電波犯罪と超科学

世評の歪みを正す。左派リベラリズムを斥ける。社会問題の解決を示す。世界的見地の先端思想がここに。私は電波犯罪の被害者。

センター入試の日本史が大きく左がかっていた

2015-01-19 10:40:25 | 電波犯罪
こんにちは 大阪は晴れ

 昨日、2015年のセンター入試が新聞に掲載された。英語、世界史、日本史を昨夜やってみた。なんと英語は135点、世界史は53点、日本史は39点。国語はまだやっている最中。

 河合塾の予想平均点は英語116点、歴史は世界史、日本史63点。国語は123点。

 何も勉強しないで、英語は学生平均よりよいとは。私は実は26年前のセンター入試で偏差値53だった。大阪市立大学に現役合格したけど。当時よりも私の英語力は上がっていたようだ。驚き。

  英語は難しいと思っていたが、問題を見たら、単語がやさしい。最近、読もうと努力している英字の新聞はわからない単語が多い。だが、大学入試は知っている単語がほとんど。これでは、大学まで英語勉強しても、会話はろくにできないし、読書はなおさら。英語教育が実用的でない、と言われるけど、時間かけているわりにレベルが低い、と気づいた。

 近現代史の問題は唯物史観だらけ
 日本史は得意でないけど、知らないことばかり。半分は間違えた。近現代史は、社会主義活動家の話ばかりを問題に出す。実に公正中立を欠いており、偏向的だった。

「林芙美子」の活動から設問される。大正から昭和初期にかけての社会運動で、正しいものはあるか? とあり、「日本発のメーデーは集会条例により中止させられた」、「関東大震災の混乱の中で、無政府主義者の北一輝が憲兵に殺された」など4つから選ぶ。やたらと左の歴史ネタ。いびつだ。

 その頃の文学・出版で誤りを選べ、という設問には、「小林多喜二は社会主義思想の影響を受けて、『蟹工船』を著した」他、三つ「雑誌『太陽』が創刊され人気を博した」、「文学全集など一冊一円で売る円本が登場した」など選択項があった。

 私は迷わず、小林多喜二の二番を誤りと選んだ。当然だろ。彼がはまったのは、『社会主義』ではなく、『共産主義』だ。正確には、社会主義という統制経済を彼が信仰したというのは間違い。彼は共産主義を信じたアカだ。社会主義と共産主義は、厳密に北朝鮮とフランスほどに違う。また、彼は共産主義にはまっており、それは人間的に誤りだからだ。この文には二つも誤りがある。しかし、この答えは違って円本のほうらしい。この問題はひどい。

 全国の高校生が受けるセンター試験で、こんなに左がかると社会問題だ。それは徹底的に非難しなくてはいけない。ここを読んだ人は、この左翼の陰謀を告発して、教育問題にしてほしい。

 一つだけいいことはある。
 「1933年 訪ねてきた昔の友人に金を渡したことが、共産党への資金援助と疑われ、芙美子は警察に9日間拘留された。」 という問題文も読まなくてはいけないことだ。

 大学入学前の学生に、「共産党に関わったら、お金でも何か協力すると、警察に捕まるよ。」、と試験問題で釘をさしている。大学で左翼運動に勧誘される若者が多い。それに騙されないように、と試験監督が配慮したのかもしれない。共産党、左翼過激派は怖いよ、と。

 一般の高校生は、戦前の軍国主義が怖い、という左翼教官(問題作成者)が狙った印象をもつ。が、彼らは同時に、左翼運動も本来、悪しき運動なのだ、と歴史から学ぶ。言論の自由が過度に許されていないなら、しっかりとした秘密警察(FBI,CIAなどのような現代的なもの)が日本に機能すると、アカは徹底的に監視され、その隠された彼らの犯罪はみつけられ、刑務所にぶちこまれ、組織は解散する、と。一般人がそれに関わることもない、と。もし関われば、警察に目をつけられ、ひどい目にあう、と。それを入試問題で学生達は再認識できる。

 このイデオロギー的な問題の効果としては、こちらの面も強い。私は、保守側の人間なので、そうとしか理解しない。

 大学に入ったら、そんな左翼イデオロギー的なものを遠ざけて、明るく楽しく過ごそう、と思うだろう。受験が終わって、のんびりする頃に。結果的には、ノンポリかつ、嫌共産を増やす試験問題だと思う。

 しかし、こういう問題文を読ませて、"共産主義の危険性"を取り締まる日本人の歴史的な"努力"をいくら示しても、頭が弱い朝日新聞の読者のような浅薄な人物なら、軍国主義はいけない、とそちらを強く感じてしまう。

 そういう浅はかで流されやすい人々もいるから、こういうイデオロギー問題は、それそのものを受験問題からなくしてしまおう。公正な受験問題とはいえないだろうから。このために、大勢は努力しなくてはいけない。日本の教育の質が問われている。動こう。


 本日の被害
 左頭部に、電波が当たると痛くはないが、体の動きが止まる。痛いのである。目も痛い。口の中にが刺されて、歯茎から血が少々出る。アカが毎日やっている。



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株価暴落した時、政府の適切な処置とは?

2015-01-17 12:12:56 | 電波犯罪
こんにちは 大阪は晴れ。

 昨夜、ピケティの白熱教室を見た。彼は頭が何かに押さえつけられているようで、動きがぎこちなかった。統計で、金持ちと中間層と貧困層の三つを分析していた。彼が統計好き、とはよくわかった。また彼は、数字を見ているが、その数字の意味、現実をよく説明できていなかった。彼は経済の分析法を提案したにすぎないようだった。

株価暴落した時、政府の適切な処置とは?
 昨日、世界大恐慌を予想した。アメリカ発になるだろう、と。その時、回復を早めるためには、政府は何をしなくてはいけないか? 考えた。国債は、今回考えない。

 株の世界的な大暴落。リーマンショックの何倍もの規模の混乱がおきた時、国家は何をすればよいか? 株が大きく値下がりして、マネーが消える。経済が打撃を受けるほどに。そうなったら、国はどんな経済政策を打てばよい?

 実に簡単だ。失った分を補充すればよい。500兆円消えたら、国が500兆円を市場に投入する。恐慌以前のマネー量に戻す。経済は元通り、活況を取り戻す。

 政府は資金の巨額投入をしたら具体的にどうなるか? 
 株式は紙くずにならない。企業は資金ショートしないから倒産しない。銀行は破綻しない。国民の貯金は守られる。資本家は、待ってましたとばかり大喜び。経済危機が回避される。国債も安泰だ。不況風もいずこに去る。

 当然、インフレにならないように、投入する資金量は計算される。失った分を補うなら、マネー量が増えないから、インフレにならない。国による巨額資金投入は、特効薬だ。

 だが、経済学者はこの前代未聞の政策に大反対するだろう。そもそも政府に何百兆もの資金がない。また極度のインフレを招く。また前例がない、ともいわれる。

 国家経済を救う政策はわかっていながら、現在の経済感覚では実行できない。それは世界中の不況を回避できる唯一の政策である。大勢が助かる政策である。そうと知りながら、誰も決断できない。

 なぜなら、これは実際、何千兆円もの巨額マネーを政府が無理に作り出すからだ。そんな途方もない大金を国家が作ってよい、と過去に、誰も言わなかった。誰もしなかった。これをしたら、国家経済は終わり、と言う経済学者も出てくるだろう。

 だが、これが許されると、永遠に国家は借金から解放される。国民が重税に苦しむこともなくなる。なんとすばらしいことか。

 この政策の問題点を書き出してみよう。

 政府が借金せずにお金を得ることは許されない、と思われている。本当だろうか? 

 徳政令で"お金をなくす"ことは、法律で可能だ。国家間でよく債務を消す。江戸時代は徳政令が行なわれた。株の暴落では、マネーが激減する。たんす預金も100年保管するため埋めたら、なくなったも同然。海賊は何百億という宝物を隠して、行方不明に。世界のあちこちで、歴史的にお金は消えている。

 このように、お金がなくなることは日常茶飯事だ。お金をなくすことは政策で可能だ。それは認められている。

 では、逆に、政府がお金を作ることは許されているのだろうか?

 お金を作ることはできる。例えば、金はお金の面が強い。幕府が金山を発掘。10年で400万両分の金をそこから産出したら、幕府はその額を作ったことになる。国債の日銀引き受けも行なわれるが、少なくない額を国は作った。また株式では、100円の株が500円になると、400円作ったことになる。土地も10年で倍の値段になったら、その分は作ったことになる。政策的にそれを行なえば、国は固定資産を増やすことになる。もちろん、製品を生産してもお金ができる。りんごを作ると、100円のものが出来たと考えられる。(後ろ3つは、純粋にマネーを作ったとは言わないが、似ている。)

 このように、お金はいろいろな方法で作れられている。これをコントロールすることで、GNPの成長が達成される。お金が作ることは正当化される。政府がお金を作ることは、少々の金額ならば、許される。それが現実である。

 (参考までに、お金は減っているより増える量が多いという話
 あちこちでお金がなくなっている。が、全体的には、経済は成長するから、お金は増えている。実際は、お金は消える量よりも作られる量のほうが多いからだ。)

 政府が純粋にマネーを大量に作り出すこと。それだけが禁じ手だ。それは過去に、貧窮した国、経済が混乱した国が行い、ハイパーインフレで経済が破壊されたからだ。それが敬遠されるのは、超インフレになって経済ががたがたになること。その一点に尽きる。

 この観点では、政府による超インフレはダメ。なら、インフレにさえしなければ、政府がお金を作っても許される。それでよいだろうか?

 国が大金を作ることが許されるには、インフレが起きないようにする条件をクリアする必要がある。そのために、インフレにならないように管理する手法(経済学による)を確立しなくてはいけない。そして、そんな金融実務能力者を育てなくてはいけない。するとインフレは起きないだろう。それが社会に認められてはじめて、国はこの新しい無借金資金調達法という金融政策を実行できる。

 そう私は考えた。

 お金を政府が作ることが認められたら、さらなるメリットがある。財政上の多くの問題(特に国の借金)が解決される。税金がとられなくてもよくなるなどある。ベーシックインカムの原資にも困らない。そんな時代がきたら、いいと思わないか?

