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【我が闘争】03-08 憧れのミュンヘンへ!

 1912年の春、ヒトラーは23歳になるときにミュンヘンへ映ったと著書である我が闘争に記している。恨みを募らせ、憎悪の炎に燃料を与え続けることとなったウィーンの街と比べて憧れのミュンヘンの街並みはヒトラーの目にどのように映ったのだろうか。

 理想と現実は違うということをヒトラーは痛感したものと思われる。人間の記憶とはいい加減なもので、昔の出来事を自分に都合良く解釈して記憶しているのだ。

 残念なことに、ここへ来てから私が会ったどの政治家や外交家も、ハプスブルグ王家を、この上なく頼りになる盟邦だと思い込んでいた。彼らはオーストリアが最早ドイツの一国家ではなくして、内部的に崩壊の一途を辿りつつある国であることをてんで知らなかった。私は少なくともオーストリアのことについては、これらドイツの政治家たちよりは遥かにその真実と多くの事実とを知っていた。

 ミュンヘンヒトラーは芸術家としての仕事を捨てる決断をしている。ドイツへ移った時点で、彼は芸術家ではなく政治や外交に関しての知識を詰め込むことに注力するようになったという。

 

 ある国の国内情勢が流動的で内部崩壊の一途にあることを隣国が正確に把握している可能性は常識的に考えて低いだろう。仮にその隣国がやたらと詳しい情報を持っていれば、それは内部崩壊を起すために何らかの協力を行っている何よりの証拠である。アメリカのオバマ政権がシリアやウクライナで反体制派への支援を行っていたことがその典型例である。

 確かに権力者側が力を失って行けば、いずれ体制は崩壊する。しかし、どこからともなく味方が登場すれば、権力者側が復権することも十分考えられるのだ。堂々と隣国の反体制派を支援するには自国に隣国と一戦交えることになったとしても、打ち負かすことができる国力を持ち合わせていることが前提条件だと言えるだろう。

 どれだけ列強国が領土の拡大を競っていた時代だったとは言え、隣国の情勢不安を理由に攻め込む国家はなかったであろう。それだけに当時のドイツ帝国の外交戦略はごくごく平均的なものだったと推測することができる。

 ただ、ミュンヘンに移り住んだヒトラーが早いうちから懸念を示していた「隣国との同盟ということをあまりに信頼しすぎている」という点については不安が的中することとなる。

 同盟がいつまでも存在すると考えるのは間違いであるどちらか一方に同盟を結び続ける意義がなくなれば、その同盟は解消されるか、同盟の内容が見直されることとなるだろう。それが、一般的なのだ。この結論がヒトラーの分析結果なのか、勘によるものかは定かではない。しかし、的を得た見解であることは認めざるを得ないだろう。

現状分析を見誤っていてはまともな再建計画を立てるのは困難だ

 「朝日新聞日本マクドナルド民主党から再建計画を立案してほしいという依頼をそれぞれの組織のトップから受けました。いずれかの組織に対する再建計画を立てて発表してください。

 もし、私がどこかの戦略コンサルタント業務を行っている企業で採用担当を受け持つことになったら、上記の質問を面接時に発表させて志望者の現在の能力を推測しましょうと言い出しているであろう。大量のエントリーシートを読むよりも、真面目に考えてくれたであろう再建計画の提案書を読む方が志望者の考え方やコミュニケーション能力が如実に現れると考えたからだ。

 とは言え、実績のあるプロが作成した計画であっても上手くいくとは限らないのが現実でもあるのだ。実際問題としては、どのレベルまで復活できれば成功なのかということを事前に決めておく必要があるだろう。

 民主党は18日に新代表が選出され、それについて朝日新聞応援社説を19日付けで発表している。

 昨年、民主党は「穏健中道」の理念を掲げる報告書をまとめた。「分極化」が指摘される今の日本の政治地図を広げれば、真ん中に空いているのが、穏健中道のスペースだといえる。

 

