| 2003/5/1 今日はすこぶる体調がよく、勢いあまってCGIの日記など借りてみた。できれば日常の些細な出来事など正確に記録していきたいが、俺のことだから、どうせすぐに激して無茶なことを書き始めるに違いない。 2003/5/2 一日酒を飲んでいた。今のところ、まだ少し生活費に余裕がある。言いたかった事は、みんな家の畳と白い壁にもう話してしまった。だからあまり書くことがない。ひどい気分だ。頭痛の薬が必要だ。 2003/5/3 昼頃、腹を空かせて近所をウロウロしていたら、ステーキ用の牛肉が二百円で売られていた。一枚買って帰り、焼いて食った。頭の中がちくちく痒くなるような暖かい日だった。競馬には行かなかった。だから、今日も一日酒を飲んでいた。 この頃は一時期ほど酒に執着しなくなったと思う。他に何もする事がなく、酒を買うくらいの金はあるから、飲む。働いてる奴もいるし、稽古事に通ってるやつもいる。デートしてるやつ、小説や新聞を読んでいるやつ、女房と一緒にテレビを見ているやつ、いろいろなやつがいる。俺は酒を飲んでいる。当たり前のことだ。棺桶の蓋は、ピッタリ閉まっているんだからな。 そして下痢だ。黒く濁った臭い水が自分のケツから出るのは、あまり気分のいいものじゃない。怖いっていうか、不気味だ。おまけにトイレットペーパーがなかった。仕方がないので箱入りのティッシュを買ってきた。コーヒーとジンを交互にやる。ケツの穴から黒い水が噴き出す。恐ろしく体に悪そうだ。 閉じた瞼の裏側で、幽霊みたいに生きていくのは、まるで自分の性格とは正反対なものだと思っていたけれど、案外、向いているのかも知れない。誰かの真似をしようとは思わない。とにかく、自分の気の済むようにやることだ。 2003/5/4 暖かい日が続く。結局三日間ずっと酒を飲んでいた。五千円くらい使ってしまった。競馬に行った方がよかっただろうか? 難しい問題だ。 二、三十分おきに、ウトウト眠ったり起きたり、そういう時間が何十時間も続いている。畳の上で大の字になって、腑をビクンビクン震わせながら、冷笑気味にニヤっとしてみたり、何か気の利いた口上を考えたりする。そうしているうちに、日が沈み、また昇る。ごく日常的な風景。だいたい週のうち、半分はそんなものだ。もう半分は働く。 そういうすべてのものが、今だけ、或いはいつか迄、という性質のものだったら、少しはマシだろうと思う。もしそうなら、ある日突然、冷たい真っ青な風を体のど真ん中に呼び込んで、何もかも夢の中の出来事みたいに変えてしまえる。まあ実際には、そういう類のものではないんだが。 明日からしばらく、食うのも飲むのも止めよう。少し調子に乗って金を使いすぎた。そういう甘えがイカン。生きてさえいりゃ、何でもいいんだ。心臓が止まる直前までは我慢しよう。必要最低限。途方もない時間や気怠さを、恐れるな。 2003/5/5 幾人かで動物園へ。天気に恵まれた。アイスクリームなど食いながら、ポクポク歩いて動物を見て回る、そういう遊びが、やけに痛快だった。誰もあまり大げさに、やりすぎないのも良かった。ごく簡単なことだが、食事中に大声を出さないというのは、案外大切なことなのだ。 楽しいのは良いことだ。けれど、俺に限って云えば、自分が楽しむことは、極力抑えなければならない。勿論、他人を不快にさせたり、疑惑を抱かせるような言動は慎むべきだが、尚優先順位としては、自分を愉悦や安寧、あらゆる種類の幸福感から遠ざけることのほうが上だ。いきなりは難しいだろう。それでも徐々に慣らしていって、いつかは完全に断ち切らねばならない。 そういう約束だった。言葉には出さずとも、沈黙の内に密約は交わされていた。対価を支払う必要がある。俺は能無しのクソ野郎かも知れないが、ゲス野郎じゃない。払うべきものは払う。だからそう急かすな。毎日見張ってることはないんだ。俺は忘れていない。あんまりしつこいと、約束を果たす前に頭が狂ってしまう。リラックスしろ。俺は決して忘れていない。 2003/5/6 500円で買った手ぬぐい一枚を持って、外をほっつき歩く。何時間歩いても、どこまで行っても、目を惹くようなもの、見るべきものは、何もなかった。町全体が、白く泡立った生臭い川面に浮かんだ死体みたいで、おまけにぽっかり突き出たその白い腹には、どうも「自明」の二字が読み取れるらしかった。 結局、更に一時間ほど歩いて直接職場へ。午後六時。事務所の灯りを全部消して、仮眠室のベッドで横になる。退屈だが、平和な一日。明日は酒を飲んでもいいだろう。仕事のある日と、人に会うときは飲まない。何しろすぐに楽しくなってしまうから。 2003/5/7 どうにもこうにも、体の動かないときがある。コーヒーを、水を、何でもいい、とにかく冷蔵庫まで! と思うのだが、目玉以外どこも動かない。ゲロと脂汗にまみれたTシャツから漂ってくるひどい臭いのせいで、余計に気分が悪くなる。 這うようにして冷蔵庫まで辿り着き、40円で買ったマンゴーアイスを食い、首と腕から白っぽい吐瀉物を洗い流し、暖かいコーヒーを飲むまで、結局五時間もかかった。それからしばらく、便所で下痢と悪戦苦闘した。体の中が空っぽになったところで、マル・ウォルドロンの「恋を知らないあなた」を聴きながら、二杯目のコーヒーを飲んだ。頭痛薬は、また買い忘れた。 2003/5/10 当たり前のことだが、生きてる。 2003/5/12 ツイてない。競走馬たちはもの凄いスピードで俺の目の前を駆け抜けていった。このところ、少しラクをしすぎていたのかも知れない。いや、実際、そう思う。ちょっと気を抜くと、途端にだらしなくなる。べつに、つまらなくたってかまわんだろうに。いい子ちゃんぶるとロクなことがない。馬たちは、嘲笑っているのだ。 同じ750ml入りなのに、片方の青いビンに入ったジンは、1580円で売られていた。もう片方は、いつも俺が飲んでいる銘柄で、800円だった。何が違うんだろう? 両方とも買ってみた。高い方は、ボンベイ・サファイア、とかそんな洒落た名前だった。インターネットで検索してみた。有名らしい。なにしろ、名前がいい。ビンも青い。たぶん感傷的な酒なんだろう。べつに美味くはなかった。俺がいつも買うのは、ギルビー、バーネット、とにかく1000円で釣りがくるなら、なんでもいい。焼酎? 焼酎はどうだろう? あれは安い。悪くないんじゃないか? だけど、どうも俺は、あの汗まみれになった百姓の着物みたいな臭いが、不愉快でならない。 で、なんだ、また頭痛薬を買い忘れた。ひどい気分だ。ボンベイ・サファイア。くだらない。なんでこんなモノ、買っちまったんだろう。 2003/5/13 一年くらい前に別れた女の金で、腹一杯中華料理を食った。