 その経済理論を作る話は、また今度。

 本日の被害
 頭部がやや痛くなる。腰も痛くなるのは、電波が腰の筋肉を強く刺激するため。睡眠中針刺しは行なわれている。今朝、またTシャツに生ごみ臭がついていた。


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国債暴落はアメリカ発、アベノミクスに関係ない

2015-01-16 11:34:19 | 電波犯罪
こんにちは 大阪は曇り。

 私は普段、世間の知らない精神論を考えている。たまに、道徳のようなありふれた話題をすると、反応がいい。驚いた。道徳教育論は一服。予算が発表された。それについての私の持論をお一つ。

 今年の予算は、老人福祉のためにある

 今年の予算で、福祉負担は31兆円。増えたのは、老人福祉だ。毎年一兆円ずつ増える。老人を養うため、日本は大金をつぎこむ。そのくせ、彼ら老人達は政治に文句ばかり言う。感謝が足りない。老人が、年金、介護や医療で高いお金を支払わなくて、安くすむ、楽できるのは政府のおかげだ。国は借金をして、それを維持している。それをよくかみしめてほしいものだ。

 借金が多いと、批判するけれども・・・国民はその分のサービスを受け取った

 政府は予算を引き締めないから、国の借金は増えるばかり。国が借金したといえば、政府が財政が不健全で、悪く見える。この本質を考えてみよう。

 それで誰が得をしている? 国民全体だ。一番、得をしたのは老人、高齢者。次が、土建屋。こういう直接の権益者だけでなく、日本人全体が、本来受ける政府サービス以上のものを、借金分だけ多く、毎年国から受ける。余分に、バラマキで小遣いをもらい、公共施設・道路を建設、年金をもらい、医療費を安くしてもらった。国民はその分、贅沢した。

 国は借金して、それら費用を捻出する。国の借金総額とは、国民が過分に受け取った政府サービスの総額なのだ。政府は国民の困窮を肩代わりした。お国様々である。

 国が借金できる間は、国は裕福な生活ができる。それがこの10-20年間だ。だが、やがて、この浪費はつけが回る。

 この虚栄は、借金が可能な期間はつづく。日本財政の安定はそれで成り立つ。アメリカは一部州は閑古鳥が鳴きつつあるが、全体的には景気がよい。だが、アメリカも借金大国だ。

 国が借金できなくなったときに、その繁栄は終わりを迎える。それは国債が売れなくなる時である。それまでは、余計な高速道路を作り、地方に過大な公共施設を建設でき、過剰な防波堤を作り、使いきれない沖縄振興予算3000億も投じられる。これは経済の論理では、過大。政府の国民への長年の大きな思いやりだ、と気づいてほしい。

 アベノミクスによる国債暴落はこない
 この借金づけ予算はいつ終わるか? リーマンショックを思い出そう。その不況はアメリカから始まった。大戦に至る原因となった昭和の大恐慌も、アメリカからだった。世界規模の大恐慌はたいていアメリカから起きる。それは、ドルが突出して、世界中で多く使用されているからだ。

 円やユーロは少ないから、その経済が悪化しても、局地的に混乱するのみ。が、ドルはそうではない。ドルに何かあると、世界全体に波及する。日本の国債が暴落するとしたら、それはドルが急減する時である。ドルは証券の形で、存在する。世界の資金の大半は、証券に回っている。その証券価格が大きく下落すると、ドルそのものが消失する。

 そうすると、資金が枯渇するか、資本ショートするから、倒産続出。経済は混乱するが、それが国債に波及すると、アウトである。まずは、アメリカの国債がやられる。しばらくして日本の国債だろう。

 というわけで、ドル圏でそういうことが起きると、日本の円も打撃を受ける。それはアベノミクスにはまったく関係ない。アベノミクスの可否、円の動向だけでは、世界経済の混乱は起きない。日本の国債は暴落しない。

 この経緯を理解すると、もう一つみえてくる。日本がいくら経済政策を完璧にしても、そのドル圏での特大の世界恐慌が日本を襲ったら、どうしようもない。国債の暴落は、そのときに、必ず起きる。アベノミクスは原因とならないから、そういう論調は間違いである。反自民のためのインチキ経済論の一つだ。

 国債暴落は、ドル圏の安定にかかっている。アメリカ発の金融破たんが原因となるからだ。アベノミクスとは関係がない。アベノミクスで国債が暴落するというのは、まやかしである。

 いずれ訪れる国債暴落と大恐慌

 それは借金国家、日本は避けがたい運命である。そのときがきたら、国家財政は数年は破産状態になる。返せないから、世界の借金大国はアメリカも日本も徳政令でチャラにする。1000兆、1200兆、1500兆だろうが、大差はない。みんな消えてしまう。

 政府として要は、それまで緊縮財政で切り詰め、困窮するか? 豊満財政で楽しく繁栄しつつ過ごすか? その選択となる。そして、日本は緊縮・困窮を選ばないで、ゆとり・好況を選んだ。これは正解である。

 なぜなら、今から借金を1000兆円を返すには、激烈な緊縮をしなくてはいけない。道路も作らず、補修もせず、医療費も値上げ、福祉も低下させる。そんな汲々とする不景気を国民に強いて、不況にして、国民は我慢を重ねなくてはならない。

 緊縮財政の利点は、国家破産した時にわずかに世間の批判が減ることだ。借金の額が100-500兆円ほど少ないから。しかし、それは借金が1000兆か14000兆円か、というあまり大きな違いでしかない。国は必ず破産する。借金は徳政令で消すのはかわりがない。ヨーロッパと違い、日本やアメリカはもう遅い。

 それなら、少しでも楽して、福祉もよくして、医療費も安くして、国家全員が20-30年よい暮らしをする。それのほうがよいに決まっている。破産後は回復に要する期間は、借金額にあまり差がないからだ。

 これらを見極めたか、知ってか知らずか、アメリカは政治当局者が、日本も財務省は知っているだろうが、それにつき進んでいる。これを計画的な国家破産という。

 破産後に数年から10年以内に立ち直る。それすら計画されている。それはまた調べて書くことにしよう。

 つまり、国家破産が不可避である。それはアメリカ金融破たんに端を発する。アベノミクスがきっかけではないと、理解していただければ幸いである。遠く外国からその災いはやってくる。

 では、国民はその時に備え、どうすればよいか?

 職業はよく選ぼう。公務員は貯めておくことだ。補助金で成り立つ職業には就かないことだ。公共工事の割合が大きい会社も、貯金はためておこう。国債は、恐慌前に売り抜けることも大事だ。資産防衛は、金など高騰中のものは下がる時目減りが大きいからやめておこう。現在、適正値より相場の低いものにしよう。土地は下がるが、価値は減らない。そんなことがよく投資雑誌に書かれている。

 まとめ
 アベノミクスでは、なお国が借金してまで国民に尽くしてくれている。ありがたいではないか。ご老人は、特に、無謀にも借金をして(財政の禁じ手を使って)まで老人や弱者を助けようとする保守政治家(自民)のその熱き志に、感謝しなくてはいけないだろう。

 なお、国債が暴落したときに、損をするのは、生活弱者ではなく、国債の買える資本家であることも、忘れてはいけない。よって、庶民が国債暴落を心配するのは、いただけない。あれは、資本家達の悩みなのであるから。

 今日はとりとめもなく、書いた。長くなったから、ここまで。

本日の被害
 朝、左目に打撲されたような感じがある。針刺し被害で、まぶたが赤みがかっている。気づいたが、網膜が切られた日は、涙の痕が白くなる。左目の網膜がきられたことも疑っている。目の奥は気づいている感触がある。
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平成の道徳教育は皇民化教育ではない

2015-01-15 12:07:58 | 電波犯罪
こんにちは 大阪は曇り。

 私の表現は堅いようだ。また引用があいまい。(貧乏で本を買えないため)。論点を網羅できていない(本を調べられない)。それで、巷によく論点にされる問題を語れていないかも。しかし、時々、私オリジナルの新しい視点もある。私は10年以上前に、自由主義史観にも所属していた。年季が入っている。

 左翼の道徳教育反対論をつぶす手順
 左翼は「道徳は軍国主義だ。」 と扇動し、反対する。この誤解を解くと、道徳が国民に受け入れられやすくなる。道徳と"軍国主義"の違いを明確にするため、私は独り闘っている。

 左翼が軍国主義の教育と恐れるものは、二つある。軍人(職業)教育と神道(宗教)教育である。左翼は、それらをやみくもに怖がる。彼らは、冷静に物事を考えられない。何が軍事教育か、何が国家神道かを。左翼は、道徳にそれらが入っていて、皇国少年になってしまう、とむやみやたらに心配する。

 だが、道徳を教えると、規律ある人格が優れた人間にしかならない。兵士にも神道の熱烈な信徒にもならない。彼らの不安は、杞憂なのだ。

 道徳教育は、どちらを教えるものでもないことを明らかにすると、この誤解は払拭できる。左翼の道徳反対の根拠は否定できる。前回は、道徳は兵士を育てるものではないと説明した。今回は、道徳は神道を教えるものではないことを明らかにする。

平成の道徳教育は、皇民化(国家神道)教育ではない

 昨日、川西図書館に行った。左翼の恐れる軍国主義は何か? 戦中の教育で、神道の面を調べた。いい本はなく、左翼の書いた本はみつかった。それも資料になったため、それを今回は参考にする。

 『ぼくは皇国少年だった。』(櫻本富雄 著 インパクト出版会)
家永を支持する作者の左翼体質には興味がない。彼はかって皇国少年だった。その体験を調べた。なかなかそれを吐露する本がみつからない。彼は長野に住んだ。毎朝、神社で参拝した。彼は天皇が神々であり、日本を守ってきたことを信じていた。お国に尽くすことは、天皇のために一身を捧げることと、思っていた。彼によると、学校に奉安堂(天皇の何かを祭る建物)があり、その前を通る時は礼をしなくてはいけなかった。こういう資料にあまり残ってない風習があった。これらの教育を受け、そんな雰囲気の中で育ち、彼は皇国少年になれたそうだ。
 
 これらは確かに神道だ。皇民化教育である。学校内だけでなく、学校外で諸々の宗教指導がなされた。教育勅語においても、『国が危ないときは、国や天皇のために命を捧げろ。』と、天皇に尽くすことを教えた。

 これら戦中の教育は、妥当だろうか?

