「Gのレコンギスタ」16話は、ベルリとアイーダが
トワサンガのレイハントン家の忘れ形見だという事がわかる話。
しかしそれ以上に重要なのは、
張りぼての人工的な自然しかないコロニーが生まれ故郷という事、
それ以上に想い人が実の姉であるという事に対して、苛立つベルリの姿だ。
「何がレイハントン家だ」ベルリは半ばヤケを起こしてドレッド家側のMSと衝突する。
流石に相手を殺すような戦い方はしなかったものの、
他の誰もがいうように、戦う必要がない状況ではあった。
確かにベルリの気持ちもわかる。
豊かな自然の地球で育ったのだから、実はコロニーが生まれ故郷だというのは、
すぐには受け入れがたい事実なのかもしれない。
そんなベルリの、コロニーの人工的な自然やその構造に嫌悪感を表明する点が、
今までのガンダムの主人公像とは違っていたのが面白かった。
ただこうしたコロニーへの違和感や嫌悪が、やがて敵視へと繋がり
最終的には宇宙側と地球との戦争に繋がってしまうのではないかとすら思った。
一方で今回は「地球では戦争を面白がってしまう世代が生まれてしまった」という
セリフもあるのだが、こうしたセリフも合わせてみると、
ベルリを含めた若い世代の感性が、戦争を引き起こす要因の一つなのかもしれない。
特にクリムとマスク大尉の行動は、戦争を面白がる象徴として描かれているのだろう。
さて感情をあらわにするベルリの描き方についてだが、
感情的になる理由はわかるが、周りかも咎められているように
そのベルリの態度は批判的な視線で描かれているように感じた。
まるで感情や情緒に流される事がいけないもののように描かれていた。
自分の想い人が実の姉さん、故郷が人工的な自然でしかないコロニー、
この両方の現実が嫌で嫌で仕方なかったベルリ。
まさにEDの歌詞の「リアルは地獄」の通りであり、
さらに「真実の意味に」をベルリに突きつけられた展開だった。
そんなベルリが突きつけられた現実に対して半ば自暴自棄になり出撃した点を見ると、
改めてベルリは何も考えていないキャラとして描かれていると感じた。
一方でアイーダは感傷的になってもすぐに現実を受け入れ、
レイハントン家に仕えた者たちに「時代は年寄りがつくるものではないのです」
と言い返す点を見ても、きちんと考えられるキャラとして描かれていると感じた。
ここでもベルリとアイーダ、二人の兄弟は対照的に描かれるのが面白かったし、
今までの空気の流れをガラッと変える感情的になったベルリの姿は
さらに物語を面白くしている存在のように映る。
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