女は俺と別れた後、白くて大きな新車を買っていた。車は10人くらい乗れそうで、最新のナビゲーションシステムがついていた。ドアを閉じると、しんと静まり返って、自分だけの世界に行ける。たぶん400万はするだろう。素晴らしい車だった。俺は腹一杯食った後、その車の助手席で、車のことを褒めちぎった。自分でも驚くくらい、喋りすぎていたし、興奮していた。女は俺を職場まで送ってくれた。目的地に着いた。俺は車から降りながら言った。 「なあ、マジでいい車だ。最高だよ。うん、なんていうか、翼が生えたみたいなもんだろう? どこにだって行ける。こいつの中で暮らせる。どこにでも行ける。翼が生えたみたいに…」 女は泣いていた。俺は何がなんだかわからなかった。きっと事情ってモンがあるんだろう。たとえば、世界中の誰も、俺を愛していないことが、俺にとってたまに憂鬱であるみたいに。 2003/5/14 体調が悪い。下痢と嘔吐と鬱のせいだ。一日中、南佳孝の「モンローウォーク」を口ずさみながら、南の島でのリゾートを考えた。植民地時代の伝統的な建築のホテル。ホールのバルコニーでは、首の太いドイツ人がビールのカクテルを飲んでいる。俺は黒いコットンパンツに、サテンのカマーベルト、胸が蛇腹になったドレスシャツを着て、なぜか坊主頭な上に、黒いアイパッチをして、タンゴを踊っている。マインドコントロール。 2003/5/16 恐ろしいくらい体が熱かった。肌がぴりぴりと泡だって、汗ばんでいた。空腹のせいだ。立ち上がろうとすると、鼻と口から息が漏れて、それだけで力を使い果たしてしまうみたいだった。二十二時に仕事が終わった。家に帰って酒を飲みたかった。だけど、体が動かない。俺は十五分くらい、何度も鼻と口から息を吹き出しながら、悪戦苦闘した。立ち上がり、上着を脱ぎ、着替えを済ませた。歩き始める前に、甘いコーヒーを一杯飲みたかったが、手がふるえて、紙コップを上手く掴むことができなかった。二十三歳の若者が、そんな俺の姿を黙って見ていた。カメラマン志望。素直さ以外、何の取り柄もない間抜けな野郎だった。お前にはわかるまい。こいつの頭の中では、六割方、俺が電車賃を貸してくれと頼むものだと思ってる。もしそう頼まなかったときは、こいつを人間と見なしていない、という事だ。そんな場合には、わざわざかまってやる必要はない。何か差し出せば、それなりにね、というわけだ。お前にはわかるまい。勇気が肉体を凌駕するのだ。俺は言ってやった。 「よう、給料が出たら、焼き肉とビール、奢ってやるよ」 それから自分に向かって呟いた。 「ゲームは好きじゃないんだ。少なくとも今は、そんな気分じゃない…」 俺は歩き出した。二十分も歩かないうちに、萎びた桜の木の下で、腰を下ろした。胃がひっくり返って、痙攣を起こし、立っていることすらできなかったからだ。俺は白いTシャツを泥だらけに汚しながら、何分間かそこでじっとしていた。あと一時間、踏ん張れ。立って、歩け。家には酒がある。雨にも濡れない。水もたらふく飲める。ブラックコーヒーのチェイサー。ロンドン・ドライジン。あと、大盛りイカ焼きそばもある。先のことは、それから考えよう。俺は歩き出した。二度、白く泡だったゲロを吐き、鬱に取り憑かれながら、家に辿り着いた。ざまあみろ。いつか金が入ったら、雑誌を買おう。そして一日中、部屋に閉じこもって、何度も繰り返しそれを読む。死ぬまで、何度も、繰り返し読むんだ。 2003/5/17 嗚呼、屋根の上にカラスが巣を作っちょります。日の出から日没まで、忙しそうに飛び回り、トタンをガタガタ、威嚇にギョロギョロ、怯えたハトが高さ二十センチくらいの庇の下で丸くなってます。 まあ、それにしても、ボンベイ・サファイア。甘ったるい十種類のフレーバーとやらの効きまくったロマンチックなクソ酒。思わず痰まみれの濁ったバリトンで、顎を突き出し、挑発的な冷笑まで浮かべて、ボトルに向かって言ってやりたくもなる。なあ、こんなモンが、スピリッツだって? もちろんBGMは荒木一郎、あしたのジョーのテーマ「MIDNIGHT BLUES」。いい気分だ。「書き込む」のボタンを押すのが惜しいくらい。 2003/5/18 午後、大井競馬場のナイターに行くつもりで、風呂を四十二度くらいに沸かした。五時間も十時間も、何十時間も酒を飲み続けた後で、そのまま外に出るのは得策とは言えない。ロクでもないトラブルに見舞われるに決まっている。三十分か一時間、熱い風呂に浸かり、浴びるように大量の水を飲んで、頭をすっきりさせる必要がある。 狭くて汚いアツアツの風呂に浸かった。そして、湯船の中で、髭を剃るべきかどうか、思案しているうちに意識を失い、次に気が付いた時にはもう夜の八時だった。ファック。どうせ他にやることもないから、競馬に負けたつもりで、買い物をすることにした(と言っても、最初から六千円しか持っていなかったわけだが)。 シリアルと牛乳を買った。ドライフルーツの入ったやつだ。子供の頃から憧れていたのだ。一度でいい、こいつだけで腹一杯にしてみたい。それからジンの小瓶とウォッカの大瓶。買い物をしている間は、競馬場に行くよりずっと有意義な時間に思えた。家に帰り、シリアルを食っている間もそうだった。甘くて美味い。いくらでも食えそうだと思ったが、一箱全部食い終わる頃には、うんざりしていた。 食い物なんて、くだらない。酒を飲み、ビリーホリデイのIm a fool to want youか何かを聴きながら、そう思った。セックスより悲惨なんじゃないか? バカな。気が付くと、あぐらをかいた足の隙間に、ヨダレで水たまりが出来ていた。ほつれたジーンズの裾まで、ぐっしょり濡れている。ゲハッ! と声に出して笑ってみた。音楽を替えることにしよう。ベートーヴェン。ちゃちな弦楽四重奏曲、第一、第二。タルティーニのヴァイオリン・ソナタ。下品であざとくて、見え透いた真鍮みたいに安っぽいものこそ、真実に近いといえるだろう。切実で、真摯な、本物とかいう鼻クソ以下のハッタリは、笑い飛ばしてしまえばいい。それこそ、残酷で退屈でバカバカしい、人間らしさというやつだ。今日も頭痛薬を買い忘れた。 2003/5/21 ダメだこりゃ。なんだこれ。 2003/5/24 たっぷりコップ三杯分の血ヘドを吐いて、丸三日、病院のベッドに横たわり、風呂にも入れず、頭も洗えず、やたらと汗くさい姿のまま家に戻ったところで、俺は途方に暮れた。さて、これから何をしよう? どうしたらいいんだ? そんな疑問を持ったのは初めてだった。雑誌を買う。仕事へ行く。誰かに電話したつもりになる…。なかなか名案が浮かばない。とりあえず服を着替え、頭を洗うことにした。脳みそが無理矢理背負わされた厄介な荷物みたいに重く、腹の底がむず痒くて、イライラした。