2005年3月





 三月の執事会の報告

一、四月から始まる教会連絡会について話し合われ、さらに合同連絡会で日程の確認が行われました。その結果、四月の教会連絡会は四月二日(土)午前十時三十分から十二時まで、礼拝堂で開かれることになりました。教会連絡会は青年会などの各グループおよび奉仕チームの代表者により構成されますので、その方々は御出席ください。
なお、五月の教会連絡会は五月七日(土)午後一時から三時まで、コイノニアホールで開催される予定です。
教会連絡会についての連絡は、菅佐知男兄または久田雄治兄にお願いします。

二、教会員の家族で、未信者である方が亡くなった場合、久遠教会として次の方々に弔意を表すことが確認されました。教会員の実父母(いわゆる義理の父母は対象になりません)、教会員の配偶者および子どもが対象となります。これ以外の方であって特別な事情のある場合は、葬儀担当の菅佐知男兄に連絡下さい。担当者は牧師などと相談の上判断します。弔意の表し方は、御遺族の御希望を考慮して行います。
なお、これは教会として行う場合のもので、婦人会、アクラ会などでこれまで行ってきたものについては、従来どおりと聞いています。

三、執事会は今回をもって終了となりました。長年にわたる皆様のお祈り有り難うございました。

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 教会ハンドベル音楽祭を主催して
                       飯塚 剛寿

教会ハンドベル音楽祭は、教会に所属するハンドベルクワイアが多数集まって、毎年会場(教会で行う)持ち回りで賛美の集会を演奏会形式で開催しています。六回目となる今年は久遠キリスト教会が主催し、二〇〇五年二月十一日(金)午後、十二の教会が参加して礼拝堂にて行われました。参加教会は次の通りです。(演奏順)

久遠キリスト教会 (指揮・佐藤数穂)
日本基督教団弓町本郷教会 (指揮・富永哲郎)
日本聖公会川崎聖パウロ教会 (指揮・佐藤数穂)
多摩ニュータウンキリスト教会 (指揮・小宮路敏)
日本ナザレン教団藤沢教会 (指揮・江頭せつ子)
日本同盟基督教団茅ヶ崎同盟教会 (指揮・佐山薫子)
日本基督教団田園調布教会 (指揮・河野 和雄)
日本基督教団相模原教会 (指揮・武田恵、大平恒久)
日本基督教団番町教会 (指揮・横野 安子)
日本福音ルーテル東京教会 (指揮・徳善 義昌)
カンバーランド長老キリスト教会高座教会 (指揮・梅澤千恵子)
日本福音自由鳩ヶ谷福音自由教会 (指揮・今井一雄)

このように教派を超えて多くの教会が集まる行事は初めてのことで、期待と不安の中、夢中で当日を迎えました。プログラムは全体が礼拝になるよう組み、三浦称伝道師の司会によりスタート、高橋由美子姉の前奏、会衆讃美奏楽、三浦真信牧師のエペソ人への手紙四章一六節によるお話、そしてハンドベル演奏が順次行われました。
開催にあたって多くの兄姉の奉仕を得、また「ひとつのからだ」の実現を願って開始した音楽祭は、参加者百六十五名、一般来場者等二百名超の予想外の盛況となり、主がわたしたちの思いをはるかに超えて全てを整え運んで下さり、教会そして私たちを今まで以上に用いて下さいました。参加して下さった教会、参加しませんでしたが支援のエールを送って下さった多くの教会の皆様の祈りにも支えられ、感謝の思いでいっぱいです。
今年の特徴は、

1 参加教会が増えたこと(これまでは八〜十)。
2 このような行事に参加する機会の少ない教会クワイアが参加できたこと。
3 教会学校の子供さんの出演が多かった。とくにプログラムの最後がCSクワイアの素晴らしい演奏で締めくくられたので盛り上がり、印象深かったと思います。
4 演奏曲目の重複が無かった。演奏曲目二十七曲のうち、一つだけ「あめなる喜び」を二つのクワイアが演奏しましたが全く異なる編曲であり、また一つ一つの演奏に工夫が凝らされて最後まで楽しく鑑賞できました。