 その実現を目指すなら、戦後70年の歩みのうえに日本の将来像を描くことだ。歴史認識の問題では、アジアの人々に「痛切な反省とおわび」を表明した村山談話を堅持し、国際社会との協調を示すべきである。

 

 もうひとつのカギは、立憲主義という基本ではないか。権力は憲法によって縛られる、という政治家が従うべき大原則だ。多様性をもつ寛容な社会を守るためにも、憲法の精神を生かさなければならない。

 まず、民主党朝日新聞が致命的なのは「思想の真ん中が空いている」と信じていることだ彼らは自分たちが『中道』と呼ばれる立ち位置を取っていると思い込んでいる。これは大きな間違いであり、民主党朝日新聞の立ち位置はれっきとした『左翼』に該当する場所である。Left Wing(レフト・ウイング)と呼ばれる場所が現在地であって、断じて中央ではないのだ。

 

 ちなみに彼らがナショナリストとして攻撃する安倍晋三氏の立ち位置は彼らから見れば『右』に位置する。ただし、断じて『右翼』ではない。ニューヨーク・タイムズなどには辛いことだが、安倍首相の政治的スタンスは彼らが敬愛して止まないバラク・オバマと同様の『中道左派』的なものである。その典型例がバラマキによる大きな政府なのだ。安倍首相の実行力を危険視する暇があるリベラルメディアはオバマの口先だけの政権運営を批判するべきだろう。

 村山談話などは今や『左翼』によるレガシー(遺産)であり、談話の発表が彼らの言う「国際社会との協調体制」に貢献したとは言える実績になっていないのが現状だ。

 戦後から70年。日本は自国だけが経済成長を遂げるのではなく、発展によって獲得した資金や技術を用いてアジアを始め、世界中の人々の暮らしに役立つ様々な貢献を行ってきた。この姿勢こそ、他国から批判される筋合いのない立派な国際社会との協調ともいうべき一例である。これからもこの姿勢を続けることができるよう様々な政策を実施することこそ『未来志向』と呼ぶに相応しいのではないだろうか。

 朝日新聞が主張する「アジアの人々への痛切な反省とおわび」は口先だけで、何も生み出しはしない。慰安婦問題で「日本国民への痛切な反省とおわび」すらしていない朝日新聞こそ、戦後70年という節目に談話を発表し過去を猛省すべきではないか。見たくない過去から目を逸らし続けているのは他ならぬ朝日新聞である。

 

 また、問題なのは「権力は憲法によって縛られる」という考え方だ。これは過去にも朝日新聞大阪本社の記者たちが知性のなさを露呈した経緯がある。

 マスコミは自分たちは憲法を守らなくてもいい存在であると本気で信じているであろう。そのような間違った特権意識の成れの果てがシャルリー・エブドの一件だと言える。国家権力とファイティングポーズを取り続けていれば、支援者が助けてくれる時代は終わったのだ

 これは民主党にも同じことが言えるだろう。自民党との対決姿勢を打ち出していれば、一定数の支持者は得られる。だが、自らが国益にかなう政策を立案できなければ政権与党になることはできない民主党には自民党より優れた政策を打ち出すことができる政治家がどれだけいるだろうか。

 単なる政権批判票の受け皿を目指す政党であるなら、不必要な政党である。そしてそのような政党を応援するメディアも報道機関を名乗ることを直ちに止めて頂きたいものだ。

ペイトリオッツのトリックプレーを図示してみた

 NFL ディビジョナル・プレーオフニューイングランド・ペイトリオッツボルティモア・レイブンズの一戦で今後ルールが改正されるかもしれないトリックプレーが行われた。レイブンズのヘッドコーチであるジョン・ハーボーは「あれは完全にペテンだ」と露骨に不満をぶちまけている。どういったプレーだったのだろうか。

問題のプレー

 そのためには(複雑と言われる)アメリカンフットボールのルールを理解しておく必要がある。問題となったプレーに関連するオフェンス(攻撃)の主なルールは次のとおりだ。

 このスクリメージラインとは『ボールの先端から両サイドへゴールラインと平行に引かれた仮想の線』のことを指しており、テレビ中継ではよく白色で仮想の線が引かれている。このラインが攻撃開始地点を示しているのである。