さあ、これから何をしよう? 何はともあれ、まずは一服、というわけで、ズブロッカを二本買ってきた。給料はいつの間にか振り込まれている。ビンに入った香り付けのための細い葉っぱをくわえ、三度考える。さあ、どこに行き、何をしよう。横浜に行くのはどうだろう。そこは、いろいろな意味で、俺の故郷だった。中華まち、ユーイチ、ジョージ、ナベ。十年前には、たくさん友だちがいた。今は一人もいない(ハードボイルド?)。それにしてもだ! なんでヨダレが出るんだろう。気が付くと赤ん坊みたいに胸元をベトベトにしている。今朝飲まされた生姜の汁と関係があるんだろうか? 本物のアル中みたいだ。とにかく、横浜はよそう。きっとロクなことがない。いや、そもそも、居場所なんてどうだっていいのだ。名刺の肩書きなんてものは。不規則ながらも心臓は動いているし、給料は振り込まれている。今、眠る前に、やることがあるはずだ。 2003/6/2 兄が結婚したらしい。兄は今年三十になる。嫁は三十一。入籍はすでに済んでいるらしかった。七月の人事移動が済んで、身辺が落ち着き次第、式を挙げるという。夏頃だろうという話だった。出席を求められた。私は電話で、まずはおめでとうを言い、それから、着ていく服がないし、包むべき金もないと言った。兄はそういうこちらの窮状を予想していたらしく、即座に、弟のお前が金を包んでくる必要はない、それから着るものに関しては、年老いた祖父母の事もあるし、いい機会だから一式揃えるといい、と言って、口座を教えてくれれば、とりあえず十万振り込んでおく、と言った。兄は、出来の悪い弟の、みすぼらしい姿を、新婦の親族や、友人から、隠しておきたい、などと考えるような、卑怯な人間ではない。実直な父に似て、虚栄のない、誠実で、信頼に足りる、見事に独立した男だ。だから、それは見栄っ張りの私の心を見透かしての提案に違いなかったし、なにより、兄は私を愛していた。 今の私を知る、ほとんど誰もが理解できないだろうが、実際私は、兄にとって、常に自慢の弟だった。私は全然優れた人間でない代わりに、兄の持たない、数少ない要素をほとんど全部備えていた。自由と、暴虐と、見当違いの自惚れである。その弟を、是非にも立派に飾り立てて、新たな家族に、それから会社の同僚や新婦の友人たちに、誇りたいのだという、無謀に近い兄の無邪気が、私には簡単に理解できた。けれど、そういった配慮と愛情を持ちながらも、兄は、入籍の報告に、新婦の紹介に、久しぶりに一緒に飯でも食おうか、とは言わなかった。私たちの間に、そういった親しさは、今に至っても、まったく無かった。 彼は電話を切った。慣れ親しんだ、汚れた窓ガラス越しに、やはりとっくに見飽きてしまった、貨物線路の灯りを見た。そして囁くように言った。なあ、兄貴、あとほんの数ヶ月だ。視力を失いかけた、目やにだらけの左目を半ば閉じて、彼はさらに続けた。アンタは運がいい。七月か八月。本当に運がいい。爛れた、醜い声だった。イカサマ師の声。借金を返すぜ。アホみたいに働いて、借金を返す。何もかも精算するんだ。そして、さっさと家を引き払う。身軽になる。本当の自由だ。彼はあぐらをかいた上半身を、斜めに傾け、両腕を広げて飛行機を模した。そして甲高い、嘲りと不相応な自信を帯びた、耳障りな声で囁いた。こうさ、ピューンってな。半年後には、誰も知らない、たぶん俺だって知らない、海岸をさ、ピューンってな、羽ばたくのさ。本当の自由だ。 アルコールのもたらす悪徳。まず嫉妬。次いで激しい憎しみ。そしてお馴染みの自己憐憫。彼にとっては、何千時間も、慣れ親しんできたもの。それに関してのみ、アマチュアでないもの。とんでもない、特大の糞壺。すっかりはまり込んで、決して抜け出すことの出来ない、心地よい生ある死。絶望や悲しみの名を借りた欺瞞。彼は、兄や、他の家族や、あらゆる種類の友や、過去に出会った誰でもない、何者かに向けてほとんど絶叫していた。みんなでテレビを見ながら、出前のピザを食うってのはどうだろう? 実際彼には、それがすごく楽しいものに思えた。きっと楽しいに決まってる。だけど、問題は、彼以外の誰も、そんな事、したくないということだった。少なくとも彼とは。天秤の片一方には、鼻毛が三本。フェアじゃない。ようするに、何もかもが、お気に入りのやり方を守るためのイカサマなのだ。 2003/7/1 現金に替えられるものは、残らず替えた。あとは今これを打っているパソコンがあるばかりだ。それも、手配が済んだ。何万かになるだろう。だから、サボリがちだった近況報告もこれが最後になる。ごく簡単な自問だった。明日食う飯もないのに、パソコンなんて持っていて、どうするんだ? まったく考えるまでもなかった。来月からは仕事もない。俺の体重は減り続けている。俺の脳みそは一月以上先のことを考えるのに不向きだから、はっきりしたことは言えないが、少なくとも今これを売れば、最後の給料をもらってから、もう一月くらい生きていられる。ごく簡単で、たぶん重要なことだ。 相変わらず車のガーガーうるさい夜の国道を一時間くらい歩きながら思った。一滴の汗もかかない。シャツも乾いたままだ。自分からいろいろなものを放りだし、踏みにじり、ペッと唾を吐いて裏切るのは、確かにあまり気分のいいものじゃあない。罪悪感やら後悔やら、いろいろ苦しむことになる。だが、それは一番ひどい最悪の状態とはいえない。実は、そんなに悪くはない。いつか、そのロクでもない自己憐憫から抜け出し、立ち直ることができるだろう。 本当に最低なのは、自分がどう思っていようと、相手からほんのちょっとだけ嫌悪され、無視され、結局は無関心でいられることだ。これは本当にみじめで、まるっきり救いようがない。哀れを通り越してクソだ。なによりも恐ろしい。それで臆病になる。機嫌をうかがい、おべっかばかり言うようになる。自分を守るための"切り札"すら用意する始末だ。そうするのが嫌なら、リスクのない相手を選ぶほかない。嘲笑されたってかまわない相手、無視されてもいい相手、そういうやつらを選んで、適当にやる。こういうことは、ただの事実だ。意志を持った一つの命。そんなものについて、あれこれ考える必要はない。その事実を意識しすぎると、やたらと憂鬱だし、生きる気力を奪われてしまう。だからつま先の上かどこかに乗せて、ころころ転がしていればいい。そうすれば、ふとしたときに思い出して死にたくなる場合より、「何かいいことあるかも!」ってモゾモゾしている時間のほうがずっと多くなる。 結局のところ、折り合いなんてものは、つけられやしない。左右のバランスをとって、真ん中で保つなんてことは。不快なことは我慢するしかない。そして不快でない時間は、自分の良心の許す範囲で、ひたすらヒマを潰す。