アウシュビッツ(ポーランド)(下) ここで、感じ取れること
ポーランド南部、アウシュビッツ強制収容所のガス室は、三方が土に覆われた平屋の建物の中にあった。人一人通れる小さな入り口が、ぽっかりと開いている。息をのんで、中に入った。
細長い部屋。想像していたよりも狭い。一度に何人の人が押し込まれたのだろうか。「神聖な場所なので、写真撮影は控えてください」。日本人唯一の公認ガイド、中谷剛さん(48)の声がコンクリートの壁に反響する。天井には、将棋盤ほどの大きさの穴がいくつか開いていた。
「シャワーを浴びるため」と、裸にされてガス室に誘導された人々に、天井の穴から「チクロンB」という毒物が投げ込まれた。もともとは殺虫剤として製造されたシアン系の毒物で、気化した毒を吸って窒息死するまでには15分から20分間かかったという。その間の苦しみはどれほどのものか、想像を絶する。
ガス室の隣には、遺体を燃やした焼却炉もあった。第2次世界大戦前、ヨーロッパ全体で約1千万人いたユダヤ人のうち、約650万人が各地の強制収容所などで殺害されたという。めまいを覚えて建物を出た。
このガス室は、約3キロ離れたアウシュビッツ第2収容所「ビルケナウ」に大型のガス室が建設された後は次第に使われなくなり、戦争末期には倉庫になっていたという。そのため、大量虐殺(ホロコースト)の証拠隠滅を図るナチス・ドイツによる爆破を免れ、ほぼ当時のままの姿で残った。
「ここでしか感じ取れないことを、感じてほしい」。中谷さんの言葉が、痛
切に胸に迫る。
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目の前をドイツ人の一行が通り過ぎた。一様に沈痛な表情だ。背中にダビデの星をデザインしたパーカーを着たユダヤ人の一行とも出会った。涙ぐむ若い女性や座り込んでしまう年配の男性もいる。
着ているもの以外、見た目でドイツ人とユダヤ人の違いは分からない。「なぜ、ドイツのような文化水準の高い国が、ホロコーストを起こしたのか」。中谷さんの質問に対する答えは、簡単には見つかりそうにない。ただ、その問いかけは、日本に帰ってからも頭の中をめぐっている。
来年は戦後70年だ。1月27日にはアウシュビッツ収容所も解放70周年を迎える。「十字架を背負ったドイツ人」(中谷さん)がいる一方で、ユダヤ人もまた、イスラエルという国をつくり、数多くのパレスチナ難民が生まれている紛争のさなかにある。最近は「加害と被害の立場を超えて、分かり合えないか」と、世界中からアウシュビッツを訪れる人も多いという。
見学ツアーで同行した英国在住の日本人男性(49)が、帰国後にメールを送ってくれた。
「アウシュビッツで何があったかを想像すると背筋が凍る思いで、ツアーの最中は見ることに精いっぱいでした。見学していた時よりも、帰ってからの方がいろいろ考えています。きっと、これからも考え続けていくのでしょう」
●メモ
アウシュビッツ博物館は午前8時開館。閉館時間は月によって異なる。入場無料だが、4月から10月の午前10時~午後3時は、公認ガイド(有料)を伴わないと入場できない。
=2014/12/08 西日本新聞=