■ゆらいでいるのは米の覇権
国家は今後どうなっていくのだろうか。たとえば2014年をふりかえるだけでも、ロシアによってクリミア半島が編入され、ウクライナ東部でも親ロシア派勢力によって新政府の独立が宣言された。スコットランドではイギリスからの独立をめざす住民投票がおこなわれた。中東ではイスラム教スンニ派の武装勢力によってシリアとイラクの国境線をまたぐかたちで「イスラム国」の樹立が宣言された。昨年1年だけでも、これまでの国家の枠組みをゆるがすようなできごとが相次いだのである。
ただし、これらの動きを主権国家そのものの衰退ととらえることには無理がある。クリミア半島のロシアへの編入はあくまでも既存の主権国家への領土の編入であるし、ウクライナ東部の独立宣言も、国際的な承認はまったく得られていないとはいえ、新たな主権国家の独立宣言である。スコットランドの住民投票も、賛成多数にはならなかったものの主権の独立をめざした住民投票だった。
■イスラム国とは
「イスラム国」の樹立だけは同列に論じられないかもしれない。そこでは、第1次世界大戦以降にこの地域にひかれた国境線が否定され、イスラム教にもとづく統治がめざされている。そこにあるのはヨーロッパ近代から生まれた政治原理へのあからさまな対抗だ。
とはいえ「イスラム国」もまた支配地域の住民から税金を納めさせ、治安維持のための警察組織も設立している。また防衛省などの省庁も設置しているという。ギデンズ『国民国家と暴力』は、支配地域の治安を維持しながら、暴力を行使しうる唯一の正当な主体としてその地域に君臨しようとすることこそ近代国家の本質だと論じているが、それにもとづくなら「イスラム国」もまた近代国家の一つのバリエーションだと考えられなくてはならない。
ウクライナでの紛争や「イスラム国」の設立についてはむしろ別の議論も可能だろう。アリギ『長い20世紀』は、資本主義の歴史のなかで20世紀に確立した米国の覇権がいまや衰退しつつあると論じている。その点からみれば、東欧の端や中東、さらには東・南シナ海など、米国の覇権がおよばなくなったところで武力紛争が生じたり、領土をめぐる争いが再燃したりしているのは決して偶然ではない。地政学的にみれば、米国を中心に大西洋(ヨーロッパ)と太平洋(日本)を挟んだ先の地域でこれらの係争が生じている。それが示すのは、国家そのもののゆらぎではなくて、米国の覇権のゆらぎである。
■新たな役割担う
国家のゆらぎについてはこれまでも、グローバリゼーションによって国境の壁は低くなり、国家は衰退していくのではないか、ということがとりわけ日本では盛んにいわれた。しかしサスキア・サッセン『グローバリゼーションの時代』(伊豫谷登士翁訳、平凡社・2160円)はそうした見方を表面的で稚拙な見方だと批判する。グローバリゼーションによって国家の主権は消滅するのではなく、新たな役割を担うだけだ、と。ドゥルーズ=ガタリ『千のプラトー』も資本主義と国家の関係を理論的に考察しながら、「(資本が国家を)超えるとは、国家なしですませるという意味では決してない」と述べる。日本のリベラル派の言論人は国家のゆらぎということをすぐに論じたがるが、国家を正面から考えるためには、そもそもそういった発想自体が問い直されなくてはならない。
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かやの・としひと 津田塾大教授(哲学) 70年生まれ。『国家とはなにか』など。