受験と私:上原浩治さん原点の浪人経験 苦しい時は19を見る
2015年01月19日
米大リーグ、ボストン・レッドソックスの2013年のワールドシリーズ制覇を支えた上原浩治投手(39)。「クローザー」としてチームメートや監督から絶大な信頼を得ていた上原投手の登板は、常に苦しい場面ばかりでした。重圧をはね返す力になったのは、「背番号19」。その裏付けは、浪人経験だといいます。
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大学を卒業してプロ野球の巨人入団からずっと付けている背番号「19」は、「19歳の時の苦しさを忘れないように」との思いで選びました。高校生の頃は、大学に行って4年間野球をやり、その後は体育教師になろうと思っていました。そのため、自宅から通え、自由な校風の大阪体育大(大体大)への進学を考えていました。
高校3年間は野球漬けで全く勉強しなかったため、知識はほぼゼロに近かった。浪人してから、中学レベルからやり直そうと、予備校の一番下のクラスに入りました。午前9時から午後5時ごろまで予備校で勉強。うまく気分転換しないとおかしくなってしまいそうだったので、夕方からスポーツジムでウエートトレーニングをしていました。振り返ってみると、無理に受験のテキストを開かず、中学の勉強からやり直したことが良かったように思います。野球もキャッチボールなど基礎が大事ですが、基本をおろそかにしていると応用もできません。
好きな教科なんてありません。でも、やらないといけなかったので。逃げては通れない道ですからね。あの時、勉強したから今があると思っています。もしスムーズに現役で受かっていたら、今の自分はないかもしれない。だから振り返ると、あの1年があって良かったと思います。もっと野球が好きになりましたから。
大学を選ぶに当たって一番大事なのは、自分が何をしたいかだと思います。単に友達が行っているから、という理由だったら絶対、やめた方がいい。僕の場合は体育教師になりたいという夢がありました。浪人の1年は本当にきつかった。ですが、あの1年があったから、野球でしんどい場面があっても、そんなに気にやむことはありませんでした。やっぱり、先が見えない19歳の時が一番つらかったから。