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シドニー日記・職業生活編第30回

不思議の国の首都・キャンベラ(2001/03/29)


 この間の日曜日、キャンベラに行ってきました。とっても不思議な町でした。

1.不思議の首都キャンベラ

 キャンベラは、言うまでもなくオーストラリア国の首都です。でも、日本国の首都・東京とはあらゆる面で異質、途方もなく異質な首都です。キャンベラと東京がどのくらい違うのか、そのエッセンスはキャンベラ出発前に交わした二人のルームメイトとの会話に凝縮されています。

私:「明日はキャンベラ行くんだ」
ルームメイト1(女性):「本当!すごい。」
私:「キャンベラは何回行った?」
ルームメイト1:「一度も行ったことないよ」

 首都キャンベラはシドニーから車でわずか3時間の距離です。それでも、首都の土を一度も踏んだことのないシドニー住民は私の数少ない知り合いの中にたくさんいます(約半分といったところか)。日本の場合、どんな辺鄙な所に住んでいても、30過ぎて一度も東京に行ったことないという人は滅多にいないでしょうが、オーストラリアの場合は、キャンベラに一度も行かずに一生を終える人がたくさんいるのは間違いないでしょう。

私:「今からキャンベラ行くんだ」
ルームメイト2(男性):「えーっ、うっそー。どうしてまた?」
私:「ラグビーの試合を見にいくんだ」
ルームメイト2:「???」

 彼は生粋のオージーです。その彼が自分の国の首都を訪ねようとする外国人に、「どうしてそんな所に行くの?」と聞くのです。一独立国の首都・キャンベラの威厳よどこに?果たして、そんなオーストラリアがヘンなんでしょうか?それとも逆に、「なんでもトーキョー」と騒ぐ日本がヘンなんでしょうか?

 そんなキャンベラに行ってきました。確かにきれいな町でしたよ。正直な話、「住んでみたい」と一瞬思いました。都市全体が絶妙にデザインされていて、「森の中に町がある」と思うくらい緑豊かですし、オフィスビルやホテルはどれも真新しくて立派ですし、住宅も全体的に立派でした。繁栄する大都会シドニーと比べても、住民の暮らし向きがさらに裕福なんだろうなと思いました。

 さすがに、30万住民の多くが政治家、官僚、研究者のいずれかと言われるだけあって、人間も町のたたずまいもすべてが上品でクール。ラグビーの試合でもバカ騒ぎするサポーターはどこを探してもおらず、ガラ悪い我々から見ると拍子抜けする位、物静かな応援でした。大人も子供も、勝っても負けてもクール。いかにも「インテリばっかり住んでいる町なんだな」と思いました。

 また、この町には国民の税金がずいぶんつぎ込まれていると思いました。10年余り前に新築された国会議事堂は国家の威信をかけて作った世界最大のステンレスオブジェ付き、それ以前の国会議事堂も巨大で立派な建物です。またラグビー等の試合が行われるブルース・スタジアムは「オーストラリア随一」と言われる4万人収容、全席椅子付きの巨大施設で、チケット発券や入場手続にも最新のITが導入されているようでした。でも人口が少ないからいつも1万数千人位しか観客が入らず、いつもガラガラだそうです。

 キャンベラみたいな町、日本にはどこ探したってないでしょう。あえて言えば、永田町と霞ヶ関と日比谷公園と筑波研究学園都市を足してそれをさらに二乗して、居酒屋でとぐろを巻くガラ悪いオヤジみたいな人間くさい要素をすべて排除したような町と言ったら、当たらずとも遠からずといったところでしょうか。

Canberra Selection (クリックすると拡大できます)
国会議事堂のステンレスオブジェ 国会から1km離れるとカンガルー出没地帯 大きすぎて満員にならないブルーススタジアム