 確かに、『天皇は神』、『過去の天皇が神として日本を守ってきた』、『毎朝の神社で天皇に祈る』、『天皇に命を捧げる』、『毎朝の天皇陛下万歳』は、現代の教育にふさわしくない。個々を検証しよう。

 『天皇は神』、『天皇が神で日本を守ってきた。』
 天皇は生きてる時、人である。神については宗教ごとに見解の相違がある。神道は日本の民族の重要な思想のため、日本の神話は歴史教育で必要だ。が、公民の教育にはふさわしくない。

 『毎朝の神社で天皇に祈る』
毎朝、神社で祈るのは宗教行事で、神頼みしたい人はしたらよいが、うちの祖父もしていたが、キリスト教徒や日本人の多くは仏教徒であり、学校で強制できない。

 『天皇に命を捧げる』
 天皇に命を捧げるのは、国に捧げるのとは違う。江戸時代でも徳川や天皇に忠誠を誓うのはわずかだった。明治になってから流行ったとしても。国に捧げるのは個人主義が進んだ現代にあっては、強制できない。
 当時は、国王と国家は同一であったから、盛り込まれた。現在は、分離して、国と国王は別に扱われる。日本と天皇が混同されて、道徳で教えられることはない。特に、戦後、それは厳密に区分される。混同されることはない。当然、道徳教育で『天皇のために命を投げ出す』とは教えない。よって、この項目は道徳教育の反対の根拠にならない。

 『天皇陛下万歳』
 これは天皇を讃える日本人の風習だ。が、実際に、天皇陛下に会う人は、天皇の前で万歳しない。神社でも祈る時に、万歳しない。というわけで、万歳を崇拝の対象の前でするのは本来おかしい。そういう習慣が戦中、戦後にあってもだ。

 万歳は、本人の喜びやめでたいときの表現だ。祝日に天皇の前にゆく。そこで万歳する。今日はおめでたい日、と国民の祝日を喜ぶ。

 『天皇陛下に出会えて、私は万歳。(と喜んでいる)』、『天皇陛下。今日はお祝いの日です。私はその喜びを体で表現します。万歳。』 万歳は自分自身が喜んでいる時の表現だ。悲しんでいるよりもよい。爺さんが万歳しても、古臭いと嫌がることもない。彼がそれをしたいのは自由だから。

 が、あまり現代的ではない。万歳は、日本でよく行なわれている表現法だから、挨拶のようなものだ。それを祝日にさせるのは、悪くない。が、天皇に向けてすることを教えると宗教教育とみなされる。

 天皇の謁見の時に、人々が皇居前で万歳する。あれを学校で教えると考えるのも、杞憂である。道徳教育では陛下万歳は教えない。

 まとめ
 戦前、皇民化教育が行なわれた。だが、そういうことは現在の道徳教育では教えない。平成の道徳教育は、皇民化教育ではない。

 本日の被害
 部屋の洗濯物は異臭(生ごみ臭)がうっすらする。腰が電波で痛くなる。昨日、足のすねからかかとが痛んだ。睡眠中に、針をさす。そこを電波で刺激すると、痛むようにする細工だ。そうしてから、電波を飛ばすと、痛みが大きくなる。やられた。夕方2-3時間は足に痛みがあった。この手の手法は、池田、川西多田の連中の仕業ではない。
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修身の教科書(高学年)の印象

2015-01-14 12:08:46 | 電波犯罪
こんにちは 大阪は晴れ。

 神や預言者を揶揄する品位のない仏風刺漫画家へのイスラムテロ。それは言論への暴力、と憤るアノニマスが報復を宣言した。ユーチューブには、
「#OpCharlieHebdo
We will avenge their deaths by monitoring all your online activities and close your social media accounts.」

(https://www.youtube.com/watch?v=qwhQwVZyG08) とある。
訳すと、「あなた方のオンライン活動を監視して、社会メディアのアカウントを閉鎖してやる。」

 ネットの問題児達もイスラムテロリストの言葉を力で消すようだ。どっちもどっちのように見えてしまう。が、アノニマスは今回、イスラム過激派の勧誘や宣伝をネット上から消そうとする各国政府側と一致する。

 そういえば、私もアカ過激派から、言論を侵害されている。ネット上だけでなく、日常生活までも。誰かやっつけてくれないかなぁ。

 修身の教科書の印象

 戦前の教育を調べるため、川西能勢口の書店で昨日、「国家神道と日本人」 (岩波新書、島薗進)と 「国民の修身」 (高学年用、産経新聞出版)進を立ち読みする。私は宗教が専門。修身を読むと、何が宗教教育か、がみえてきた。

 修身は主に3つ、1,天皇の話 2,国家の仕組み(国家論) 3,道徳がある。

 天皇や神社、神話
 天皇の言動、歴史上の天皇の話、天皇に尽くした者達の話、神社の話が国家神道なのだ。道徳の話にも、天皇の言葉が入り込んでいた。これは、国家神道である。天皇は神であるから、天皇にみられても、恥じない生き方をせよ、とある。日本は天皇に守られている、という信仰もある。これは昭和の極端な神道である。明治は、攘夷運動という排外主義的な暴力態度が、神道に入り込んだ。神社参拝や、天皇に向かって礼をする習慣が学校にあり、天皇崇拝を強制していた。

 北朝鮮の主体思想がこれに似る。それは、天皇崇拝を金日成崇拝におきかえたような代物だ。金を「建国の父様」と心から慕い、その写真を額にいれ、部屋に飾る。行事ごとに、金将軍の統治や、彼の人民への思いやりに感謝する。そして、金から贈り物を受け取ると涙を流して恩を感じ、報いる。金の廟や訪問先を神聖に扱う。国家神道がどういうものかわからない若者にとっては、北朝鮮の金崇拝が、わかりやすい例となる。共産主義という悪質な思想と、規律を重視した国家神道とは大差だが。

 もう一つ似ているのは、天地創造説である。神が大地を創ったというユダヤ・キリスト教のあれだ。アメリカ南部に、キリスト教原理主義者は多い。日本人も、昭和では日本は日本書紀にあるとおり、天皇が作った国と本当に考えていた人はいただろう。大陸移動によって日本列島が生じたのではなくて。

 国王は国家論の一部
 天皇は国王でもある。帝国憲法から、天皇は国王だった。国家論では、国王の役割は欠かせない。イギリス、デンマークなどなど。国王に敬意をもつようにするための内容は許される。が、神道的なものは、近代国家では不可となる。この線引きが、必要である。

 具体的には、イギリスは女王をどう教えているのか。デンマークやオランダはどうか。海外の王国と比較して、国王を子供に適切に教える方法を確立する。それは採用してもよい。

 修身では税を払うことが強調されていた。またお国のために、というのは江戸時代のお国(領主)のためにが、国に変わったものだろう。このあたり民は藩のことしか頭になく、国家観をもたなかった明治や大正の人々には、許容される。「お国のために」を天皇のため、と強調するのはそのルーツを知らない者である。

 道徳は儒教的、世界的
 道徳に天皇はあまり登場しなかった。天皇を外さないと、現代には使えないだろう。なぜなら、徳は二宮金次郎、孔子、釈迦、それぞれ固有の徳を身に着け、行った人が、模範として適切だからだ。倹約と正直に努め、事業に成功した話で、天皇を参考にするのは変だろう。歴史的に語りつがれる天皇の徳は教材になりうる。それは数少ない。天皇を全ての徳の模範とするのは、不適切である。

 天皇は王家であり、精神の卓越者として有名な人物ではないからだ。だから、現代の道徳論では、天皇に精神の理想をあまり見出さないため、もっとよいモデルを参考にするため、天皇崇拝は起こらない。道徳が天皇崇拝と結びつくと考えるのは、間違いだ。精神の理想は、ほとんど天皇以外の人物が模範となるからだ。

 修身はほぼ江戸時代に高められた儒教的な道徳である。それは神道的ではない。また世界の偉人の訓戒もあった。道徳は、一部を修正すると、まだ通用するものもある。具体例は、江戸時代に活躍した人が多く、現代人にはわかりにくい。しかし、道徳的な生き方は、古くてもよい。仏陀やイエス、孔子の生き方は、現在なお模範であるから。

 あまりに現代人を参考事例とするのが、最近の教科書だ。が、それを学ぶと精神がギスギスしてしまう。古い時代の人はおおらかなので、その面は、習得させるほうがよい。特に、ストレスが多い日本人にあっては。

 まとめ
 修身の高学年は、前半、確かに天皇の活躍や神社の話が多かった。そこは明らかに宗教教育だ。神社のパンフレットや神道の教科書、国学のようだ。

 しかし、その次の章では国家論があり、公民の教科書のようだった。が、折にふれて天皇の言葉が引用されるのは古い。国家制度についてしっかりと説明すべきである。この国家論(税や国の仕事)は子供の考えそうなことに答え、わかりやすい。現代の社会教科書は参考にすべきである。制度の理念を小難しく説明しても、子供にはわからない。

 最後は、道徳的な話が続く。それは、江戸時代の人徳やたまに世界の偉人伝がある。道徳教科書としては、よく出来ているという印象だ。が、事例が古いから、今の子供にはわからない話が多い。これは、戦中のものではなくて、軍人の話はあまりなかった。

 修身について、保守系と左翼は議論がすれちがうのは、保守は、軍部の介入が進んでない第二次大戦前の修身を話題にするが、左翼は、戦中の軍人精神を叩き込む内容に切り替わった修身のみをあげつらうからだ、と気づいた。

 結論
 この修身を読んだだけで、当時の天皇崇拝の雰囲気は感じとれなかった。しかし、現在、科目にしようとする道徳は、これら修身が行なった国家神道のような道徳とはかけ離れていることは、はっきりとわかった。なにしろ、現代の道徳には、歴代天皇の行動や神社の歴史、参拝の話は、ほとんどないからだ。そんなことをとくとくと語れるのは、神社ガールや古墳ガールくらいではないか? 道徳が国家神道という誤解を解くためには、神社のパンフレットや神道の教科書を右手にもって、こんなことは道徳で教えません、と言えばよい、と思った。

 本日の被害
 目は刺された感じだ。口の中も。手の甲も。睡眠中にやられる。刺されたところは、痛みが軽く生じる。それでわかる。また部屋の洗い物のかごの洗濯物は、異臭がつけられた。
 彼らは、私の思想が、アカにとって気に食わないから、狙われ、ひどい嫌がらせを受けている。これも言論弾圧なのだ。
コメント

ロボット・資本家・ベーシックインカムの未来

2015-01-13 10:59:51 | 電波犯罪
こんにちは 大阪は曇り。今日は疲れ気味なので、簡単に。

 昨日、道徳教育は職業教育ではない、と説明した。戦前の教育の特色は、軍人の育成という職業教育と、国家神道の徹底という宗教教育の二つがある。今日は、道徳は国家神道の教えではないことを、明らかにしようと思った。それで、軍国主義教育でないという証明が、完結する。

 しかし、ネットで、国家神道の教育はどんなことが行なわれたか。昨日、調べたら、みつからない。昨日、国民科の指導要領にあったものは、推測できる。その他に、何があったか。日本の神話が教えられたこと、歴代天皇を丸暗記したこと。その二つくらいしかみつからない。というわけで、国家神道とは何か? その教育はどうだったのか。それがはっきりしないうちに、論じることもできない。しばらく時間がかかりそうだ。

 文芸春秋にエコノミストの編集長のインタビューが掲載されていた。それを立ち読みした。彼は経済学者という印象が弱く、英国人らしいユーモアが通じそうだった。それで、ちょこっと考えて作ってみた。

 ロボット・資本家・ベーシックインカムの未来

 最近話題になった社会論から、どんな未来を導き出せるか? 簡単に予測した。オズボーンとピケティとベーシックインカムをかけあわせたら、こんなハイブリッドな未来が現れた。どうぞ。

 観点は3つ。
1, 英オックスフォード大のマイケル・A・オズボーン准教授、人間が行なう仕事の半分が機械に奪われる。
2, 仏左翼経済学者 トマス・ピケティ 資本家の成長率は5%
3, ベーシックインカムは将来導入され、福祉は年々手厚くなる。

どんな未来が描けるか?

