってみたり、まあ七変化ですかね、まあそういうとこです。
 
     これは平成十二年七月二日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである