人物メモ・蘇我氏(分家)

    
倉麻呂の子供たち  / 石川麻呂の子供たち  / 赤兄の子供たち
連子の子供たち 蘇我氏系図

  

  

◆蘇我倉山田石川麻呂◆

別称 蘇我石川万侶、倉山田臣、山田臣、麻呂臣 他
生没年 ?〜649
系譜 父 : 蘇我倉麻呂
子 : 興志(コゴシ)、赤狛、乳娘、遠智娘、姪娘

 

持統天皇のおじいちゃま。本家滅亡後の蘇我氏が天皇家系図上に命脈をつないだのはひとえにこの人の功績と言っていいでしょう。なんたって娘二人を天智に嫁がせ、その娘が今度はまた二人、天武天皇のもとへ嫁いだわけですから。結局、大化の改新〜奈良時代の終焉まで、天皇家は彼の血筋を離れることは無かったのですね〜。
でも御本人は皇太子時代の中大兄さまにアッサリ無実の罪で殺されているあたり、その人の人生と歴史に与える影響は別物、という見本な気がします。お気の毒…。

乙巳の変の黒幕は彼、という説もありますが、個人的には孫に目を細める好々爺希望。
…天上の虹の影響受けすぎですか。

     


   

◆蘇我赤兄◆

別称 蔵大臣、舎人臣
生没年 未詳
系譜 父 : 蘇我倉麻呂
子 : 常陸娘、太蕤(ヌ)

 

彼も兄の石川麻呂同様、抜かりなく娘たちを天智・天武兄弟に嫁がせていますが、兄との年齢差によるスタートの遅れはいかんともしがたかったのか、天皇家方面の子孫はイマイチぱっとしません。
この人の名前が出るのは何と言っても「有間皇子の変」!皇子の「天と赤兄が知っている」というセリフはあまりにも有名です。(※古代ファン限定)

年若い有間皇子を騙くらかしそそのかして罪に追いやったという悪者イメージが常に付いて回る彼ですが、近江朝に殉じた最期を見ると、初めから終わりまで一貫して天智天皇についた忠臣、と言えなくもありません。(なんかやっぱり含みのある言い方・笑)

   


   

◆蘇我連子◆

別称 特に無し
生没年 未詳
系譜 父 : 蘇我倉麻呂
子 : 安麻呂、石川宮麻呂、難波麻呂、娼子

   

陰の喰わせ者。とか呼びたくなってしまうのは個人的事情。
なんだよ!天皇家には全然入り込んでいないからって見過ごしてたら、さりげなく藤原不比等なんかを婿に迎えてるんじゃないか!不意打ちだよ!…という。いや、その頃にちゃんと連子本人が生きていたかどうかは知りませんが。

この人がいたおかげ(?)で、藤原氏にも蘇我氏の血が入っているという…これは系図を愛する私には全くもって見過ごせない事実です。ふふふ…権力にどこまでも入り込む蘇我氏の血…。(怪しいって)
御本人が何をした人なのかはよく分かりません。資料が無いっ。

    



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連子の子供たち 蘇我氏系図

 

◆蘇我興志◆
ソガノコゴシ

別称 特に無し
生没年 ?〜649
系譜 父 : 蘇我石川麻呂

 

中大兄さまに反逆の疑いをかけられた際、父・石川麻呂に殉じて自殺した長男。
でもお父さんが逃げ帰ってきた段階では天皇家を相手取ってでも戦う気満々だったのに、あっさり説得されて死を選ぶなんて、随分な孝行息子です。…実は熱しやすく冷めやすいタイプだっただけだった、とか(爆)。
すいません、祟らないで下さい。

  


  

◆蘇我氏乳娘◆
ソガ氏チノイラツメ

別称 特に無し
生没年
系譜 父 : 蘇我石川麻呂

 

孝徳帝に嫁いだ彼女は、子供を生んだ記録が残っていないこともあり、石川麻呂の娘たちの中では影の薄い人です。孝徳にはれっきとした皇后の間人皇女に、長男(有間皇子)を産んだ阿倍氏の妃もいますから、少々肩身が狭かったのではないかしら。しかし下手に子供を生んでいたりしたら有間みたいに殺される可能性もありますし、最終的には(最終的にはって、おい)どっちもどっちかもしれませんね。

結局、孝徳も父の石川麻呂も亡くなった後は、彼女はどうなったのでしょう?お母さんの実家に行った、とか??
…豪族の奥さんってどこのどなたなのかシロウトには謎で…ちょっと悔しい。もしかしたら専門的資料には何か情報があるのかもしれませんが。

  


  

◆蘇我氏遠智娘◆
ソガ氏オチノイラツメ

別称 美濃津子娘、茅渟娘(?)、造媛(?)
生没年 未詳
系譜 父 : 蘇我石川麻呂
夫 : 第38代天智天皇
子 : 大田皇女、鵜野讃良皇女、建皇子

 