 労働はロボットがするから、人間はしだいに働かなくなる。失業しても、ベーシックインカムがもらえる。その福祉は年々、手厚くなる。しだいに貧者も最低収入から、高額収入になる。彼らは、ロボットも持ち、やがては豪華な装飾品も買い、資本家と同じように振舞う。社会は底辺と上流階層に別れることはない。底辺に社会をあわせるのではない。しだいに富は増加するから、わずかな富を奪いあう構図はおかしい。富が増え、上流階層が大きくなって、全体に及び、総資本家になる。ロボットは無限の生産力があるから、供給は不足しない。だから可能だ。そうして、やがては全人類は、面倒な労働をロボットにさせ、悠々と暮らす。

 すばらしい世界だ。現代の中流は10-15世紀の王族よりもよい暮らしをしていることを考えれば、現在の資本家、貴族や王家の暮らしと同等のものは、数世紀後にはどんな下の市民でも享受できる。それが真の未来だ。現在の社会問題は全て解決しているのは、当然。未来は暮らしの水準も高いのである。

 各国はどうなっているかみてみよう。民族はグローバル化しても、数百年以上は残る、と考える。

やっと困窮から抜け出た英国人は、貴族のように上流階層を満喫。もちろん誰も働かない。
金銭欲の強い中国人は、ロボットに労働を奪われて、労働者になれない。仕方なく、全員が資本家となっている。国は成長率5%を達成する。
エコノミックアニマルの日本人は、ロボットと共に、ロボットの中でも、働いている。
アメリカのロボットは意思をもつ。I have a dream. 人がよいアメリカ人は、ロボットを奴隷から解放して、自由を与えている。ロボットに支配されないように、祈る。
そして、神は困る。富める者ばかりで、救われる者が減って。

 本日の被害
 左目に違和感。奥ではなく、左目の眼球に。これは睡眠中に刺されてキズが残っている。そこを電波で刺激された症状だ。今日は目に違和感。 昨夜も、目が少し痛くなり、目を開けられないような状況になった。それは室内に薬品が噴霧されて、目に入ったときの症状である。後は、皮膚がややねとついて、体が動かしづらい感じがある。これは、電波放出者が汚いタイプの体質の時になる。その人物が宗教信徒を狙っているようだ。
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道徳教育は軍国主義教育ではないことの証明

2015-01-12 11:27:46 | 電波犯罪
こんにちは 大阪は晴れ。今日も休日。私は休みが日曜だけ。

 道徳教育は軍国主義教育ではないことの証明

 安倍首相が道徳教育を科目にすることは 適時で正しい問題解決である。いじめは止まらない。大人の犯罪も増加(統計にのらない地下犯罪はかなり増えた)する。国民の規律の低下がひどくなった。もう一度、国民は遵法精神や、友人関係を正しく学び直す必要がある。大人に教えるのは、すぐにできない。子供から行なう。

 だが、日教組や左翼団体、左派メディアは反対する。左翼は何も解決策を示さないで、反対ばかりする。実に、危機感が薄く、無責任だ。いじめの蔓延は道徳否定、反政府運動という無秩序の推奨、という日教組教育が引き起こしたものであるのに。

 彼らの反対が、的はずれな理由からきていることを説明しよう。彼らの反対の根拠は、「道徳は軍国主義教育だ。」に集約される。現実には、道徳・倫理は、軍国主義教育ではない。これは明々白々である。

 愛や信頼、友情や尊敬生命への畏敬は、軍事国家が大切にする理念ではない。軍人の心得は、命令厳守、上官への服従、頑強なこと、勇気、愛国心、国を守る心などだ。国を愛するのは国民に共通するものとして、軍人と市民とに差がない。が、軍人に要求される資質は特殊である。道徳は、精神全般をさす。よって、道徳教育は軍人育成にという職業教育ではない。道徳を教えることは、軍国主義教育ではない。

 詳しくみよう。彼ら左翼が恐れる「軍国主義教育」を明らかにしよう。

 終戦間近に軍部が教育に介入した。「国民科」でこんなことが教えられた。

〜〜〜

修身
衷心より皇国国防の責務を自覚せしめ皇国の威徳を顕揚すべき基礎的資質を啓培す、特に建国の精神皇国の伝統を基とし其支な事変の成果に鑑み戦時下国民の道義乃取材す軍事上取材すべき主要なる事項を述ぶれば下表の如し

第一期
 軍人と忠義、観兵式
第二期
 神風(天佑の神助)、湊川の戦(軍神教材)、軍用動物の愛護、武運長久の祈り(銃後の誠心)、出征、英霊に対する態度、白衣の勇士に対する態度、防諜
第三期
 明治天皇(大本営)、御府、靖国神社、軍人勅諭五箇条(軍人精神)、楠 正成(軍神教材)、広瀬中佐(軍神教材)、乃木大将(軍神教材)、皇軍乃国是皆兵、軍人援護、負けじ魂、必勝の信念、団結、遺髪(遺骨も還らざる覚悟)、困苦欠乏(大別山突破)、責任(佐久間艇長)、名を惜む、応召時の心得、出征軍人の妻、最後の通信(自爆精神)、防空、公共施設の愛護、交通道徳

一、忠節、礼儀、武勇、信義、質素、誠の精神は毎学年に之を織り込む、特に献身奉公を重点とす
二、聖戦の本義を明確にす
三、忠孝一本の事例を多くす
四、利を計らざる精神全体を思い中心に帰一する精神を強調す
五、服従の精神は常に之を培養す
六、精潔整頓、体力増強等衛星観念の向上を図る
七、科学の精神の培養に励む

第四期
軍人勅諭全文、在郷軍人勅諭、聖戦の本義と皇軍の威徳、軍紀、戦勝と諸兵の協同、率先身弓行、武士の風尚(日本武士道)、在郷軍人会の趣旨、徴兵検査の心得、戦時国民生活、国家総力戦、銃後夫人の覚悟。

『「国民学校教科書」研究ノート』の 国民化の指導要領から

〜〜〜

 これは戦時中の小学校で教えられたものだ。左翼はこれを軍国主義教育とする。そして、これが安倍首相のいう「道徳」だとみなし、反対する。

 冷静に考えよう。上記の国民科の教育は、道徳だろうか? どうみても兵士を育成するための職業教育である。道徳は、その中にあるとしても。これは軍部が従順な軍人を学校で育成するように、求めて作られたものだ。「特に献身奉公を重点とす」とあり、国に尽くすことが叩き込まれる。道徳とはいえない。

 当然、日本の子供達に今後行なわれるであろう道徳教育とは異なる。

 道徳では偉人を精神の目標とする。が、戦中は「軍神」を崇める。その軍神は楠正成、乃木、広瀬中佐である。乃木は、旅順で大量の戦死者を出し、軍略は劣る。彼は天皇の教育係をしたので、精神的には落着いたものがあったのだろう。が、乃木を崇めたのでは、旅順の再現ではないか。

 楠正成は知略に優れる武将で、少数で大軍を打ち破った。が、織田信長や豊臣秀吉、黒田かんべえや竹中はんべえもいるのに、天皇を守っただけでマイナーである。中国では、孫子や孔明が名高い。西洋で軍神といえばミカエル。人はナポレオンか。格が違う。理想の精神を教えているようにはみえない。

 また「出征」、「応召時の心得」、「出征軍人の妻」、「遺髪」など、軍人になる前の人や、兵士を出した家族の心のあり方だ。こういうのは、職業教育の一部で、防衛大学、自衛隊で教わるかもしれないが、道徳では教えない。

 それから、「遺髪(遺骨も還らざる覚悟)」、「名を惜む」、「最後の通信(自爆精神)」、「銃後夫人の覚悟」は、戦死にかかわる心構えで、敗戦濃厚となっている当時の雰囲気を感じさせる。だが、こういうのも、道徳教育のテーマではない。

 これは軍人教育としては欠陥がある。兵学、孫子の兵法を学ぶとき、軍事的な作戦を自ら立てる能力を高めることが求められる。が、この国民教育はそれが決定的に欠けている。ただ、そういう自主的な才能が避けられているのは、命令に忠実な兵士を育成するためであろう。軍人の教育としても、この戦時の教育は質があまりよくない。

 こういう軍人を育成する職業教育を、道徳と呼んでよいのだろうか? 確かに、これら戦争中に、兵士として、兵士の家族として、どういう精神的あり方がよいかが、説かれている。しかし、国民が戦争にどう国民が対処するか、兵士として振舞うか、それの心得に特殊化している。これは、道徳教育ではない。軍人教育である。

 左翼の反対は、つまりるところ、道徳教育が復活すると、こんな軍人育成のための科目ができる、というおかしな主張である。それは、間違いである。道徳教育は、こんな特定の職業者になるためのものではなく、精神全般を扱うからだ。よって、左翼が道徳教育に反対しているのは、根拠は正しくない。勘違いに基づく。

だから、彼らの反対を真に受けてはいけない。道徳は軍国主義教育ではないからである。

 左翼は、正しくはこう反対すべきである。「軍人育成の教育、そんな職業軍人を育成するような軍国主義教育に反対する。」、と。実際、左翼が反対しているのは、道徳教育ではなく、兵士育成教育だからだ。つまり、本質的にみると、彼らは、道徳教育自体には、反対していない。

 それらは道徳教育に反対する理由にならないからである。

 現在、日本国民の一部には、遵法精神が希薄で犯罪を常習し、規律がなく、すぐに反政府運動を行い、すぐに暴れ、すぐに汚くちらかすような野蛮な人がいる。左翼の一部にはいる。こういう若者をさらに増やさないように、国は教育によって、倫理観を正してゆかなくてはならない。道徳教育の再興は急務である。

 参考、道徳教育とはこういうしろもの。軍国主義教育とは天と地ほどにかけ離れているね?