演奏後、参加者による懇親会をコイノニアホールにて行い、感想や意見交換、今後の進め方などを話し合いながら交わりの時をもち、次回以降も普段着の交わりをモットーに音楽祭が継続されるよう願って一日を終えました。準備から接待、後片付けまで多くの兄姉の奉仕の働きがあり、予想外の混雑に戸惑う一瞬もありましたが、主がすべて助けて下さって所期通りの音楽祭となったことを感謝します。

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 プレ・パッションの報告
                       三浦 称


二月二十日(日)、J-passionに備えるための集会「プレ・パッション」が久遠キリスト教会会堂にて行われた。三浦真信牧師賛美リードの下、ワーシップチームが奏楽の奉仕をさせていただいた。

メッセンジャーは町田聖書教会牧師の吉永豊師で、使徒の働き九章の御言葉から今年のJ-passionのテーマ「目からうろこ」について力強く語られた。「目からうろこがおちる」とは、イエスに出会って何か特別な自分に変わっていくことではなく、いつもの自分、日常の生活が新鮮に見えるように変えられることである、と語られたことが印象的であった。

およそ四十〜五十名が集まり、心一つにして賛美し、J-passionに向けて祈る恵みに預かり感謝だった。必ずや主の大いなる御業がJ-passionの上に起こされることを確信させられる集会であった。

「我こそ若者」と思う人は、是非三月二十日(日)から二十一日(月)のJ-passionに参加し、イエス・キリストに触れられ、目からうろこが落ちるような体験をしてほしいと思います。

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 韓国新一教会訪問の報告
                       紀平美香


二月二十五日(金)〜二十八日(月)の四日間、三浦称伝道師を団長とする全十六名が、韓国新一教会を訪問しました。

初日は教会で歓迎会を開いて下さり、韓国語と日本語を交えての賛美や祈祷、愛餐の一時をもちました。二日目は南北境界線となる地域に赴き、韓国と北朝鮮の現実を目の当たりにし、一日も早い南北統一のため、拉致問題解決のため、北朝鮮の兄弟姉妹たちが守られるよう、祈る時をもちました。三日目の聖日は礼拝に加えていただき、李光善牧師様から創世記のみことばを通してメッセージをいただき、またメンバー全員でタンバリンチームと共に賛美する機会を与えていただきました。午後は青年会の交わりに参加する人、冬ソナのロケ地観光する人など、自由な時を過ごしました。

 旅の最初から最後まで、久遠サランフォーラムの皆様はじめ、新一教会の方々の心からの歓迎を受け、愛されるに価しない者への神様からの一方的な愛と恵みを強烈に感じるとともに、「あなたがたは何をするにも人に対してではなく、主に対してするように心から行いなさい」、「受けるより与えるほうが幸いである」のみことばが思い起こされました。

また、言葉や習慣などの違いはあっても、イエス・キリストを信じる信仰によって「神の家族」であることをしみじみ思わされ、メンバー皆が、キリストの体の部分としての教会の今後の交わりについて主に祈り、与えられている賜物をもって仕えていきたいと願わされました。

出発前夜から雪が積もり、天候やその他諸々心配事はありましたが、すべてを神様が守り祝福して下さったことをご報告します。

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 韓国国家朝餐祈祷会に参加して
                       久田雄治


新一教会訪問に引き続き、三浦称伝道師とソウルに残り、二十八日には松本望美宣教師と一緒に毎週月曜日夜に行われている脱北者の礼拝に参加しました。二十名ほどの集会でしたが、六名の脱北者を助けてメコン河に沈んだパク宣教師(六十三歳)のために祈るなど、緊迫した祈祷課題が差し出されました。三月一日には八十六周年三・一運動記念日に天安市の独立記念館を訪問し、夜にはヨイドのレキシントンホテルの歓迎晩餐会に出席しました。二日にはヒルトンホテルで行われたノムヒョン大統領参加の第三十七回の国家朝餐祈祷会にパクウンニョン姉と三人で出席し、近くの安重根紀念館を訪ね、さらにサラン教会にも足を延ばしジョウ宣教師の案内で教会の主な施設と信仰生活を教えていただきました。思いをはるかに越えた豊かな恵みを与えられ、感謝するばかりです。
皆様のお祈りを感謝します。