目的意識や義務感といったものについては、他のひとに任せよう。俺のそれは全然アテにならない。まず酒を飲む。次に宇多田ヒカルのtravelingという曲のビデオを見る。このビデオの彼女の笑顔は素晴らしいし、無邪気を装った感じの、少し大げさすぎるジェスチャーがとてもかわいらしい。買い置きのジンかウォトカが五リットルくらいあり、ずっとそのビデオを観ていられるなら、死んでもいい、と本気で思うことがある。だからアテにならない。 2003/7/17 パソコンを売るのは二十五日までお預けだ! いろいろと都合がある。まあ、元気出せよ。そう深刻になるな。確かに誰もがお前のことを役立たずの精神障害者だと思ってる。哀れな出来損ないのポンコツだと。そしてお前はお前で、連中を、無知で、全然勇敢でなく、ユーモアの欠片もない、本物のクズだと思ってる。さぞ辛いことだろう。とんでもないストレスを感じているに違いない。だが、それは小さなことだ。より大きな問題の前では。彼らがお前のことをどう思っていようと関係ないんだ。なぜなら、彼らはお前のことを愛していない。お前も彼らを愛してない。だから、何がどうなっていようと、そんなこと、どうでもいいんだよ。どうせ意味なんてない。靴を履いて、一歩外へ踏みだし、仕事へ行く。それだけだ。難しく考える必要はないんだ。先のことを心配する必要もない。何十年経とうと、どこにいようと、何十億の人間がいたって、関係ない。どうだっていいんだ。より大きな問題の前では。一日に一回、靴を履く方法だけを考えろ。頑張れよ、スズキング。そして俺のパソコンを買ってくれ。 さあ、人の心配をするのはよそう。そんなのは面白くも何ともないからな。今度こそ本当に最後だ。ザ・ラスト・インターネット・イン・バナナ(バナナ?)。俺は何年もこの場所にいたし、いろんな種類のゲームを楽しんだ。最後くらい、ちゃんとしたことを言うべきだってのもわかってる。だけど、無理だ。仕事に行くために、毎日豆腐を一丁とジンを1.5リットル腹の中に詰め込んで、立ち上がるだけで精一杯だ。それだって、あと一週間の辛抱だと思うから出来ることだ。景色を愉しんだり、ちょっとした誘いに浮かれたりする余裕はない。とにかく生き延びて、仕事に行くだけで精一杯なんだよ! インターネットもクソもあるか! ああ、それにしても、カマロン。なんて素晴らしい歌声なんだろう。俺はジプシーもスペインも、全然知らない。音楽なんて、わけがわからない。だけどあんたは、意味のあることを歌っている。淡々と、平凡で、透き通った声で、悲しみに震えながら。 ”嗚呼、なんて綺麗な娘なんだ 彼女の母親が僕に彼女を与えてくれたなら 従兄の僕は彼女と結婚しただろうに アイ・オレ・コン・オレ・イ・オレ・オラ” ”嗚呼、時よ 僕は声を聞いたよ 嗚呼、お願いだから いとこよ、僕はどうして君を好きになったんだろう?” ”情熱を感じたい 君の愛の 君の本当の愛の 夜明けまで一緒にいたい 二人で夢を見たい 同じ空の下で” なんて素晴らしいんだ! 俺にはスペインの南まで行く金は無いし、だいいち、あんたはとっくに死んでいる。だけど、スペインでは一日五時間以上働く必要はないって? 食事は一日五回。すべてワイン付きだ。闘牛もあるし、白い漆喰の聖母マリア教会もある。ひまわりもたくさん咲いている。 午前二時を過ぎていた。窓の外で、女の声が聞こえる。 「…今日はさ、うちに泊まってく人がいるから。で、明日は買い物でしょ? どうしよっか?」 携帯電話に向かって、陽気に話している。仕事の帰りなんだろう。網戸越しに、見えるはずのない月を見てしまい、アッと思った次の瞬間には怯え出して、けれどそれが滑稽でもあって、思わず声を上げて笑ってしまう。さらば、インターネット。 2003/10/22 おめでとう! インターネット! そうして、こんな風に、こそこそと帰ってきてしまったわけだ。この人は、そんな風にして、ひとに気づかれたら、何事もなかったかのように、道化を装って、ひっそりとやり過ごすつもりらしい。まるっきりの文無しで、飲まず食わず、新潟から、命からがら、二百五十キロ歩いて、東京まで帰ってきた。そういう自分の姿に、まるで愛嬌なんてものが、あるんじゃないかしら、なんて、本気で勘違いしている。 何しろ生きているということのほかには、マシなことなど唯の一つもなく、正真正銘の文無しなのだから、当面の生活費が、まるっきりないのだ、などともっともらしいことを言って、数少ない友人たちから、数万の金を借りた。今月、いや、来月まで。とにかくそのくらい凌げれば、まあ、立ち直れるさ。仕事もみつけた。毎日働くよ。きっと来月の十日頃には、金も返せるさ。言いながら、ガブガブ酒を飲み、渋谷の馬券売り場、大井競馬場、連日、悲惨に次ぐ悲惨、ケツの毛まで抜かれて、唯呆然と、やはり死に損ねたか、などと、それらしい顔をして、ひとり呟いているのである。実際には、全然思いつめてなどいないし、ほとんど本物の馬鹿みたいに、唯あくびを噛殺しながら、誰か親切な美人が、突然見ず知らずの自分に電車賃を貸してくれるなどという、途方もないロマンスを夢想して、心のうちではニヤニヤしているくらいである。 閑話、休題。戻って来たぞえ、インターネット。我が力。TCP/IP的頭脳の天才。なんともひもじい、心底から間抜けな存在である。私は六本木のあるディスコへ行った。朝までずっと、一人の女の踊るさまを眺めていた。こげ茶色の、フェイクレザーのパンツを履いて、背中の大きく開いた鈍色の下着みたいなシャツを着た彼女の背中は、おそろしく滑らかで、白く、汗ばんで、美しかった。淫靡で肉厚な花弁のすべて枯れ落ちた後の花のような、切ない清冽さがあった。まさに銀月の如き、その横顔、立ち姿。左の手首には、ひょっとしたら金かも知れないが、多分真鍮の、三重の腕輪がきらめいていた。一心不乱に踊っていた。彼女のために死ぬる己を想像するのは、素晴らしく愉快で、疑いなく幸福なことであった。時間を忘れた。彼女のほかの数十人は、皆、哀れであった。本当に優れたものを与えてもらえなかった。退屈な美の習慣が、彼らをもっと酷い、醜いと言ってもよいくらいの音楽で満足させるに至った。この猛烈にひとの世たるひとの世で。愛とは。私は少しだけ悲しくなった。芸術の、何たるむなしさよ! 結局彼は、競馬場の真ん前の工場で、鉄粉と毒液から身を守る為の防塵服と透明なゴーグルに身を包んで、摂氏四百五十度の温度でポリカーボネイトを溶かし、CD-ROMなど成形しているのである。そんな仕事を一日に十四時間して、その日当のほとんどは飲みしろとなって、ようするに、小便となって、無限に暗いあなぐらの底へと垂れ流されるのである。 冷たい朝靄の垂れ込めた朝であった。