資料

「私たちの道徳」活用のための指導資料(小学校)

道徳 指導要領 第五学年及び、第六学年

主として自分自身に関すること
一、生活習慣の大切さを知り、自分の生活を見直し、節度を守り、節制を心掛ける
二、より高い目標を立てて、希望と勇気をもってくじけないで努力する。
三、自由を大切にし、自律的で責任のある行動をする。
四、誠実に、明るい心で楽しく生活する。
五、真理を大切にし、進んで新しいものを求め、工夫して生活をよりよくする。
六、自分の特徴を知って、悪い所を改め、よい所を積極的に伸ばす

主として、他の人とのかかわりに関すること
一、時と場をわきまえて、礼儀正しく真心をもって接する。
二、だれに対しても思いやりの心をもち、相手の立場に立って親切にする。
三、互いに信頼し、学び合って友情を深め、男女仲よく協力し助け合う。
四、謙虚な心をもち、広い心で自分と異なる意見や立場を大切にする。
五、日々の生活が人々の支え合いや助け合いで成り立っていることに感謝し、それにこたえる。

主として自然や崇高なものとのかかわりに関すること
一、生命がかけがえのないものであることを知り、自他の生命を尊重する。
二、自然の偉大さを知り、自然環境を大切にする。
三、美しいものに感動する心や人間の力を超えたものに対する畏敬の念をもつ。

主として集団や社会とのかかわりに関すること
一、公徳心をもって法やきまりを守り、自他の権利を大切にし進んで義務を果たす。
二、誰に対しても差別をすることや偏見をもつことなく、公正、公平にし、正義の実現に努める。
三、身近なな集団に進んで参加し、自分の役割を自覚し、協力して主体的に責任を果たす。
四、働くことの意義を理解し、社会に奉仕する喜びを知って公共のために役に立つことをする。
五、父母、祖父母を敬愛し、家族の幸せを求めて、進んで役に立つことをする。
六、先生や学校の人々への敬愛を深め、みんなで協力し合いよりよい校風をつくる。
七、郷土やわが国の伝統と文化を大切にし、先人の努力を知り、郷土や国を愛する心をもつ。
八、外国の人々や文化を大切にする心をもち、日本人として自覚をもって世界の人々と親善に努める。

 道徳教育 指導要領 文部省 より。

本日の被害
昨日、体調不良。猪名川イオンの帰りに、体に電波が強くあたり、体調が崩れかける。体が重たくなった。1時間くらい横になると、回復する。
 今朝は、PC机に粉がかかっていた。それが目に入ると、目が痛くなった。口の中、目は睡眠中に刺されている。その刺された箇所は、歯茎から血が少し出ている。
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トマス・ピケティの嘘

2015-01-10 12:19:51 | 電波犯罪
こんにちは 今は晴れている。今日は体調がよくないから、短めに。

スケートボードの"How to"ものをユーチューブをみている。ボストンに住んでいた時に、少しやってみたいと思ったから。で、気づいた。男女ともに、やせている。足から腰が、フィギア選手なみに、やせやせ。スケードボード(Penny Board)は、ダイエットになるようだ。

 昨日は、国家制度を一生懸命教えても、それは社会制度(人権)に詳しい人間を作るだけということを書いた。人権を守ること、人権侵害の告訴は上手になるとしても、精神面は何も深化しない。いじめも止まらない。今日は何にしよう。

 日本人と欧米人が描く未来社会の差

 日本人は未来社会に対しては世界の人々と比べて、豊富な知見がある。日本人は子供の頃から、未来社会をアニメの中で親しんできたからだ。

 ドラえもんは未来からやってくる。その20何世紀の未来は、高いビルがあり、空中を自動車が走る光輝く都市だ。様々な未来の機械をつかっている。人間のようなロボットが普及している。宇宙にも、過去・未来にもゆける。そこは、総中流社会で、誰もがその未来技術を享受している。格差などない。
 ガンダムは戦争はあるが、貴族と市民の間に大きな壁はなく、一般市民は身分に関係なく、学者になり、政府の一員、時に首相になり、社会の一員として十分な待遇を受け、自由に楽しく暮らす。
 日本人の描く未来社会では、誰もがその科学技術の恩恵を受け、身分制度はなく、平等に暮らす。現代の社会問題は全て解決した明るい未来である。現在の中流社会がさらに、進んで平等を絵に描いたような理想社会となる。日本人は、誰もが、そんな未来が当然と思っている。

 身分制度はなくなるのは、世の理、必然である。差別、身分制度はなくなる方向に進む。江戸時代にあった身分制度が明治維新が消えた。アメリカにおいても奴隷制度はリンカーンから少しずつなくなっていった。インドにわずかに残るが、それも廃止されつつある。マルクスは強行に破壊的な手法で階層をなくして、新しい身分制度、共産党階級を作り上げた。そういう停滞は中国や北朝鮮、かつてはソ連・東欧など一部にはみられる。が、アパルトヘイトはなくなった。全体的に、世界各地の差別的な制度はなくなり、格差も消え、総市民化している。

 こういう誰でもわかることと、違ったことを言う頑迷な人間は一部にいる。新たに階層(身分制度)が生じる、と。部屋で経済理論をいじくっていると、数字ばかりみているうちに、現実が見えなくなってしまうというのが幾人かいる。彼らは特異なのだろうか? 未来の真実が見えないのだろうか。

 例えば、トマス・ピケティである。資本家は金を儲けて、金持ちの階層を作る。大多数の国民は成長率が低いから、両者に生活差が出て、やがては資本家と市民という階層が分離する、という。つまり、未来では、超金持ちの資本家が特権階級となる。そして、大多数の市民はスラムのようなところで貧しい生活する、という。格差が進み、超金持ちと貧乏な市民と二極化するという。

 未来は、市民平等の時代になることが正しいと信じる日本人は、このピケティの未来予測には、違和感がある。日本人の知っていると未来と、明らかに違う。かなり、変だ。

 日本人は、絶対的に、未来社会は全ての市民が、科学の先端技術を享受して、何不自由しない良い暮らしをする、と信じている。特権階級がいつまでも君臨することはない。それこそが、真の未来だと。何十もの日本アニメが、そんな未来を描いている。鉄腕アトム、サイボーグ009, ポケモン、ドラゴンボール、エヴァンゲリオン、宇宙戦艦ヤマトなどこの手の未来を描くアニメは限りなく多い。この未来は真実であるはずだ。

 が、この経済学者はそんな日本人が全体的に受け入れる未来社会--平等が進んだ市民による理想的な科学社会--ではなく、金持ちの宮殿の横にスラム街が立ち並ぶような、まるで過去の社会を描き出す。そんなニュアンスで未来を表現する。まるで、戦前、さらには産業革命以前のヨーロッパの村のような。まるでアーミッシュのような未来を。

 彼ら左派経済学者の提示する未来は、あまりに退廃的、古い時代と酷似する。どう考えても真実の未来ではない、と日本人なら誰でもわかる。きっと間違いだろう。人類が進歩を止め、退化することはありえないからだ。

 彼は、未来予測で何を間違えたのだろうか。考えなくても答えはわかる。彼、トマス・ピケティの理論はたった一つだ。「格差が拡大する。」 これが彼の前提であり、予測の根幹である。おそらく、この部分が間違いだろう。考えなくても、すぐにわかった人は、鋭い。

 彼の経済理論、格差論は、どこかおかしいのである。しかし、どこがどうおかしいのかは、なかなか一般の人が明らかにするのは、難しいだろう。だが、彼の理論はおかしい、と今日は覚えてほしい。

 なぜなら、日本人が思い描く未来は、正しいからだ。身分制度はなくなる未来こそが正しい。新しい階級が出現するのは、世の趨勢に合わない。それに反して、未来は新しい階層が出現するという彼は誤りなのだ。未来がそんな産業革命以前になるわけがない。だから、トラス・ピケティの危惧はおかしい。そんな資本家と庶民が分離する社会にはけっしてならない。格差の拡大は、心配する必要もない。そう思ってくれたら、今日は十分である。

 いくつか彼は、未来予測の要素を間違えている。

 一つ彼の間違いを説明する。
 そもそも彼は、ヨーロッパ人だ。ヨーロッパには、王族や貴族がある。それがいまだに宮殿に住み、豪華な装飾品に囲まれ、上流階層の中で暮らす。英国、オランダ、デンマークに王族がいる。彼らは市民とは隔絶したような上品な貴族社会にいる。それを維持できている。彼らにかげりが見えない。彼はそれで、王侯貴族がずっと未来社会でもその地位で居座り続けると思いこんだようだ。身分制度ではないが、そういう血族は未来に残る、と彼は考えた。

 この前提が間違いだ。貴族は長くは続かない。貴族は生活がだんだんと苦しくなっており、疲弊しつつある。英国貴族は、自宅の城を開放して、みせものにして入場料を得て、危機をしのぐ。他の貴族も、新興の金持ちと結婚して、贅沢をやっと保てている。貴族はしだいに没落する。そして、新しい貴族は生じていない。つまり、今ある貴族・王族が最後となる。よって、もうすぐ、数百年もすると、貴族や王族はなくなる。残す民族はあるかもしれないが、それは国が支援しないと不可能だろう。

 トマス・ピケティの嘘
 だが、彼は、貴族社会が永遠に残る、と非現実なことを考えた。その意図は何か? 彼の話は経済学者としては、幼稚である。貴族の没落は明白で、そういうニュースはヨーロッパでも多々きかれるからだ。階層の平等化はヨーロッパでも進んでいる。経済学者なら、貴族に先がないことを知っている。しかし、彼は、そういう起こりもしない資本家と市民の分離(階層対立)を盛り込み、人々の危機感を生じさせた。これは、左翼の扇動法なのである。彼は予測に嘘を採り入れたのである。

 彼は、資本家と市民の分離を描いた。彼は、小ずるく、本を扇動的にしあげたのである。彼は労働団体の党に属する。どうやら、経営者をなんらか彼の得意分野で貶めたかったようである。それで資本家への敵意をむき出しにしているようにもみえる。彼の主要な論点では、金持ちはずっと金持ちだというのがそもそも嘘くさい。彼は、資本家の問題については、何もかも大げさに表現している。そこは正確さやバランスに欠けるのである。

 というわけで、彼は予め資本家や経営者を貶める目的があった。そのために過剰な表現をいくつか用いている、と考えられる。予測に嘘がやや混ざっている。そういう本を、きまじめに信じ、真に受ける必要はない。

 時間がなくなったので、ここまで。

本日の被害
 軽い頭痛がある。睡眠中に毒を注射する。それで毒にやられやすいようにされたみたいだ。そして、室内で毒水が噴霧されている。それを吸うと、口の中で溶けて、口の中がややぬるぬるする。そうなると、頭痛になる。電波を飛ばして、刺激することで、頭痛が増す。
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人権教育は道徳の代替になりうるか?

2015-01-09 12:07:45 | 電波犯罪
こんにちは
 晴れ。
 深夜に根室で地震があったけど、私の予知がなんとか成功した。詳しくはブログで。場所は根室までつきとめられなかったが、あまり厳密にしなくても。

 人権教育は道徳の代替にならない 
 
 人権は、そもそも社会制度だ。精神理論ではない。日本人は、なんにでも「精神」とつける。憲法の精神、柔道の精神、平和の精神、囲碁の精神。人権にも同じように"精神"をつけ、"人権の精神"と、した。が、それを精神論と勘違いしてはいけない。人権は「精神論」ではない。フランス革命ではじめて国家に認められた社会制度である。

 人権の精神といっても、それは社会制度の意義や理念のことをさす。憲法で考えてみよう。"日本国憲法の精神"では、三権分立、民主主義、人権、政府、裁判、警察などが説明される。ほとんどは、国家の制度である。よって、"憲法の精神"は、精神論ではない。

 人権は、信教・思想、表現、集会結社の自由などある。それらは、精神論ではない。違いがわからない? 道徳は明らかに精神論だ。指導要領では、「親切」、「友情」、「善悪の基準」、「正直」、「勇気」、「節制」、「真理追究」などがある。こういう徳目が精神論であって、人権の理念にはそういうことは書かれていない。

人権は精神論ではない。それは内容を比較してみると、一目瞭然なのだ。つまり、人権を教えても、国家制度の一つ、人権制度について知見が深くなるだけで、精神自体はよくならない。これは自明である。

