一度きりの人生は自分の手でデザインせよ
ゾンビ(ZONBIE)とは、元来西アフリカのブードゥー教の蛇神のこと。そしてこの蛇神の魔力により墓場から生き返らせられた死体を指す。リビング・デッドとかウォーキング・デッドとも呼ばれる。
怪奇映画の世界ではゾンビとは生きている屍、歩き回る死者として、その姿・形はさもしく、気味悪く、陰気だ。ゾンビという言葉には、主体性がなく、蛇神に操られている人形という意味もあるし、まるでロボットのように見え、ロボットのように指示されたままに振舞う人、という意味もある。
非生産的で、主体性をもたないゾンビ族はひとりでは何もできない。ちょうどハイエナや、アフリカの平原の掃除屋といわれるイヌ科の猛獣のリカオンのように徒党を組み、相手が弱いとみるや情け容赦なく次々におそいかかってきて、君の人生をメチャクチャにしてしまう。
君は、たった一度きりの自分の大切な人生のデザインを、自分の手で描かねばならぬはずだ。
ところが、ゾンビ・マスターやゼネラル、センチネルやその他大勢の下級ゾンビ連中は、君が弱腰とみるや、君の手から、ライフ・デザインを描くためのチョークをひったくり、勝手にこれから先の君の大切な人生のデザインを、彼らにとって都合のよいように変えてしまうのだ。
もうあと2年ほどで、各企業からは大量の「卒業生」が出てくる。“壮年”老いやすく、学成りがたし、だ。
ゾンビ族の軍門に下り、彼らの仲間にとりこまれ、ゴマすりや陰謀やジェラシーに明け暮れて大切な人生を無為無策に終ってしまってそれでよいのくゎッ!
昔、私が意見の相違から、ときの上司と対立し、窓際に追いやられたことがある。それも半端ではなく、男にとって黄金の時代ともいえる40代という10年間を窓際族として過ごすハメとなった。人呼んで、「窓際退屈男」とはワテのことや。
当時、私は東京は築地にある鉄砲洲稲荷宮司の中川正光さんと親しくさせていただいた。折にふれて中川さんからいろいろお話をうかがう機会があった。
中川さんは、いつも「生きているものの基本」について話してくださった。それには3つあるとのことだった。
1.まず生命は何処から来たのか――申すまでもないが、これは両親から受けたもの。しがかって親・先祖を大切にすること。
2.生命は何によって生かされているのか――天の光、地の恵み、他人のおかげさまである。したがって自然に親しみ、他人に対する感謝と思いやりの気持ちをもって事に当たること。
3.如何にして生きていくべきか――生命(肉体の健康と精神の健康)を左右するのは、日光・空気・水・食べものである。したがって、自然とモノとヒトとが調和して三位一体となって、うまくとけ合っていくことが大切。
ゾンビ族は、自分たちにとって都合のよい官僚体制をいつまでもしっかり維持していきたがっている。そのためには、この体制にとって好ましくないと彼らが目の敵にしているアライブ族に向けて、ドンドンと特効薬を打ち込んで、死滅させようと計る。その特効薬の別名は「がんじからめの人間管理」というものだ。社員から主体性や自律性を奪い取ろうとする、いわば「無気力化促進剤」という特効薬を毎日のように注射してくる。
しかし、アライブ族よ、これにめげてはならない。この薬にドンドン抵抗力をつけていくことが必要だ。
いいですか、いつの時代でも、大事なことは必ず少数からはじまる。決して軍艦に対するゴマメのはぎしりとあきらめてしまってはならない。諦観者や傍観者になってはならないのだ。
人間、死ぬ間際に本当の勝負はつくものだと私は思う。
棺桶に片足を入れかけたとき、これまでの自分の過去をふりかえり、本当に思い切って我が人生を全うしてきたかどうかがたちどころに判るものだと思う。
死に際して、肉体的な苦痛の有無も多くの人にとっては重要関心事であろう。しかし、それよりも、精神的に「自分の越し方をふり返ってみて、いろいろあったけれども、まずまず合格点をつけられるかナ」と満足して、あの世へ旅立ちたいと思う。
アライブ族よ、いつまでも信念と情熱、それに誠意と創意を忘れず、青春の心意気に燃えて絶ゆまざる前進を着実に続けていってほしい。
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