持統(鵜野讃良皇女)と大田皇女のお母様。
彼女は蘇我日向に攫われた姉の代わりに中大兄さまの妻になったというエピソードがあって、見上げた孝行娘だと昔の修身の教科書に載っていたらしいです。その後の彼女がいわれの無い罪で夫に父を殺された嘆きから、正気を無くしたまま亡くなられたとか、そういう話はナイショなんですね、きっと。(ぼそり)

父君同様、お気の毒な方です。中大兄さまには皇族出身の妻が正妻の倭姫王しかおらず、彼女には子が無いので、こんなことさえなければ実質的な正妻と言えた人になったかもしれませんのに…。その倭姫王も父親を中大兄さまに殺されているあたり、ホント罪つくりですよね、中大兄さまってば。(でも好き・爆)

   


  

◆蘇我氏姪娘◆
ソガ氏メイノイラツメ

別称 桜井娘
生没年 未詳
系譜 父 : 蘇我石川麻呂
夫 : 第38代天智天皇
子 : 御名部皇女、阿倍皇女

 

元明(阿閉皇女)と御名部皇女のお母様。
こうやって遠智娘と並べてみて思いましたが、どちらも姉妹の妹が皇后・天皇になっているのですね。妹の方が出世する法則でもあるのかしらん。

彼女自身の生没年は不明ですが、娘たちの年齢から言って、石川麻呂の死後に天智が彼を無実の罪で死なせてしまったことへの贖罪の意味から娶ったのでは、とも言われています。
だとしたら待遇は悪くなかったのかも。まあ彼女が夫を腹の中でどう思っていたかは知りませんが(爆)。
娘たちもそれなりに悪くない人生を送って長生きしたので、石川麻呂の三人の娘たちの中では、もっとも心安らかに日々を過ごせた人かもしれません。

  



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◆蘇我氏常陸娘◆
ソガ氏ヒタチノオトメ

別称 特に無し
生没年 未詳
系譜 父 : 蘇我赤兄
夫 : 第38代天智天皇
子 : 山辺皇女

 

大量にいる天智妃の一人、以上の印象はあまりありません…ホント奥さん多すぎです、中大兄さま。小説なんかでも、とてもじゃないけど全員は出てこないですもん(笑)。私が個人としての彼女の印象があるのは、杉本先生の「天智帝をめぐる七人」の一人に出てきていたのが唯一でしょうか。

娘の山辺皇女が非業の最期を遂げたせいか、何となく儚い印象のある女性です。

  


  

◆蘇我氏太蕤娘◆
ソガ氏オオヌノオトメ

別称 特に無し
生没年 ?〜724
系譜 父 : 蘇我赤兄
夫 : 第40代天武天皇
子 : 穂積皇子、紀皇女、田形皇女

 

天智妃であった姉の橘娘は、言わば完全なる近江方となるわけですが、彼女の場合は半々。父・赤兄は近江方、夫は大海人皇子という、ちょうど弘文妃の十市皇女と真逆の立場にあったわけですね。…その割に十市皇女のように悲劇のヒロイン扱いされたりしているところは見たことがありませんが。

まあ、彼女の子供たちの扱いからいっても、父親が近江方だからといってそれほど冷遇されたわけでもなく、天武妃としてきちんと尊重された人生を送ったのでしょうし。むしろ子供が二人ともバシバシとスキャンダルを起こしているところを「母親の血?」などと疑ってみたりして、どんな人だったのか気になってしまいます(笑)。

 



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◆蘇我安麻呂◆

別称 特に無し
生没年 未詳
系譜 父 : 蘇我連子
子 : 石川石足

 

同姓同名のご先祖様が書紀の天智紀に出てくるというくらいしか話題の無い人。(←ひどい)
お父さんの連子が何だかんだ言って左大臣にまで上り詰めているのに対して、彼の代以降、蘇我氏はすっかりパッとしない一族になってしまった感がありますね。彼の子供の石足から石川姓を名乗るようになり、古代に燦然と輝く「蘇我」の名は失われてしまいます。

そしてそれと入れ替わるようにして…そう、いよいよ藤原氏の台頭が始まるのですよ…!

 


  

◆蘇我娼子◆
ソガノショウシ

別称 特に無し
生没年 未詳
系譜 父 : 蘇我赤兄
夫 : 藤原不比等
子 : 武智麻呂、房前、宇合(?)

 

藤原不比等の正室。彼女に関してはこの一言に尽きます。(え)
だって他ならぬ北家の房前が彼女の息子ですよ!?藤原北家の血はたどりたどれば半分蘇我氏ですよ!?
ここまで来ると蘇我という血族と天皇家はもはや切っても切れない腐れ縁の域ですって。
その意味で非っ常ーーに意義深い女性。

そう言えば稲目以降の蘇我氏では、彼女と、同族の日向に攫われた石川麻呂の長女(←本来は天智妃となるはずだった)を除いて、天皇家以外の人間に嫁いだ記録がありません。ま、ただ単に記録に残っていないだけで、天皇家以外に嫁いだ女性がいたのかもしれませんが。
でも、そんな家の娘を本妻に迎えているあたりが、なんだか藤原不比等という人の在り様を象徴しているように思えるのは…単なるミーハーファンの妄想でしょうか。

  

  

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