彼の数十メートル前方の煙草の自動販売機の前で、高校生か、中学生か、わからないが、制服姿の女の子たちが数人、円陣組んで、奇声を発し、飛び跳ねたり、大騒ぎしている。彼は歩みをゆるめた。追い越すのに勇気がいったからである。思惑どおり、ほどなく彼女らは手に手をとって、やはりきゃあきゃあいいながら、去った。彼は多少の好奇心をもって、わざわざその饗宴の跡地で立ち止まり、足元をぐるり見渡した。とかげが一匹、踏み殺されていた。ざらざらした皮膚と、異様に肉付きのよい四肢からして、やもりのようであった。不思議と、内臓も、体液も、漏れてはいなかった。彼は、たまらない、と、そう思った。ふわり、と、自分の心が空に浮いてしまったような、嫌な感じがした。自分がどこにいるのか、わからなくなるのである。ここは、誰の世界なのか? 心がまるで無防備に、丸裸のまま、異界の冷たい風に吹かれている。己の理性のほかに、宇宙に意思など存在しないと信じている男のことである。途端に彼は、土手の上の貨物線路や、鉄塔の輪郭に沿って、紫色の火花が這い回っているのを見た。鋭い尾を引いて、ネオンのように輝いている。恐怖は感じなかった。後悔も、憐憫も、何も思わなかった。唯、たまらなく、つらかった。 サタンの翼は、案外赤ではなく、乳白色なのである。彼は実際それを、アパートの網戸越しに、目撃していた。だからどうした。それは必ず、黙って地面を指差した。畳、アスファルト、リノリウム。そこからは、決まって悪臭がした。ヘア・トニック、それから腐敗した大蒜の汁のような臭いが。今日は、一日、雨であった。仕事へは行かれなかった。有り金はたいて、気絶するまで酒を飲んだ。今、目覚めて、これを書いている。 2003/11/8 ごく、私的な 楽しい職場の仲間たちを紹介しよう。 Mさん 身長140センチ。五十歳。動きが二倍速。大学生の子供がいる、ハゲ。 Gさん カタワ。六十くらい。細いほうの足が膝から外側にひん曲がってる。パンチパーマ。休み時間は一人でテレビとおしゃべり。一年を通して、そうめんとヤクルトしか口にしない。 Yさん 巨漢。三十歳。ダウンヅラ。一年を通して衣類はピンク色のポロシャツとストーンウォッシュのジーンズ。破滅的にオタクっぽい外見のわりには、親切で愛想がよい。 Iさん アル中。五十六歳。たぬき系。10年間同じ作業しかしたことがない。ものすごくバカ。すでに名前も忘れてしまった娘が三人、この世のどこかにいる。 おいおい、何なんだこのオモシロ動物園は…、俺、すごい浮いてるかも! というのは、あくまで、独りよがりの幻想なのであって、実のところ、全然溶け込んでいる。俺って実はこういうジャンルの人だったんだ…、と多少がっかりしつつも、すでに髭など伸び放題で、作業ジャンパーのまま電車で通勤し、ドラム缶をゴロゴロ転がしてバカでかい機械の中に潜り込み、劇、毒物の液体にまみれて、働いている。失明しないためにも、ゴーグルは必須です。揮発物でラリらないためのマスクも。 もう二度と、わがまま言いません。貪欲に、早急に、何も望んだりしません。だから、たった一つだけ。生きていてください。指折り数えて、五人にも満たない、私にとって、大切なひとたち。愛する人よ。友人たち。それから、過去の私の半身。きっと絶望せずに、一分、一秒でも長く、生きていてください。這って行きます。たとえ五年後、十年後、この身が死骸と成り果てていても、墓の下から這い出して、きっとあなたのためになりに行きます。マクドナルドのハンバーガーを持って。あるいはたっぷりのひき肉とソーセージを持って。だから、生きていてください。肉親よりも、他の誰よりも、私はあなたたちを愛している。決して絶望せずに、この世界の、遠く離れた、どこでもいいから、きっと、生きていてください。苦しくとも、幸せでなくとも、ただ、生きて、生きて、生き続けていてください。無論、約束を強要することはできない。見張っていることも。だから、いつか、ひとりで、狭い湯船に浸かりながら、小さくうなずいてくれるだけでいい。私は、それだけで生きていかれる。明日も、仕事にいかれる。あるいは今、酔っ払ったついでに、ダンプに轢かれて即死したってかまわない。ハハハ、それは、冗談。とにかく、最後でかまわない。何十年でも、順番を待つよ。だから、一秒でも長く、きっと長生きしてください。 わかっているさ。またお説教だ。だから、おまえ、そうじゃないんだよ! だけどね、うん、三番目くらいのベイビー。きいておくれ。やっぱり、こんなのも、必要だと思うんだ。あざとく、見え透いていて、低俗で、純粋さや、素直さとは違う、なんというか、正直さ、みたいなもの。そういった愚かさが、今、現実に、この場所にあるのだ、という事実が、そのひとの勇気と自信とを、鼓舞するということもあるのだ。 瑣末でよい。私は料理が好きだ。だから、きっと、生きていてください。 2003/11/12 新しいオーダーもなく、まったく仕事がヒマだったので、工場内の別の部署を手伝いに行くことにした。工場内ヒエラルキー最下層に位置するらしい、その「梱包」と呼ばれている部署は、凄まじかった。私の普段の仕事は、工業用大型専門機器の操作及び、メンテナンスである。検査機器用のコンピューターデータをいじったりもする。やはり私は、少なくともこの工場内では、エリートなのだ、と思わずにはいられなかった。 その「梱包」と呼ばれる部署にいるのは、約三分の一ほどがパートのオバサンで、残りの三分の二は、ほとんどが身体障害者と、精神病らしい人たちであった。凄まじい光景である。私はヘッドホンでモーツアルトのピアノ協奏曲を聴きながら(この年下の友人からの贈りものは、五十年前のカラヤンである)、彼らと一緒になって、三十年も昔の機械を使って、二千枚くらいぺたぺたシールを貼り、出来上がった製品を五十個ずつ箱詰めし、なにより恐ろしいことには、ダンボール箱に、マジックインキで、ひたすら今日の日付を書き続けた。 窓の外の景色だけが、素晴らしかった。敷地の一番はずれにあり、しかも建物の三階に位置するこの部署から見る、雨に曇った多摩川の様子は、自然を好かないはずの私を、珍しく感動させた。私は、ほとんどが私の両親よりも年老いている彼らに言ってやりたかった。私も含めた、あんたたちの誰もが、こんなことをするために生まれてきたわけじゃない。誰かがやらなきゃいけないだとか、そんな理屈はどうでもいい。ただ、われわれは、こういう場所で、こんな風にしか、生きられなかった。嫌々、仕方なく、我慢してやらざるをえない。悲しいことだ。ひどく残念なことだ。だから、せめて窓ガラスくらい磨こう。唯一、この場所で、素晴らしいと思えるものは、それしかないのだから。 そうして、私は一日を終える。