2.なぜキャンベラが首都なのか

 地球上には200余りの独立国がありますが、その圧倒的多数はその国におけるエース級の大都市が首都になるものです。東京、ソウル、北京、ロンドン、パリ、モスクワ・・・いずれの首都もそれぞれの国において文句なしの圧倒的な存在感を持っています。ところが、大英帝国のつくった植民地においては、なぜか国内で10位にも入らないような小都市が首都になることが多いようです。アメリカのワシントン、カナダのオタワ、オーストラリアのキャンベラ、ニュージーランドのウェリントン・・・いずれもそうです。

 なぜそんな小さな首都ができたのでしょう。その理由は、これらの国々がいくつかの州による対等合併によってできた連邦国家であり、そして各州の力関係によって首都が決められたからです。オーストラリアを例にとると、この国が成立したのは今からちょうど100年前のことですが、それ以前はクイーンズランドとか西オーストラリアみたいな現在の州が事実上独立国みたいになっていました。西暦1901年、6つの州が一緒になってオーストラリア国をつくろうという際に、さて首都はどこにしようかという話になり、喧喧諤諤ともめたわけです。

 その当時、オーストラリア大陸で一番栄えていたのがシドニーとメルボルンでしたが、例えばシドニーを首都にしてしまったら、新生オーストラリア国が事実上、「シドニーとその仲間たち」みたいなことになって、他の州にとっては面白くないわけです。それはちょうど「内山田洋とクールファイブ」(注1)みたいなもんで、シドニーだけが主旋律を歌って、他の州は「ワワワワ」と合唱してるだけでは影が薄くなってしまうのです。特にシドニーvsメルボルンの争いは熾烈を極め、どうしても決着がつかないから両都市の中間に新しい首都を建設しようということになって、荒野のど真ん中にキャンベラが建設されたわけです。

※(注1)こんな昔の歌手の名前を出す私はジジイですね。20代前半の方は、内山田洋を「吉田美和」、クールファイブを「ドリカム」とお考えいただければ結構です。

 その後、キャンベラは順調に成長しました。でも、結局政治家と官僚中心の町だからビジネスも興らず、人口もそれ程伸びません。逆に、世界各地から来た移民は生活の糧を求めて、シドニー、メルボルンをはじめ既存の大都市に流入しました。その結果、今日のオーストラリアでは人口100万以上の都市が5つもあるのに、首都キャンベラは30万都市にとどまっています。

3.シドニーとキャンベラの難しい関係

 そして時が経ち、21世紀になりました。長年にわたるシドニーvsメルボルンの宿命の対決も、経済面ではすでに「勝負あり」。今やオーストラリア経済は「シドニー一極集中」が著しく、在豪外国企業の3分の2がシドニーに拠点を置き、国際航空便の発着数にしろ、専門的職業の求人数にせよ、いずれも他都市を大きく引き離す圧倒的パワーを持っています。簡単に言えば、オーストラリア国は経済的には、すでに「シドニーとその仲間たち」状態になってしまったわけです。

 今やシドニーは人口400万を擁する「経済首都」。オリンピックも開催し、市民の誰もが、「シドニーこそがオーストラリアの代表」と思っています。シドニーは港町でかつ移民の町だけあって、市民はオーストラリア国よりもむしろ海外(自分自身や勤め先の会社の母国)を向いて仕事をし、財産づくりに励んでいます。元来ノンポリでアナーキーな傾向の強いシドニー市民が、内陸300km離れた政治上の首都・キャンベラを向いた時、その視線はかなり冷ややかです。「俺たちこそがオーストラリアを背負っているのに、なんだあいつらは邪魔ばっかりしやがって」みたいな気持ちが根強くあるのです。

 例えば去年11月の新聞で読んだのですが、シドニー経済界の巨頭が共同声明を出し、主にキャンベラ連邦政府のばらまき政策を痛烈に批判していました。その趣旨は、シドニーが全豪の4分の1以上の富を稼ぎ出しているのに、税金を通じて連邦政府に吸い上げられ、キャンベラやタスマニアみたいな「乞食州」(Begger States)に食い物にされている。オーストラリアがグローバル経済競争に勝つためには都市・情報インフラをシドニーに集中配分すべきなのに、それが全然行われていないというものでした。私は、これこそが経済首都・シドニーの論理を象徴していると思います。

