おなり神と王権

沖縄になんども訪れたことがあり、その度に「女性が輝いているなぁ」と思うし
実際、沖縄の女性は「働き者」といわれています。
その理由がおぼろげながらわかってくると、いま本土では消えてしまった多くの伝承や文化のモデルが
僅かに残っているように思う。民俗そのものはなくなっていてもカタチを変えて暮らしや行いに影響を
与えているものだろう。
                楠2

そのひとつに「オナリ信仰」がある。簡単にいうと女性の姉妹は男の兄弟にたいして「オナリ神」として
守護神になる、という女性の霊力(セジ)信仰である。例えば男性が戦に出たり、旅にでたりするとき
「テサージ」という手ぬぐいのような布を贈ったりしるようだ。布には古来より魂が宿るというから
当然、オナリ神のセジは込められて守護神として守ってくれるという。
沖縄で神事にはノロ(祝女)といわれる巫女の神託により行われるものですが男性の神官とノロの
組み合わせは同様にオナリ神にあたいするものだと思う。その最高位のカタチが琉球王にたいするノロの
最高神である「聞得大君」の制度があったようだ。
琉球国を治めることに祭政分離の思想を持ち込み、巫女が神の神託を聴き、王が実際の政務を執行するという
祭政分担の形式です。

これですぐ気づくのは所謂、魏志倭人伝にいうところの邪馬台国の統治のしかたである。
卑弥呼は鬼道をおこない、弟は政務を助けたということだ。
また古事記では景行天皇の皇子、倭建命は西国平定を命じられ伯母である倭姫命をたずね衣裳を受けている。
これらは倭国いらいの日本の国の統治権力が祭祀権と施政権とに、権威と権力が早期に分離していたことが
その後の天皇制もふくめた統治のあり方に影響してきたと言えないだろうか?
倭国が隋に使者を送って答えたことに「倭王は天を兄とし、日を弟として天まだ明けざるときに政を聴き
日出れば理務をやめ弟に委ねる・・」とある。
これは兄弟がいて国を治めていたととられているが、ここでの「兄弟」という意は必ずしも男の
兄弟という意味ではなく祭政分担をしてという意味に理解するほうが分かりやすい。
易では十干十二支では「兄弟」を「え・と」として陰陽をしめしている。甲乙を「きのえ」「きのと」
という。
初の女性天皇の推古朝に摂政として聖徳太子が登場してくるのは、自然なことで、これは
男女という組み合わせをこえて祭祀権と施政権との組み合わせと考えると、太政天皇と天皇、または
天皇と皇太子という組み合わせの時代もありえたのではないかとも思う。
またこのことが永いあいだの幕府政権を通じても天皇の地位が失われなかった希なる力でもあったと思う。
今の憲法下での象徴天皇制も同じ構図といえなくはないだろう。
沖縄は日本の古文化の故里である。多くの民俗学の研究者が当地を訪ねたのもそのためであろう。
これからも是非「沖縄の女性」には輝きをもって日本の「オナリ神」として活躍してもらいたい。

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Author:   jyoumonjn    山田 クニオ in SAGA     地域文化&あれこれ
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