ゲロと、血反吐と、小便にまみれて、我が家で唯一家具と呼べる畳のうちの一枚を、びしょ濡れにして。残金七百六十円。給料日まであと二十九日。 2003/11/28 金、金、金と、なんだか下世話な話で申し訳ないが、私の家計はパンク寸前である。カード会社に二十五万、ローン会社に四十万、友人知人に三十万と少し、今年かかった医者に十八万、税金の未納分が十五万に、国保、年金の未納が五十万、家賃は二ヶ月分十二万、光熱費はそれぞれ三ヶ月分で六万くらいであろうか。 もちろん、これらを一挙に払えと要求されているわけではない。額だって、なに、鼻くそみたいなものではある。しかし、私は生来人間が小さく(身体は、大きい)、神経質なところがあって、毎月、決まった日付で、決まった文章、決まった額面の請求書が届くというのが、精神的に、つらい。 であるから、これらクソのような状況を一掃してやろうと、新たに二十万の借銭、冷たく湿ったダートコース、的中率ゼロ、死に体である。 家の前のゴミ捨て場に、カラスの死骸が捨ててある。何日も放っておかれて、先日の雨で、ついに真っ白な骨と、数枚の黒い羽だけになってしまった。 やはり家の前の通りで、猫ほどもある立派などぶネズミが轢き殺されて、血を流し、氷雨の下で、死骸は湯気を放っていた。 金のことばかり考えている。いまや、クレジット会社の審査は、すべて通らない。なのに、一週間以内に、あと少なくとも十二万、用意できなければ、恥を忍んでいうが、餓死するかもしれない。臆病で、神経質な性格が災いしているのである。仕事に行くための電車賃より、食事代より、支払いを優先してしまうのである。正直いって、私は生まれて初めて経験した。精神的に生きてゆく力が、杖が、柱があるのに、肉体的、世俗的な力が足りず、己の強固なナルシシズムさえ超えて、望まない結末が迫りくるのを。一年前なら、いかにも私らしく、恥も外聞もなく、にやにや笑って、助けを乞うことができた。だが、今はもう、できない。もう、充分すぎるほど、見苦しく振る舞ってきた。このあたりが、私自身の、許容範囲の限界である。 けれど、今の私は、諦めるということを知らない。やっと取り戻しつつある光のために、本当に立ち上がれなくなる、最後の瞬間まで、往復三十キロを歩いて仕事場へ向かい、千円でも多く日当をもらい、目標の十二万円に、一歩でも近づきたい。今日は素晴らしい一日だった。好きな人と、よい映画をみて、何ヶ月かぶりに、意味のある、後悔のない一日を過ごした。己の小ささを、嗤われたってかまわない。私は勇敢でいたい。自分一人の力で、できることがあるならば、一つ残らずやるべきだと思っている。それでダメなら、仕様がない。どうにでもなれ、だ。 ああ、くそったれ! やってやろうじゃねえか! 一日三本のタバコに、二パイントのジン、センチメンタルな妄想に、ピンク色の夢! 生きろチンピラ! お前の体は超合金! 2003/11/29 地獄マラソン一日目。案外、気分がいい。どうも私には、マゾっ気とでもいうべきものがあるらしい。空腹や疲労、不眠など、肉体を酷使する過程は、それは当然、つらい。けれどその時が終わり、酒を飲み始め、今度は精神の混乱が始まり、それこそ息つく暇もなく、次から次へと不安や恐怖に見舞われながら、何時間も酒を飲み続け、いよいよ限界まで疲弊した頃、ついに意識を失う。目覚めると、ひどく気分がいい。疲労や不安より、むしろ充足を、感じるのである。 2003/12/1 ひどく、緊張している。何もない。昨夜、ついに最後の小銭まで、飲み尽くしてしまった。仕事へ行くつもりだったが、あまりに寒く、冷たく、気がつくと家に戻ってきてしまっていた。差し入れにもらった缶詰と牛乳を腹に流し込んで、すべて吐き戻し、ほんの短い時間気を失い、凍えながら目覚め、今、ひどく緊張しながら、これを書いている。 昨夜のことを思い出し、一昨日のこと、先週のこと、半年前、五年前、十年前、物心ついてから、今日までの、すべてを思い返し、なぜ、こうなる前に、何か手を打たなかったのか、逃げ道の一つも用意しておかなかったのか、漠然と、そんなようなことを考える。一瞬、誰かに電話をして、千円でも、二千円でも借りて、それで済むことじゃないか、と考えた。銀色の電話機の、冷たい表面に指先が触れた途端、その指先から、めまいと寒気が流れ込んできて、それが馬鹿げた考えだと教えてくれた。実際、まるっきり無意味で、馬鹿げた考えだった。 自分の身に起きることをしっているから、緊張する。手足は冷たく痺れて感覚を失い、なぜか背中だけが燃えるように熱く、そのうちにふわりと自我というものが抜け出して、まず血を肉を奪われ、私のしっているものだけでつくられた漆黒の海のなかに、むきだしの脳をぽっかりとうかべたようになって、言葉を奪われ、声を奪われ、涙を、喜びを奪われ、すべてはぎ取られたうえで、永遠にあの闇のなかへほうっておかれる。こわい。酒を飲みたい。 2003/12/4 やはり、持つべきものは友である。彼は劇的に、颯爽と、雨の中を、私に酒を飲ませるためだけにやってきてくれた。だから今、私には今日眠れるだけの酒があり、目覚めて仕事に行くだけの酒がある。ただそれだけのことで、私はあの憂鬱や恐怖から解放される。 情けない話だが、私は更新したことも、あの日、自分がどんな気分だったのかも、今となっては、ほとんど憶えていない。ただ、みっともない、みっともない、せめて、決して、誰にも電話だけはすまい、とそのことだけを念じて、次第に色彩を欠き、不鮮明になる視界の隅で、押入の戸が内側から引かれ、何かがずるりと四肢を伸ばし、その顔を上げようとしたところで、多分気を失った。酒のために、誰かに助けを求めるのは、みっともないことだ。けれど、あのとき、私はただ誰かに、あの押入の戸を見張っていてほしかった。 彼だって、全然、私にかまっているような余裕はないのだ。むしろ、彼こそ、一番に除外すべき、受難のひとなのである。それでも彼は来てくれた。ただ、暇なだけだったのかもしれないし、そもそも彼は正しくないのかもしれない。歪んで、偏屈で、本質的には自己中心的なのかもしれない。それでも私は驚嘆した。彼の援助は、私ではなく、彼の状況ゆえに、やはり劇的だったのである。 私は? 私は酒と、交響曲、それに今日と明日があればいい。こうした豹変ぶりこそが、今の私に取り憑いたもっとも大きな、そして邪悪な病の本質であることには気づいている。病はいずれ私を滅ぼし、媒介する。しかしまた、この傍若無人のペスト的山賊には、未だ見届けたい物語があり、返すべき借りがあり、果たすべき約束があるのだ。四日後の支払いの目処が全くたっていないことなどは、どうだっていい。 ああ、やっぱり何も解決していない。