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連載「折れない葦」に登場 ALS患者死去
日本の福祉問い続け 「最後の本」に命燃やす社会報道部・岡本晃明

 ベッドの脇にうつぶせで倒れていた。夜の転倒。自分で起きあがることはできなかった。

 1月から始めた医療と福祉を追うシリーズ連載「折れない葦」の第1部で記事にした筋委縮性側索硬化症(ALS)患者のベアさんこと谷岡康則さん(53)が1日朝、逝ってしまった。

 最後に会ったのは死の3週間前。独力で行っていた胃のチューブへの栄養液注入が「腕が弱って、できなくなりつつあります」と打ち明けていた。たん吸引も必要だった彼にとって、転倒は命の危険に結びつく。伝い歩きも限界に近づいていた。

声を失いパソコンで会話する谷岡康則さん(昨年12月12日、埼玉県越谷市)
死を見つめながら
 1年前に突然ALSを発病してから、谷岡さんは声や食事といった全身の機能を次々に失っていった。「数年先の死を見つめる」と彼は何度も繰り返しつつ、家族を高知の実家に置き、埼玉県でひとり暮らしに挑んでいた。

 フリーライターだった谷岡さんは発症から死の告知、声を失って見つけたことなどをユーモアを込めてまとめ、最後の本を書こうと執念を燃やしていた。彼とのメール交換を続け、これからも生の記事にしようと約束もした。

 もらった「最後の本」の企画書にはこうある。

 第6章 それでもまだ終わらない 被介護までのスケジュールは秒読み段階を迎えた。迫り来る独居生活との別れの後に何が待ちかまえているのか? 色濃くなる死の影が怖くないわけではない だがまだ生きている。生きているからこそ、生き続けるのだ。

 谷岡さんは「在宅で胃ろう(胃への経管栄養)で暮らす人が増えてます」といい、一人で栄養液や薬を注入するアイディアをいくつも開発、だれにでも使えるマニュアルにまとめていた。クリップなどささやかな道具を使い、不自由な手で薬の封を切る彼の手つきが目に浮かぶ。「完全被介護となった半年後にも続編を書きたい」。

 訃報を聞いて埼玉県越谷市の自宅に駆けつけ、夫人と初めて会った。高知県にいる高齢の谷岡さんの母を介護しており、谷岡さんを今月末に高知に連れて帰る準備を進めていた。夫からのメールに誤入力が増え、急速な病の進行を気遣っていた矢先だった。

 夫人は埼玉の自宅の後片付けをしていて、パソコンのキーボードのキーがいくつか抜いてあるのに気付いた。思うように指が動かず、誤入力が増えたことへの対策だったらしい。取材したころと同じ、谷岡さんらしい工夫を、最後まで続けていたことを知った。

独居を生きがいに
 独居に挑むことは彼の生きがいでもあったが「福祉が足りない現状では家族の介護負担が大きすぎる」とも言っていた。息が苦しくなっても呼吸器の装着を拒否する意思を書面に残してもいたが、その意思は変わる可能性があり、意思疎通が可能なぎりぎりまで生きたいとも話していた。

 家族は呼吸器を着けてほしいと説得し、苦しみ抜いてきた。「高知に連れ帰って、説得するつもりでした。呼吸器を着けた主人を最後まで看取(みと)りたかった」

 病が進行し、次々に医療や福祉の足りなさや矛盾に突き当たるたび、工夫と文末の「(笑)」を絶やさず、闘志を燃やしていた彼が、この先にどう生きるか、何を書くのか楽しみにさえ思っていた。あまりに早い死だった。

 映画「カサブランカ」のハンフリー・ボガードのせりふ「明日のことは分からない」を引いて「可能性がまったくなくなったように見えても、いまだあるのが人生ですね」とメールをくれた谷岡さん。在宅で一人でできることを突きつめた彼の生き様は、日本の福祉を厳しく問うている。

[京都新聞 2006年3月22日掲載]

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