 人権は、国が国民に保障するものだ。国が、国民に人権を保護するように働きかけている。外的なものだ。精神論は、内的な規律だ。愛、信頼、尊敬、信仰など、心理的なものだ。心の法則なのだ。社会の法則は、社会慣習や法律、権利であるが、それは心の法則ではない。つまり、人権は、分類上、心の法則たりえない。

 よって、人権には内的な規律がほとんどないから、道徳の代替になりえない。つまり、人権教育をしても、心の美しく、勇気があり、正義感が強く、友情あつき、思いやりがある子供は育たない。

 人権を教えても、精神の優れた子供が育たない。それには他の理由もある。人権では、思想・信条、信仰の自由とあり、国が特定の思想を強要することは、認められていない。義務教育のように、バランスのよい知識を教育することはよいのだが、特定の知識は教えない。つまり、人権だけでは、それら精神の実質は教えられないのだ。

 戦後、日教組が道徳教育を教えなくなった1980年頃から、しだいに学校が荒れだして、校内暴力が盛んになった。いまやいじめが陰湿化する。それは、子供の精神性の低下。つまり、管理教育が原因ではなく、道徳教育をなくしたことによって、引き起こされた。その間、人権教育はたくさん時間をかけたが、子供の精神は一向に改善しなかったのである。

 最近の左派は、思想・信条の自由を、曲解して、道徳教育の反対論に使っている。国は道徳だけは何も教えてはいけない、と。だが、算数、国語、社会は日本人の精神・思想基盤だ。日本人は誰でも、科学的な心をもち、日本人の伝統や歴史をよく知り、それが自身のアイデンテティーになっている。これらは国が教育している。つまり、国が思想を教えていることになる。日本人を日本人たらめしている多くは、歴史教育だが、それはよい。が、道徳だけはいけない、という。

 道徳も教えてよいのである。実は、現在教えられる道徳は、日本が長年の培った精神文化の一般的なものだ。特に、戦後に形成されたもので、天皇崇拝は排除している。国家や社会が許容するバランスのよい精神規律である。特定の思想や宗教に偏るものではない。左派はそういうことを知らないから、間違ったことを言う。

 道徳は、人間を人間たらしめるもので、人間として生きられるようにするための教育である。人権では国は国民を一人一人を人間らしく生きさせる義務がある。そのために、生活費を与え、義務教育を受けさせる。ならば、道徳教育も、人間らしく生きるための自己を律する知識を教えること。人権の一つとして、国が国民各自に与えなくてはならないものである。

 道徳なき者は野獣で、感情に支配され、すぐに暴力をふるい、他人をいためつける。彼らは悪心に満ち、己のことだけをする。国民の規律の低い国は、すぐに暴徒が生じ、内紛が絶えない。国の法律も守らない。他人の人権も守らない。国は、こんな人間を大量に生産しては、社会が無法化して、秩序がなくなり、国が滅ぶ。よって、精神のあり方を子供に教えるのは、国が乱れないようにするためで、国のつとめだ。

 道徳教育は国家にとって必須、不可欠である。人権が教えてはいけないとする偏った思想教育とは、あまりに極端なイデオロギーである唯物史観のほうである。

 人権教育では中身がない、精神性の薄い人間が育つことが、みえてきただろうか? 人権教育で育った子供達は、いじめばかりしている。それが人間同士のコミュニケーションだと思い違いをする。人権には、人間愛や正義、信頼、友情、節制、責任、勇気、希望といった精神の基本が一つもない。人権を学んでも、社会ルールを丸しかできなくて、心からよき人間になれないである。人権教育は、道徳のかわりにならない。

本日の被害
 針刺しキズが皮膚にある。朝、鼻の横にわずかに血が固まっていた。指先も刺されたあとのように小さな痛みがある。また目も痛む。あちこち、睡眠中に針で刺されたようだ。
 
コメント

道徳は家庭で教えられない 2

2015-01-08 11:51:38 | 電波犯罪
こんにちは
 曇り
今日は、東北か北海道で強い地震があるかも。地電流がすごい反応なので。

 私は精神論を常日頃、考えている。だから、得意。


 道徳は、家庭で教えられるか?

 ユーチューブを見ると、若者がいろんな物事に挑戦する。日本のキャンデーを食べたり、シャボン玉の中に入ったり、乳児用食品を食べたり。人気があるようだ。

 「道徳は家庭で教えられる、学校で必要ない。」と、日本人を精神性豊かな国民に育てあげることに反対する者達は、当然、家庭で道徳を教えているのだろう。まさか、彼らは口先だけで "できる"とは言いながら、家庭で教えてないのか? 反対派は嘘つきなのか?

 では、やってみよう。どこまでできるか?

 絵本の読み聞かせは、子供の語学力、想像力を高めるだけでなく、教訓的な話によって道徳心を養える。3-5歳になった子供には、毎夜、母親が絵本を読み聞かせる。それが子供の心を発達させる。さて、それを日課とする母親は何割いるだろうか? 忙しくて子供の要望をきかない母親が多いのではないか?

 神父や僧侶は心を清らかにする感銘のある話をしてくれる。西洋では教会で精神のあり方を学ぶ。親は日曜に、そんな教会に子供を連れてゆく。こんな両親は日本に何割いるだろうか? 何もしない親が大半ではないか。

 子供同士遊ばせる。子供は友達と一緒に活動することで、人づきあい、人を信じること、友情、遊ぶ楽しさ、正義、嘘をつかないこと、リーダーシップを身につける。書物や教室の学びよりは、こちらは実践的だ。放課後に何割の子供が友達と遊んでいるだろうか? 塾通いや電子ゲームばかりさせては、身につかない。

 アニメや子供番組を見せる。大切なことはすべてどらえもんから学んだ、という本を出す人もいる。アニメの精神的な効果は大きい。仮面ライダー、戦闘ものアニメは正義の心を育む。プリキュアは友達を大切にする心。妖怪ウォッチは、ドラえもんと似て、悪いことをするとひどいことになることを、具体的にみせる。ケチ、だらしない人、不良、無理とばかり言い何もする気がない人。

 日本昔話からは、最近は放送されないが、教訓的な話が多く、伝統的な日本人の精神を会得できる。世界の偉人伝のアニメは、世界に通じる精神がそこに描かれる。これらを見て、子供は心の持ちようを知る。親は子供にテレビを見せ、この点は寛容だ。だが、最近の子供アニメは1970年代よりは貧弱である。

 こんなに家庭で子供に精神的な体験をさせると、どうなるか? もちろん学校では人権教育は行なわれている。

 学校でいじめが蔓延する。いじめは陰口を叩き、嫌がらせを日常行い、人を敬う心がない。気に入らないものをすぐに攻撃して、ストレス耐性が弱い。またすぐに人をいじめるのは、その子供の集団のリーダーシップがなってないからだ。いじめが蔓延するのは、誰も大きな声でそれを言わなくて放置されるから。つまり今の子供は特に正義心が欠ける。

 現代の子供達はこれだけ家庭で精神的な物事に接しても、倫理観に欠ける。人間として、やってはいけないことをたくさん知らない。家庭や子供が育つ社会だけに道徳教育を任していては、不十分である。

 家庭で教えるだけなら、すべての子供達が美しい精神をもち、愛を行い、社会に奉仕する精神になれない。そのきっかけすらつかめない。なぜなら、そんな倫理教育をどの家庭もしないからだ。そして、子供はいじめグループの一員になっている。

 家庭で、道徳教育などどこもしない、というのが問題である。母親は仕事や買い物、友人づきあい、家事、さらにはストーキングで忙しい。子供にかまってられない。父親は、仕事から帰ってきて、家では休むもの。日曜は遊ぶもの。子供の教育は、塾や学校任せだ。自分の家で、そんなことを教えている親は少数である。

 いじめの増加、つまり子供の精神性の低下は、当初から、学校で道徳を十分に教えないで、家庭や社会にそれらを任せてきたここ20-30年の社会慣習が限界にきた、という問題なのだ。従来どおり、道徳の否定、家庭にそれら精神教育を任すというやり方では、根本的に解決できない。反対派は、何が問題なのかすらわかっていなかったのである。

 この現実を直視しなくてはいけない。家庭で教えないならば、どこでするか? 子供に教会を通わせるわけにもいかない。塾が倫理的なことを教えてはくれない。サマーキャンプなどで健全な子供のあり方は教えられるが、精神性の向上という点では効果がはっきりしない。道徳教育は、学校でしっかりと教えるしかないのである。

 今の道徳教育は、天皇に忠義を尽くせ、など明治神道のようなことは教えない。いつまで、そんな間違いを信じて、反対するのだろうか? 子供のたちのあまりの規律のなさを見よ。いじめ、嫌がらせ、暴言。名を隠してネット上で、こそこそ中傷しあう。ただ罵倒しあい、悪口を言い合う。陰湿極まりない。まるで地下共産ゲリラのミニチュアのようだ。一部の子供はそこまで落ちている。

 またこの希薄さは子供だけでなく、大人にまで広がっている。このまま、何もせず日本人の精神性を貶めてよいのだろうか? 日本人の高い精神が消え失せるだろう。

 道徳を再興しなくてはいけない。学校で教育して、しっかりとした人間を育てあげなくてはいけない。そうでなくては、日本人の良さは、長くは続かない。現在は、世界の人々との交流も多い。我々は責任をもって、子供達を世界の中で特に慕われ、好まれる賢明で良き人間に育てあげなくてはいけない。

本日の被害
 左目がやや痛む。口の中に、針刺しキズがある。電波で熱くなる。また居間にいると、過剰に眠たくなった。

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道徳教育は学校で。家庭では躾しかできない。

2015-01-07 11:46:07 | 電波犯罪
こんにちは
 曇り

 北海道地震を予知して、3日目。今日はやばい。日本の地磁気はね。

 You-Tubeで、英語の勉強中。TYT Showsは顔の薄暗いキャスターがしゃべる。彼は金持ち(Rich people)、バイヤー(大企業)の政治、市民(citizen)という。民主党系だ。論理が最近の左派テレビのキャンペーンと同じなのがひっかかる。日本のリベラルは、アメリカの直訳? 彼らの対処法がみえてきた。メディアがアメリカの民主党のロジックを使うのなら、そこが解決の糸口だ。

 道徳教育は学校で。家庭では躾しかできない。

 朝日や毎日の投書には、道徳教育は家庭や近所で十分だ、本人がそんな育ちだったから、とある。人の子は犬猫じゃあるまいし。それは躾である。箸の持ち方、服の着かた、車は怖い、見知らぬおじさんにはついていかない。家庭の躾は、そんな簡単なものだ。日本人がそんな程度の規律でよいわけがない。道徳をしっかり学校で教えないと、アメリカにおける犯罪の多さ、中国の金満主義などの台頭、精神の荒廃を招く。日本人のよき精神は失われてしまう。

 道徳は、高度だ。人を信じる、尊敬、畏敬、愛する、忠勤、正直さ、裏切らないこと、短気・直情にならないこと、軽薄、安易、犯罪を犯さないこと。他人への親切、博愛。もっと発展すると、倫理、宗教にゆきつく。学問になると哲学、倫理学、心理学、脳科学、思想で専門的に研究される。
 こういうことは、親から教わらないし、テレビを見て身につくものではない。物好きな近所のおじさんが、語り聞かせてくれるものではない。