とりあえず、明日を迎えよう。明日また考えよう。生きてさえいれば、何かいいことあるかもしれない。 2003/12/5 女の乞食から、中古の電子レンジをもらった。彼女は、さらに百個くらい、銀紙に包まれたチョコレートを持っていたので、私は彼女の傍らに腰掛け、一言もしゃべらず、ただ黙ってそのチョコレートを最後の一つまで残さず食った。楽しくも、刺激的でもなかったが、他にやりたいようなことは何もなかったから。それから、ボロボロの電子レンジを小脇に抱えて、一時間半遅れて、仕事へ行った。 2003/12/6 ガッツでズバー 友人のくれたタバコと、やはり友人の置いていってくれた千数百円で買った酒と、乞食にもらったチョコレートで、なんとか一週間。まあ、もってあと二三日だろう。しかし、今の俺の目標は、十三日なのだ。今日から、まだあときっかり一週間ある。不思議と、飢えも渇きも、疲労も感じない。今の俺は、自分でも少し怖いくらい、人間離れしている。十二時間の夜勤のあとで、三時間十五キロを歩き、気絶するまで酒を飲みたくとも、そんな量はないから、細心の注意をはらって、けちけちやりながら、当然眠りなどにはほど遠く、すべての窓を開け放ち、やはりただ交響曲だけが、無償で俺を生かす。 ひとつ、アドバイスをしてやろう。ただ生きているだけで、価値のある人間というのがいる。太陽と同じ意味を持った星。だが、俺たちはそうじゃない。才能も、思いやりも、愛も希望も安らぎも、同調や、告白すら持っていない。だがな、他人は他人だ。希望や可能性すらない、とっておきのロクでなしの、大嘘つきの、変態野郎であるところの俺や、あんたや、その他大勢にも、たぶんやるべきことはある。死ね、と言ってるわけじゃあない。むしろ、その逆だ。生きて、意味のあることをするべきだ。 先輩として、アドバイスしてやろう。まるっきり救いようのない、ロクでもない状況の中で、自分を試し、知り、鍛えるのだ。そんな状況だからこそ、タフで、勇敢でいるべきだし、そのようにいられる。具体的に言うなら、たぶん、あんたはありったけの銭をかき集めて、有馬記念で、豊の単勝を買うべきだ。もし当たったら、みんなでオリエント急行ヨーロッパ横断の旅に行こう。ブダペストの町を観光するんだ。そいつは意味のあることだよ。きっと、素晴らしく楽しいに決まってる。しかしまあ、万が一にもはずれたら? はずれたって、その瞬間に心臓が止まってしまうわけじゃあない。後悔したり、悲しんだりする時間は山ほどある。だから今、悩んだり、苦しんだり、計算したりする必要は全然ない。俺だって、両手の指の隙間からこぼれ落ちる命について、何も知らないわけじゃあない。だけど、そんなのはくだらないよ。血と涙と小便と、最後の一滴まで絞り尽くしても、今この瞬間を、少しでもマシなものにしてやるんだ。 ベートーヴェン交響曲第三番、第二楽章葬送行進曲。アッバー! 彼に真実の愛と勇気を。この世のありとあらゆるすべての命に、劇的な意味を。俺には、詩と酒を。そして今読み返してみたら、変換がバグってるじゃねえか! いくら何でも真に迫りすぎだ! 2003/12/10 週に三度の来客があり、それぞれの思惑で、食い物や、酒や、煙草や薬を差し入れられ、図々しくも、やはり私はまだ生きているのである。私はなんにも持っていない。けれど、どうやら、友人にだけは恵まれたようだ。今日ほど明確に、それを意識したことはない。私は幸せ者だ。この能力と才能に不相応なほど、人間らしい友人を持つことができた。感謝している。ありがとう。 仕事は、クビになった。Kさんという人がいて、この人は、いちいち私の後をつけ回しては文句ばかり言っていた。かと思うと、私が仕事のことについて、わからないことを質問すると、失せろクソ野郎、とでも言うみたいに、もの凄い形相で私を睨み付け、無視する。心の底から、私みたいな人間が、嫌いなようだった。私はこの人を我慢しようと思い、そして思い当たった。四十二歳で、女房子供がいて、しかもこの人は、ほんの一年前に、この職場に来たのだという。川崎の町のはずれにある、ろくでなしと死人しかいないこの工場に至るまでに、この人に何があったのか、そしてそれからの一年間がどんなものであったのか、想像すると、私はこの人を我慢できるような気がした。 けれど、そんなのが、本当に正しいやり方なのだろうか? 今や私は万能ではない。能力も時間も、限られたものしかないことを知っている。物知り顔で、寛容ぶることに、どんな意味が? 「Kさん、俺今週の土曜、出られないっスよ」 彼は軽蔑したような顔つきで、ただ私の顔をじっと見つめていた。 「友だちとね、飯を食うんですよ」 なぜなら、こんなクソみたいな仕事をしているより、友だちと飯を食うことのほうが愉快だからだ。 彼の顔つきはどんどん険しくなっていった。いつものように、へらへらしながら、ほら、そんなおっかねえ顔しないでくださいよ、すみませんすみません、とか何とか言って、うまい具合にその場を丸め込んでしまうべきだったのだろうか? そういうことに関して、私はほとんど天才的である。そして、軽薄で、要領がよく、脳天気な、その私を、彼は憎んでいる。何かが間違っている。私は笑うべきだったのだろうか? 違う。そんな風にして、人は魂をなくしてしまう。腑抜けにさせられ、幽霊みたいに生きることになる。だから私は言った。 「もう二度と、こんなところには来ねえっていってんだよ。あとな、そんな顔で俺を見るんじゃねえ」 彼はびくっと少し両肩を引いた。目から険がとれて、唖然としたような表情になった。正しいことをするのは、いい気分だった。 私は作業着を脱いで、工場の事務所へ向かった。そこで退屈そうにしていた三十過ぎの事務員の男に言った。 「俺、今日までなんスけど、先週の分の日当、もらえます?」 男はちらっと卓上カレンダーに目をやってから、白い受話器に手を伸ばした。私はうんざりしていた。 「いや、いいや。いらねえよ」 京急大師線の踏切の音。競馬場からは、どこか別の場所で行われているレースのファンファーレが聞こえた。左を見ても、右を見ても、悲しいくらい退屈で、ケチな、ろくでもない負け犬ばかり。私だけが、力強く、頑強で、自由だ。 さて、手持ちの金は、十数円。家には山ほどの煙草と、レトルト食品、缶詰がいくつか。スパゲッティと、酒が四リットル。全部、この一週間に、ひとから貰ったものだ。あとは、借金のほかに、なんにもない。けれど、たとえ他人ではあっても、若く、美しい友人が数人。ちょっと偏屈で、おかしな、けれど親切な友人がやはり数人。今、飲む酒があり、万が一にも夜中に腹が減ったら食うべき食料があり、目覚めて、死について考える前に、飲むべき酒もある。些細な夢も。 私は幸せ者だ。