 一方、キャンベラにはキャンベラの論理があります。シドニーは確かに最強最大の都市かも知れないが、所詮国内の一都市にすぎない。一方キャンベラは、オーストラリア全土を視野に置き、国土をバランス良く発展させていく立場にある。シドニーやメルボルンみたいな特定の都市ではない、独立した立場にあるキャンベラこそが、オーストラリアの国民を統合できるのだと。

 確かに、シドニーの言い分もキャンベラの言い分も、どちらも一理ありますが、そもそもこの問題の本質は、オーストラリアという国の権力の構造が、経済のシドニーと政治のキャンベラに二極化していることにあります。この状態を日本にあてはめて言うと、経済の中心が東京にあるのに首都は新潟にあって、経済人はみな東京に住んでいるのに政治家はみな新潟に住んでいるようなものです。

 政治権力と経済権力が分離している状態が果たして良いのか、もちろん一長一短あるでしょう。特に、東京中心の中央集権システムが行き詰まりつつある日本から見ると、実情以上に格好良く見えるものです。でも、シドニー住民という立場から見ると、どうしても弊害が大きく見えてしまいます。私の率直な印象として、シドニーは経済ばっかり考えていてキャンベラの国政を理解しようとせず、逆にキャンベラは政治の世界にどっぷり漬かりすぎてシドニーと国際経済が十分理解できてないという気がします。その端的な例が次章で紹介するオーストラリア新幹線(VFT)でしょう。

4.同床異夢の豪州新幹線

 着工間近と言われるオーストラリア新幹線、通称"Very Fast Train"(VFT)。何だか、すごくイケてないネーミングですね。直訳すれば「すごく速い電車」なんですから。私は一瞬ギャグだろうと思ってインターネットを調べてみたら、この通りVFTがちゃんと法律の名前にまでなっています。オージーの間でも、「こんなダサいネーミングは恥ずかしいから何とかしてくれ」という声が大きいようです(例えばこれ)。

 沿線自治体・ゴールバン市政府の資料によれば、オーストラリア新幹線計画は2000年度着工、2003年度竣工の予定。フランスの超高速鉄道TGVの技術導入により、シドニーセントラル駅−キャンベラ空港間270kmを所要時間81分で結びます。列車の運行は45分に一本ずつの予定です。

全路線のうち、シドニーからキャンベルタウンまで(約45km)は在来線を利用し、それ以遠(225km)に関しては新線を建設する予定。途中の停車駅はシドニー空港、キャンベルタウン、ボウラル、ゴールバンです。

 VFTは経済首都シドニーと政治首都キャンベラを結ぶ、オーストラリアの歴史始まって以来の夢の超高速鉄道計画・・・のはずです。しかし、私の知る限り、シドニー市民はこの計画について全然興味がなく、詳しいことはほとんど知らないようなのです。私はすでに十数名の友人とVFTの話をしましたが、返ってきた反応は大体、「VFTなんて、あんなもん本当につくるの?」、「キャンベラの連中が勝手に決めたことでしょ」みたいなものでした。とにかく、信じ難いほど無関心なのです。

 彼らが無関心なのも無理はありません。確かにシドニー市民としての立場から見ると、なぜキャンベラまでの超高速鉄道をつくらなければならないのか、理解に苦しむところがあります。そもそも、シドニーの人間はキャンベラなんて滅多に行かないですし、仮に行くとしたって車でわずか3時間余りの距離なのです。沿線にはSouthern Highlandという景勝地があり、多くの市民が出かけるのですが、そこは車で1時間半で着ける土地です。そんな近間に行くのに、誰が新幹線に乗るのでしょう?