 なぜなら、現在、中高年の全共闘世代は道徳を侮蔑して、その知識がほとんどないから。近所のそういう倫理的とはいえない老人達は、道徳・倫理を子、孫に教えることすらできない。

 論語読みの論語知らず、とは論語を読んでも、それを実践しない人を戒める諺だ。まずは論語を知らなくては、はじまらない。その上で、普段、人の道を行なうと努める人がよいとされる。つまり、論語すら教わってない、読んでいないようでは、道徳について何も実践できはしないのである。それが現代日本の問題である。

 学校でまずは、道徳をきっちりと教えること。それが日本人を日本人たらしめ、よき心を養うきっかけとなる。道徳も知らない者が、精神的に人々を感化するよき振る舞いなどできない。

 道徳や倫理は学校で教科にして、習わせるのがよい。それは、戦後、ずっと続けられてたことだ。それは正しいことだった。道徳教育は、戦後に始まったものではない。もっと古来から行なわれてきた。

 道徳は人の道。江戸時代には、寺子屋や藩の学校で、論語や古典、武士道を学ばせた。それ以前は、僧侶が寺で文字、お経、仏道を教えていた。明治維新後は、小学校に通わせたから、そこで明治神道にかえたようなものを教えた。忠孝や仁は武士の精神だから、神道に変え、忠勤が天皇に尽くすものにした。戦後は、天皇への崇拝は削り落とされ、道徳、世界の偉人などが奨励された。

 昔から日本では、躾で道徳が十分身につくとは考えられてこなかった。僧侶、師範、先生、教師から教わるものだった。道徳は、私がそれを学んだ1979年にはあったから、かなり続いた。学校で道徳を教えるものと、社会は共通の認識をもっていたからだ。

 道徳は一つの学問である。そのために宗教では、仏教は仏の道を求めたし、キリスト教はイエスと同じものや神の求める生き方を目指した。が、現代の親はそんな本も読まないし、体験もない。ドラマを見て、料理を作る母親や、会社の仕事に忙しい父親が、日曜に寝転がって休んでいるのに、時間をかけて子に人の本分を教えてくれるのだろうか? それは義務づけられたものなのだろうか? そんなことを何もしないで、子供は賢明に育ち、精神的に申し分ない人格になるのだろうか? それはありえない。

 家庭の躾で、十分なのは、トイレの使い方や箸の持ち方くらいではないか? 家庭で算数も国語も社会も教えない。道徳も同じように奥が深く、高度なものなのだ。二桁の足し算や九九くらいは親が子に教えられるだろう。だが、家庭で分数や一次関数、二次関数、英語も教えられない。

 道徳も、恋愛の初歩的なこと、嘘をつかないこと、犯罪をしないこと、友人とけんかしないことくらいは、家庭でできる。しかし、それ以上に深い精神的なこと、哲学的な話題、論語の内容、宗教の意義、倫理基準、博愛を徹底すること、人に尽くすこと、欲望に走らないことなどは、親の力量を超える。義務教育でやってもらうほうがよい。

 物質的なものが充足する昨今、これからは精神の時代でもある。精神をより豊かに開花させるために、そういう人格を育てる教育環境が必要である。道徳教育を科目にすることは、安倍首相の強い思い入れもあるが、本当は時代の要請である。
 
本日の被害
軽い中毒で、体がだるい。頭も痛くはないが、頭が働かないほどに、ふらふらする。これはひどい。左目と右目は刺されて、違和感がつきまとう。
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左派の平和論は、廃れた

2015-01-06 11:51:13 | 電波犯罪
こんにちは
 曇り
 正月明けた。

 反共を徹底するのは、日本は共産主義の脅威に直面しているからだ。中国に北朝鮮、国内では日本共産党の増加。日本は外交で、拉致、中国内の日本企業の焼き討ち、尖閣、北方四島、違法漁民など、彼らにひどい目にあわされている。国内では、彼ら中共の謀略で、新聞社などは中共・北・韓国の左翼勢力の非を指摘しないで、公正に欠ける報道ばかり。で、世論がかく乱される。

 日本が平和になるには、極東アジアの共産勢力を駆逐する以外にない。彼らとの共存はありえない。それは民主主義と人権を否定することだ。このために、私だけでなく、大勢が闘って、日本国も彼らに反論し、成果を着々とあげていかなくてはいけない。

 そうしないと、チベットや内モンゴル、ウィグルの人々に幸福はなく、朝鮮半島は分断されたままで、北方四島も返還されない。極東アジアは今、世界で3番目に緊張が高い地域だが、共産国の解体なしには永遠に平和はこない。日本から反共活動をして、アジアの真の平和を実現させなくてはいけない。みなさんも彼ら中国の少数民族や私に、続こう。

 彼らを救おうと思わないのか?

 "平和"は、戦争論の一種
 日本共産党が"平和"、"平和"と叫ぶ。日本の左翼はなぜか、"平和"という言葉を好む。共産主義は、国内でも外交でも戦いばかりする。戦争がお似合いなのに、平和から最も遠い連中なのに、なぜ平然と"平和"というか?

 実は、平和は戦争論の一種なのだ。戦争がない状態が平和だ。軍事力のないことが平和ではない。が、戦闘状態がないと平和である。つまり、平和は、戦争の有無で規定される。好戦的な性格で、中身が薄っぺらな人ほど平和を口にしやすいのである。

 常に、軍事的な闘争を考えている左翼勢力は、平和か戦争かという極端しか考えない。平和は戦争論、兵学、兵法、軍事学の範疇に属する。それで、戦争が好きな者は、それをしないと、平和であると単純である。それで、平和、平和と口先から出てくる。

 共産党の著者の一人、マルクスの相手、エンゲルスが軍事オタクだったから、資本論などを読むと、軍事的な発想に通じる。それで、著者の思想に染まり、戦争ばかり考える面も強い。

 彼らの平和とは、単に戦争しない平和だ。戦争をなくすことしか考えない安易さがつきまとう。いかに平和な状態を高めてゆくか、という発想はない。彼らは、戦争か平和という二者択一を好む。それが、彼らは平和を築けない最大の理由なのだ。

 なぜなら、例えば、人を殴って言うことを聞かすか(戦争)か、穏やかに言うことをきかすか(平和か)。と二つしか選択しをもっていない人は、言って通じないなら、すぐに殴る。北朝鮮は、その典型だ。彼らは平和を選ぶか、戦争を選ぶかと、よく米国、中国、日本、韓国を脅す。中共も同じく、すぐに軍事力に打って出る。戦争か平和かと言う人ほど、危険である。

 戦争か平和か、とアピールする者は、左派に多いが、おとなしくしていると思ったら、すぐに凶暴になる。彼らには、戦争と平和しかないからだ。左派は、戦争まで遠いのに、すぐに戦争と騒ぐ。おとなしそうなみかけに騙されてはいけない。実は、すぐに人に争いをしかける危険人物である。彼らは外交オンチも甚だしい。

 大人は、様々な手段をもって人とコミュニケーションできる。経済制裁を課したり、外交圧力をかけたりする。外交に長けていなくては、平和は保てないのだ。大人の外交では、平和裏に物事を成し遂げ、百戦錬磨である。

 より大きな見方をしよう。戦争とは、外交の手段だ。これは軍事学でも常識だ。外交は平和・戦争論の上位の概念だ。外交が、戦争という手段を選ぶか否かを決める。平和は国内の内乱をさすこともあり、治安(秩序)の状態とみなすこともできる。そのとき、平和策は、治安の手段である。

 その外交は政治の手段だ。日本の国益を考え、外交の方針を決定する。その外交でどうするかと、手段(戦争、経済制裁、貿易)を決定する。大局的に物事を考えると、外交には選択肢が無数にある。そして、最後の手段として戦争にいたる。このように体系的にみてゆくと、平和ではなく、政治・外交が上位の概念もしくは全体像となる。下位の概念である平和と戦争ばかりみては、平和を実現することもできない。

 手練手管の政治家は、多くの政治手法を使いわけることができる。そんな優れた政治家ほど、国際法、国家秩序、国際関係、貿易など多種多様な視点で外交を考える。平和や戦争という言い方はしない。安易に、平和を唱える者ほど政治的力量、つまり平和を保つ能力が低いといえる。

 平和と言う者に気をつけよう。彼らに、日本とアジア、世界を平和にする力はない。世界の平和を保つためには中共、北やイスラム国の侵攻を阻止し、彼らを壊滅する軍隊を持たなくてはいけない。だが彼ら左派・左翼はその平和のための軍隊を不要という。また日本が自衛戦争ができるよう法整備することを、阻止しようと企む。現行法では、邦人の救出など自衛すらままならない、というのに。

 よって、彼らは日本の平和のみならず、世界平和を実現することはできない。日本は世界の平和に貢献しなくてはいけない時代。まったくそれに関与できない無能左派の平和主義は、聞く価値もない。

本日の被害
昨日は、左目の奥上に弱い痛みがある。網膜周辺が傷ついた症状。かなり悪質な輩である。多田からきている。正月にいつもこれをやられる。だいたい犯人はわかっている。

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ベトナム共産党の狂気を軽蔑しよう

2015-01-05 11:10:55 | 電波犯罪
こんにちは

 晴れ 

 私は日本の思想界の歪みを正すことを、中心に論じている。今日は、ベトナム戦争の真実を書く。

 頭の弱い人は、ベトナム反戦運動は正しい、と左翼に洗脳されている。しかし、彼ら活動家は反戦などしていない。共産軍の軍事侵攻に抵抗するな、と訴えたのだ。それは、ベトナムが赤化することを見逃せ、ベトナムに住む多くの自由と人権を愛する人々を見殺しにせよ、という主張である。とても反戦運動ではなく、共産軍の軍事侵略を賞賛するという軍事主義的運動なのである。彼らは、実際に、殺戮者であるベトナム解放戦線を熱狂的に支持した。ベトナム民族を殺すことに加担した日本人の一味なのだ。これら、日本のベトナム反戦活動家は、アメリカに住む何十万人の元ベトナム人から、祖国を赤い恐怖に包んだ仲間として、白い目で見られ、共産シンパとして憎まれ、軽蔑されている。

 それらベトナムを廃墟するために暗躍した共産ゲリラ軍に立ち向かうアメリカやフランスこそが、正義だった。彼らは、ベトナムの多くの国民と財産を守っていた。それは、ボートピープルになった真のベトナム人が認めるところである。

 ベトナム戦争について、日本人の多くは思い違いをしている。殺戮者の共産軍が正義で、人々を解放したと思っている。アメリカは、枯葉剤をまいて、ベトナム人民に悪いことをした、と思いこんでいる。では、共産軍はその何倍も殺戮をしつくしていたことをここに書こう。

 実際は、共産軍は狂気で、各地で虐殺を繰り返した軍隊である。南ベトナム軍と北ベトナム軍は同じ。解放とは、共産主義者による資本家や知的職業の絶滅をさす。それは虐殺という戦争犯罪だった。

