[多治比嶋](624[推古帝32]〜701[大宝1]) 多治比真人嶋とも称される。多治比(名字)・真人(姓)・嶋(名前)。 「真人」は、天武帝時代に定められた「八色の姓」(上から真人/朝臣/宿禰/忌寸 /道師/臣/連/稲置)の最高位。継体帝の5世代以内の一族にしか与えられなかった 称号。父親は多治比王で、嶋は宣化天皇の四世孫に当たる。 大化改新(646年)、白村江の戦い(663年)、壬申の乱(672年)等の激動 の時代を生き抜き、藤原氏が急速に勢力を伸ばし多くの貴族が没落する中でも勢力を保 ち、最終的には左大臣まで上り詰めた。 この時代にしては異例の長寿を誇り、死の前年には帝から霊寿の杖を授かっている。 本拠地を河内に置き、子孫はその後も武蔵国の国司を勤めるなど一定の勢力を保ち、 現代でも後裔は多数現存している。 そんなすごい人である多治比嶋に輝夜姫の出した難題は「仏の御石の鉢」。改めて読 み返すと、こんなお偉方にこんなものを取ってこいと難題を出すなんて厚かましい女で すね(笑) ……まあ、断るための口実ではあるのですが。 「仏の御石」=「仏教系の宝」ということで(実在するとすれば)天竺まで取りに行 かねばなりません。少なくとも国内にはありませんし、遣唐使/遣隋使の数々の逸話が 語る通りこの時代に海外に行くのは命がけです。更に、もし天竺に行けた所で、それほ どの宝を手に入れるのは至難の業です。 ……というわけで、多治比嶋の出した結論は「偽物を持ってきて誤魔化す」でした。 輝夜姫に「これから天竺に行きます」と挨拶をしておき、大和の国の山寺まで行って 真っ黒に煤けた古い鉢を入手。これが「仏の御石の鉢」だと偽って輝夜姫の所まで持っ て行きます。 ……が、本来光を持っている筈の「仏の御石の鉢」なのに光っていない事から偽物で あると見破られてしまいます。どんな方法で知っていたのかは謎ですが、偽物を持って きた「大和の国の山寺」の事まで見破っています。 偽物だとばれた多治比嶋は、鉢(偽物)を返却されますがその場で投げ捨て、諦めれ ばいいのに、引き続き和歌で口説くという見苦しい行動に出ます。が、輝夜姫に無視さ れてしまい、結局脱落しました。 ……というのが、難題「仏の御石の鉢」編の筋です。 ちなみに原文ではこの話の最後に 「彼が嘘がばれて鉢を捨ててからもしつこく言い寄った」ということから、断られても しつこく言い寄る厚かましい様を「鉢(=はち=恥)を捨てる」と言うようになりまし た……というオチがついています。 今後この後に続く漢たち全員が失敗して同様のオチが続くのですが、要するに「高い 地位にある人物を架空の話で失敗させて貶めている」わけです。ファンタジー小説だと 思っていたのに改めて読むと嫌な政治の匂いが……_| ̄|○ まあ、そんな事を言っていると連載が続かないので(笑)次回に続きます。 順番から行くと次回は車持皇子(藤原不比等)なのですが、この五人の中では一番の 有名人ですし、一番惜しい所までいきましたし、何と言ってももこたんの父親。彼は最 後に回したいと思います。 そんなわけで、次回は阿部御主人(難題「火鼠の皮衣」)編です。 |