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 関西合同礼拝の報告
                       木山允子


 三月二十日(日)、京都商工会議所で関西合同礼拝を持ちました。東京から名取通弘兄にお越しいただき、午前中は「神のみこころ」と題して、エペソ人への手紙一章三節〜一四節のメッセージをしていただきました。

「神のみこころ」とはどういうものかを、エペソ書一章を通して、私たちが神様を賛美する者とされたと話されました。神様は、私たちを「イエス・キリストによってご自分の子にしようと」(五節)していて下さいます。イエス様でさえ、神様の御心をとっていかれました。神様の御心とは、御子を十字架につけて、私たちを神の子とされたのです。そして「私たちが、神の栄光をほめたたえる者となる」(一二節)といわれています。キリストをかしらとする教会の一員となり、神様の計画の中に生かされていくときに安心な者となると話して下さいました。

午後は、名取兄より専門の宇宙科学について、ヨブ記九章九節、三八章三一〜三二節にも語られている牡牛座、オリオン座、すばる座のことなど、聖書と映像によって興味深く話して下さいました。また星の数は二〇〇〇億個×一〇〇〇、地球の歴史は百三十七億年、生命の誕生は四六億年なども教えて下さり、外から自分を見ることが大切であり、そうした視点で見ると「地球には国境はない」と話して下さいました。最後にヨハネ一七章二一節、ロマ一二章五節から、その意味を深く味わうことが出来、感謝でした。

(参加者、午前十八名、午後十四名)


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 猿ヶ京キリスト教会洗礼式の報告
                       関 統子


二月二十四日(木)、秋山延子姉の洗礼式が三浦真信牧師の司式で行われました。秋山姉は昨年三月に始まった吉江姉宅の家庭集会に導かれ「愛の便り」の学びをとおし、この日の受洗を迎えられました。

午後の感謝会は秋山姉のお証しに続き、有志のタンバリン賛美、タンバリンとウクレレのデュエット、フラダンス賛美と続き、真信先生のピアノ伴奏による賛美の大合唱へと導かれて、神様の栄光で満ち溢れたひとときとなり、大変感謝な一日となりました。

「主の御名を呼び求めるものは、だれでも救われる」のです。(ロマ書一〇章一三節)


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 猿ヶ京キリスト教会の報告
                        ますみ


二月二十七日(日)早朝よりとても冷え込みましたが、天候に恵まれ、菅佐知男兄・淳子姉をお迎えして猿ヶ京の兄姉十一名の出席の中で賛美礼拝がもたれました。

 菅兄の司会で進み、OHPを用いての賛美が会堂いっぱいに溢れました。ルカの福音書一一章三七節〜五四節の交読「内側をきよめなさい」と題して語っていただきました。「内側をきよめる」ということは、私たちの内から出て来る悪いこと一つひとつを起こさないように一生懸命にやることではなく、イエス様の十字架の死と復活の事実において私たちの内側に来て下さっているもう一人の方、聖霊様によってなされることです。そのためにイエス様は命を捨てて下さったのであり、この御方が私の内で生きて下さるならば私の内側は聖められるということを知ります。

ただ問題なのは、私たちの内側からは古いものが次々に出て来るのでいつまでも聖よめられていないように思える事です。イエス様はそれらを死んだものと認めなさいとおっしゃって下さっている。だからその思いが出てきたらその思いを実行せず死んだものなんだと認めていくこと。そして私たちの内側におられるもう一人の助け主、聖霊様がどうみておられるのか。どう働いて下さるかに私たちの心を向けていくように勧めて下さいました。

そして、神様は私たち自身を祝福し、さらに私たちが神様の祝福を周りの人に運んで行く者として私たちを召して下さっていますから、私たちの内側に住む助け主なる神がすべての人を祝福しておられるとおりに、私たちの口をとおして祝福のことばを「弱い人、困っている人、傷ついた人、貧しい人」に伝えていくようにと語って下さいました。

午後は愛餐を共にし、賛美と菅姉のお証し、そして兄姉方の感想など分かち合い、祈りに導かれ、終始和やかな雰囲気の中とても感謝な時でした。


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