 そのため、共産支配下となってからは、南ベトナムから3百万人以上が命がけで逃げ出して、ボートピープルとなった。海に出たら、数割から半数は死ぬ。それほどの危険を犯してまで、ベトナムを出国する。それは、ベトナムに残ったら、死刑になるからだ。それを恐れていた。

 カンボジアのポルポト政権の残虐さは世に知られている。それと同じことが、共産支配下の町、ベトナムで行なわれた。それら、民族を殲滅する勢力と戦った欧米や韓国は、自由を守る尊い戦士だった。あの米国のベトナム戦争は、正義の戦争だった。

 『朝日新聞の大研究』(扶桑社文庫、小森義久、稲垣武)を読み、私はそれを再認識した。

ベトナム共産軍の虐殺
 少なくとも3万7000人を共産軍は虐殺した。

 フエの虐殺
 南ベトナム解放戦線(名前からして共産軍)という北軍の一派が、フエの町で3000人以上の市民を虐殺した。英語のWIKIより

 ホアの虐殺がある。クメールルージュは200万人を殺害したと見積もられている。
 なお、こんな残虐の共産軍がベトナム全土を支配すると、南ベトナムからは殺害を恐れて、数百万人が逃げ出し、ボートピープルとなった。国内では逃げ出した人数の1割以上の市民が犠牲になったと考えるべきだろう。(参考より)

 この殺戮マシーンのような狂気の共産独裁政権は、北朝鮮よりもひどい。民主主義と人権と自由を知らず、虐殺を喜ぶ者のみが、この北ベトナムをいまだに讃える。自由主義国のベトナム戦は、これら共産勢力の弾圧から市民を守るために、正しい戦いだったのである。

 必要な戦争はある。横暴な彼らの軍事侵略を放置すると、より多くの国民・民族が殺されるからだ。文化革命で3000万人、ポルポトは何百万人、ベトナムのクメールルージュも何百万人。ヒトラーの国家社会主義で、ユダヤ人が何百万人。戦死者の何倍、何十倍、何百倍が、共産軍、共産かぶれによって秘密裏に殺された。

 その虐殺者の群れである共産連中が政権を軍事力でクーデター起こして、奪うことを見逃すような過ちを繰り返してはいけない。彼らが近隣諸国を戦車、戦闘機、爆弾、銃などの軍事パワーで侵略することを見逃していけない。彼らを追い返し、その破壊的な共産の軍隊を打ち砕くには、戦争しかない。

 それしか、国民は守れない。正義と秩序も守れない。それをなお実践して、世界を守ってきたアメリカ・イギリスなどを見習え。兵士はそのために戦った。必要な戦争はある。


本日の被害
昨日は、左目の奥に痛みが生じた。今朝も同じく、左目奥に痛みが生じた。一日の朝は、視野に黒い線が見えたほどだ。網膜が切られたようだ。音声送信では、眼球がをさしたという。これは、危険極まりない犯行なので、厳しく対処したい。正月に毎度、こういう悪質なことをする川西多田の赤がいる。この赤は、多田駅の北側に住む、と音声送信はいう。
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今年の目標 日本共産党の解散

2015-01-03 11:02:30 | 電波犯罪
 新年明けましておめでとう。
 大阪の北部も雪が少々積もった。昼には道路のはなくなるのだろうけど。去年はいいことがほとんどなかった。今年こそは、いいことがなくては、やってられない。

 正月なので、いくつか快適のこつを書いてみる

 朝心地よく目覚めるには?
 心地よく目覚めるために、布団を頭までかぶって寝ること。朝起きるときに、そうなっていたら、目覚めがよい。朝は頭が冷えたら不快になる。朝は頭を暖めると、いい気持ちになれる。それをやってみよう。

 上手に歌うこつ
 腕を動かしながら、歌う。一番いけないのは、腕を胴体にくっつけて歌うこと。ひじは、必ず体から離す。あとは、首を伸ばす。あごをあげる。口から下の首が伸びていたら、声がよく通る。首から下が萎縮していたら、声がしわがれる。やってみよう。

 寒くならないこつ
 呼吸を止めること。すると、寒気が口や鼻から入ってこなくなるから、寒くならない。呼吸は最小限に抑えると、体が温かくなる。または、小走りをする。走って1-2分すると、体が温まる。

 やってみよう。いいことが少しある。

 よいことが起きるためには、まずは悪いことをなくそう。今年の目標は、そういうものが中心となった。

 今年の目標
 1,日本共産党の解散
 2,私を襲う組織犯罪を終わらせること
 3,地震予知で、成功すること

 1,日本共産党の解散
 彼らの議員数を減らすのが短期の目標である。目下、統一選挙で共産議員の激減をめざす。躍進を止めるのが大事だ。次に、地下で何をしているかわからない危険なこの集団の本性をあばき、合法的に壊滅する。今年中にはすべてできないだろう。

 2,私を襲う組織犯罪を終わらせること
 私は約20年間、いわゆる集団ストーカーという電波を悪用する犯罪の被害者だ。私はまだ毎日、このイデオロギー犯罪者に襲われる。協力者がいないからと、防ぐ方法がないから、まだ犯行を抑止できない。
 今年は、犯行の証拠をつかみ、警察に提出して、捕まえてもらうことをめざす。このくらい、うまくゆくだろう。私を狙う犯人の情報は、裏にあふれかえっている。この違法行為は最初の手続きさえすると、あとは簡単に取り締まれる。
 これは新しい犯罪だ。今まで、これを認めなかったのは警察の怠慢である。メディアに正義の心がないからだ。それを、私の力で終わらせる。

 3,地震予知で成功すること
 北海道地震が1月5-7日。長野地震が1月26日頃、東京地震が2-3月にあるだろう。それらを的中させる。すると、私が信頼される。寄付が入ってきて、自立できるだろう。まずはこれを目指す。
 鯉や鯰を見て、地震を予知する。雲、地磁気や地電流、動物、地震予知する。テレビを見て、そこにシンボルをみつけて予知する。私のは目新しく、万人受けするだろう。それで他より上手に予知できれば。
 方法論はある程度、確立した。あとは、成果を出すだけだ。

 これら三つで、私は水面下に沈んでいた状態から、浮上する。社会の一員となる。私の力は、地下に隠されているが、それを表に出す。すると、脚光を浴びるはずだ。今年は、これらでよい暮らしを取り戻して、一年を満喫する。

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来年の予測 -- 東京大地震が日本を襲う

2014-12-31 11:07:56 | 電波犯罪
こんにちは
 晴れ 
 今日は、電灯の掃除。

 よいお年を

 シンボルから見えてくる来年の動向

 私は地震予知をしている。世界でたった一人しかしない予測法で。予兆をテレビに発見する。動物は、地震前に苛立つ。なまずと鯉は暴れ、小魚は落着きがなくなる。犬はほえるものもいる。動物はそんな前兆を感じ取る。高等生物である人間が、できないわけがない。

 地震前に体調を崩す人が一部にいる。彼らは地震の数日前に、体がだるくなったり、耳鳴りがしたりする。そこから、地震を予知する。体感予知という。

 しかし、これは動物並みだ。地震前に断層の圧力が極度に高まる。その時に、電磁ノイズが発生する。それによる体調の異変だ。動物も、それを感じて、暴れだす。

 万物の霊長である人間が、動物と同じ予測法しか使えないなら、物足りない。地磁気や地電流を観測するという科学的な手法もあるが、私は違った方法を使う。 

 私は予兆を芸術や人間の表現、テレビ、雑誌、本、詩、映像、アニメに探す。テレビで、『断層』、『崖』が描かれたら、それは人間がそこを意識している。断層で起きる出来事は地震だ。まもなくそこで地震が起きる、と予知する。

 この手の予知、絵や詩から未来を予知するのは古来からある。古くはユダヤの預言者が夢から、未来を解き明かした。彼はペルシア王が夢で見た"シンボル"の意味を解いた。

 私は、テレビに登場するシンボルは、未来の暗示と考え、解読する。それを10年やってきた。テレビでなくてもよいのだが、テレビはシンボルの現れた日から発生時期を予測することができる。地震以外にも、事件、事故、飛行機事故や王族の死などを予知できる。

 これらシンボルを多数みつけて、その意味を知ることができる。例えば、王妃が王城で悲鳴を上げるシーンがある。そういうシーンがいくつかの別の映画やドラマで複数みつかった。すると、将来、ある王妃がそういう運命にいたる、と予知する。まったく難しくない。人間が思い描いたもの。映画やドラマは、未来にそれが起きる、と考える。

 何日後に起きるか? 私はテレビのシンボルと事件の発生時期の関係を調べた。およそ、テレビドラマでそれが描かれた日から、31日後によく発生した。地震のシンボルは『断層』、『津波』、『隕石』などだ。それをテレビで見かける。その約31日後に地震が発生することが多かったからだ。これをテレビ予知と呼んでいる。

 シンボルの意味がわかれば、あらゆるシンボルで表記された予言を解読できる。ヨハネの黙示録すら。しかし、私の予知は、多くは、映画やアニメ、ドラマのシンボルを解読した結果である。

 私は10年続けてきた。多数のデータがある。来年に何が起きるだろうか? 地震に限定しない。

 大胆予想
 まず2-3月にロンドンでバス爆破テロが発生する。その直後に、東京から東北にかけて大地震が起きる。福島の原発は爆発する。それによりアベノミクスは中断する。復興に日本は専念する。経済は東日本で落ち込む。イギリスの王子妃が危ない。英国警察が優秀なら大丈夫だ。その後、ペルシア湾で戦争が起きる。ある日、艦船に砲弾が打ち込まれる。
 5月頃に強い地震が日本にある。それで、石油基地から石油が海上に漏れる危機になる。夏に東京オリンピックが中止され、トルコに決まる。アリューシャン列島の地震はある。日本は地震が何度か襲うが、復興は順調である。

 なお地震は予知される。私が予知する。建物被害が大きくなるが、私の予知を信じる者が多くなると、死傷者は激減する。

 安倍政権は、復興を上手に行なうので、支持率は低下しない。大地震の発生により、日本強靭化計画の過剰予算の真の意図が人々に知れ渡る。また東京一極集中の弊害があからさまになり、首都移転論議が高まる。

 1/3-6 北海道地震
 1/26-29 長野地震
 2-3月 ロンドンテロ
 2-3月 東京-仙台地震
 イギリスの王族の危機
 ペルシア湾で戦争
 5月 関東か東北で強い地震
 夏 東京オリンピック中止
 関東大震災の危機が1-2年以内に

 来年は2011年に続き、大震災の年である。だが、希望はもとう。東京はまだ壊れないから。

 本日の被害
 電波による軽い頭痛がある。昨日、水道の水と洗剤がつくと、とたんに、指が痛む。これは強アルカリ剤が入っているときの刺激だ。いつのまにか入れられた。今まで数ヶ月はこんなことされなかったのに。
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