分不相応なほど、完璧に満たされて、人間らしく、今日を終えることができる。我が名はオーバードライブ。明日のことは、明日考えよう。明日生きているなら、それでいい。明日こそ、何かいいことが、あるかもしれないから。 2003/12/13 先週だったろうか、二つ年下の従妹と、その婚約者のひとと、私とで、食事に行くことになった。この従妹というのは、父の妹のところの長女なのだが、背筋のピンとした、目を見張るような美人で、おまけに大変利発で、ネイルサロンなど経営している、立派な女社長である。婚約者の人は普通の会社員で、静岡かどこかの旅行代理店に勤めているらしかった。彼はなかなか見栄えのする、恰幅のよい、三十過ぎの男のひとだった。 私は着ていくものがないと、最初断ったのだが、電話口で妙にはしゃいでいた従妹は、服なんて買えばいいじゃない、買ってあげるわよ、というような調子で、やむなく私は工場での夜勤明けに、彼女と洋服を買いに出かけた。薄汚い川崎駅前の雑踏の中にあって、茶色のカシミヤのコートを着て、オレンジ色のマフラーをした彼女は、少し痛々しいほどに華やかだった。すべすべした白い肌。黒目がちで、まつげの濃い、大きな瞳。鼻も口も小ぶりで、形が整っている。彼女は開口一番、 「ねえ、なにその頭?」 と言った。床屋に行く金などないから、友人にバリカンで適当に刈ってもらった頭だった。どうも、不格好であったらしい。 「まずは、床屋ね。後頭部、虎刈りみたいになってるわ。でもその前に、コーヒー」 私たちはドトールのオープンカフェでコーヒーを飲んだ。 「やけに疲れてるみたいだけど、忙しかった?」 「いや、夜勤明けなんだ。いま終わったところだよ。夜勤明けはね、疲れて見えるんだ」 コーヒーを飲み終わると、まず床屋に行った。坊主に刈るだけだから、十分千円で刈ってくれるところでいいと、私はたまに利用する格安の床屋を指さした。彼女は、じゃあ、千円と消費税、と言って千五百円渡してくれたが、その床屋は消費税も何もなく、ただ千円で刈ってくれるところだったので、五百円は返した。五分で頭を刈り終わると、彼女の選んでおいてくれた店に、背広を買いに行った。案外この頃は、私のような大男でも、つるしで着られるらしい。男性の背広には、AB体(太め)、A体(普通)、Y体(細め)と、だいたい三種類あるが、愛想のいい店員が採寸した後に出してきてくれたサイズは、Y8だった。ウェスト74センチの、クラシカルな三つ揃いを着て、鏡に映った自分の姿を見てみると、ずいぶん痩せたなあ、と私はそれだけを思った。裾上げをしてもらっている間に、コートと靴、ワイシャツとネクタイを選んだ。従妹はやはり、馬鹿みたいにはしゃいでいた。私より五つ六つ年上で、恰幅のよい彼女の婚約者は、いつもAB体なのだという。今の俊さんだったら、連れて歩きたくなっちゃうわね、という侮りを帯びた彼女の言葉に、不覚にも少しだけ気分をよくしながら、だけど俺の全財産は十円玉が一枚と、一円玉が数枚、それだけだぜ、とは言わなかった。 買ったものを全身着込んで、今まで着ていた裾のすり切れたジーンズ、もらい物のシミだらけの軍用コート、これ以上汚れようがないほどに汚れたブーツなどを紙袋につっこみ、コインロッカーに仕舞った。食事は、駅前の中華レストランで食った。彼女の婚約者は、私の見た限り、ただのおじさんで、他に言いようがなかった。なんで彼女みたいに美貌と才能に恵まれたひとが、こんな変哲のない中年に惹かれるのか、さっぱり理解できなかった。二人は今、ゴルフに夢中らしく、その話ばかりをしていた。私は目の前の従妹も含め、私の親族が、皆美貌の持ち主であることについて、考えていた。まず、この従妹の弟が、美しい。長身だが、線が細く、彼女と同じような顔立ちで、いかにも繊細で、華のある風貌である。性格は姉とは正反対に、おとなしく、甘えん坊で、意気地がないが、むしろそれがぴったりよく似合っている。私の兄は、剛直な性格とは反対に、やはり女性的な外見のひとである。色白で、肌が美しく、くりっと大きな目をしている。手足が長く、女のような指をしている。父もまた、上の二人とは毛色が違うが、浅黒く、全身が筋張って、頬のこけた、独特の陰のある風貌で、五十を過ぎた今も、二十代の頃と全然変わらず、精悍で美しい。母だって、三十年前には、金沢区で一番の美貌の持ち主と言われ、今でいうキャンペーンガールのようなことだってやっていたのである。なぜ、私だけが、これほど醜く、不快で、威圧的な風貌なのか? いや、そういうこともあるのだろう。遺伝子というのは不思議だ。私は曾祖父に、似ているのかもしれない。彼は土地成金で、神戸芦屋の街一番の長者だった。晩年に、強盗に入られて、両手足、首まで切断されて、殺された。陰惨な殺人ではあったが、街の人たちは、胸のすく思いだったという。とんでもない大悪人だったのだろう。一度写真で見たことがある。頭をつるつるにそり上げて、濃い眉に目つきの鋭い、恐ろしげな人だった。 婚約者の愛車BMWで家まで送ってもらった。後部座席のドアを開き、表へ出ようとしたところで、従妹に声をかけられた。もともとが聡明なひとで、しかも女故の鋭さ、みたいなものもあったかもしれない。 「ねえ、俊さん、あなた、本当にだいじょうぶ?」 十万円の服を着て、一万八千円の夕食を食い、だけどポケットの中の金は十数円。いったい何が、だいじょうぶなものか。けれど、金を貸してくれ、とは言えなかった。酒を飲むのが怖いから、半日でいい、そばにいて、何か話をしていてくれ、とも言えなかった。いつもそうするように、ただ、 「じゃあ、気をつけて」 とだけ言って、錆びた鉄階段を上る。私がこんなふうになって、或いはもっとひどいことになって、果たして誰が本気で悲しむだろう。思い当たるひとは、母しかいなかった。私は母親になったことなどないから、正確にその感情を想像することはできない。けれど、息子に対する、母親の愛情というものは、格別なものなのだろう。数年に一度、或いは年に一二度しか会わないひとではあるが、私にはそれがありありと感じられる。私が死ねば、母はきっと己を責め、嘆き、悲しみ、その涙が尽きることはないだろう。私は人の世の無慈悲を思う。それほどの無償の愛だとて、私に何の力も与えない。その母の、悲しみを思うが故に、生きていこう、などとは、微塵も思わない。ただ明日こそは、今日よりマシなものになるかもしれない、その想いだけが、幾百もの憎しみと後悔、嫉妬と絶望の中にあって、私を生かす。だから、外へ出て、歩け。道の続く限り、歩き、餓え、渇き、その身体に訊け。まだ、大丈夫か? 大丈夫に決まってる! 我が名はオーバードライブ。回転数を上げろ。気合いを入れて、張り切って、行くんだ! 兵隊! |