 そして、シドニー市民には赤字鉄道をこれ以上増やして欲しくないという切実な願いがあります。例えば、セントラル駅からシドニー空港までの鉄道は去年開通したばかりですが、料金があまりに高すぎて誰も乗らず、幽霊電車(Ghost Train)と呼ばれています(わずか7〜8キロで片道10ドル!)。果たして、この路線を運営する第三セクターは大赤字を出し、政府に肩代わりしてもらうことになりました。その負担は、税金というかたちでいずれ我が身にふりかかってくるわけです。

 私自身、どう考えてもVFTが黒字になるとは思えません。確かに、キャンベラの人々はシドニーまでの足として喜んで利用するでしょう。でも、あの町にはわずか30万の人口しかいないのです。その上、沿線人口が少なすぎます。何しろ、沿線のほとんどは人間の数より牛や羊が10倍以上いるような農村地帯です。牛がお金を払って乗ってくれるならいいのですが、それは期待できません。ですから普通に考えれば、400万都市シドニーの人間がVFTを日常の足として利用しなければ採算はとれないと思うのです。

 シドニーの人々に利用してもらうために、ポイントとなるのはやはり運賃でしょう。運賃に関しては手元に資料がありませんが、フランス・日本の運行実績から推算すると(注2)、シドニー・キャンベラ間は片道100ドル前後になると予想します。高い!仮に控えめに見積もって片道80ドルとしてもまだ高い。この区間は、路線バスが片道28ドル、往復35ドルで運行しているのです。確かにVFTを使えば片道2時間ほど時間の節約になりますが、そのために一人あたり片道50ドル、往復100ドルを余分に払うオージーは決して多くないと思います。彼らは日本人と比べるとかなり質素(=カネがない)ですから、多くの人は時間よりもお金を浮かそうとします。こう考えると、VFTがシドニー一般市民の日常の足となるシナリオはなかなか描けないと思うのです。

※(注2)シドニー・キャンベラ間の距離を新幹線で移動すると、フランスでは約105ドル、日本では約120ドルかかります(いずれも豪ドル)。

 仮に、VFTが将来延伸されてシドニー・メルボルン間を結んだとしても、ビジネスとして成り立つのは難しいと思います。この二都市間の距離は800km余り(東京−広島間とほぼ同じ)、この位の距離になると今度は航空機との競合となります。現在、シドニー・メルボルン間の航空運賃は競争が激烈で値下がりが激しく、片道100ドル以下のチケットがいくらでも手に入ります。一方VFTの場合、どう考えても片道200ドルはするでしょうから、価格の面で航空機に勝てる見込みは少ないでしょう。

 もちろん、前向きに考えればメリットもいろいろあるでしょう。直接的にはキャンベラと沿線自治体の発展につながるものですし、将来的には高速鉄道関連の技術や産業の振興にもつながるでしょう(例えばニュージーランドあたりにVFTを輸出できるかも知れない?)。その他、自家用車よりも環境にやさしいとか、科学技術立国としてのイメージアップにつながるとか、理屈はいくらでもつけられます。でも、それを額面通りに受け取るシドニー市民はほとんどいないと思います。

 VFTの建設問題は、経済首都・シドニー住民のリアリティと、政治首都・キャンベラ住民のリアリティが、いかにかけ離れているかを雄弁に物語っています。もちろん、日本の場合も諫早湾の干拓問題みたいに、大都市住民と地元(特に業界、政治家etc)の意識のズレが激しくなって政治問題化することも少なくないのですが、オーストラリアの場合は政治都市キャンベラが小都市ながら国家のプライドとかメンツみたいな壮大な動機で行動する分、他都市とのリアリティのズレが輪をかけてひどくなることが多いように思います。

 でも個人的には、近い将来VFTが開通して、横腹に"Very Fast Train"と大書した列車がオーストラリアの大地を疾走する姿を一目見てみたいです。「どうだすごく速い電車だろう」。そんなこと誰でも分かりますがな。

※Very Fast Train計画は、採算の関係で結局中止になりました。


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