 

 攻撃を行っていたペイトリオッツのメンバーを見て、レイブンズ側は次のようなフォーメーションを採っていると判断したと思われる。(攻撃方向は下から上へと攻める)

基本フォーメーション

 これは『ショットガン』と呼ばれる陣形で、クオーターバック(図中でQBと表示)から見て右に3名、左に2名のレシーバーが配置されたものであるこの隊形で QB からパスを受ける資格があるのは、図中の青と紫で示された5名の選手のみに限定される

 

 実はパスの受け手であるレシーバーはどの選手でもなれるというわけではない。次のようなルールが存在しているからである。

  • スクリメージライン上にいる両端の選手だけがパスを受ける資格のある選手
    (仮に7名がライン上に配置されていた場合、中央にいる5名がパスを受けると反則になる)
  • パスを受ける資格のないブロック専門のオフェンスポジションの選手が“パスを受ける選手”としてプレーする場合は、審判に申し出る必要がある。
    (逆にパスを受ける資格のある選手が“パスを受ける資格のない選手”としてプレーする場合も同様に、審判に申し出る必要がある)

 つまり、レイブンズのハーボー・ヘッドコーチは“パスを受ける資格を持たない”選手である左オフェンスタックルのポジションにいたマイケル・フーマナワヌイ(図中、赤43番の選手)へのパスだから反則だと主張していたのである

 ところが、審判は反則を採らなかった。それはペイトリオッツが実際に採用したフォーメーションの隊形を確認すればわかることである。

 

 実際のフォーメーションは次の図のような形である。

実際のフォーメーション

 基本的な並びは先ほどの図とほとんど同じであり、ごく微妙に選手のスタートポジションが異なっている。この小さな違いがトリックプレーの種なのだ。

 

 スクリメージライン上に7名の選手が配置されているのは同じである。しかし、配置されている選手が異なっているため、本来であればパスを受ける資格を持っていない選手である43番の選手がパスを受けることが可能となる『スクリメージライン上にいる両端の選手』となっていたのだ。もちろん、本来とは異なる役割であるため、攻撃前に本来はパスを受ける資格がある34番の選手がプレイ直前に『パス捕球の無資格選手』であることをレフリーに申し出ており、レフリーもそのことをアナウンスしている。

 つまり、ペイトリオッツの攻撃陣はスクリメージライン上に配置される7名の選手を入れ替えることで選手が持つパス捕球の資格をも入れ替えることに成功したのだ。実際にパス捕球の資格があったのは、左3名(WRの2人と43番)および右の2人(87番と大外のWR)に変わっていたのである。

 

 レイブンズはペイトリオッツにまんまと一杯食わされたと言えるだろう。とは言え、プレイ直前に「この選手は(このプレーに限り)パス捕球の無資格選手です」とアナウンスされても守備側にとってはわかりづらいだけであることは事実だ。プレーする選手や観戦するファンから見て、わかりづらいルールであると機構側が判断すれば将来的にルール改正が行われる可能性は多いにあると思われる。

 

 なぜ、レイブンズがこのトリックプレーに騙されたかと言えば、87番をつける怪物タイトエンドと評されるロブ・グロンコウスキーの存在が挙げられるだろう。怪我なくシーズンを過ごせば年間1000ヤードのレシーブが計算できる非常に厄介なパスの受け手なのだ。その選手がいるサイドにパス捕球の資格がない選手をわざわざ配置する必要性が見いだせないということが理由だと言える。

 ところが、ペイトリオッツはレイブンズ側の慢心とも言うべき“思い込み”を上手く突いた。「ペテンだ」と批判するハーボーの気持ちは理解できるが、ペイトリオッツの QB であるトム・ブレイディの「ルールブックを勉強し、理解する必要があるだろう」という言葉が最も的を得た返事だと言えるだろう。